追跡。
長いです。
遠くに、路地裏に向かって走り去る、人の影が見えた。
このままだと見失う。
反射的に、俺は路地裏に消えたその影を追っていた。
走って追いかけながら路地を曲がると、数十メートル程先に、五人の影を捉えた。
目を凝らして、よく見てみる。
……あの、五人組の中の一人、何かを肩にかかえている。
いったい、何を抱えているんだろう。
嫌な予感がする。
走りながら近づいていくと、だんだんと影が鮮明に見えてきた。
袋だ。
五人組の影のうちの一人が、人が一人入るような、大きな袋を抱えている。
その袋は、本当に人が入っているかのように、もがくように動いていて……。
「チッ……暴れんな!!」
一人に拳を突き入れられて、ぐったりとしたように動かなくなった。
――間違いない。
あの袋の中には、人が入っている。
……エリスは、治療院にいなかった。
そして、開きっぱなしだった玄関。
あの中に入っているのは……まず、エリスだろう。
どうしてエリスが。
この街は、こんなに治安が悪かったのか?
目的は?
身代金?
それとも身体か?
疑問が湧くが、考えている余裕がない。
一度見失ったら終わりだ。
今は、何が何でもあの男達に追いつかなければいけない。
男達は、路地を小刻みに曲がりながら、細い道へ細い道へと逃げて行く。
でも不幸中の幸いか、エリスを抱えているせいで、俺の足でも追いつけそうだ。
足音を抑えて近づきながら、アイテムボックスからメイスを取り出す。
すぐに男達に殴りかかろうと思ったが――近づいて気づいた。
……あいつら、全員武装している。
剣、ナイフ、得物はさまざまだが、すぐに取り出せる位置に、なにかしらの武器を持っている。
五対一でも分が悪いのに、武器まで持っているのかよ。
こいつらを追う前に、ユエルを起こしてくるべきだったか?
いや、ユエルは治療院の二階、しかもベッドでぐっすり眠っていた。
戻って起こしていたら、こいつらを見失っていた可能性も高い。
……でも俺だけじゃ、五人を相手にするのは勝算が薄い。
……どうする。
戦うか。
助けを呼ぶか。
時刻は深夜。
辺りは静まりかえっている。
あの男達もひと気のないところを選んで走っているようで、助けてくれそうな人なんて、一人も見当たらない。
大声を出せば、誰か来てくれるだろうか?
……いや、あいつらに俺の存在を気付かれるのもまずい。
武器を持った男達との、五対一だ。
いくら高度な治癒魔法が使えるからといって、俺も死なないわけじゃない。
五人に囲まれて、後ろから頭に剣を叩き込まれでもすれば、俺だって確実に死ぬだろう。
助けが来るまでの時間も稼げずに俺が瞬殺されて、あいつらがどこかに行ってしまうかもしれない。
それに、もし誰かが助けに来ても、相手は五人だ。
騎士クラスの実力者でも、一人や二人じゃ勝てないかもしれない。
もし勝てるだけの実力者が来てくれたとしても、何人かがその足止めをして、エリスを抱えた男は逃げるという可能性がある。
一度見失ったら、再び見つける手段がない。
……そうなったら、終わりだ。
後日騎士が捜索してくれるかもしれないが、後日じゃ駄目だ。
エリスはとても魅力的な、年頃の女性だ。
拉致された後時間が開けば、何をされるかわからない。
男達に気づかれないように、決して見失わないように、付かず離れず追い続ける。
考えろ。
考えるんだ。
何か、あの男達からエリスを奪還する方法を。
ただ奪還するだけでも駄目だ。
そこからエリスを抱えて、あの五人から逃げ切る算段も立てないといけない。
背後からエリスを抱えた男を急襲して、エリスを奪還した後、スライムゼリーをばら撒くか?
……いや、そんな一時凌ぎじゃ駄目だ。
エリスを抱えていれば、一分と経たず男達に追いつかれてしまうだろう。
そうだ、孤児院でユエルに煙玉を貰った。
これを使えば、逃げ切れるんじゃないか?
