伸ばす手①-①
〈レザーベイン〉
〔甲殻武装怪獣ガイキルス〕
登場
太陽が地平線に沈み、ヘルヴィムに暗黒の夜が訪れた。黒一色の海となった天空には色取り取りの星々が煌き、まるで引っ繰り返された宝石箱のようだ。
黒一色と極彩色の中、彼方で芥子粒よりも小さく、けれどもどの星よりも強く輝く光があった。彗星怪獣ツアラプルの輝きが、遠く離れた地上にまで影を落としている。
しかし夜の時間はほんの数分。黄星に接近しているこの時期は、夜の支配時間が非常に短い。太陽と第六惑星、二つの恒星に挟まれたこの星は、一日中の昼と半日の昼を一年の周期で繰り返しているのだ。
ただ、この日の夜は、いつもの夜とは様子が違った。
僅かな時間の夜が明けて、ふと朝日を目にしたとき、ヘルヴィムの人々は気がついた。はるかな彼方に見えていたヘルヴィム山の稜線が二つに増えていることに。
そして、一方の山が徐々に大きくなっていることに。
朝日を背負って、ガイキルスがヘルヴィムに向かっていた。
「ふん。たかが怪獣、なにを恐れるものぞ」
ヘルヴィム機兵団の隊長、リングヴァールは自信と威厳に満ちた声で言い放った。
ガイキルスの前方には彼旗下、ヘルヴィム機兵団全八機のレグキャリバーが集結していた。例え再生怪獣の一部隊が現れようと、余裕で撃退できるほどの戦力だ。
「全砲門構え…………ってぇーっ!」
リングヴァールの号令が響き、レグキャリバー部隊が一斉砲撃。砲弾が嵐となってガイキルスに殺到した。大地が抉れ、森が焼き払われ、土砂で川が埋まる。景色の一切を荒野へと変貌させる砲撃に見舞われては、怪獣如き挽肉に成り果てているだろう。
「ふっ。他愛もない」
「たっ、隊長!」
リングヴァールが勝利の笑みを浮かべる暇もなく、緊迫した声が響きわたった。
黒煙が盛り上がり、引き裂かれて、内部からガイキルスが姿を現す。ガイキルスは全身を血に染め、黒煙を立ち昇らせながら、しかし全くの無反応。まるで痛みなど感じていないような振る舞いだ。
「ばっ、馬鹿な、五体満足でいるだと!」
リングヴァールは動揺も露に慄いた。地形を変えるほどの、圧倒的火力での殲滅。守るべきヘルヴィムさえも滅ぼせる破壊の嵐を身に受けて、それでもガイキルスは些かも歩調を緩めていない。それどころか全身の傷が蒸気を上げて急速に塞がっていく。
「う、撃て! 撃て撃て討てーっ! オールト切れになるまで撃ちまくれーっ!」
リングヴァールの怒号を掻き消して、以前に倍する数の砲撃がガイキルスに降り注ぐ。しかしガイキルスの足を止めることは叶わない。ガイキルスは少し強めの雨に打たれているとばかりに肉片を飛び散らせ、血をしとどと流し、ヘルヴィムへと近付いていく。
「射撃武器では致命傷にならないのだ! 接近して急所を狙え!」
「了解っ!」
一機のレグキャリバーがガイキルスに体当たり。そこで初めて、ガイキルスの隻眼がぎょろりとレグキャリバーを見下ろした。温度のない殺意、鬱陶しい羽虫を追い払おうとする視線だった。
ガイキルスが腕を払う、それだけでレグキャリバーがふっ飛んだ。地響きを立てて地面に倒れ、その操縦室に尻尾が落とされる。操縦室はぐじゃぐじゃに潰された。
ガイキルスの胸郭が膨張。口が大きく開かれ、巨大な岩石が吐き出される。岩石はリングヴァールの隊長機から右腕を消し飛ばし、その背後に控えていたレグキャリバーの胸部に巨大な穴を開けた。レグキャリバーから内臓のように機器が零れ落ちる。
ガイキルスの吐き出した岩石はバッハイグが見せた砲弾とは比べ物にならない巨大さで、実に一軒家ほどの大きさがあった。
