悪意の凶刃③-①
ゼヒナスとバッハイグが接近し、両者の爪先が弧を描いて激突。二人は奥歯を噛み締めて耐え、瞬時に両腕の得物を繰り出す。
バッハイグが左手で逆手に握った鋸の刃の短剣、〈朱天道〉を横薙ぎする。朱天道はゼヒナスの右上腕を掠めて肉を抉り取り、黄色い脂肪層に赤い血が珠となって浮かぶ。
ゼヒナスが大剣の突きを放ち、バッハイグは右手に握った三枚刃の短剣、〈紅蛍〉で防御。翻って紅蛍の刺突がゼヒナスの左肩を貫く。
朱天道の鋸状にささくれた刃は相手の得物に噛み合って拘束し、攻撃では肉を抉り取って傷の治癒を不可能にする。最悪、骨まで削られてしまうだろう。
対する紅蛍は短く厚い刃が防御用、長く細い刃が刺突用、中間の刃が切断用と、本来なら相反する特性を兼ね備えていた。なにより三枚の刃による一斉斬撃は、複雑な傷口を作って治癒を不可能にする。
傷を負わされたが最後、待っているのは壊死による四肢の切断か、最悪は死。相手を必ず殺すという、殺意が具現化したような凶器だった。
バッハイグが両手をゼヒナスに向け、二振りの短剣から石の散弾〈クレイドル・コフィン〉を撒き散らす。ゼヒナスは追われる兎のように逃げ出した。
石の散弾は逃げるゼヒナスを追いかけて家屋や石垣を破壊。その破片すらもゼヒナスに触れると同時に分解され、粉塵が粉雪のように舞い散った。
バッハイグは左の短剣から散弾を放ちつつ、右の短剣から岩石の四角錐を射出。ゼヒナスは逃げながら四角錐の砲弾を撃砕し、飛び散った破片を摑み取る。
「粒子の細かい石、岩質は泥岩や砂岩に近いが……なにか違うな」
掌が閉じられ、石の破片は塵へと分解された。
ゼヒナスは跳躍。石壁の上に着地し、再跳躍して、民家の壁を駆け上がっていく。バッハイグの視線が急角度で上がっていき、予想外すぎる戦術を前にして表情が硬化する。
急上昇するゼヒナスはついにバッハイグの追尾速度を追い抜いた。遺跡の天井を蹴り、流星となってバッハイグに急降下。下降の勢いを乗せた一撃が振り下ろされ、バッハイグは真横に跳んで回避。瞬時に体勢を整え、大剣を握る五指に狙いを定めて爪先を放つ。
ゼヒナスは自ら掌を開いて大剣を手放した。毒蛇の爪先に断頭の手刀が振り下ろされ、毒蛇の頭たるバッハイグの足首を粉砕。落下する大剣を蹴り上げ、手の中に柄が戻る。
ゼヒナスの体が回転し、バッハイグの左の短剣を右の回し蹴りで、右の短剣を左手の大剣で、それぞれ外側へと弾く。回転の勢いを乗せた右の大剣が横薙ぎされ、
その瞬間、バッハイグの全身から赤銅色の輝きが溢れ出した。それはゼヒナスから放たれるのと同じ、可視化できるほど濃密なオールトだ。
弾いたはずの右の短剣、〈紅蛍〉から灰色の濁流が迸った。濁流によって刃が伸長し、ゼヒナスの左肩から脇腹までを切り裂いて、血霧が噴出する。
呆然と愕然、そして驚愕に目を見開くゼヒナス。その表情を帽子の唾の奥から見下ろすバッハイグの瞳は、歪んだ喜悦と嘲りで暗く輝いていた。
「今だあーっ!」
ここぞとばかりに三怪獣人がゼヒナスに殺到した。キロペッコルの刃とロガードの拳が連続で叩きこまれ、最後にゲザスが突進。直撃し、ゼヒナスの全身が粉砕される。
ゼヒナスの手を放れた大剣が円を描いて宙を舞い、そして地面に深々と突き刺さった。
「嘘…………あなたのオールトは、石のはずじゃ!」
「誰がいつ、俺のオールトが石だと言った?」
驚愕を叫ぶシルヴィナに、バッハイグが嘲りを返した。バッハイグの左手の短剣からは岩石が、右手の短剣からは濁流が生み出される。
「勝手に石だと勘違いしていたんで、面白おかしく利用させてもらっただけだ。
どうだ? 貴様の間違った助言のせいで人が死んだ気分はよ?」
バッハイグの一言でシルヴィナの心臓が凍りついた。頭が真っ白になり、顔から血の気が失せていく。足に力が入らなくなり、膝が折れた。
「私の余計な助言があの人を死なせた? 私があの人を、殺した?」
罪の意識と自責の念が暴風となってシルヴィナを呑みこんだ。頭を抱え、顔を俯ける。極度の動揺で瞳が激しく揺れていた。
