怪獣人③
世にただ一言《財団》と言えば、それは《先史文明の保存及び解明を目的とする資本財団》を意味している。
オービット以下調査団の面々が《巌の頂》支部に帰還を果したのは、ヴェネンニアの強奪から実に一週間後のことだった。
《巌の頂》支部はその名から連想されるように、見上げるほど巨大な岩山を背負う形で建造された天然の要塞だ。
その《巌の頂》支部の廊下を、足早にオービットが歩いていた。総鉄骨造りの無骨さを表に出さない、白壁と板張りの上に絨毯を敷いた素朴かつ明るい内装を進んでいく。
「クレモンテン支部長は何処に?」
「この時間ですと、講堂におられるかと……」
遅れまじとオービットを追いかける職員。その顔には極度の不可解さがあった。
「あの、まさか、そのお姿のままで?」
「正装が必要な場でもあるまい。服装など気にするな」
支部員の疑問を突っぱねて、オービットはさっさと廊下を進んでいく。
オービットはこの《巌の頂》支部における実動隊長であり、実質的な第二位と言える。しがない一職員にこれ以上の追及は憚られた。
足取りの終点にある扉を勢いよく開けて、オービットは講堂に足を踏み入れる。
突如としてオービットの目に惨劇が飛びこんできた。本来なら講堂があるはずのその場所には、破壊された街並みが広がっていた。
倒壊した建造物が瓦礫の野原となって広がり、都市のそこかしこを炎が舐めている。天空目がけて聳える摩天楼は半ばでへし折られ、朽ちた老木のような末路を晒していた。都市に並び立つ建造物は石でも金属でもない素材で作られている。
上空を飛び交っていた飛行機械が煙を吐きながら真っ逆様に墜落し、地表に激突して爆炎に変わる。大地を駆け回っていたであろう車両は放置され、紙細工のように踏み潰されていた。
都市のあらゆる場所には瓦礫に押し潰され、焼け焦げた人々の死体が転がっていた。逃げる人々は目を見開き、なにかに縋るように手を伸ばして、必死に恐怖を伝えてくる。
その惨劇の中を我が物顔で進む巨大な影があった。太い両脚と長大な尻尾、反して細い上半身。体の左右には一回り細く、それでも巨木のような筋肉を束ねた腕が添えられている。全身を覆う皮膚は灼熱に染まった緋色。
太い首に乗る頭部の口腔には剣のような牙が並び、吐かれる息は蒸気を帯びて、灼けるような熱ささえ感じさせた。
それは天にも届かんばかりに首を伸ばした巨大な獣、古代怪獣の姿だった。
古代怪獣の全身が発光し、その光が口腔の一か所に集中。灼熱の濁流となって放たれ、都市の端から端までを薙ぎ払い、遅れて連鎖的に爆発が巻き起こる。
信じがたい光景だった。現代からでは考えも及ばぬ高度で巨大な文明が、たった一体の生命体によって蹂躙され、破壊されつくしていた。
古代怪獣の青い目は酷く冷たい。感情がない、というより人間を同格の生命と見なしていない、風景を見ているような視線だ。
オービットの注意がとある一点に注がれた。今の今まで気付かなかったが、惨劇の中心で空を見上げる少年がいた。少年の視線を追っていくと古代怪獣の目線と出会い、さらにその先、星の光が輝く夜空を駆け抜けていく一筋の彗星が目に入った。
オービットがその少年に意識を集中させようとした瞬間、少年の姿に乱れが生じた。少年に生じた乱れは大きくなり、輪郭が曖昧になって、少年の姿が消えた。少年だけではなく、崩壊する都市や古代怪獣までもが、まるで幻だったかのように跡形もなく消え去ってしまう。
古代の光景と入れ替わりに現れたのは、傾斜となった足場に長椅子が整然と並べられた講堂だ。支部の最深部に位置した講堂の真正面は岩山の肌が剥き出しとなっていて、無機質で冷たい印象を与えてくる。
「今の映像は四千年前に起きた《彗星戦役》の記録です」
長椅子に座った大勢の少年少女らの視線の先、擂鉢となった講堂の中心では、黒髪を後方に撫でつけた中年の柔和な紳士が教鞭をとっていた。支部長のクレモンテンは指し棒を操って、黒板にびっしりと書かれた《彗星戦役》と古代怪獣の記述に注目させる。
「記述によれば、映像に映っていた古代怪獣は〔灼熱暴君ロッソレクス〕と呼ばれていたようですね」
講堂に集まった少年少女らの年齢は様々だ。年端もいかない児童から、成年に達する直前の青年までと幅広い。