さらに岩石は機兵団の後ろに広がるヘルヴィムの壁に着弾。壁を一瞬で貫き、建造物を軒並み破壊しながら突き進み、ヘルヴィムの三分の一を横断したところでようやく止まる。家屋は単なる瓦礫の山となって炎に包まれ、肉片となった人体があちらこちらに散乱し、血痕が毒々しい花となって一面に咲き乱れていた。
「なんだこいつは…………。これが、こんな化け物が古代怪獣、生物だというのか?」
呆然とするリングヴァール。その視界が閉ざされた。リングヴァールの目の前には大きく開いたガイキルスの口腔が見えた。鋭い輝きを発する牙の列は冷たく、その奥には果てしない暗黒の穴が続く。完全密閉されたはずの操縦室にいて、吐きかけられる息吹の生暖かさと湿り気を感じた気がした。
「ひっ、ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
文字通り地獄への入り口となってガイキルスの顎が閉じられた。操縦室の上下から牙が飛び出し、迫る壁がリングヴァールを呑みこんだ。
「よくも隊長を! 仲間をっ!」
「ヘルヴィム機兵団の名にかけて、なんとしてでもあいつを止めるんだ!」
激高する残り五機のレグキャリバーが徹底抗戦の構えを見せた。感情の高まりに応じてオールトが膨れ上がっていく。
ガイキルスの背中の突起が蠢いた。突起の根元から炎が噴き出し、数本の突起が炎の尾を引いて飛び立つ。突起は推進弾頭となって飛翔、自由意思を持つように複雑な軌道を描いて空中を駆け、残り五機のレグに四方八方から突き刺さって磔刑に処す。
背後で連続する八つの爆発など気にもせず、ガイキルスはヘルヴィムの街中に侵入。家屋を砂の城のように蹴散らし、人々や動物を虫のように踏み潰して進んでいく。
ガイキルスの足元には阿鼻叫喚が広がっていた。家屋の下敷きとなって生きながら焼かれる絶叫がこだまし、我が子の手を引いて逃げる母親の上に瓦礫が落下して押し潰し、父親の片腕を引きずった子供が大声で泣き叫ぶ。
ガイキルスは小高い丘に到着した。丘の上に見える堅牢な城砦であるそれは、ヘルヴィムの中心であるヘルヴィム城だ。
そのヘルヴィム城の屋根に立ち、ガイキルスを見据える人物がいた。
「おのれ古代怪獣め、この私の命が目的か!」
ガイキルスを見据えて、ヘルヴィム・ヘムロック助男爵は剣を抜き放った。
「だが、貴様の思うようになると思うな! 例えこの命がつきようと、我が領地を荒らし、領民を脅かした貴様に傷の一つも与えて……」
ヘムロックはそこで言葉を詰まらせた。ガイキルスの瞳には靄がかかり、どこも見ていなかったのだ。
ガイキルスはヘムロックを無視してヘルヴィム城を蹴り崩し、中庭へと侵入した。膝をつき、体を横たえると、途端に瞼を閉じる。楕円形の柵にも思えるヘルヴィム城は、寝転んだガイキルスの大きさにぴったりだった。やがてガイキルスから安らかな寝息が漏れてくる。
「なんという……なんということだ!」
眠るガイキルスを見上げて、ヘムロックは愕然としていた。
「こいつは……古代怪獣は……人間に敵意など持っていない。ただ、丁度いい寝床としてこの城を選んだだけだ。人間の街など眼中に入っていなかっただけなのだ」
古代怪獣は天災と同じだ。こんな存在を相手に、人間が抗うすべはあるのか?
戦慄するヘムロックの頭上に飛来する影があった。舞い降りた水晶フクロウの両目から怪光線が放たれ、空中に像を結ぶ。
「お久しぶりです、ヘムロック助男爵殿」
オービットはヘムロックに恭しく一礼した。




