怪獣人①
〔彗星怪獣ツアラプル〕
〔灼熱暴君ロッソレクス〕 登場
それは巨大な存在だった。
暗黒の空間を彷徨う生命の方舟であり、それ自体が一つの生命体であった。
途方もなく大きな全長は、人間の言葉で言い表すなら小国のそれに等しい。
周期は約四〇〇〇、正確には三九七三年。
生命体と呼ばれる以上、それもまた命を食らって命を繋ぐ存在だった。遥かな外界にいながら、地上の生物から生命力を吸い上げて自らの糧としていた。
いわばその生命体は、三九七三年をかけて宇宙という広大な餌場を巡回しているのだ。
人々は古代より、その巨大な生命体を〔彗星怪獣ツアラプル〕と呼んでいた。
ツアラプルは気の遠くなる時間を彷徨っていた。三九七三年の閉じた世界を、何千何万回と巡り続けた。自我が生まれては、なにも感じなくなって失われるのを、幾度となく繰り返した。
あるとき、ツアラプルの体の一部がとある星へと落ちていった。
美しい星だった。暗黒の宇宙に散りばめられた、青い宝石のような星だ。
ツアラプルの欠片は大気圏で砕け散り、何十万何百万もの流星雨となって青い星の全域に降り注いだ。ツアラプルの欠片は、その星の生物に取りこまれ、混ざり合い、溶け合って、いつしか一つの生命体が誕生した。
雲一つない青空を遮るように、緑豊かな山脈が左右に長く伸びていた。山脈の裾野には緑色の絨毯となって森林が広がっている。
日の光が底に届かないほど鬱蒼とした森の中、破裂するように荒い息遣いの男が木々の枝を飛び渡っていた。
男の足がとある巨木の上で止まる。幹に背を預け、枝に尻を落とすと、自棄酒のように空気を肺に押しこんでいく。濃い緑の匂いと喉に貼りつく湿った空気で噎せそうだ。
もう、逃げるのは限界だ。逃げるのではなく、戦う手段を考えなくてはならない。
男はそっと眼下の様子を窺う。いた!
暗闇を閉じこめた森の中を、一際禍々しい影が移動していた。追跡者は異形、一言で表すなら直立歩行する獣だ。
全身は細い針金のような砂色の剛毛に覆われ、表皮の露出した胸や腹は岩石のような筋肉の塊。横顔は平べったく、額から鼻、顎にかけての輪郭がゆで卵のように滑らかだ。唇からは牙が覗き、熔解した鉄のように赤い瞳がぎょろぎょろと周囲を見回している。
追跡者は怪獣人だった。四千年前に人類と熾烈な生存闘争を繰り広げた古代怪獣の末裔であり、人類最悪の敵対種族、それが怪獣人だ。
怪獣人がいつからこの地上に存在していたのか、それを知る者はいない。気がつけば数年前から世界各地で目撃報告が出始め、怪獣人による人類への攻撃が始まった。男を追う怪獣人もまた、人類とは決して相容れることのない宿敵なのだ。
男が死体のように息を殺しているその様を、怪獣人が見上げていた。
「しまっ! 気付かれ……」
男が動揺の言葉を口にしたその直後、男の体は落下していた。足を滑らせた……いや違う、足場であった巨木そのものがなくなっていた。
男の眼下、巨木は怪獣人の小脇に下げられていた。両腕を伸ばしても到底抱けやしないほど太い幹が、根元から力任せに折られていたのだ。
その巨木が掻き消える。そうと認識した瞬間には、男の体は超高速で振り抜かれた巨木に打ちつけられ、空中で無惨な挽肉に成り果てていた。
「無駄無駄だよー。人間如きがボクたち怪獣人を倒せるわけないじゃーん」
肉片と血の雨になって降り注ぐ男の死体へと、怪獣人は侮蔑を吐いた。
草木を分ける音がした。怪獣人が首を回す。
「おお~う、そっちさんも終わったみてぇだぁなぁ」
現れたのは丸体型、というより球体の五か所から両腕両脚と頭が飛び出している造形の怪獣人だった。表皮は焼け焦げた鉄のように黒ずんでいて、腹の中心に開いた第二の口からは骨ごと肉を噛み砕く音が連続している。
「どうやら全員始末したようでございますね」
第三の声は幹の影から現れた。痩身を通りこして、全身が刃のように鋭利な怪獣人だ。