……いや、でも、煙幕があっても足音は消せない。
今は深夜だ。
街に人がいないせいで、足音がよく響く。
今はあいつらも走っているから俺の存在に気づいていないが、耳を澄まして探されれば、どこへ逃げているかなんて簡単に特定されてしまう。
というかそもそも、本当に背後から襲撃して、エリスを奪還なんてできるのか?
背後からエリスを抱える一人を襲撃しても、他の四人に即座に袋叩きにされるイメージしか湧いてこない。
それに、あの五人がエリスを運ぶ役と、足止め要員に分かれたら……最悪だ。
そこを最後に、俺はエリスを見失ってしまうだろう。
俺の行動には、おそらくエリスの全てがかかっている。
絶対に失敗するわけにはいかない。
どうする。
どうするのが最善だ……?
……そうして考え続けていると、男達の走るペースが落ちてきた。
治療院から、大分離れたせいだろうか。
「上手くいったな」
「あぁ」
そのまま、会話を始める男達。
「ったく、大司教様も人使いが荒いよなぁ? 今日、急に女を攫って来いだなんてよ」
今、なんて言った?
大司教……?
なぜ、ここで大司教がでてくる。
……大司教が、このエリスの拉致を企てたということか?
「まったくだ」
「まぁいいじゃねぇか。これで俺達の仕事は最後、そうだろう?」
「まぁな」
それに「今日、急に」と言った。
それはつまり、今日、エリスが攫われる理由ができたということだろうか。
今日、俺はエリスとずっと一緒に居た。
今日の行動を、思い返してみる。
「っ……」
ここまできて、ようやくわかった。
エリスが、教会の人間に攫われる理由。
……そんなもの、俺のエクスヒールしかないじゃないか。
今日あったこと……俺とエリスは、孤児院に行った。
孤児院で、俺がファラにエクスヒールを使った。
あの時、確か孤児院の老朽化の検査をすると言って、大司教の部下が孤児院の中を見ていたはずだ。
そして、俺はどこかに行ってしまったファラを探して……すぐには、見つけられなかった。
……もしかしたら大司教の部下が、俺が見つけられなかったファラと、会ったのかもしれない。
ファラは俺がエクスヒールで目を治したせいで、ずっとまともに見えなかった目が、突然見えるようになった。
はしゃいで、とても喜んでいた。
それこそ、聖女から貰った大切な指輪を取られても、笑って許せてしまうぐらいに。
きっと、見るもの全てが新鮮で、嬉しくて嬉しくてたまらなかったんだろう。
……あの子はまだ七歳の子供だ。
嬉しい気持ちを誰かに伝えたくなったとしても、それは仕方のないことだろう。
見えなかった目を治して貰ったことを、近くにいる人につい言ってしまっても……なにもおかしくはない。
でも、ファラが俺が治したことを大司教の部下に言ったなら、今あの袋に入っているのはエリスではなく俺だったはずだ。
少し……違う気がする。
……いや、俺は「俺が治療したということを絶対に誰にも言うな」と、ファラに念押ししていた。
ファラはきっと、治療してもらったことを大司教の部下に言っても、それだけは守ろうとしたに違いない。
だから、大司教の部下に目のことを問い詰められたファラは、きっと言ったのだ。
俺ではなく、「エリスさんが治してくれた」と。
もしそうなら、納得がいく。
俺がクローゼットの中に隠れていた時に聞いた、大司教と部下の会話。
あれは、聖女から貰ったというファラの指輪のことじゃない。
あれは、聖女と同じだけの治癒魔法の実力がある、そう勘違いされたエリスのことだったんだ。
なぜ、大司教の指示でエリスが拉致されたのか。
やはりそこには、エクスヒールに関する教会の思惑があるんだろう。
どんな思惑かは知らないが。
でも、袋詰めにして拉致するなんて、とてもまともな思惑とは思えない。
これは、俺が想像していたような、教会の重要なポストに招き入れるとか、そんな甘っちょろいことじゃない。
人を攫うという行為は、犯罪行為だ。
いくら教会といえど、そんなことをしたということが明るみになれば、大きな痛手になるだろう。
それでも教会がエリスを拉致したのは……今後、エリスがそれを騎士や領主に告発しないという、確信があるからだ。
教会に、エリスが拉致されたことを告発しない確信があるのはなぜか。
それは、エリスと話し合って和解する自信があるからか、告発できる自由を奪うつもりだからか。
間違いなく、後者だろう。
方法はわからない。
奴隷紋かもしれないし、どこかに監禁でもするのかもしれない……もしかしたら、殺すつもりなのかもしれない。