ほんの数年前まで、オービットもこの光景の一部だった。しかし懐かしさはない。なぜなら目の前に広がっているのは地獄の光景に他ならないからだ。
彼ら彼女らは怪獣人の攻撃によって家族を失い、天涯孤独の身となって《財団》に保護された孤児たち、そして怪獣人と戦うため《財団》に志願した勇士の集まりなのだ。
オービット自身も少年時代に怪獣人の攻撃を受け、両親を失った一人だ。両親の死に、故郷の滅亡に、十年以上が経った今も腹の奥底で溶岩のような怒りが渦巻いている。
「さて皆さん、知ってのとおり我々《財団》は怪獣人に対する人類防衛最大にして唯一の組織です。しかし《財団》の本分はあくまで古代文明、すなわち《月の欠片文明》の解明にあります」
講義の邪魔にならぬようにと、オービットは最後列の椅子に腰を下ろした。
「ではなぜ、《財団》が人類守護を一手に担う運びとなったのか? 皆さんの世代では信じ難いでしょうが、ほんの数年前まで古代怪獣は存在しないと考えられていました」
講堂の内部にどよめきが巻き起こる。自分たちが信じて疑わなかった常識を覆す発言に、少なからぬ動揺と疑問、そして好奇心が生じていた。
「世界中の遺跡から古代怪獣と人型兵器の戦い、《彗星戦役》に関する記述や出土品が見つかっているにもかかわらず、当の古代怪獣自体は空想上の存在だとされていました。同じように、レグキャリバーも信仰上の偶像であるという認識が一般的でした。だから誰もが本当に動くなどとは考えていなかったのです。
つまり、古代怪獣やレグキャリバーについて真剣に研究している酔狂な集団は、《財団》だけしか存在しなかった。そしていざ怪獣人が出現すると、《財団》が古代怪獣やレグキャリバーに最も精通し、怪獣人に唯一対抗できうる組織となっていたわけです」
クレモンテンが言い終わったところで、講義の終わりを告げる鐘の音が聞こえてきた。
「では、本日の講義はここまでとします」
クレモンテンが締め括ると、少年たちは一斉に帰り支度を始める。参考書を片付け、年長者は児童らの手を取って先導し、同年代の少年少女たちは談笑しながら、オービットの背後にある大扉を目指していく。
彼ら彼女らは、なぜかオービットの隣までくると一様にぎょっとした表情を浮かべて、進路を直角に変えて逃げるように去っていく。
粗方解散したのを見計らって、オービットはクレモンテンに近付いた。
「おや、これはオービット君。いつ戻ったのですか?」
クレモンテンは見た目と同様の柔らかい物腰でオービットに声をかけた。反してオービットの表情は硬い。
「先ほどの映像、ヴェネリア遺跡の壁画に記されていたものと同じ場面ですね」
「ええ、もうそろそろオービット君が帰還する頃合いだろうと踏んでいたものでして。ヴェネリア遺跡での一件は耳に入っていますよ」
当てつけとも尻叩きとも受け取れる上司の言葉に、オービットは端整な唇を引き結んで苦々しさを表した。
「我が身の汚名は我が手で濯ぎます。ですから支部長、私に強奪犯の追撃許可を!」
「実はオービット君、その件に関して本部から手を引けとの通達があったのです」
思いも寄らぬ言葉にオービットは目を丸くした。
「それは、一体どういうことでしょうか?」
「私には分かりません。本部には本部の考えがあるのでしょう」
クレモンテンの返答はとても納得できるものではなかった。不満も露な視線を向けてくるオービットに、クレモンテンは「まあまあ」と宥めるように両手を上下させる。
「それにオービット君、きみには可及的速やかに成してもらいたい任務があるのです。きみは《ザンダ一味》を知っていますか?」
「ええ、最近この近辺で勢力を広げつつある盗賊一味でしたね」
「左様。そしてその手口は悪逆非道にして残忍です。強盗、強姦、誘拐、殺人、そして破壊活動。ありとあらゆる悪事に手を染めていると言っていい。
つい先日も、アテリノの町近郊に位置する山村が襲われていたことが発覚しました」
アテリノといえば、ヴェネリア遺跡からの帰還進路上にある町だ。もしも帰還があと数日早ければと考え、オービットは歯を食いしばった。
