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雨の匂い

作者: 一条 灯夜

 夢を見た気がするけど、起きたら忘れてしまった。身体を伸ばすと、吸い込んだ大気の中に――。

「雨の匂いがする」

 目を細めて窓の向こうを見る。

 五階の研究室の窓の向こう。目を凝らしてようやく見える程度の、細い雨が降っていた。

 う、と、不意に肌寒さに気付いて身震いする。ジャケット――、と視線をさまよわせるが、今まで寝ていた机にも椅子の背凭れにもジャケットは見当たらなかった。

 寝惚けてるのか? と、もしかすると薄着で大学まで来ていた可能性を考えていると……。

「あ、起きたんだ? 泊まり?」

 手が完全に隠れる長さのジャケットを着ている同じ研究室の佳織が、ひょっこりとドアから現れた。

「もう少し……と、思って続けているうちに、終電がなくなったんでな。今何時だ? ああ、いや、いいか。今日、土曜だもんな。……服を返せ」

 寝ていたのは、多分、四時間か、そこいらだと思う。

 雨の日は……雨の日のこの部屋は、少し独特の空気がある。それほど貴重な標本があるわけじゃないけど、地質学の研究室であるこの部屋は、無機質な石でいっぱいだからだ。

 雨の日には、部屋の全ての輪郭が晴れの日よりも少し柔らかくて、でも、そう、冷たくない氷のような独特な手触りがある。

「無理」

 まるでティーンエイジャーのような可愛らしさを意識した子供っぽい仕草で、佳織がジャケットの襟を立てて笑った。ギリギリ耳が隠れるくらいの髪で、身体も痩せ型の佳織は、子供っぽい仕草もまあまあ似合っていて、でも、そこはかとない違和感が酸いも甘いも経験した大学四年の表情にある。

 大人の幼い仕草は、どこかセンチメンタルだ、と、佳織にしか当てはまらないような感想を抱いてから俺は口を開いた。

「俺、寝起き悪いんだ。いいから返せ」

 あんまり遊ぶような気分じゃなかったので……後、本当に起きたばっかりは頭がボーっとする性質なので、自分から奪いに行ってなにかやらかしてもアレなので、俺はもう一度命令した。

 少しだけ膨れた佳織が、俺に背中を向けて拗ねたように言い放った。

「朝は、晴れてたんだもん」

「ん?」

「服が透ける」

「ふふん」

 思わず鼻で笑ってしまったら、肩越しに咎めるような視線を向けられて、ゆるゆると俺は首を振ってみせる。

 高校生ならまだしも、十八歳の壁をもう充分に越えた俺達には、透けブラごとき――……。

「ノーサツされるからな」

「もう死語っぽいな、それ」

 最近はついぞ聞かない表現だ。俺達の年代以降はもう使っていないんじゃないだろうか? いや、俺が知らないだけで、世間ではまだ一般的なワードかもしれないが。

「優しくないなぁ」

 ぼやきながら、一歩、また一歩と佳織が近付いてくる。

「優しさが欲しいなら、頭痛薬でも飲めよ。半分は優しさらしいからな」

 ぶふっと噴き出した佳織が、ジャケットを脱いで俺目掛けて投げつけてきた。

「口の減らない男だ!」

 佳織の服の雨が移ったのか、ジャケットは少しだけ水を吸っていて、そこからは雨の匂いがした。

 とても静かな、秋の雨の匂いが。

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