少なくとも、ここでこいつらを逃がせば、きっとエリスは一生日の当たるところには出てこない。
「でも……」
相手は国教の大司教だ。
この街と周辺都市の教会をとりしきる、重鎮も重鎮だ。
金もある、権力もある、犯罪行為ですら行わせられるあの男達のような部隊もいる。
下手をしたら、この街の領主より力があるのかもしれない。
エリスを奪還したとしても、その後はどうする。
領主にこのことを訴えたとしても、大司教の、そしてこの国の国教であるメディネ教の力は強大だ。
領主が俺より、大司教を優先する可能性だってある。
その場合……逃亡生活だ。
こんな城壁に覆われた街の中で、逃げ隠れしながら生きていかなければならない。
街から逃げられたとしても、街の外には魔物が待っている。
目の前が暗くなる。
権力を敵に回してはいけない。
そんなこと、わかっていたはずなのに。
男達を追う。
追い続ける。
けれど、エリスを奪還して逃げ切る方策が、俺には思い浮かばない。
短期的にも、長期的にも、状況を打開する良い手段が、何も思いつかない。
エリスは俺の大切な存在だ。
絶対に守らなければいけない。
……だからこそ、考えもなく飛び込んで、失敗することだけは許されない。
そして、悩みながら男達の後をつけていると……着いてしまった。
教会だ。
本当に、教会だった。
教会の正門から、男達は堂々とエリスを抱えて、中に入っていく。
い、いや、驚いている場合じゃない。
男達を追わないと。
エリスを見失うのはまずい。
でも……流石に、正面の入り口から入るのは自殺行為だ。
……教会を見回してみると、一階の窓が開いている。
窓から忍び込む、これしかない。
植木を利用し、月明かりから身を隠すようにしながら窓に近づき、窓から中を覗く。
中にはベッドが一つ、二つ、三つ、そして四つ。
……どうやら、ここは教会で働く人が使う、寝室のようだ。
今は誰も使っていないようで、人の気配はない。
窓から部屋の中に入り、素早くドアに近づく。
それから、物音を立てないように、ドアをそっと開いていく。
誰もいない。
……けれど、声が聞こえた。
急いで、声がした方向に廊下を進んでいく。
素早く、そして物音を絶対に立てないように。
少しして、開けた場所に出た。
ステンドグラスから幻想的な月明かりが差し込むその場所は、所謂、礼拝堂というやつだろう。
身を隠しながら、礼拝堂を覗きこむと……そこにエリスがいた。
どうやら袋から出されたようで、ロープで腕と足を縛られ、猿轡をかまされている。
それと……大司教と、あの男達も含めた教会の人間が十人程度。
嘘であってほしかったが、大司教がこの拉致の首謀者というのは、本当らしい。
エリスは、地を這うような体勢で大司教を睨みつけている。
どうやら、意識はあるようだ。
男に袋の上から殴られていて心配だったが、大事は無いように見える。
「ん、んんっ……んんー!」
エリスが、抗議するかのように大司教に向かって何かを言おうとする。
でも、猿轡を噛まされているせいか、言葉になっていない。
身を隠しながら様子を見ていると、エリスの足が、微かに震えていることに気づいた。
……当然だろう。
いきなり拉致されたんだ。
しかも、殴られ、拘束されて、今は地面に転がされている。
エリスの頭の中は、不安と恐怖に支配されているはずだ。
今すぐに助けだしたい。
……でも、敵の人数が多い。
何の作戦もなく飛び込めば、間違いなく俺が無駄死にするだけだ。
冷静になって、よく考える必要がある。
やはり、これは俺だけで助け出すのは無理だろう。
けれど、ここがエリスを運び込む目的地なのは間違いなさそうだ。
これなら、急いで助けを呼んでくることができれば、エリスに危険が及ぶ前に救出できる可能性もある。
俺がそう思うと、
「ずっと、ずっとお前のような女を探していた」
大司教が懐から何かを取り出しながら、エリスに向けて言った。
大司教が手に持っているあれは……宝石だろうか。
淡く紫色に光る、小さな宝石だ。
「エクスヒールすら使える魔力量。まるで本物のサキュバスのようなその肉体。お前は、私が求めていた素体の、まさに理想そのものだ」
「っ……!」
エリスはエクスヒールと聞くと、まるで何かに気づいたかのように下を向いた。
そして、否定しようとする素振りすら見せず、沈黙するエリス。
そんなエリスに構わず、大司教は言葉を続ける。
「お前を素体とすれば、この宝玉に封印されたサキュバスを、ようやく完全な形で復活させることができる……待ちわびた、本当に、この日を待ちわびたぞ」
……サキュバスの復活?
