閑話:被害者A、酒場のウェイトレス。+α
前話の最後の文の直前と直後の話です。
前の話に入れるとテンポが悪くなったので閑話という形で。
ちなみにセクハラ回です。
苦手な方は注意してください。
エイトとゲイザーはニヤニヤと笑いながら「俺達は先に帰ってるからな」なんて含むところの有りそうな言葉を吐いて去って行った。
少しの時間悩むが、さすがに今これを使う気にはなれない。
ゲイザーが手を上下にシェイクしているシーンが、脳内にこびりついているのが原因だ。
嫌な映像ほど、なかなか忘れられない。
今はどうしても駄目だ。
気分が乗らない。
こんな状態でスライムゼリーを使うなんてことは出来ない。
リビドーの解消は重要な課題だが、このクオリティを下げることは、男として、人生の質を下げることと同義であるのだ。
エイトから貰ったスライムゼリーだって、数は限られている。
いつ使うかは、慎重に考えなければならない。
少なくとも、今じゃない。
テーブルに戻り、周りを見渡す。
目の前にはユエル。
いつものように、ニコニコと俺を見ている。
ユエルは、最近は毎日たっぷりと食事を摂っていたせいか、少しだけふっくらとしてきたように感じる。
つぶらな瞳、ほんのりと紅潮した頬、ふっくらとした唇。
視線を下ろせば、子供らしい慎ましやかな膨らみが、ほんの少しだけ服を押し上げている。
ユエルが、テーブルの中央の料理に手を伸ばそうと、身体を前傾させた。
服の襟ぐりが、重力に従ってだんだんと開いていく。
首筋が。
鎖骨が。
そしてなだらかな膨らみを持った――
即座に、手で自分の顔を覆う。
俺は今、何を見ようとしていた。
何を考えていたんだ。
確かに俺はゲイザーの、あのにやけ顔を脳裏から消したかった。
印象的な別の光景を見て、上書きしてしまいたかった。
そしてスライムゼリーを使いたかった。
だが俺が今見ていたのはなんだ。
ユエルだ。
俺を慕ってくれている幼いダークエルフの少女、ユエルだ。
これは人として駄目だ。
いけないことだ。
ひどい自己嫌悪を感じる。
けれど、頭の一部が未だに煮えるように熱い。
気を抜けば、リビドーの導くままに罪をおかしてしまいそうだ。
誤魔化そう。
そうだ、食べることに集中しよう。
食事というのは案外神経を使う。
視覚で料理を捉え、正確にそれを自分の口に運ぶ。
鼻を抜ける匂い、口一杯に広がる味。
食材の食感を、舌を使って存分に楽しみ、それを歯で砕いた時の小気味の良い音が、耳を楽しませてくれる。
食事には五感全てを使う。
集中し、気を逸らすには打ってつけである。
テーブルの中心には、俺がトイレに行っている間にユエルが注文しておいてくれたらしい、何かの肉の煮込みがある。
大皿から小皿へと取り分け、口へと運ぶ。
鶏肉のような、淡白であっさりとした味わいだ。
けれど、鶏肉よりもぷるぷるとしていて、味に深みがある。
小皿の分を食べ終えたところで気になった。
何の肉だろう。
「ユエル、この肉って何の肉だ?」
「スッポンです」
「なんでだよっ!!」
なんでだよ。
なんでスッポンをチョイスしたのかってところから、異世界にもスッポンがいるのかってところまでなんでだよ。
「あ、あの、ゲイザーさんがお勧めしてくれたので。駄目だったでしょうか」
馬鹿のせいだった。
本当にゲイザーの馬鹿はろくなことをしない。
いきなり大きな声を出したせいか、ユエルも少し怯えてしまった。
「いや、駄目じゃない。全然駄目じゃない。ユエルは何にも悪くないんだよ」
「ご、ご主人様?」
ユエルが怪訝そうな声をあげる。
いつものユエルの声のはずだ。
鈴を転がすような、子供らしいソプラノボイス。
けれど、今の俺にはそれが蜜をたっぷりとかけたパンケーキよりも甘い声に感じる。
ユエルはテーブルの向こうに居るのに、まるで顔の横で優しく囁かれているようだ。
「き、気にしないでくれ」
これも、積もりに積もったリビドーがいけない。
あと、ゲイザーがいけない。
本能が理性を侵食している。
この世界のスッポンがどんなものかわからないが、身体が熱くなるのを感じる。
これは、プラシーボというレベルではないだろう。
やばい。
今すぐトイレに駆け込みたいが、しかし、まだスライムゼリーを使うわけにはいかない。
今トイレに駆け込めば、俺の脳内にイメージされるのは、間違いなくユエルだからだ。
それは許されない。
こんなにも無垢で可愛らしいユエルを、例え脳内であろうとも穢してはならない。
これだけは、譲れない。
ユエルを視界から外し、必死に視線を巡らせる。
酒場のウェイトレスのミニスカートが、ひらひらと揺れていた。
襟が大きく開いたフリル付きのボタンシャツに、胸の下から腰を覆うコルセット。
コルセットに押し上げられた胸は、まさに乳袋と言える形状だ。
その上には十七歳ぐらい、溌剌とした、けれど幼さを残した、かわいらしい少女の顔が乗っていた。
注文を取ろうとテーブルを巡る度に、金髪の長い髪がキラキラと輝く。
どうやら仕事はあまり得意ではないらしく、よく注文を間違えては、ペコペコと客に謝っている。
しかし見えない。
ウェイトレスが「申し訳ありません!」と客に頭を下げる度に、ミニスカート、その裾のラインがぐぐっと上がる。
白雪のように真っ白で、ハリのある太ももがよく見える。
けれど、太ももの付け根が、その上を覆う薄布が、見えない。
