シガクテキ・マ・テキテキ 18
私は重い身体を引きづりながら店の外へ出た。
別にそれ以降の予定もなかったのだが、家に帰るような気分ではなく、私はぼんやりとしたまま町をさまよう。
一時間ちょっとあちこちを歩き回り、足がくたくたになったところでようやく徘徊を止め、ちょうど目の前にあった公園のベンチに腰掛けた。皮肉にもそこは、私が九条先輩と初めて出会った公園だった。あの日九条先輩が座っていたベンチに一人腰かけ、やりきれない気持ちのまま公園にいる子供や、前の道路を行きかう人々を眺めた。耳を澄ませば、すぐそばにある商店街を通過する中学生のはしゃぐ声が聞こえてくる。
空高く舞い上がった私の初恋は、蝋でできた翼を太陽に溶かされ地上へと落下し、着地の衝撃でばらばらに砕けてしまった。私の初恋が残した痛みは、鋭く突きさすようなものではなく、むしろ底深い羞恥と後悔に、パセリの苦々しさが合わさったような痛みだった。
きっと他の乙女らも同じような経験を経て、大人になっていくのだろう。同じような経験というのはもちろん、憧れの先輩と年増のおばさんの濃厚な接吻を目撃するというような経験のことだ。
私は痛みをかみしめながら、じっと時間流れに身を委ねた。しかし、いくらぼんやりと時間が過ぎ去っていっても、なかなか気分は晴れない。
こういう時は、誰かに話を聞いてもらうことが一番。だけど、家に帰る気分ではない。お母さんは仕事でまだ帰ってないだろうし、家には私の初恋相手を思い起こさせるプーシキンしかいない。仮にお母さんが帰ってきてたとしても、思春期真っ盛りの私にとって、私の初恋をぶちまけるのには少しだけ抵抗がある。
では、柏木はどうか。いや、それは一番ない。こっちから電話をかけ、話を聞いてもらうような真似は絶対にしたくない。今の時点ではまだ私のプライドと意地がかすかに残っているし、むしろあちらから目を輝かせて事の顛末を尋ねて来るに違いない。明日部活で会っても、絶対にこのことを喋ってやるもんか。
私はふうっと小さくため息をつく。
何の解決策も思い浮かばないまま、ぼんやりと公園内の様子を再び眺め始める。目の前の砂場では小さな子供たちが楽しく遊んでいて、その奥のベンチでは彼らの母親と思われる奥さん方が楽しそうに談笑していた。きっとあの人たちも、子供の手がかからなくなったころにパートの仕事を始め、職場先で品のない男と不倫関係を結ぶんだろう。十年以上前に捨てた女性らしさをごみ箱から拾い上げ、媚びたような目で男を誘い、垂れ下がった乳房をつかまれるたびに霞のような喘ぎ声を発するのだろう。
すさみきった私の頭には、そのような柄にもない考えが浮かんでは消えていく。いつもの私なら絶対にそんなことは考え付かない。これはすべて九条先輩とその不倫相手のせいだ。私が悪意とさげすみの目で奥さん方を見つめていると、彼女らは不意に立ち上がり、砂場で遊んでいた子供たちに声をかけた。
はっきりとは聞こえてこなかったが、恐らくもうそろそろ帰ろうというような意味だったのだろう。私がぼんやりとしているうちに、真上にあった太陽もいつの間にか西の空へと移動してしまっていた。
子供たちはそれぞれの母親と手を取り、一人ずつ公園を去っていく。一人、一人と消えていった後、砂場には女の子が一人だけ取り残されてしまった。女の子は独りぼっちのまま、さっきまでみんなと一緒に遊んでいた砂場に残され、おもちゃのスコップで寂しく砂をいじくりまわしていた。
それがあまりに可愛そうで、私はふと女の子のもとに駆け寄ろうかと思ったが、どうせあの女の子も三十年後には誰かと不倫するのだと思うと、どうしても声をかけることができなかった。しかし、私が逡巡しているうちに、女の子のもとにスーツ姿の男が現れた。
最初はロリコン犯かと思い警戒したが、女の子の安心しきった顔を見て、その男性が彼女の父親だと言うことがわかった。男性は砂場にしゃがみ込み、女の子に向かって、帰ろうだとかそれに近いことをつぶやく。女の子がそれを無視し、代わって革靴にスコップで砂を注ぎ入れても、彼は笑みを絶やさずにそっと女の子の手を握った。そのままその親子は立ち上がり、仲睦まじげにその場を去っていく。
私は彼らの後姿を見つめながら、ふと何年も前に家を出ていったお父さんのことを思い起こした。小学生低学年の時に出ていったということもあり、それほどたくさんの思い出があるというわけではない。思い出と言えば、二人でペットショップに行ったことと、いくつかの外国の詩を教えてもらったことくらい。
けれども、心がすさみ、誰でもいいから私を救ってほしいと思っていたからか、無性にいなくなったお父さんに会いたいという気持ちが膨れ上がってきた。もちろんそんなことは不可能だし、何より、都合がよすぎる。
それでも私がベンチの背に首をもたれかけ、疲れたように目を閉じると、頭の中に昔の記憶が走馬灯のように現れては消えていく。それらはどれも漠として、具体的なイメージとは言えないとりとめもないものだった。エレクトラコンプレックスじゃあるまいし、どうして私は母親ではなく父親を恋しく思うのだろうかと不思議に思ったが、それでも私は急行電車のように次々と通り過ぎては消えていく記憶に身を委ね続けた。
「麻里奈」
懐かしい、中年男性の声が聞こえた。