こいつはいったい、何を言っているんだ?
……いや、サキュバスはメディネ教の聖書に、教会によって封印されたと書いてあった。
そしてこいつは、そのメディネ教の大司教だ。
本当に復活させる方法を知っているのか……?
……それにあの「素体」という言葉。
とても、嫌な感じがする。
「光栄に思え。お前の人生の最期には、私が直々に女の悦びというものをたっぷりと教え込んでやる。経験が少ないといけないからな。淫乱さも、素体とサキュバスとの相似性を高めるためには、必要なことだ」
「っ……!」
エリスの裸体でも想像しているのか、鼻の穴を膨らませ、下卑た顔でそう言う大司教。
大司教のその手が、拘束され、地を這うエリスに伸びる。
これから、何が起こるのか。
大司教のいやらしい顔と今の言葉を聞けば、嫌でも予想できてしまう。
駄目だ。
……助けを呼んでいる時間なんてない。
――今にもあの男の手が、エリスに触れようとしている。
他の教会の人間も、全員大司教の息のかかった人間なのか、にやけた顔でその様子を眺めている。
エリスを救い出せるのは、今ここにいる俺だけだ。
俺が、なんとかするしかない。
こいつらから逃げ切るための、確実な作戦なんてない。
でも、ここで助けを呼びに教会の外に出れば、俺はきっと後悔する。
もう、迷っている時間は無い。
アイテムボックスに手を突っ込む。
取り出したのは、煙玉。
とにかく、煙幕であいつらの目をくらまして、この教会からエリスを連れ出す。
それから、大声で助けを呼びながらエリスを連れて全力で逃げる。
……どこまで逃げられるかなんてわからない。
すぐに捕まるかもしれない。
でも……やるしかない。
「け、煙!? 火事か!?」
「煙幕だ! クソッ、騎士に嗅ぎつけられたか!?」
「いや、違う、男が一人だ! 出口を、出口を塞げ!」
煙に紛れて近づき、エリスを両手で抱え上げ、全力で走った。
屋内で煙玉を使ったせいで、既に、一メートル先も見えないような状態だ。
記憶を頼りに、一直線に出口へ向かう。
……煙が充満する中、腕の中のエリスと目があった。
猿轡をされたままだが、今は外している余裕はない。
エリスは俺の顔を見ると、僅かに瞳に涙を滲ませる。
「悪かった、エリス。これは俺の治癒魔法のせいだ。……でも、絶対に逃げ切ってみせるから」
「ん……んん……」
エリスは何ごとかを呟いて、緊張の糸が解けたかのように胸に顔を埋めてきた。
……恐らく、本当に怖かったんだろう。
でも、安心してもらうのはまだ早い。
俺達が逃げ切れるかどうかは、ここからが勝負だ。
「マジかよ……」
それからすぐに、気配でわかった。
俺の進行方向……出口が、既に固められている。
おそらく、三、四人はいるだろう。
即座に、別の出口を探して反転する。
煙幕でろくに前が見えないが、今はとにかく走って逃げるしかない。
頭をフル回転させて、煙幕を使う前の光景を思い出しながら、全力で走る。
「おい、こっちだ! こっちにいるぞ!」
煙の薄い廊下に出ると同時に、背後から声が聞こえた。
走る音が近づいてくるのが、感覚でわかる。
あの人数に捕まったら、俺達は終わりだ。
とにかく、すぐにこの教会から出るための出口を探さないと……!
