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獣の王①-②

 温泉の湯はほんのりと赤く染まっていた。

「頭が……頭が割れるように痛い……」

 その赤色の原因であるアディシアは、頭を押さえて泣き言を垂らしていた。心配したミザリィがアディシアの頭に手拭いを巻きつけている。

「いや、割れるようにじゃなくて、本当に割れてるから。パカって、パカって」

 岩風呂の縁に腰を下ろしたシルヴィナは、呆れた口調でそう言った。お湯は心なしか生臭くなっている気がして、とても体を沈める気にはならない。

 いつの間にかアディシアの泣きべそが止まっていた。

「あれ? でも、もう痛くない」

「なぜだっ!」

「きっとゼヒナスのオールトがまだ残っていて、回復力を底上げしているのよ」

 声を荒らげるシルヴィナ。対してミザィの口調はどこか冷たかった。

 出血が止まったらしいアディシアは、今度は安全に、平泳ぎで湯船を進んでいく。呑気で子供っぽいアディシアに、シルヴィナは再び呆れ顔。

「あなた、傭兵でしょう? よくそんなんで商売相手に見放されなかったわね……」

「それに関しては本人が一番不思議なのですが、その筋の方が言うには私は小動物系、愛嬌が魅力らしいのです」

「確かにそういう需要があるらしいことは、聞いたことがあるわね……」

 それでもシルヴィナは理解できないと言わんばかりの渋面を浮かべた。

「はぁ。なんというか、アディシアちゃんは伸び伸びと育てられたのね。私なんて商店の出身で、小さい頃から父親の手伝いをしていて友達と遊ぶ暇もなかったはずなのに、なにが悲しくて今も父親の手伝いをしているんだか」

 シルヴィナは苦笑を吐いて肩を竦めた。ふと、ミザリィは首を傾げる。

「あれ? シルヴィナの父親って蒸発したんじゃ? それなのに今も父親の手伝いをしているって……」

 シルヴィナの心音が跳ね上がる。今のは完全に失言だった。油の切れた金属魚のような動きで目が泳いでいく。

「……もしかして、首領がシルヴィナの父親なの?」

 その場に沈黙が舞い降りた。

「ええそうよ、私はシルヴィナ・バルカニヤン。ザンダ・バルカニヤンは私の父」

 やがて語られた驚愕の告白に、アディシアもミザリィも言葉を失ってしまう。

「母が死んですぐに、私は蒸発した父の名であるザンダ・バルカニヤンの噂を聞いたわ。どうして私たちの前から姿を消したのか、母がどんなに苦労したのか、死ぬ間際まで父の帰りを信じていたか、会って文句の一つでも言ってやろうと思った」