「それじゃあ、お頭に報告と洒落こみましょうかね」
三人の中心人物らしき獣毛の怪獣人が言い、残りの二人があとに続く。
三人が踵を返してしばらく進むと、森の中にひっそりと身を潜めた小さな山村が目に入ってきた。丸太と木板で造られた原始的な家屋が二十軒ばかり並ぶ小さな村だ。
山村では悲鳴と怒号がこだましている。山村を襲った怪獣人の仲間が、暴力と悪意の限りをつくしているのだ。今も風見鶏を有した家屋に、数人の荒くれ者どもが押し入ったところだ。
「こ、こんな貧しい村に用はないだろう? とっとと出ていってくれ!」
果敢に訴えた村長の白髪頭に手斧が振り下ろされ、皺塗れの顔が真っ二つに割られた。眼球が左右に飛び出し、胸元が血と脳漿で汚される。
村長に手を下した髭面の男が横を向き、身を寄せ合って震える老女と婦人、そして男児の村長一家を目に留めた。男たちの下卑た欲望の視線が婦人と男児に絡みつき、二人に次々と手が伸びていく。
「ああっ! やめて! 娘と孫には手を出さないで!」
二人を奪われまいと懸命に抗う村長夫人に手斧が振り下ろされ、背中に断末魔の悲鳴を聞きながら、婦人と男児は家から連れ出されていった。
「女とガキは高値がつくから傷つけるなよ! 男も殺すんじゃねえぞ? 新鮮な内臓じゃなけりゃ売れねえからな。それ以外は皆殺しだ」
村中に聞こえる怒号を横耳にしながら、三人の怪獣人は村の中心へと向かっていく。
村の中心に位置する広場、そこで盗賊団の一同に傅かれている人物がいた。屋外に椅子を持ち出して、腰を落ち着けている男だ。全身黒一色の衣服に身を包み、目深にかぶった帽子で顔の上半分を隠している。僅かに覗く目元は濃い隈で黒ずんでいた。
「お頭、抵抗分子の始末は終わりました」
獣毛の怪獣人はその場に居合わせる多くの構成員と同じように、黒服の男の前に膝を着いて深々と頭を下げる。残りの二人も獣毛の怪獣人に続いて膝を着く。
「怪獣人が三人がかりでこの遅さか。揃いも揃ってこの愚図どもが」
ありえないことに、三人の怪獣人が服従する首領は怪獣人ではない、人間だ。にもかかわらず、膝を着いた三人の怪獣人は汗を垂らしている。
それは本来なら屈辱の光景に違いない。人間よりもはるかに優れた生物として生まれたはずの自分たちが、他ならぬ人間を相手に臆して、心の底から平伏しているのだから。
しかし心臓を握り潰されるような畏怖と、腹の底が凍りつく恐怖に支配されて、逆らおうなどという感情すら湧いてこない。
黒服の首領は暗くて冷たい、底なし沼じみた視線で部下を見下ろしていた。その目は暗に、「使えない捨て駒は切り捨てるだけだ」と、怪獣人たちに宣告していた。
首領の眼光に鼻ピアスの男が喉を鳴らす。その視線が不意に上を向いた。
「お、お頭、なにかがこちらに飛んできますぜ!」
雲一つないはずの青空に一筋の白雲が尾を引いていた。上空には巨大な人影、飛翔する巨人が白雲を引いているのだ。
「あれはレグキャリバー……《財団》が我々の討伐に乗り出したのか?」
首領は危機感を孕んで呟くが、しかしどうも様子がおかしい。盗賊たちが見上げる前で巨人はぐんぐんと高度を落としていき、そして地表に激突した。
墜落地から遠いので振動はない。しかし大気を震わせる轟音が周囲に響き渡り、驚いた野鳥や動物が泡を食って逃げていく。鮫の背鰭となって土煙が走り、そして止まった。
「……というわけではなさそうだな」
レグキャリバーの接近とその墜落、二重の想定外にその場の誰もが面食らっていた。
「予定変更だ。今すぐ撤収するぞ。村人全員を殺して火を放て」
この場は採算を度外視してでも身の安全を優先するべきだ。首領は機敏に指示を飛ばし、それから鼻ピアスの男を見て、
「それと貴様、なにが起きたのか様子を探ってこい」
命令を受けた鼻ピアスの男が頷き、一目散に走り出した。