エリスを抱えて廊下を走り続ける。
「こんなことをして、許されると思うなよ!」
「男の方は絶対に生きて返すな! 女を取り戻せ!」
後ろから、大司教の部下が追ってくる。
その声は、どんどん近づいてくる。
……やはり駄目だ。
エリスを抱えたままじゃ、すぐに追いつかれる。
そしてそう思った時――近くに、扉が見えた。
飛び込むように扉の中に入り、すぐに周囲を見渡す。
……どうやらここも休憩室のようだ。
複数のベッドが並んでいる。
急いで扉を閉め、鍵を掛けようとするが……この扉、鍵がついてない。
外から、足音が近づいてくるのが聞こえる。
やばい、やばい。
けれど、扉のすぐ横に大きなクローゼットがあった。
俺はエリスを一旦床に降ろし、
「う、お、おおおおおおお!!」
それから、扉の隣にあったクローゼットを、全力で扉に向けて押し倒した。
クローゼットは派手な音を立てて、扉の前に転がる。
――その直後、ガチャガチャとドアノブが回された。
けれど、開かない。
……倒れたクローゼットが上手く柱と噛み合って、扉が塞がっている。
「うるっせえな、今何時だと思ってんだ! 寝かせろってんだよ! ……ったくよぉ」
ほっとしたのも束の間。
今度は、部屋の中から声がした。
「バルダス! そこにいたか! 男を殺して扉を開けろ! 今すぐにだ!」
扉の外からも、あの大司教の声が聞こえる。
部屋の中を、もう一度見回してみる。
……反対側の壁に、人が出られそうな大きさの、窓があった。
その窓と俺との間を塞ぐように、一人の屈強そうな大男が立っている。
……おそらく、さっきまではベッドで寝ていたんだろう。
急いでいたせいで、気がつかなかった。
そして、大司教にバルダスと呼ばれた男が、俺を見る。
「お、お前……」
「……なんだぁ? これ、どういう状況だ?」
こいつ、見覚えがある。
ルルカと一緒に、旧市街でドラゴンを見かけた時。
そのすぐ後にすれ違った、あのゴロツキみたいな神官だ。
――ある可能性が、頭を過った。
ミスコンでの聖女襲撃に使われたドラゴンと、そのすぐ近くにいたこの神官。
エリスが攫われた今だからこそ、これが無関係だとは思えない。
……あの聖女襲撃も、もしかして大司教の仕業だったのか?
