相談する。
酒場に治療スペースをもらってから数日が経った。
午前中は四階層での宝箱探し、午後は酒場で飲んだくれながらユエルの笑顔やひらめくミニスカートを眺める。
ついでに一時間に一人か二人、治療に来る客を治す。
酒場の出張治療所は成功だったと言えるだろう。
なんといっても俺にデメリットが無い。
いつも居る酒場で普段のように飲み食いしながら、適宜治癒魔法をかけるだけでいいのだ。
それだけで一回数百ゼニーの収入である。
しかも酒場にキックバックをしなくて良いときた。
客は多くはないが、場所代や人件費がかかってない分、そこらの木っ端治療院よりも儲かっているかもしれない。
例えばエリスのところとか。
それに男AB......なんだっけ。
あぁ、エイトとゲイザー。
あいつらが冒険者仲間に、酒場に出張治療所が出来たことを触れ回ってくれているらしい。
その効果が出ればきっともっと儲かるだろう。
何より酒場という立地が良い。
エクスヒールを使わなければならないような重傷患者が来ないからだ。
迷宮探索で欠損レベルの、すぐに治療しなければならないような重傷を負えば、基本的に冒険者ギルドの治療所で治療する。
街で一般人が重い病気になったり重傷を負っても、酒場にあるような治療所に担ぎこもうなんて思わないだろう。
普通は入院設備のあるような大きい治療院に連れて行くはずだ。
つまりは順調なのだ。
すこぶる順調である。
順調ではあるのだけれど。
差し当たって、一つだけ、至急解決しなければならない問題がある。
それは解決しなければ、大きなトラブルを引き起こす可能性のある問題で。
しかしそれについて声を大にして叫ぶこともできない。
万人が潜在的に抱えるこの問題は、今、俺が置かれているこの状況においてギリギリのところで危ういバランスを保っているだけなのだ。
何がいけないかといえばナニがいけない。
溢れるリビドーがいけない。
ぶっちゃけると性欲を解消する手段が無いのである。
くだらないことかもしれない。
とてもくだらないことかもしれない。
けれど、だからと言って解決しない理由にはならない。
朝、ふと目が覚めた時。
薄い布団の上に張られたテントを、じぃっと凝視するユエルさんの、食い入るようなあの表情。
走り抜ける危機感。
いけない。
このままではいけない。
絶対にこのままではいけない、そう思った。
奴隷なのだから、まだ幼いから、確かにそうではある。
けれど、手を出すつもりの無い女の子と一緒のベッドで寝ることが、そもそもの間違いだったのだ。
だから、部屋を分けようとした。
ユエルは悲しみをたたえた、今にも泣きだしそうな表情をして、俺を見つめた。
俺には、できなかった。
その後、一緒の部屋なら良いだろうと、ツインの部屋を取ろうとした。
ユエルはより一層表情を暗くして、下唇をぎゅっと噛み締め、目の端に大粒の涙を浮かべていた。
そして、ユエルの手は俺の服の裾をギュッと握りしめ、微かに震えていた。
俺には、とてもできなかった。
もう俺にできることと言えば、リビドー自体をどうにかするしかないのである。
しかしユエルはいつでも俺と一緒に居る。
迷宮探索も、食事の時も、ベッドでも一緒だ。
大人のお店に行こうにも、そもそも一人になれる時間が無い。
そして出かけるからちょっと宿で待っていて、なんて言おうものならユエルは捨てられた子犬のような表情をするのだ。
誰かに相談しようにも、こんなことを相談できる相手なんて俺には居ない。
まだこの世界に来て三ヶ月ちょっとだ。
しかもずっとエリスの治療院に住み込んでいた。
男友達だって居ない。
あえて女の子に相談するというのもオツではあるが、そんなことをしたら余計に問題の原因が肥大化しそうである。
俺の性格的に。
もうどうしようもない。
八方塞がりで――
......あ、いや、居た。
そういえば男友達、居たよ。
そうだ、あいつ等に相談してみよう。
というわけで酒場である。
男子トイレに男ABこと、エイトとゲイザーを連れ込んだ。
「うはははは! いや、シキ。それはユエルちゃんだって美味しくいただかれたいってことじゃねぇのか? 確かにまだまだ小さいし胸も無い、けどあれだけ可愛ければ反応ぐらいはするだろう?」
