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喜劇的☆マ☆テキテキ  作者: 村崎羯諦
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シガクテキ・マ・テキテキ 14

 先輩は私が橋にたどり着くまでの間、一度もその顔をあげなかった。私はばれないように心の中で祈りながら、興奮で早くなる呼吸を落ち着かせる。


 橋に入ってからも、私は後ろから回り込むような形で先輩に近づいていった。先輩はいまだに気が付かない。あまりにも先輩が無警戒なので、もしかしたら人違いなのかもしれないと一瞬考えたが、改めて観察してみても、やはりそこにいるのは九条先輩だった。


 家から出てきた時と同じ服を着ているし、首筋にはべっとりと汗をかいている。そして、決定的なことに、先輩はまだ私が届けた詩集を左手に持っていた。私はそのまま先輩の真後ろに立ち、そこで止まった。


 これほどまでにあっさりと近づけるとは。もっと異なる展開を予想していたが、まあでもいっか。とりあえず、先ほどの怒りをぶつけることができたらそれで十分なんだから。私は先輩の後姿を観察し、どこに一撃を加えようかと考える。


 頭……は少しかわいそう。足だと少し地味。腰か肩のどちらかだろう。そう思って私は持っているラケットを振りあげようとした。


 しかし、その瞬間、突然私の中の良心がひょっこりと顔を出し、本当に先輩をこのまま殴っていいのだろうかという疑問が湧いてきた。もちろん先輩が私の贈り物を資源ごみとして捨てたのは許せない。でも、先輩がそれらを読んでいないとは限らないじゃないか。それに、あのひもで縛られた本のすべてが私の届けた本だっていう確証はない。もしかしたら、数冊はそのまま自分の本棚に置いたままにしてあるのかもしれない。


 なぜ今になってそのような考えが浮かんできたのかはわからない。多分、ここまで近づいてもいまだに私の存在に気付かない、無防備すぎる先輩を一方的に攻撃することに若干の抵抗を感じているからだろう。


 それはそうだ。先輩に弁解の余地を与えてもいいはず。弁解を聞いた後で、私は再び先輩の本を真剣に読んでもらうよう説得すればいいし、それがだめなら暴力に訴えればいい。何はともあれ、話を聞くべきだ。


 きっと先輩も私の崇高な試みに少しは共感しているはず。その証拠に先輩はいまだに先ほど私が送った本を持っているじゃないか。私は先輩の右手に握られた本を凝視する。そして、再び自分の中で話し合いから始めようという決意を固める。


 しかし、まさに先輩の肩に手を置こうとしたその時だった。何の前触れもなく、先輩の右手がゆっくりと動き始めた。


 やっと気が付いたのかもしれない。私は瞬時に身構える。


 しかし、それは単なる私の思い過ごしだったようで、先輩はこちらを振り返ることはなく、単に手にしていた本をもう一度自分の目の前に持ってきただけだった。


 私が期待のまなざしで見つめる中、先輩はパラパラと再び本をめくり始める。そして、律儀に最後の一ぺージまでめくり終えると、先輩は物憂げに詩的なため息をつく。先輩はそのまま再び真下を流れる川へと視線を移した。


 セミの音しか聞こえない夏の静寂に包まれる中、先輩はゆっくりと右手を振りかぶり、そして、持っていた本を川に向かって放り投げた。


 落ちていく軌道を把握することはできなかったものの、先輩の手から本が投げられた数秒後に、ポチャリという風流な水の音が聞こえてきた。私と先輩はその音に聞き入るかのように身じろぎもしなかった。


 先輩は吹っ切れたように大きく背伸びをし、そこでようやくその場から立ち去ろうと、こちらへ振り返る。先輩はそこでようやく自分の背後に立っていた私の存在に気が付き、緩み切っていた表情が一瞬で凍り付いた。


 私は何も言わないままじっと先輩を視線で射抜く。先輩は挙動不審気味に背後の川にちらりと視線を送った後、どうしていいのかわからず、無理やり口角をあげ、へつらうような笑みを浮かべて見せた。


 私は微笑み返すこともせず、先輩を見つめ続ける。そして、躊躇なく手にしていたラケットを大きく天へと振りかざした。先輩の顔に恐怖の色が浮かぶ。


 私が一歩分だけ近づくと、先輩は明らかにうろたえ、私から少しでも遠ざかろうと反射的に後退した。私はそんな先輩の情けない姿に対し、さらに苛立ち、半ばやけにになりながらじりじりと近づいていく。


 私の行動に先輩は頭が真っ白になったのか、先輩は後ろが川であることを一瞬だけ忘れ、そのまま慌てふためいたまま後ろ歩きで下がっていく。そして、その勢いのまま橋の手すりへと体がぶつかると同時に、まるであらかじめ練習していたのかと錯覚するほどの綺麗なフォームで、背中から、そしてスローモーションで、先輩は手すりの向こう側へとその身体全体が消えて行ってしまった。


 タイムラグの後、先程よりも大きな音が橋の下から聞こえてくる。


 私は慌てて手すりへと歩みより、川へと落ちていった先輩の姿を追いかける。すると、すぐ真下に仰向けの状態のまま水面に浮かび上がっている先輩を見つけることができた。川と橋の距離はそれほどないし、この地点での水深も下流に比べてちょっぴり深い。暴れることなく、ただただ川の流れに身を任せたまま浮かんでいる様子から察するに、怪我はしなかったようだ。


 私はほっと胸を撫で下ろす。それと同時に、先ほどまでは、抑えきれないほどに膨張していた憤怒の感情が、まるで外科手術で摘出されてしまったかのように、跡形もなく消えてなくなっていることに気が付いた。


 少しやりすぎたのかもしれない。私は下流へとそのまま流されていく先輩を見つめながら、ふとそんなことを考える。


 じんわりと噴き出してきた汗を拭おうと、手を額へと当てた私は、いまだに自分が覆面をかぶったままでいることを思い出す。あんまり一生懸命になりすぎていたせいで、すっかりこのことを忘れていた。最後まで先輩に顔を見られなかったのは幸いだが、こんなものをかぶって町を走り回っていたことに気が付き、羞恥で顔がさらに熱くなる。


 私は急いで汗で顔にぴったりと張り付いた覆面を脱ぐ。そして、慚愧の念に促されるまま、汗を吸った黒の覆面を、私はそのまま目の前の川へと放り投げた。


 覆面は綺麗な軌道を描きながら、川へと落ちていった。真夏の日差しが反射し、川の水面がキラキラと輝く中を、そのまま先輩と同じようにぷかぷかと下流に向かって流されていく。私はその様子をぼんやりと眺めながら、反省と悔悟が混じった、大きな大きなため息をつかざるを得なかった。

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