――頭の中で、全てが繋がっていく。
あの大司教は、サキュバスを復活させるのが目的だと言っていた。
そして、エリスを攫った理由と……「素体」という言葉からして、サキュバスの復活のためには、エクスヒールを使える女性……いや、おそらくエクスヒールが使える程に「魔力のある」「女性」が必要だったんだろう。
きっとそのためにあの大司教は、祭りに合わせてこの都市にやってくる聖女を狙った、あの襲撃を企てたんだ。
聖女の襲撃には、邪神教徒の常套手段だという魔物を操る首輪が使われていた。
少し疑問ではあった。
魔道具は基本的に高額だ。
あんなに大量の魔道具を、邪神教徒とかいう奴らはいったいどうやって仕入れているのかと。
迷宮産のものを買い集めるにしても、自分達で研究開発しているにしても、それには膨大な金がかかるはずだった。
……おそらく、大司教がこの周辺地域の福祉を削り搾取した金を、その資金源にしていたんだ。
「その男が素体の女を連れて逃げようとしている! 男を殺して女を取り返せ!」
バルダスと呼ばれた男は、俺とエリスを見ると、ヒュウ、と短く口笛を吹く。
それから、言った。
「おいおいおいおい、こいつが話に聞いてた素体の女かよ。良い体してんじゃねぇか! 大司教様よぉ、この女、計画通りにサキュバスにしちまうんだろぉ? ……なら、俺がちょっとばかし味見しちまってもかまわねぇよなぁ!?」
「待て、それは私がやろうと思っていたんだ! ただのチンピラだったお前を、教会で雇ってやったのは誰だと思っている! ……だがまぁ、今日は記念すべき日だ。その男を殺せば、サキュバスにする前にお前にもちゃんと回してやる」
エリスの意思なんて、完全に無視した会話をする男と大司教。
嫌な汗が背中を流れる。
……こいつらとは、住む世界が違う。
俺を殺したり、エリスを傷つけることに、何の躊躇も感じていない。
どうやら、本当にまずいことに、エリスを巻き込んでしまったらしい。
「……ま、いいか。どうせサキュバスが復活したら街の女と好きなだけヤり放題だ。準備運動でもしとくかぁ?」
バルダスと呼ばれた男が、俺を見た。
筋肉質な男だ。
身長も高い。
体格は、向こうが圧倒的に上だろう。
鑑定スキルを使ってみると……格闘術というのがあった。
しかも、スキル持ちかよ。
一対一でも、かなりきついかもしれない。
でも、こいつを倒さないとどうやら逃げられなさそうだ。
外からは、ドアを力任せにあけようと、強く叩いている音が聞こえる。
あのドアも、いつまで持つかはわからない。
頑丈につくられていそうだがら、そう簡単には破られないはずだが……。
でも、ドアが破られて、この男と他の奴らとの挟みうちになったら、それこそお終いだ。
あのドアが破られる前にこいつを倒し、窓から逃げる。
先手必勝だ。
拳に力を込めて、狙いを定める。
「うおおおおおおおお!!」
狙うのは顎。
時間が無い。
速攻で昏倒させる。
「はい、まず腕一本」
けれど、腕を掴まれた。
そして、男は腕を捻り上げると、そのままねじ折ろうとしてくる。
「ぐっ、あ、ああああっ……!」
……けれど、男はすぐに力を僅かに緩めた。
まるで俺が痛がるのを面白がるかのように、力を入れたり緩めたりを繰り返す。
顔を見ると、ニヤついていた。
……遊ばれている。
「あっ、ああああああああ!」
そして、不意にゴキン、と音がした。
脳に響くような重い鈍痛が、腕を襲う。
折れた。
躊躇なく折りやがった。
「なんだよ、ただの雑魚じゃねぇか」
男は不敵な笑みを浮かべて言った。
わかってはいたが……こいつ、強い。
気づけば、俺は後ずさりしていた。
足が一歩、また一歩と下がっていく。
……格闘術のスキル。
俺よりも一回り大きい、屈強そうなあの体格。
すぐにこいつを倒して逃げなければいけないのに、勝てるイメージが湧いてこない。
無意識に、距離をとってしまう。
――すると、何かが足に当たった。
少し、柔らかい感触。
足元を見てみると……そこには猿轡をされたエリスがいた。
猿轡をされたエリスが、悲痛な顔で折られた俺の腕を見ていた。