というのはゲイザーの言。
「いやゲイザー、なんでシキが俺達に相談しに来たのか考えてやれよ。ユエルちゃんに手を出さず、かつバレずに解消したいってことだろ?」
こっちはエイト。
なんだかこいつらの性格が分かってきた。
とにかく馬鹿なのがゲイザーで、割と冷静なのがエイトだ。
言葉遣いもエイトの方が微妙に丁寧な気がする。
僅かにだが知性を感じるし。
「エイトの言う通りだ。俺はユエルに手を出すつもりはないし、むしろ手を出さないためにアレを解消する手段が欲しいんだ」
「面倒くせぇな、あー、もうトイレで適当にやっちまえよ」
ゲイザーが握った手を上下に振りながら言う。
やめてくれ。
その動きはやめてくれ。
ゲイザーなんて名前でそんなことをされると洒落にならない。
吐き気がする。
「そ、それに匂いがな。ユエルはよく密着してくるんだよ。すぐに身体を洗える環境ならいいけどそうでもないし。気づかれそうで怖い。なにか良い方法はないかな」
ユエルはよく俺の腹部あたりに顔を埋めて来る。
最近のユエルは撫でていると最早抱きついているとしか思えない程密着してくるのだ。
しかも多分匂いを嗅いでる。
犬かと。
可愛いっちゃ可愛いんだけど。
しかし、それ目的でトイレに行った直後にこれをやられたら目も当てられないことになりそうだ。
「あるぞ。良い方法が」
エイトだ。
正直詰んでるかと思ったが、方法があるらしい。
流石エイト。
もう表情から仕草から、知性や気品に満ち溢れている気がする。
頼り甲斐のある男だ。
そういえば叡智とエイトってなんか似てる気がするし。
「本当か!? 頼む、教えてくれ!」
「迷宮七階層の、スライムのドロップ、スライムゼリーを使うんだ」
スライムゼリー。
俺も知っている。
よく食材屋なんかで粉末状になったものが売っているのを見かけた。
用法は大体片栗粉と同じだ。
片栗粉との違いは、肉と一緒に使うとかなり臭みが消えるから、下拵えの手間が減ることぐらいだったと思う。
「スライムゼリー? ってぇとアレだろ? 料理にとろみをつけたりするのに使う」
「あぁ、ゲイザーは娼館派だから知らないか。スライムゼリーはな、ドロップした時は二十センチぐらいの柔らかくて透明な塊だろ? アレを加工して使うんだよ」
大体全貌が見えてきた。
つまりあれだろう。
あの赤と白のしましまで有名なアレと同じようなものを作ろうというのだろう。
スライムゼリーXというわけだ。
「でも、それだと匂いの問題がクリアできないだろ?」
道具があろうと無かろうと、そこが解決できなければ意味はないのである。
「いや、問題ない。お前もスライムゼリーを料理に使ったことがあればわかるだろう? あれは料理に使うと肉の臭みを消してくれる。だがな、お前は火を通していないスライムゼリーを食べたことがあるか?」
そういえば無い気がする。
餡掛けに使うにしろ、スープにしろ、大抵火にかけている。
肉の下処理をするにしても、その後必ず火を通しているし。
「生のスライムゼリーはな、肉だけじゃなく、触れたもの全ての臭いを吸着してくれるんだよ。熱にはかなり弱いから、加熱したらすぐにその性質は消えるけどな。食材の風味に拘る高級料亭なんかじゃ、スライムゼリーは絶対に使わないって話だぜ」
なんと。
それならいけるかもしれない。
それにしても詳しいな。
多分自分でよく使ってるんだろうな。
ゲイザーのことを娼館派とか言ってたし。
じゃあお前は何派なんだよと。
「しかも、だ。スライムゼリーの塊は水を垂らすと良い感じにぬるぬるになる。あれが絶妙な感触なんだ。そして大量の水を加えればすぐに溶けてなくなる。賢明なお前なら、わかるだろ?」
この都市のトイレは水洗式だ。
つまりそういうことだ。
「あぁ! ありがとうエイト、お前は俺の心の友だよ!!」
「お前は俺の命の恩人だぜ? これぐらい朝飯前さ」
目頭に熱いものを感じる。
エイト、俺達は親友だ。
これこそが友情だ。
異世界に来て初めての友人がお前で本当によかった。
ゲイザー? あの馬鹿は知らない。
「だがな、一つだけ問題があるんだ」
問題?