あとほんの少しで見えそうなのに、どうしても、どうしても見えないのだ。
まだ足りない。
俺の脳内のユエルを消し、スライムゼリーを使用可能にするには、決定的なイメージが、鮮烈なビジョンが足りないのだ。
ペコリ、ペコリと客に謝って回るウェイトレスをひたすら眺める。
もちろんユエルにはそれを気づかせない。
ユエルの視界から丁度俺の目が隠れる位置に手を翳し、指を配置する。
眉間に皺を寄せ、何か重要なことを考えているような、思索の邪魔をすることを躊躇わせるような、そんな雰囲気を醸し出す。
見えそう......見えない......見えそう......見えない......見えそう......見えない。
スカートの裾を眺め続けて、どれだけの時間が経っただろうか。
いや、窓から射す日の角度には、全くと言っていい程変化が無い。
つまりは時間はほとんど経っていない。
俺の焦りが、体感的な時間の流れを遅くしているのだろう。
まだか、まだか、と決定的な瞬間を待ち続ける。
そして、その瞬間は訪れた。
それも、盛大に。
酔っ払い客の手を離れ、床を転がるビールジョッキ。
今回のMVPだ。
ウェイトレスは、こちらの方向を向いて、ゆっくりと歩いている。
そのビールジョッキは、俺とウェイトレスの間にあった。
ビールジョッキの位置まであと僅か、というところで、他の客が彼女に声をかける。
今回の、二番目の貢献者である。
ウェイトレスは、歩きながら顔を横に向けて、元気な返事を返す。
そして――余所見をしていたウェイトレスが、ジョッキを右足で、踏んづけた。
斜め上からの圧力を受けたビールジョッキが、くるんと百八十度回転し、ウェイトレスの右足を跳ねあげる。
「わっ、わっ、きゃあああっ!!」
上がり続ける右足が、身体のバランスを崩し、胴体が背中の方向に倒れこんでいく。
挑発的な黒。
ゾクリときた。
溌剌とした印象の、まだ幼さを残す少女の黒下着。
幼さの裏、一枚の布をめくって見れば、そこには妖艶な、成熟した大人の顔があったのだ。
両手を後ろにつき、尻餅をつくように勢いよく倒れるウェイトレス。
脚は大きく開かれ、最早それを隠すものはどこにも存在しない。
「ひっ、ひゃああああっ!」
顔を羞恥に染め、悲鳴をあげながら脚を勢いよく閉じるウェイトレス。
だがもう遅い。
俺の網膜には、既に鮮烈な黒が焼き付いている。
ウェイトレスに歩み寄り「大丈夫か」と声をかけ、ヒールをかける。
見たところ怪我は無いが、痛みは引くはずだ。
声をかけながらも、俺の目はウェイトレスの、羞恥に染まった顔をじっくりと観察する。
もちろん爽やかで、下心なんて一切感じさせないような笑顔を作って。
「勝手にやったことだから、お礼はいらないよ」
「は、はい、ありがとうございます」
俺の内心など露程も知らず、純粋な感謝の言葉を紡ぐ彼女。
そんな紅潮した彼女の顔を、努めて爽やかな笑顔で見つめながら、手を差し伸べる。
おずおずと、俺の「右手」をとる彼女。
彼女の手を、しっとりとした肌触りを、温もりを味わうように優しく握りしめ、ほんの少しだけ勢いをつけて引っ張り、立ち上がらせる。
そして、立ち上がると同時にふらついた彼女の腰――よりも少し下に手を添え、身体を支えてやる。
柔らかい肉の感触。
ピクリ、一瞬だけ身体を固くした彼女。
しかし、困惑はあっても、拒絶の雰囲気は感じられない。
最初の無償のヒールもあって、善意によるものだと思い込んでいるのだろう。
「あっ、ごめん!」
しかし、直ぐに手を離し、ウェイトレスと距離を取る。
驚きに目を見開き、いかにも偶然触れてしまった、という表情で本心を隠す。
もう十分だ。
引き際を間違えてはいけない。
「あっ、いえ、ありがとうございます」
疑うような仕草も見せず、そう言う彼女。
また感謝されてしまった。
こちらこそありがとうと言いたいぐらいだ。
いや、ごちそうさまかな。
そして俺は最後に「気をつけてね」と、できるだけ優しげな声音を意識した言葉をかけてから、その場を後にした。
向かった先は言わずもがなである。
そのしばらく後、テーブルに戻った俺は、ユエルを膝の上に乗せていた。
ユエルからの要望である。
ユエルが人前でここまで密着してくるのは珍しい。
頭を撫でやすい位置ではあるが、最近肉付きのよくなってきた、ユエルのかわいらしいお尻がぷにぷにと太ももに当たる。
座り心地が悪いのか、頻繁に座り直すために、幼いユエルでも少し意識してしまう。
下手をしたら押し付けているんじゃないかと勘違いしてしまう程だ。
ふと気になって、ユエルの顔を横から見ると、耳の先まで紅潮していた。
嫌な予感がする。
頻繁に座り直すために、俺の太ももにぷにゅりとした触感が、途切れる間もないぐらいにやってくる。
嫌な予感がする。
テーブルの上を見ると、スッポンの煮込みの大皿が綺麗に食べ尽くされていた。
いけない。
これ以上ユエルを膝の上に乗せていてはいけない。
――だがそれは、普段の俺ならば、だ。
今の俺には、スライムゼリーがある。
そしてしばらくの時間、俺は何があろうとも動じない理性的な男なのだ。
ゲームで言えば無敵モード。
わかりやすく言えば賢者モードである。
今の俺なら、ユエルがいくら密着してきたところで心が昂ぶることはない。
ユエル破れたり。
スライムゼリーに、エイトに感謝を。