――ハッとした。
腕が折れたぐらいなんだ。
今、エリスを助けられるのは俺しかいない。
距離をとるなんて、悠長なことをしている場合じゃない。
なにがなんでも、俺はこの男を倒さなきゃいけないんだ。
もう一度、男と向き直る。
覚悟を決める。
さっきとは逆の腕で、男に殴りかかる。
狙うのは、また顎。
「はいはい、これで二本目だ」
さっきの再現。
男は馬鹿にしたように笑うと、俺の腕を捻じる力を強くする。
関節がミシミシと悲鳴を上げ、体全体が腕に引っ張られるような感覚。
――俺の後ろには、エリスがいる。
男の捻じる力に逆らうように、全力で腕に力を入れた。
ゴキン、と音がして、腕の突っ張る感覚が消える。
掴まれている腕以外が、フリーになった。
「なっ……!?」
自分から腕を折ったことに驚いたのか、男が目を見開く。
――俺はその間抜け面に、最初に折られた右腕を、全力で叩き込んだ。
折られたぐらいなんだ。
俺は、治癒魔法が使える。
この程度、怪我のうちには入らない。
「てめぇ、その腕……治癒魔法使いかよ。でもな、パンチってのこうやって撃つんだよ!!」
気づくと、俺の腹部に拳がめり込んでいた。
……駄目だ。
俺のパンチが、全然効いてない。
自分の身体の中から、嫌な水音がした。
胃の中に入っていたものが、喉まで上がってくる。
膝がぐらつき、一瞬、男の方に倒れこみそうになる。
「っ――!」
くぐもった、エリスの悲鳴が聞こえた。
「エクスヒール」
治癒魔法を発動する。
――負けるわけにはいかない。
治癒魔法で戻ってきた力を振り絞り、男の頭を掴む。
その頭に、自分の頭を叩きつけた。
痛みに少しふらつくが、それは男の方も同じだ。
「がぁっ……て、てめぇ、調子乗ってんじゃねぇぞ!」
男は頭を軽く振ると、拳を振りかぶる。
おそらく、反撃されるとは思っていなかったんだろう。
……怒りで攻撃が大振りになっている。
これなら、俺でもわかる。
顔に、右ストレート。
それがあいつの狙いだ。
回避運動はとれない。
俺も……同じことを考えていたからだ。
でも、避ける必要なんてない。
こっちも、全力のストレートを叩き込む。
――俺の拳が男の顎に直撃し、男の拳が俺の顎を砕いた。
「エクスヒール」
治癒魔法を発動する。
男が下を向き、ぐらりとよろけているのが見えた。
今だ。
加減なんてしていられない。
俺はアイテムボックスからメイスを取り出し、男の頭をめがけて、全力でそれを振り下ろす。
――これで、終わりだ。
「う、おおおおおおお!!!」
「くそが、くそがあああああああ!!」
けれど、メイスが男に直撃する寸前、男に腕を掴まれた。
そのまま、腕を握りつぶされる。
「あ、あああっ!」
そのまま腕を捻りあげられ、顔面に膝を入れられた。
膝が、顔面にめり込んでくる。
鼻の骨が折れ、それより深くに膝が入ってくるような感覚。
反射的に、治癒魔法を発動する。
「っぶねぇ……!」
……今のは危なかった。
一瞬、意識が飛び掛けた。
「チッ……調子に乗りやがって……ん? 良いもん持ってんじゃねぇか」
男が、地面から何かを拾う。
……あれは、俺が今取り落とした、金属製のメイス。
やばい。
即座に頭を庇うと、そこにメイスが振り下ろされる。
骨の砕ける音が聞こえた。
「ほら、ほらほらほらどうしたぁ!? 治してみろよ! いつまで魔力が持つか、見ててやるからよぉ!」
二度、三度と、同じところにメイスが何度も振り下ろされる。
治癒魔法で腕を治しても、即座に次の一撃、次の一撃が飛んでくる。
途絶えることの無い、激痛。
「っ、っ――!」
背後から、悲鳴が聞こえた。
猿轡をされたままの、エリスの声だ。
――激痛に折れそうになった心を、立て直す。
殴られる度に、治癒魔法で腕を治していく。
「まだ、終わりじゃねぇぞ!」
腕だけでなく、肩、胴体、足。
メイスの殴打が止まらない。
一撃一撃に、痛みで意識が飛びそうになる。
でも、頭に直撃だけはしないように、両腕でメイスから頭を守り続ける。
俺の足元に、血溜まりができ始めた。
おそらく、もう出血の量は相当ならものだろう。