話を聞いている限り問題なんて無さそうだったが。
「塊のスライムゼリーは一般流通していない。冒険者ギルドから直接業者に卸されて、そこで粉末状に一括加工されるんだ。つまり、入手する手段は迷宮に潜って自力で取ってくるしかない」
な、なんだって。
そんなことが。
いや待て。
冷静になれ。
「普通に冒険者ギルドで買うなりすればいいんじゃないのか?」
「お前は冒険者ギルドのあの美人受付嬢達の前でそれを言えるのか? スライムゼリーを塊で買うなんて、僕はこれからスライムゼリーでいかがわしいことをします、と宣言するようなものだぞ?」
やれやれ、とエイトが呆れ顔で言う。
想像してみる。
いつもギルド買取カウンターに居る、茶髪を背中のあたりで切り揃え、頭にふさふさとした犬耳を乗せた彼女。
年齢は二十歳ぐらいだったか。
パッチリと開いたつぶらな目に、爽やかな営業スマイル。
働き始めて二、三年か、そこらだろう。
新人らしい初々しさが消え、ちょうど自分の経験が自信に変わり始める頃だ。
そんな彼女に声をかける俺。
最初はこなれた笑顔で柔和な対応をする彼女。
しかし、俺の要求を聞いた瞬間、その笑顔がビキリと引き攣る。
隠し切れない軽蔑と、高い職業意識との葛藤。
内心では散々に罵りつつも、俺に僅かに強張った笑顔を向ける。
内心嫌々、スライムゼリーを手渡そうとする彼女。
そして、スライムゼリーを受け取る瞬間、その彼女の手をキュッと握りこむ。
俺は、驚きに目を見開く彼女の顔を正面から見つめ、目線を下にゆっくりと下ろし、ニタリと口角を上げる。
受付嬢の笑顔の仮面は剥がれ、露わになる嫌悪の表情。
自分の身体を守るように抱き、反射的に身を引く受付嬢。
なんだかちょっと興奮してきた。
いや。
駄目だ。
駄目だ。
冷静になれ。
一時の快感に身を任せて評判を地の底まで落として良い訳がない。
良く分かった。
買うのは駄目だ。
つまり俺は迷宮七階層まで潜らないといけない。
しかし俺達はまだ迷宮四階層。
「くそっ! せっかくここまで来たのに! 駄目なのかよ! 諦めるしかないのかよっ!」
なんてことだ。
迷宮七階層まで行くにはまだ日数がかかるだろう。
俺は耐え切れるのか。
七階層まで頑張れば数日だとしても、俺のリビドーは最早限界なんだ。
悲しみに暮れる俺の前に、手が差し出される。
エイトの手が。
「シキ、そんなに悲しむなよ。俺とお前の仲だろう?」
そして、その手には一塊のスライムゼリーが握られていた。
「く、くれるっていうのか?」
「あぁ、もちろんさ」
爽やかに笑うエイト。
その笑顔はとても眩しくて。
俺にはまるで、それが暖かな春の日差しのように感じられた。
今なら迷宮で俺に治癒魔法をかけてもらったエイトの気持ちが少し理解できる。
暗い絶望の闇に刺す一筋の光。
世界に光が満ちる感覚。
俺は今、確かにエイトに救われたんだ。
「エイトッ、エイトォ!!」
ありがたい。
俺は本当に良い友人を持った。
エイトを助けることができて、本当に良かった。
窓からは赤い光が差し込み、美しい夕焼けが一日の終わりを告げる。
顔を出してひとつ深呼吸すれば、爽やかな空気が肺一杯に満ちるようだ。
窓の外の世界を見れば、故郷とは全く違う風景に僅かな郷愁を抱きそうになる。
けれど、ぷるぷると震えるスライムゼリーを握りしめながら、思う。
異世界に来て、本当に良かった。




