蘇る巨人①
満天の星空が、奇妙な形に切り取られていた。
それは巨大な獣だ。二本足で直立し、天にも届かんばかりに首を伸ばした異形の獣。巨獣の巨体によって星空が覆い隠され、地上に僅かばかりの残光を届かせていた。
巨獣の足元に放置された車両は模型にしか見えない小ささだ。巨獣が足を踏み下ろし、車両が紙細工のように踏み潰される。機関部が爆発を起こすが、巨獣の顔には小石を踏んだ痛みすら訪れない。
巨大な足の上には何百年もの樹齢を経た巨木をさらにより合わせたような脛が続き、膝から腰へと伸びていく。尻から生えた長大な尾が、地面に小川のような溝を引きずっていた。くびれた腰の上には割れた腹筋の列、厚い胸板と続き、体の左右には体格に比べると一回り細く短い腕が添えられ、全身は岩のように無骨な皮膚で覆われていた。
太い首の上に乗る頭部は犬や爬虫類のように鼻と口が前方に伸びて、開かれた口腔には剣のような牙が並び、吐く息は蒸気を帯びている。
巨獣の後方には惨劇が広がっていた。倒壊した建造物が瓦礫の野原となって広がり、人々の死体が押し潰され、そして焼け焦げて転がっていた。
巨獣の膝下にも届かぬ家屋の群が無残に蹴散らされ、巨獣の背丈をこえる高層建造物ですら腕の一払いで薙ぎ倒されていく。巨獣の口から吐き出された炎が都市を焼き落とし、降り注ぐ火炎の中を人々が逃げ惑っていた。
人々は目を見開き、なにかに縋るように手を伸ばして、必死に恐怖を伝えてくる。
巨獣の目は酷く冷たい。感情がない、というより人間を同格の生命と見なしていない、風景を見ているような視線だ。
巨獣の歩みが止まる。巨獣の目に映るのは同じく巨大な人型。歪な輪郭の巨人が、人類を守護する守り神のように巨獣の前に立ちはだかっていた。
巨獣が口から炎の塊を吐き、巨人が迎え撃つ。
そして天空を駆ける一筋の彗星。
僕は目の前に広がるその光景を見上げていた。
私は目の前に広がるその壁画を見上げていた。
「思わず見入ってしまうでしょう?」
唐突に声をかけられて、少女は声の出所を探して視線を巡らせた。いつの間にか、少女の隣には見目麗しい金髪の美青年が立っている。
「そう、ですね。時が経つのも忘れていました」
青年に答えて、少女は視線を前方に戻す。
二人の前には壁一面に施された巨大な壁面彫刻が広がっていた。古代怪獣と人型兵器の対峙、今は忘れられてしまった古代の記憶が、平面に切り取られて保存されていた。
二人の背後、壁面彫刻の正面には巨大な長方形が口を開いていた。外界と繋がった遺跡の入り口からは、遠慮がちな日光が屋内に足を忍ばせている。
遺跡の入り口を抜けた瞬間、視界一面に壁面彫刻が飛びこんでくる構造になっていた。
「きっと『彼ら』は、なにを置いてもこの彫刻を最初に見せたかったのでしょう」
「ええ、分かります」
その彫刻は生きていた。今にも動き出さんばかりの古代怪獣からは恐ろしさや抗いようのなさ、人々を守る巨人からは力強さや頼もしさがひしひしと伝わってくる。この彫刻は、この時代に過去の出来事を伝え聞かせる語り部なのだ。
「おっと、ご婦人の前だというのに長話がすぎましたね。私はオービット・キュネル・ガス。このヴェネリア遺跡の発掘作業を指揮している者です。ご婦人の雇い主、ということになりますね」
物腰の柔らかな、それでいて芯の定まっている青年だなと、少女は思った。彼の身を包む白い野戦服が、その凛々しい印象を一層際立たせている。
「あ、雇い主さんでしたか。これはこれは、ご丁寧にどうもどうも。私はアディシア・チェリエルと言います。こちらには発掘要員ではなく護衛として採用いただきました」
少女の出で立ちは青年とは対照的だった。手入れもされていないボサボサの黒髪に、化粧っけも見られない顔。服装こそ同年代の街娘が好むであろうブラウスにベストの重ね着とミニスカだが、実用性を重視した厚手の生地で拵えてある。どこか野良犬を連想させる少女だった。
不釣り合いと言うべきか、釣り合っていると言うべきか、背中には身の丈ほどもある巨大な銃剣を背負っている。
「護衛? ということは、その若さで傭兵を生業にしているということでしょうか?」
「……ご不安ですか?」
「これは失敬。実技試験を通過しているのですから、手腕を疑う意図はありませんよ。単なる興味心です」
オービットは心からの謝罪とばかりに深く深く頭を下げた。真摯な姿勢からはオービットの誠実さが窺える。
「それでは雇用者として、今回の仕事内容を遺跡案内がてら説明しましょう」
オービットに先導され、アディシアは遺跡の奥へと歩き出す。
「このヴェネリア遺跡は四千年前に起きた人類と古代怪獣との戦い、《彗星戦役》の戦史を後世に残す目的で建造されたと推測されています」
