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悪意の凶刃④-②

「くそっ!」

 暗闇の中でオービットは毒付いた。オービットの瞼は閉じられ、砂粒が零れ落ちる。

「砂かけとは卑怯な! オービット・キュネル・ガス、一生の不覚!」

 失態を口にする暇もなく、オービットの腹に衝撃と激痛が突き刺さった。内臓が背中から飛び出してしまいそうだ。オービットの体が浮き上がり、滝のような反吐を吐く。

 オービットは咄嗟に攻撃の出どころへと剣を繰り出すが、虚しく空中を横切るだけ。

「キミはなにを言っているのだね?」

 ロガードの嘲りとともに、今度は横っ腹に爪先が叩きこまれた。オービットの剣はまたもや空を切る。さらに背中が手刀に裂かれて、滝のように出血した。

「殺し合いに規則なんてないんだよ」

「いや、ある。それは自らを律し、矜持に従う心の掟だ」

 ロガードの魂胆は分かっている。一思いにオービットを殺さないのは、右腕を奪ったオービットを嬲り殺そうという算段だろう。ならば勝機はある。だが、それには……

「せめて……せめて奴の居場所が分かれば……っ」

 とすんと、オービットの背中にぶつかる重さがあった。ロガードの攻撃かとも思ったが、背中に密着した柔らかさですぐにそれが女体だと気付く。

「まさか……シルヴィナさんか?」

「私が貴方の目になります」

 シルヴィナはオービットに体を密着させた。オールトの二大特性の一つである共振を利用して、オービットのオールト波長に自分のオールト波長を調律していく。

 ピグキャリバーがオールトを増幅させる原理はこの共振を利用したものだ。言うなればシルヴィナは、自身をオービットのピグキャリバーにしているのだ。

「こ、これは…………?」

 そしてその行為は、オービットに如実な変化を与えていた。瞼を開けてもいないのに、目の前に詳細な公園の景色が映し出されたのだ。

「私の分析のオールトを限定的に送信しています。これで視界が戻ったはずです」

 二人の視界に映る悪意の影。ロガードが前方から急接近してきていた。

「これは……私はなんて修行不足なのだ」

 オービットは自分の未熟さに忸怩とした声を出した。視界を取り戻した今だからこそ分かる。ロガードの全身から迸る、痛いほどの敵意が。

「こんなにも敵意を放っていれば、気配だけで居どころが分かりそうなものを……!」

 オービットは裂帛の気合で剣を突き出した。剣の切っ先はロガードの胸の中央に突き刺さり、しかし左腕に刃を摑まれてそこで止まる。ロガードは口の端を吊り上げて会心の笑みを浮かべ、オービットとシルヴィナの命を絶つべく蹴りの態勢に入った。

 しかしその脚が振り抜かれることはなかった。突如としてロガードが体勢を崩したのだ。オービットが空中に設置した障壁がロガードの脚を掬っていた。

「おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおっ!」

 オービットは雄叫びを上げてロガードの腹部に蹴りを叩きこんだ。剣の拘束が緩んだその一瞬に柄を押しこみ、ロガードの心臓を破壊。剣の切っ先が背中から抜ける。

「あ……あっれぇ~……? なんでボクが、人間なんかに……?」

「これが人間の力だ。貴様らのような獣が持つはずもない、手を取り合える強さだ。そして、己の弱さを認めて成長できる強さだ」

 呆然と事切れるロガードを見下ろしながら、オービットは悠然と言い放った。



 キロペッコルの四肢が肥大化していた。刃のように細く鋭かった手足が棍棒の太さになっている。それはキロペッコルが自分の意思でどうにかしたという類の変化ではなく、アディシアが鋼を生成し、拘束具としてキロペッコルの四肢にまとわりつかせたのだ。

 キロペッコルは文字どおりに足を引きずりながらアディシアに近付いていくが、鈍重な動きで距離を縮めることなどできない。詰める以上の速度でアディシアが逃げていく。

 アディシアはふふんと鼻にかけた笑いを上げた。

「最初に見たときから感じていました。アナタの体は怪獣人にしたら……いいえ、人間と比べても細すぎます。それに一見深手のように見えますけど、得物の大きさに比べて傷は軽い。二度も脚に攻撃を受けたのに、走るのに問題がないくらいには。

