シガクテキ・マ・テキテキ 3
あれだけ先輩を侮蔑する言葉を吐かれ、私の腹の虫がおさまるわけがない。
私は苛立ち紛れに近くに置いてあったごみ袋を思いっきり蹴り上げる。そのごみ袋は思っていた以上に軽く、ポーンとサッカーボールみたいに放物線を描いて飛んでいき、前を歩いていたスーツ姿のサラリーマンの背中に直撃した。
サラリーマンはすぐさま後ろを振り返ったが、私は何の関係もありませんよとしらを切ったまま、何食わぬ顔で彼の横を通り過ぎていく。
苛立ちはなお私の中でくすぶり続け、必然的にその矛先は先ほど別れたばかりの柏木へと向かう。
何さ、自分が彼氏持ちだからってあんな上から目線で言ってくれてさ。柏木の彼氏なんて、提灯アンコウを縦に引っ張ったような顔をしたアニメオタクのくせに!
九条先輩の方が柏木の彼氏よりずっと素敵だし、何より柏木の恋愛なんかより私の恋愛の方がもっともっといいものなんだ。確かに柏木の恋愛には私も相談に乗ったりなんかして、その実情についても知っているし、相手はどうであれ柏木の恋情が本物だってことはわかっている。だけどそれでもやっぱり私の恋のほうがずっといいものなのだ。
なんていうのかな、うまく言えないけど……そう、柏木の恋愛は詩的じゃない。
思いがけず浮かんできた表現に私はうまい表現だと自画自賛する。そう、詩的じゃない。私の恋は柏木の恋より詩学的に優越してるし、詩学的に劣位の恋愛しか知らない柏木に私の恋を理解することなんてできないんだ。
先輩はそのまま絵画や彫刻にできるくらいの美を兼ね備えているし、たとえ部活の先輩とか柏木の言う通り、九条先輩がちょっと頭が足りなく、意地汚い人間だとしてもそれがなんだというのだ。九条先輩のすばらしさがそれで損なわれることなんてありえない。
人間だれしも欠点は持ってるし、その欠点だって見方によっては長所だと解釈可能だ。ドストエフスキーだって、少しおバカさんの方が、人間的に美しいと言ってるじゃないか! そして、二十年も生きていない小娘にドストエフスキーより深い人間理解ができるとでもいうのだろうか。いや、絶対にそんなことはありえない。私は部活の先輩とか柏木なんかより、ドストエフスキーの方を信じる。
自分の中で結論付けると同時も、少しだけ穏やかな気持ちになれたような気がした。私は頭の中で昨日出会った九条先輩の顔を思い出す。記憶は先輩の美しい顔立ちとその時の私の舞い上がらんばかりの感情の高ぶりを鮮明に浮かび上がらせ、私は改めてこの恋が詩学的に素晴らしいものだということを確信した。
私はそのまま先輩と自分が一緒に向かい合い、愛をささやき合う風景を想像したりしながら家へと歩いて行く。
玄関を開け家にあがると、奥の方から犬のプーシキンが下を垂らしながら駆け寄ってきた。
プーシキンは座って靴ひもを解いている私に近づくと、自分の股間を嬉しそうに私の身体にこすりつけてきた。これは彼なりの愛情表現であると同時に、飯を寄こせという権利主張でもあった。
私が靴を脱ぎ終え、プーシキンを抱っこすると、彼の足が汚れていることに気が付く。私とお母さんがいないことを奇貨として、また勝手に外へ出ていたのだろう。
私は靴箱の上に置いてあった雑巾で足を拭いてあげながら、プーシキンの下劣で不細工な顔を見つめる。
プーシキンはパグ特有の大きくクリッとした目で私を見つめ返した後、そのまま汚らしいゲップをした。そしてバタバタと身をよじらせて、地面に降りると、そのまま再び家の奥の方へ走って行った。