シルヴィナの絶望を見ながらバッハイグは嗤っていた。人の心を傷つけることを心の底から楽しんでいる暗い嗤いだ。
「し、師匠っ!」
双剣の男を撃退したアディシアは思わず飛び出そうとして、その体がオービットに押し留められた。アディシアは非難の視線でオービットを睨んで、思わず絶句。当のオービット自身が言葉を失っていたのだ。
「まさか、そんな、ありえない……」
氷結が溶け出すように、オービットの口が動き始める。
「あの男、最初の攻撃以外は全て完璧に防御したどころか、反撃まで繰り出していた」
オービットの言葉に重なるようにキロペッコルの刃が刃こぼれを起こし、ロガードの拳が裂けて鮮血が飛び散る。二人の怪獣人から苦痛の呻きが漏れた。
「この野郎……っ!」
怒りのままに飛び出そうとして、ロガードは異変に気付いた。ゲザスがゼヒナスに体当たりしたまま、一向に動いていないのだ。
「どうした?」
ロガードの疑問に応えるようにゲザスが動きを見せた。ゲザスの足が地面から離れ、体が空中へと浮き上がっていく。
ゲザスの下から姿を見せたのは、誰ならぬゼヒナスだった。成人五人分の重量はあるだろうゲザスの体が、ゼヒナスの両の腕によって持ち上げられていた。
「お、お頭、助けて助けて!」
ゲザスから狼狽の叫びが上がるものの、誰もが異様な光景に呑みこまれて動けない。
「おおおおおおおっ!」
ゼヒナスから咆哮が迸った。ゼヒナスの全身から鈍色の輝きが噴出し、指先がゲザスの皮膚を突き破って体内に侵入していく。
「ぎやあああああっ! オデが、オデが……消えてなくなるぅぅぅぅぅぅうっ!」
その言葉を最後に、ゲザスの穴という穴から鈍色の光が溢れ出した。体内に注ぎこまれたオールトによってゲザスの肉体が破裂し、ゼヒナスの両腕が勢い余って空を切る。
ゲザスは細切れの肉片となって周囲に飛び散り、その肉片と血液すらも空中で分解され、しんしんとした粉雪となって舞い落ちていく。ゼヒナスに浴びせられた返り血までもが塵となり、ゲザスが存在していた痕跡はこの世界から消失した。
「……死ぬかと思ったじゃねえか」
ゼヒナスは意識を傷口に集中させた。オールトを生命力として逆還元し、肉体を活性化させて止血する。湧き水のように体を伝っていた血が堰き止まり、服に残された赤い染みが分解されて漂白される。
「だろうな。その程度で死ぬようなやつでないことは、最初から分かっていた」
バッハイグはにやりと口の端を歪めた。ゼヒナスと同じように、バッハイグの砕けた足首も完璧に治癒されている。
バッハイグの言葉に、シルヴィナは再び不可思議な顔をした。
「え? それじゃあ、どうして私にあんなことを……」
「別に大した意味はない。貴様をからかって遊んだだけだ」
バッハイグの嗤いは終わっていない。シルヴィナを絶望させ、そして安堵させてからさらに嘲笑う。そこまでの一連の流れがバッハイグの目論見なのだ。
バッハイグの邪悪すぎる振る舞いに、誰からともなく歯を軋らせる音が聞こえてきた。
「よかったじゃないか」
ただ一人ゼヒナスだけが、凍てついた氷塊のような歓喜を吐き出していた。ゼヒナスの氷の微笑と、バッハイグの泥水の嘲笑が交わされる。
「僕は結果主義者でね。お前の人格がどのように形成され、どういう経緯で《ザンダ一味》の乗っ取りを画策したのかなんて興味がない。どんな過程があったにせよ、僕たちは今日、この瞬間、殺し合いをすることに帰結した。それだけのことさ。
だけどお前のような下衆が相手なら、僕の良心はちっとも痛まないからな。気が楽でいい」
「そうだな。俺は貴様らが邪魔だから殺す、貴様らは俺が殺しにくるから殺す。これはたったそれだけの簡単な話だ。
だが、俺は今まで奪い続けてきたぞ? 相手が女だろうが子供だろうが老人だろうが家畜だろうが怪獣人だろうが、何人だろうが何十人だろうが何百人だろうが殺してきた。
知っているか? 人殺しは健康にいい。気分爽快だ!」
ゼヒナスとバッハイグ、二人の体から発されるオールトの輝きが膨れ上がっていき、暗黒に占領された遺跡の内部が瞬く間に真昼の明るさに塗り潰されていく。その光景は対立する二つの太陽にも思えた。




