獣の王②
「これが言われていた装置だと思うのだが?」
ザンダが待っていたのは箱を思わせる堅牢な建物の一室だった。窓も凹凸もない完璧な半円形の部屋は、巨大な箱に入れられた小さな屋外のようにも思えた。部屋の入り口正面には、胸までの高さで斜めに切断されたような、奇妙な形状の柱が床から突き出している。
ゼヒナスが歩を進めて、奇妙な柱の上部を触る。装置が反応して画面と無数の釦が現れ、ゼヒナスの両手が激しく動いて釦を叩いていく。
部屋に入ってきた全員を確認して、ザンダは首を傾げた。
「ところで、人数が少ないようだが?」
ゼヒナスの他には案内をしてきたシルヴィナと、興味でついてきたオービットしかいない。金魚のフン二人の姿が見えなかった。
「ああ、ミザリィと弟子はもう一方の野暮用を出迎えにいかせた」
ゼヒナスはザンダを見もせずに口だけで答える。釦を叩く手つきは、どこか狂気すら連想させる目まぐるしさだ。
「それで、言われたから探したものの、この装置は一体なんなのだ?」
「古代の記録装置の出力端末だ。情報を溜めこんでる本体はこの遺跡の地下にある」
ゼヒナスの視線が画面の情報を一つ一つ確認していき、頷いた。
「……うん。ツアラプルの接近に伴ってここのオールト・ジェネレイターは再稼動しているようだ。この記録装置を動かす程度の出力は得られそうだな。それにこの遺跡自体が地下にあるせいで保存状態もいい」
最後の釦を叩いて装置が起動。部屋の隅から放たれた光が中央で像を結び、出現した立体光学画像に無数の古代文字と記号が表示される。
「ここに僕の探している情報があればいいんだが……」
ゼヒナスの言葉は歯切れが悪い。淡い期待と、それが裏切られることへの恐怖がない交ぜになった声だった。
「それで、なにを調べているんですか?」
「キャリバーだよ」と答えるゼヒナスの声は硬かった。
「《彗星戦役》末期、僕の教え子だった連中の部隊が、戦地からの帰還中に消息を絶った。その直後に僕は休眠期に突入してしまい、目が覚めてからあちこちの遺跡を巡って当時の捜査情報を掻き集めた。分かったのは何体かのキャリバーが残骸となって発見されたこと、そして一機だけ消息不明なままのキャリバーがいること。
あの時代に置き忘れてきたことの一つとして、未練がましくも消えたキャリバーの行方を追っているってわけさ」
ゼヒナスは一旦言葉を区切り、「せめて、形見だけでも弔ってやりたいからな」と、今にも消えそうな声でそう続けた。
「で、独自調査の結果、キャリバーが消息を絶ったのはこのヘルヴィム近郊域だと突きとめた。そしてキャリバー消失と前後してユリステルグ……ユーリテスは地図から消えた。二つの事件は関連があるはずなんだ」
「地図から消えた?」
遠回しな言い回しに、その場の全員が疑問符を浮かべた。ゼヒナスは天井を指差す。
「このユーリテス、最初から地下に造られていたわけじゃない。一夜にして岩山の下敷きにされたんだ」
ゼヒナスの発言に、その場の誰もが落雷に打たれたような驚愕の顔を並べた。
「そ、そんなことができるものなのか?」
「できるさ。人間でないのなら特にな」
懐疑的に訊いてくるザンダに、ゼヒナスは気楽な調子で断言した。
「お前たちにすればキャリバーや再生怪獣の脅威くらい知っていると言いたいだろうが、あの程度、本来の怪獣であれば片手間で圧倒できる性能でしかいない。僕がヴェネンニアでやったようにな」
そこまで言われて、ようやく三人はゼヒナスの言い分を理解した。単純に自分たちは古代怪獣と相対したことがなく、その実態を知り得るはずがないのだと。
「でも、本当にそうなのだとしたら、ユーリテスの不可思議な構造にも説明がつきます。地下であるにもかかわらず、屋外の住居と同じ様式なのは不自然に感じていました」
シルヴィナは「でも、だからって……」と、それでも俄かには信じられない様子だ。
「しかし肝心のユーリテスは岩山の下、ろくに調査もできなかったらしい。年月が経って地面が下がり、岩石が劣化して出入り口になる亀裂ができたことで、ようやく今になって記録を漁っているというわけ…………なんだ、この記録は?」
それまで軽快に記録を漁っていたゼヒナスの両手が止まった。画像の文字を慎重に読み進めていく。
「何度か同じ言葉が出ているな。黄燐の怪獣? そいつがこのユーリテスを襲った?」
ゼヒナスはさらに情報を精査していき、両眼が輝きを放った。
「あった! 救助に駆けつけたキャリバー部隊が黄燐の怪獣と交戦、怪獣によってユリステルグが岩山に埋められた」
ゼヒナスはそれまで以上に乱雑な手捌きで釦を叩いていき、その動きが唐突に止まる。
「ここで記録は終わりか……」
ゼヒナスは溜め息とともに肩を落とした。柱に両手をついて顔を伏せる。
「……いや、おかしいな……」
今までの情報を脳内で整理していたゼヒナスが顔を上げる。重大な齟齬があった。
「今まで集めてきた情報の中に黄燐の怪獣とそれに類似する言葉は一つもなかった。つまり、黄燐の怪獣もこのユーリテスで消息を消したことになる。じゃあ、黄燐の怪獣と最後のキャリバーは、どこに消えたというんだ?」
「謎は解けるどころか、さらに深まってしまったわけだな」
オービットも失意と同情を禁じ得ない。
「た、大変です!」