「山村は悲惨の一言です。村人は言葉にするのも躊躇われる無残な方法で皆殺しにされ、女子供には暴行を受けた形跡がありました。そしてやつらは証拠隠滅のため、村に火を放って全てを燃やしたのです」
クレモンテンの糸のような細目、その奥に宿るのは烈火の怒りと暴風のような憂いだ。
「オービット君、私は《ザンダ一味》の非道が許せません。さらに許せないのは、彼らを束ねるザンダ・バルカニヤンが怪獣人である事実です。言うなれば一味に加担している人間は、怪獣人の手先となって人類侵攻の主力を担っているのですよ。
《財団》の支部長として、いえ、その前に人類の一員として、彼らを黙って見過ごすわけには参りません。だからこそオービット君、きみは《ザンダ一味》とその首領、ザンダ・バルカニヤンの討伐に赴いて下さい」
「ハッ。このオービット・キュネル・ガス、只今を以ってその任を受領致しました」
オービットは鋭敏な動作で敬礼を行った。常ならば頼もしいとすら思える生真面目さだが、しかしクレモンテンは浮かない表情だ。
「……ところでオービット君、きみはどうして全裸なのかね?」
「このオービット、汚名を返上するまでは彼奴から受けた屈辱に塗れたままでいると決めたのです!」
「今、突然凄まじい不安に襲われました。主にきみの頭の中身のことで」
「心配召さるな。我が障壁のオールトにて防御は鉄壁。些かの気兼ねもいりません」
「いつ参っても、皆様は楽しい方々ですね」
鈴の音のように可憐な笑い声が響いた。講堂の斜面を下りてくるのは、一見して浮世離れした人物だ。白と濃紺に塗り分けられたローブをまとい、顔も覆面によって目元以外を覆い隠している。
「おお、これは月の預言者殿、よくぞお出で下さいました」
クレモンテンは両手を広げて人物の来訪を歓迎してみせた。月の預言者と呼ばれた人物は、たおやかな足取りで二人の元に進んでくる。
「クレモンテン様にキュネル・ガス様、ご機嫌麗しゅうございますわ」
月の預言者の口元から零れてくるのは、声だけの典雅な微笑み。声質とその仕草から、辛うじて若い女性だとだけ分かる。
月の預言者は二人から一歩離れたところで立ち止まり、軽く会釈した。
「皆様方、いつもながらわたくしの言葉に耳を傾けて下さってありがとうございます」
「月の預言者殿、そう畏まらずに。今回のヴェネリア遺跡の発見に始まり、この《巌の頂》の度重なる功績は、全て月の預言者殿の助言あってこそではないですか」
「いいえ、所詮わたくしは助言したにすぎません。皆様方の目覚ましいご功績は、やはり皆様方のお力と人徳あってこそです。
それにこうして長年の研究の成果が日の目を見てこそ、志しなかばで亡くなった父も本望というものでしょう」
談笑を交わすクレモンテンと月の預言者。二人のやり取りを、傍らに立ったオービットはじっと見守っていた。
この月の預言者と名乗る人物の情報提供によって、《巌の頂》支部は古代遺跡や古代都市跡の発見、レグキャリバーの発掘と、多大な功績を上げる運びとなったのだ。
(話に聞けば、亡くなられた父君の研究成果を埋もれさせるのは忍びないと、《財団》に情報提供を願い出たとか。古代文明の情報を狙う者からの危害を警戒して、実名も素顔も明かせない中でなんと健気な女性だろうか)
オービットは月の預言者の父への愛情と献身に、心の中にこみ上げるものを感じていた。だからこそ、彼女の亡き父の熱意を踏み躙り、彼女の厚意をも蔑ろにするヴェネンニア強奪犯への憤りが胸中で燻り続ける。
「おっと、このような場所で立ち話もありませんね。月の預言者殿、どうぞ私の部屋へ。紅茶と焼き菓子でも用意させましょう」
「わたくしこそ、いつもいつも味気ない言葉ばかりを持参して心苦しく思っているのです。スコーンの一つでも焼ければよかったのですが」
講堂を立ち去る二人の背を見送って、ふとオービットは講堂の正面に立ちはだかる岩山に目を向けた。
それだけでオービットは思わず身震いする。背筋に氷柱を突っこまれたような、内臓が凍えるような、体の芯に震えが走るのを拒めない。理由は分からない。しかしオービットには、このなんの変哲もない岩肌が無性に恐ろしく思えてならなかった。
得体の知れない不安を振り払うように、オービットは逃げるような足取りでその場をあとにした。