エリスから見た自分がどうなっているのか、想像もしたくない。
メイスの連打が続く。
まだ、続く。
「っ……ふー……」
しばらくして、息を切らした男がメイスを肩に担ぎ直した。
……最後にメイスを貰った腕に、感覚がない。
見てみると、真っ赤に染まった腕の中から、骨が飛び出しているのが見えた。
……これは開放骨折というやつだろうか。
意識すると、腕に焼けるような痛みが走る。
――でも、背後から。
エリスが何か、言葉にならないような声で、必死に俺に何かを伝えようとしているのが聞こえた。
「エクスヒール」
――まだ、戦える。
立ち上がる。
そして、もう一度男に向き直る。
けれど、男の方は俺が立ち上がるとは思っていなかったようだ。
再び拳を構える俺を見て、明らかに狼狽している。
……まぁ、こんな重傷を何度も何度も治して魔力が尽きないのは、俺ぐらいしかいないだろう。
「……お、お前……どうなってんだよ! ど、どうして立ち上がれるんだよ!」
「……治癒魔法だけは、得意なんでな」
俺が答えたのを聞いているのかいないのか、男は叫びながらメイスを振るってくる。
動揺からなのか、さっきよりも大振りで狙いがわかりやすい。
狙いは俺の腹部。
胴体なら構わない。
回避運動はとらない。
俺はメイスが直撃する前に、男の顔面に右拳を叩き込んだ。
直後、メイスが直撃し、あばらが何本も折れる音。
「エクスヒール」
せり上がってきた血が口から溢れるが、傷自体はもう治っている。
再び立ち上がり、拳を握る。
……気づけば、バルダスと呼ばれた男の足元がふらついていた。
どうやら、カウンター気味の今の一撃は効いたらしい。
それに、どうやらあいつは神官のくせに治癒魔法が使えないようだ。
「くそっ、くそっ、くそがああああああ!」
男が、無闇やたらにメイスを振るう。
頭に直撃するものだけを腕で庇って、男の顔面に再び拳を叩き込む。
そして、治療。
それを、繰り返していく。
……いや、このやり方は効率が悪いな。
そうだ、何も律儀に攻撃を受けてから治す必要なんてない。
俺は治癒魔法を発動する。
連続して、発動し続ける。
「エクスヒール、エクスヒール、エクスヒール、エクスヒール、エクスヒール、エクスヒール、エクスヒール」
俺の全身が、緑色の柔らかい光に包まれる。
治癒魔法を発動しながら、男に向かって近づいていく。
男が振るったメイスが腕に直撃した。
――折れた骨が、即座に再生する。
男の蹴りが、俺の胴体を撃ち据えた。
――痛みが、一瞬で消えていく。
「なんだよ……なんなんだよお前ぇ! なんで、なんで死なねぇんだよぉ!!」
男が、どこか怯えたような顔で後ずさりする。
――後ろから、エリスが呻く声が聞こえた。
この声、もしかしたら泣いているのかもしれない。
ここで俺が負ければ、エリスの末路は確定してしまう。
俺には、絶対に負けられない理由がある。
固く、固く拳を握りしめる。
「ク、クソがぁっ! こ、この俺が、こんなやつに負けるわけがねぇんだよおおおおおおおお!」
一歩男に向かって踏み込むと、男は狂乱したようにメイスで殴りかかってきた。
けれど、動揺のせいか腰が入っていない。
……これなら、まだ俺の拳の方がマシだろう。
――俺の肩に、男のメイスが直撃する。
けれど……もう治療された。
構わずに、男に向かって一歩を踏み込む。
「どう、なってんだよ……」
男が信じられないようなものを見る目で、俺を見た。
男の手からメイスが零れ、大きな音を立てる。
――固く握り締めた拳を振りかぶる。
俺には、戦いの経験なんて数える程しかない。
単純な強さなら、この男の方が何倍も上だろう。
誰もいない路地裏でこいつと喧嘩なんてことになれば、俺は一目散に逃げていたはずだ。
でも、今は違う。
俺の後ろには、エリスがいる。
渾身の力を込めて、男の顔面を撃ち抜いた。
ただの右ストレート。
……でも、ふらつき疲れきった男には、この拳だけで十分だったらしい。
男はそのまま後方に吹き飛んで、石の壁に後頭部を強く打ちつけた。
次の更新は三日後ぐらいです。