重苦しい空気が足場まで崩落させたとばかりに、訃報を告げる伝令が飛びこんできた。
「こちらに向かっていた輸送車が何者かに襲われたようです!」
放置された輸送車の前で、ゼヒナスはただただ立ちつくしていた。呆然とした顔は、目の前の光景を信じたくない、それだけを物語っている。
ゼヒナスとともに駆けつけたオービットやザンダ、《財団》と《ザンダ一味》の有志までもが言葉を失っていた。
大地に仰向けとなったジョハンスの心臓には剣が突き立てられ、命の雫が流れ出していた。真っ赤な血の池の中で、南国シャツの花柄が不謹慎なまでに鮮やかだった。
「ジョ、ハンス…………悪い冗談はやめろよ……」
「《財団》だ……」
すでに事切れたものと思われていたジョハンスの目が見開かれた。血泡とともに言葉が吐き出される。血に染まった指先が、《巌の頂》の方角を示した。
「《財団》の連中に襲われて、リーゼリアとお前の弟子が連れていかれた」
「なっ!」
これに衝撃を受けたのはオービットを始め《財団》の者たちだ。それぞれに視線を向けて、否定と動揺に首を振る。
「まさか、これもクレモンテンの意だというのか!」
オービットは身を焦がす怒りに歯を軋らせた。握った拳が白くなるまで力を入れる。
「奴らは〈G〉計画とか言っていた。世界が救われると……」
「もう喋るな。傷が塞がらないだろうが」
ゼヒナスは急いでジョハンスに駆け寄り、胸を貫く剣を抜こうとして、その手が止まった。剣を抜けばその瞬間に血が噴き出してジョハンスは絶命する。だが、このまま手をこまねいていても、いずれ……。
「分かっているはずだ。若くして覚醒者になったお前と、老いてから覚醒者になった俺様では、オールト容量に天と地ほどの開きがある。俺様には心臓を再生させるだけのオールトはない。こうやって、お前がくるまでを生き長らえるので精一杯だった」
「だったら僕のオールトを」
「俺様のことはどうでもいいんだよ!」
瀕死のどこから出てくるかと思うほどの怒声だった。ゼヒナスは思わず身を竦める。
オールトの供給が根本的な解決にならないことはゼヒナスにも分かっていた。他人のオールトを体内に取りこんでも、それはあくまで自身のオールトと共振増幅を起こして回復力を底上げさせる手助けにしかならない。しかし、肝心のジョハンスには、もうオールトが残っていないのだ。
「ああ……くそっ、目が霞んできやがった……。悪いなゼヒナス、頼みがある」
「やめろよ……まるで……もう助からないみたいに……」
「リーゼリアはな、あいつは助手なんかじゃねえ。あいつは、俺様の女房なんだ」
「んなもん、お前らの様子からとっくに気付いてるよ。一体何十年の付き合いだと」
死体のようなジョハンスの手が跳ね上がり、ゼヒナスの胸倉を摑んで顔を引き寄せた。見開かれた両目は鬼気迫る眼光を宿している。
「あいつは、俺様のガキを孕んでいる」
「はっ…………はああっ?」
この状況でどう答えればいいのか分からず、ゼヒナスは混乱を吐き出した。
「俺様は仕事一辺倒の人間だからな。何十年も生きてきたくせに、お前と違って初めての妻と子供だ。あいつらが無事なら、俺様に思い残すことはない。だからよ、あいつらのこと、頼んだぜ」
ジョハンスの腕から力が抜け、そして血溜まりの中に落下した。
「馬鹿野郎。そういうのは、自分で最後まで責任持つもんだろうが……」
ゼヒナス今にも崩れ落ちそうな軽さで悪態をつく。けれども、もう、ジョハンスから悪態が返されることはない。
ゼヒナスの顔から表情が抜け落ちていく。体からは力が抜け落ち、ジョハンスの血溜まりの中で抜け殻となっていた。
「……くそっ。だから人死には嫌なんだよ」
ゼヒナスは毒づいた。
「たった二本の腕だけじゃかかえきれないもんを無理矢理押しつけてきやがる。僕はあと何十、何百年を、この重さに押し潰されながら生きていけばいいんだよ……っ!」
ゼヒナスは力の入らない膝を腕で支えて立ち上がった。おぼつかない足取りで輸送車まで歩いていき、荷台に上って、敷布に覆われた物体を覗き見る。
ジョハンスの死に対する喪失と悲しみ、クレモンテンへの怒りと憎悪、託された者としての使命感と責任感、新たな命への喜びや祝い、そして親友との思い出と純粋な感謝。
ゼヒナスの頬が複雑な感情に歪められる。
「ジョハンス、お前の遺作と遺志、確かに受け取った」
ゼヒナスの手が伸びて、ジョハンスを貫く剣を握った。途端に剣が塵へと分解される。ゼヒナスはジョハンスの遺体を抱き上げると、その体をザンダへと差し出した。
「こいつを頼めるか? せめて昔の繫がりと今の繫がり、両方に手の届く場所で眠らせてやりたい」
「うむ。私が身命に賭して弔おう」
ザンダは赤子を抱くように、恭しくジョハンスを受け取った。
「僕は《財団》を追う! オービット、支部の構造に精通したお前の協力が必要だ」
「心得た! クレモンテンめに正義の鉄拳を食らわせてくれよう!」
「あとは足だが……」
「その大任、私に任せてもらおうか!」
力強い声とともに、二人の前にパンツ眼帯の犬が飛び出してきた。
「乗れ!」
犬の体躯が瞬く間に巨大化。巨大な頭の両眼窩と鼻先から三つの首を生やした馬並みの巨体の超大型犬、サタンケルベロスへと変貌。
ゼヒナスとオービットを背に乗せたサタンケルベロスが大地を疾駆していく。