 だから思ったんです。もしかしたら、アナタの筋力は弱いんじゃないか、って」

「くそっ! 畜生!」

 アディシアの読みは見事に的中していた。キロペッコルは怒声を撒き散らしながら唯一自由な右腕を狂ったように振り回すが、虚しく空を切るだけ。

「いいでしょう。それでは、お嬢さんがわたくしめに近付いてきたところを返り討ちにして差し上げましょう」

 キロペッコルは開き直った。例え足と左腕を封じられていようが、アディシアの身体能力や技量は怪獣人と比肩するほどもない。トドメを刺すために近付いてきたところを狙い、首なり腹なりを切り裂けば致命傷を与えることは可能だ。

「私がいつ、アナタに近付くって言いましたか?」

 アディシアはさも当然とばかりに言い放った。

「師匠やオービットさんじゃあるまいし、怪獣人に近付くなんて怖くてできませんよ。だから私は、遠くから、安全に、確実に、アナタを倒します」

 アディシアは銃剣を頭上に掲げた。銃剣から大量の鋼が生成され、大樹のように太く伸びて、先端が巨大化。巨人が扱うとすら思える大きさの鉄鎚が生み出される。

 鉄鎚を見上げるキロペッコルの表情は、体温のなくなった冷たさを見せていた。

「これだけの攻撃範囲、質量なら、あなたを叩き潰せます!」

 鉄鎚が振り下ろされ、キロペッコルの顔に深い絶望の影が落とされる。

「逃げろ弟子!」

 ゼヒナスの怒号がアディシアに叩きつけられるが、もう遅い。



 灰色の濁流が一瞬だけ空を横切る。

 ぞっとする静寂。キロペッコルの体に斜めの線が走り、そして上半身がずり落ちた。右肩から左脇腹までを一直線に切断された上半身が地面に落下し、遅れて下半身が倒れる。それぞれの断面から湯気を上げる内蔵が零れ、血の池が広がっていく。

「お頭、なんで……?」

 呆然としたままの表情でキロペッコルは事切れた。

 バッハイグの凶刃に倒れたのはキロペッコルだけではない。鏡写しのように、アディシアの体にも裂傷が刻まれていた。

 キロペッコルと同じように呆然としたままアディシアが倒れる。

「……お前!」

 ゼヒナスは特大の激情に身を震わせてバッハイグを睨みつけた。バッハイグはにやにやと、他人の神経を無遠慮に逆撫でする笑みを浮かべている。

「彼女は大丈夫です!」

 響いた声に二人の視線が移動する。見ればシルヴィナがアディシアに駆け寄り、傷の具合を確かめていた。

「傷口は大きいけど、浅いです。内臓や重要血管には達していません!」

 シルヴィナの言葉を追うように、アディシアの荒い呼吸と「ひぐっ。うぐっ。痛い。とてつもなく痛いよう……」という泣き言が耳に届いてきた。

 瞬時に理解できた。おそらくキロペッコルの体を間に挟んだことで、生コンクリートの殺傷力が著しく低下していたのだ。

「ちっ。無駄に頑丈な体をしてやがる。どこまでも使えない連中だ」

「おのれ下郎が!」

 怒りを爆発させたオービットがバッハイグに切りかかる。

「雑魚が俺に刃向かってくるんじゃねえよ。殺すのが面倒だろうが」

「貴様からすれば取るに足らない私だが、この胸の義憤の炎をぶつけぬことには腹の虫が治まらぬ!」

「《財団》の一員のくせして、人間様に手を上げ……」

 ふとバッハイグの言葉が止まった。にいっと口の両端が悪辣に吊り上げられる。

「ああ、そういえば、貴様ら《財団》は人間を殺すのが仕事だったな」

 バッハイグの発言は意味の分からないものだ。通常ならオービットと同じように不可解な顔をするか、一笑に付していることだろう。

 しかしゼヒナスとシルヴィナの反応は違った。瞬時に理解して目を見開く。

「バッハイグ、それは言わな」

「怪獣人は人間なんだよ」

 シルヴィナの制止は間に合わなかった。

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