「《彗星戦役》、つまり《月の欠片文明》期の出来事ですね」
《月の欠片文明》、それは四千年前当時にこの惑星を支配していたとされる文明だ。世界各地に残された遺跡群から出土する技術水準は現代とは比べようもないほど高く、都市には不老長寿の人々が行き交い、天を突くほどの高層建築物が立ち並び、隣の天体にまで居住圏を広げ、天候すら管理していたとの伝承すらある。
にもかかわらず、突如として謎の滅亡を迎えた文明として、その実態は考古学七不思議の一つとして数えられている。
「……ですよね」
そこまで口にしたアディシアに、オービットは感心して目を見開いた。
「ほう、よくご存知で」
「はい、古代文明に些か興味がありまして」と口にするアディシアの両目は、些かと表現するには度がすぎる輝きで周囲を見回していた。
二人が進む通路は鉄柱や木版で補強されていた。手押し車で機材を運ぶ作業員や、写真機や保存箱を抱えた調査員、刺すような視線を配りながら巡回する警備員など、すでに十数人以上とすれ違っている。
二人の進路を彩るように、壁画も奥へ奥へと続いていく。二足二手の直立歩行する典型的な怪獣や、四足歩行の怪獣、両腕が翼になっている怪獣、両腕両脚を複数組有した怪獣、三つ首の怪獣、星型の怪獣など様々な異形が並んでいる。
対する巨人は一様に人型。しかしそれぞれが剣や槍や大砲などで武装し、中には格闘術の構えを取る姿もあった。さらに巨人の周囲には炎や氷や風や雷などの記号が描かれ、巨人の特性を表している。
窓も松明もないというのに遺跡の内部は屋外のように明るい。遺跡の壁や天井に住み着いた苔が眩いばかりの光を発して周囲を照らしているのだ。
「へー、すごい。ホタルゴケを照明代わりに使ってるんだぁ」
きらきらと輝くアディシアの両目は、まるで宝石箱でも見ているようだ。
「え、嘘? 壁画の塗料は瑠璃色玉虫の粉末で、服飾品は桜花豹の毛皮。小物入れは竜骨蘭の枝葉……これって絶滅している動植物ですよね?」
遺跡とは、その物自体が過去を密封した巨大容器なのだ。自分は四千年前の世界に触れているのだと実感して、アディシアは驚きのままにオービットを見る。
そこで自分を見つめるオービットの微笑に気付いた。アディシアは恥じ入るように俯き、頬を染めて黙りこんでしまう。
「驚くのも無理はありません。私も初めて発掘に携わった際は興奮しました」
アディシアに救いの手を差し伸べて、オービットは歩みを止めた。
何事だろうと前方を見て、アディシアは大きな目を零れ落とさんばかりに見開く。
二人の前方には巨大な空間が広がっていた。見上げた天井には光が届いておらず、凝視しなければ輪郭さえ摑めない。一軒家が入るどころではなく、小さな城が入ってしまいそうなほど巨大な部屋だ。
遺跡の最奥に位置する部屋には、その巨大さに見合う巨大な人影があった。遺跡の壁から上半身だけを突き出す形で、巨人が現代にその姿を現していたのだ。
「これが、このヴェネリア遺跡に眠る対怪獣用巨大人型古代兵器レグキャリバー、固有名〈ヴェネンニア〉です」
目の前で眠る巨人は、写真や映像とは比べ物にならない存在感を放っていた。
金属板を組み合わせただけの無骨で無機質な表情からは、息遣いすら聞こえてくると言いきっても過言ではない。光の点っていない両目は瞼を閉じているようだ。
ヴェネンニアという名の巨人は、永遠の眠りについた巨神とすら思えた。それだけ圧倒的で、荘厳な存在だった。現代人の人智も及ばない古代人の英知の結晶、怪獣という絶対的強者に抗おうとする不屈の闘志の申し子だった。
「古代人はなんのために、世界中の遺跡にこれらの戦史やレグキャリバーを残したと思いますか?」
唐突に、オービットはアディシアに問いかけていた。
「彼らはおそらく、いや確実に、《彗星戦役》の再来を予期していたのですよ。現代に怪獣人が蘇ったようにね」
「古代人はこれらの記録やレグキャリバーを使って怪獣人と戦えと言っている、と?」
「少なくとも私はそう解釈しています」
オービットの瞳には強い自負と矜持があった。怪獣人の侵略から人類を守る盾にならんとする、高潔な精神だった。
「我々が貴女方になにを護衛させたいか、もうお分かりですね?」
アディシアは重々しく頷いた。
「レグキャリバーが怪獣人への最大戦力であるように、怪獣人側からすれば最大の脅威となります。また嘆かわしいことに、人類も一枚岩であるとは言いがたい。
人類、怪獣人の全ての勢力が、レグキャリバーを狙っていると言っていいのです」
「貴様は何者だ? そこで止まれ!」
二人の背後で緊迫した声が響いたのはそのときだった。振り返った二人の目に信じられない光景が飛びこんでくる。