 シルヴィナの口から滔々と、胸に秘めた想いが吐き出されていく。

「だけど、いざ居場所を探し当ててみると、父は怪獣人になっていた。

 私はそれから必死になって怪獣人を調べたわ。そして人間が怪獣人になっている事実と、怪獣人は変化の際に以前の記憶を多かれ少なかれ失っていることを突き止めた。

 なんのことはない。父は記憶を失って、自分の帰るべき場所を思い出せなかったの」

 シルヴィナはきつく目を伏せていた。重い空気で瞼すら持ち上げられないとばかりに。

「……まだ、首領を恨んでいるの?」

「いいえ。さすがに理由を知ってしまった今となっては……。だけど遺恨がないと言えるほどには、私はまだ感情を整理できていないわ」

「あ! あはーん。そーゆーことね」

 ミザリィはしたり顔を浮かべた。

「貴方の首領への風当たり、そのまま反抗期娘の態度だったってわけね」

「し、仕方ないでしょう! 私だってお父さんにどうやって接すればいいか分からないんだもん!」

「やーもー、シルヴィナったらかーわーいーいー」

 ミザリィはシルヴィナに抱きついた。ミザリィの双子山がシルヴィナの顔面に激突。怪獣人の腕力と、なにより胸肉の圧力で、シルヴィナの首が折れそうだった。

「や、ちょっと、抱きつかないでよ!」

「私もいきますよーっ!」

 言って、アディシアもミザリィに飛びついた。そのまま三人はもつれ合いながら湯船の中に落っこちた。衝撃で跳ね上がったお湯を頭からかぶってしまう。

 お湯の中からアディシアの両手が伸びて、ミザリィの胸を鷲摑みにする。

「ぬうう。ミザリィさんのお胸はいつ見ても大絶景ですねぇ。女の武器で師匠を誑かしおって、けしからーん!」

 アディシアはもの凄く個人的な恨み、胸囲の貧富格差に対する鬱憤をぶつけんばかりにミザリィの乳を揉み転がす。

「ちょ、揉まないでよー! っていうか、どうしてそんなに揉み慣れてるのよ?」

「ぐふふふふ、毎日豊胸活動に余念のない私を舐めないで下さい……」

 言葉の最後は涙声になっていた。自分で言っておきながら、アディシアは湯船に両手を着いて涙を流す。

「だけどアディシアちゃんはお肌つるつるじゃない。それに腰だって細いし。若いっていいわね」

「ほほう。そう仰られるシルヴィナさんは安産型のご様子」

「ひゃっ! だからどうしてお尻を撫でるのよ! しかも手つきが熟練の痴漢オヤジ。もう! やめてよ!」

「くうっ。この桃尻が目線の高さで揺れることによってお子様を洗脳し、大人になった暁にはおっぱい星人が出来上がっているというわけですね……」

「意味が分からない。そして自分で言って号泣しないで……」

 湯船の中に(以下略)アディシアに、シルヴィナは理解不能といった表情を浮かべた。

「たのもーっ!」

 とそのとき脱衣小屋の扉が開かれ、全裸のオービットが姿を見せた。正確には『気合入れてます!』とばかりに手拭いを額に巻いているが、肝心な部分は丸出しだ。

「いやああぁぁぁっ!」

 アディシアとミザリィは悲鳴を上げ、同時にしゃがんで体をお湯に隠した。

「ふああっ……なんて素敵な限定スウィーツ……」

 オービットの大胸筋に夢中なシルヴィナを、アディシアが無言で湯の中に引っ張る。

「オ、オオオ、オービットさん、なにしにきたんですかっ!」

「もちろん、女湯を覗きにきたのだ」

 オービットは一片のやましさもなく言いきった。

「このオービット・キュネル・ガス、覗きとて正面から正々堂々と挑ませてもらう!」

 言った直後、オービットの凛々しさ溢れる好青年然とした笑みに桶が激突した。オービットの鼻からのぼせでも興奮でもない鼻血が撒き散らされる。

「死ね!」「女の敵!」「くたばれ!」「消えろ!」「エロガッパ!」「変態!」

 アディシアが、ミザリィが、桶や石鹸やそこらの岩を手当たり次第に投げまくる。正々堂々と、オービットはその全ての攻撃に身を晒した。

「あの、いいですか?」

 怒涛の砲撃が終了したところで、脱衣小屋から半面を覗かせて様子を窺っていたゼヒナスが語りかけてきた。ゼヒナスはおずおずと指を伸ばして、

「それ、回収したいのですが?」と、満足げな笑みで気を失っているオービットを示した。女性陣は駄犬でも追い払うようなぞんざいな手振りでオービットの退場を促す。

 ゼヒナスはびくつきながら女湯に侵入し、オービットの足首を摑んで引きずっていき、挫折した。一瞬で重力に抗えなくなったとばかりに膝を折り、地面に両手を着く。

「なにが悲しくて、僕は女湯まできて全裸の男をお持ち帰りしてるんだ!」

 ゼヒナスは本気でむせび泣いた。女たちは無言でそれぞれの得物を構え直して、

 そのときゼヒナスの頭上と足元に二つの影が近寄ってきた。

 頭上の影は水晶フクロウ。翼を折り畳み、手近な岩の上に舞い降りる。

 足元に寄ってきた伝書ツチノコをゼヒナスの手が摑み、目の前に持ってくる。

「どうやらザンダと……それにジョハンスから連絡だな」

 ゼヒナスは伝書ツチノコの背中に書かれた文面に目を通し、次いで水晶フクロウに目を向ける。水晶フクロウの両目から放たれた怪光線が空中で像を結び、ジョハンスの姿を映し出した。

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