帰還。
逃げだしたい。
「こんにちは、お兄さん」
ユエルのいる部屋から逃げ出して、治療院のドアを開けるとそこには笑顔のアリアがいた。
「や、やぁ、アリア。数日ぶりだな……」
「はい、あれからすごく忙しくて。お姉ちゃんに会いに来る暇も無かったんですよ」
「そ、そうか。それは大変だったな」
いつか必ず来ると思っていた。
何しに、なんて決まっている。
ミスコン会場でルルカにキスされていたことを、問い詰めにだ。
アリアはルルカのことを浮気相手呼ばわりしていた。
これからの展開は、もうわかりきっている。
前にも似たようなことがあったし。
俺はこれから、アリアに浮気だなんだと問い詰められるのだろう。
俺の言い訳の仕方によっては「ハーレムをつくりたいなんて言いだすような不誠実な人と、私の大切なお姉ちゃんを一緒に置いておけません!」とか言ってくるかもしれない。
ド正論だ。
……でも、ド正論ではあるんだけれど、もしアリアにそう言われたら俺は「それは違う」と答えるだろう。
前提としてのハーレムというのは、目の前に「揉んでいいよ(はーと)」とおっぱいをぶら下げられれば間違いなく揉んで浮気してしまう俺のような人間にとって、ある意味での誠実さだ。
俺がハーレムにこだわるのは、自分の性格を誰よりもわかっているからなのだ。
一夫一妻なら浮気でも、最初からハーレムなら浮気じゃない。
俺は女の子を悲しませたくはない。
できれば、裏切るようなこともしたくない。
だから、エリスやルルカの好感度を上げていき「もうハーレムでも良いから結婚して! あと抱いて!」という方向に持っていきたいのである。
現実的にできるかどうかについてはまだ考えていない。
これから可能性を模索する予定だ。
……でも、アリアにそんな屁理屈は通用しない。
アリアはエリスのことがそれはもう大好きだ。
「そもそも大切なお姉ちゃんを、貴方みたいな理性の弱い人のそばには置いておけません。お姉ちゃんには私がイケメンで誠実な騎士を紹介します!」とか言ってもおかしくない。
やめて。
イケメン騎士をエリスに紹介するのだけはやめて。
マジでやめて。
「……お兄さん、変な顔をしていったいどうしたんですか? ……私の顔になにかついてます?」
いやだって、イケメン騎士とか、イケメン王子様の次ぐらいに女性が憧れちゃうやつだろうし。
幼い奴隷の少女を連れまわすセクハラ治癒魔法使いと、街を守る誠実なイケメン騎士なんて比べちゃいけない。
絶対にいけない。
……いや、あれ?
ちょっと待て。
「アリア……今、俺のことをお兄さんって呼んだか?」
「はい。お兄さんはお兄さんですから。それともお兄ちゃんの方が良かったですか?」
「い、いや、そういうことじゃなくてな」
アリアが唐突に兄フェチに目覚めたとかでなければ、この唐突なお兄さん呼ばわりは間違いなくお義兄さんという意味だろう。
その呼称はつまり、まだアリアが俺とエリスにくっついて欲しいと思っているということだ。
……俺を問い詰めに来たわけじゃないんだろうか。
エリスから俺を引き離しに来たわけじゃないんだろうか。
疑問を持ちながらアリアを見ると、アリアは治療院の奥を覗き込むようにしながら聞いてくる。
「そういえば、お姉ちゃんは今いますか?」
「あ、あぁ、奥で昼飯作ってるよ」
「そうですか」
アリアはそれだけ聞くと、視線を戻す。
それからスゥッと息を吸うと、俺に見せつけるような深いため息を吐く。
そして、しぶしぶといった雰囲気で口を開いた。
「お姉ちゃんが居ない今のうちに言っておきますね、大事なことなので。……私、あのミスコンの時のお姉ちゃんの反応を見て確信しました。お姉ちゃんはシキさんのことが好きです。間違いないです」
「……マジで?」
いきなり何を言うかと思えば。
いや、でも、貴重な意見だ。
……俺には、エリスが俺のことをどういう風に思っているのかは、よくわからない。
俺は一度、治療院を追い出されている。
エリスは結構義理堅い性格をしているし、今一緒に住んでいるのも「治療院を買い戻してくれたから仕方なく」という可能性が捨てきれないのだ。
エリスが俺のことを「同棲している特別で素敵な男性」と思っている場合もあれば、もしかしたら「義理で住まわせているセクハラ男」かもしれない。
「少女の奴隷を買うロリコン」の可能性もある。
「本当です。お姉ちゃんの性格を誰よりも知っている、妹のこの私が保証します」
しかし、アリアが言うには、俺は好かれているらしい。
俺自身も、今ならそこまで嫌われてはいないだろうとは思っていたけれど。
でも、エリスに恋愛感情の方で好かれているかと言うと、なかなか疑わしい。
セクハラしたら怒るし。
「いや、でもなアリア、俺は一度エリスに追い出されてるし、流石にそんなことはないんじゃないか?」
「私、ちょっと前に、お姉ちゃんからシキさんを一度追い出したっていうこととか、借金のこととか、ちゃんと聞いたんですよ」
聞いたのか。
聞いてしまったのか。
俺がセクハラして追い出された話を、聞いてしまったのか。
構図で言えば、セクハラ被害者エリスから話を聞いた警察官候補生アリアが、犯人である俺の目の前にいる。
アリアは家庭の話をしているだけでそのつもりは無いんだろうが、構図だけで言えば最悪の構図だ。
いつ俺の両手に手錠がかけられてもおかしくない。
が、そんな俺の内心も知らず、
「シキさんを追い出したのは、まず第一にお姉ちゃんが借金のことをシキさんに知られたくなかったからだと思います。ほとんど治療院と同額ぐらいの大金だったみたいですし、お姉ちゃんは心配や迷惑をかけたくなかったんですよ。だからシキさんのことが嫌いだったとか、そういうのじゃきっとないんです」
少し目線を伏せながら、そう言うアリア。
その借金に対して、引け目があるんだろう。
元はアリアの騎士学校の学費だし。
呼び方も、いつの間にか素のシキさんに戻っている。
しかしなるほど。
確かにそれはありそうだ。
俺もそうなのかもしれないな、とは思っていた。
……でも、それもあるんだろうけど、一番の理由は多分違う。
「でもなぁ、俺が追い出された前の日のエリスの怒りようといったら無かったぞ? 絶対アレが原因だと思うんだよなぁ」
「アレ? アレってなんですか?」
「もう聞いてるんだろ? エリスにセクハラしたことだよ」
「セッ!? セ、セセ、セクハラぁ!? シキさん、お、お姉ちゃんにいったい何してくれてるんですかっ!?」
俺の返答が予想外だったのか、アリアが素っ頓狂な声を出す。
あ、あれ?
聞いてたんじゃないの?
だって、話は聞いたってさっき……。
……いや、セクハラのことだけは聞いていなかったのか。
エリス、セクハラ関係は省いて伝えたんだな……。
既に聞いていると思って言ってしまった。
まぁ冷静になれば、妹にそんなこと言うわけないか。
エリスならなおさらだ。
アリアはかなり動揺しているようで「ちょ、ちょっと待ってください」と俺を制して、なにやら下を向いてブツブツと呟き始める。
これはやばい。
本気で逮捕コースが見えてきた。
何か言おう。
何かを言って誤魔化そう。
「ま、まぁそのことは置いておくとしてもな! エリスがセクハラで怒るってことは、俺に恋愛感情が無いってことだろ?」
そして、俺が続けてこう言うと、
――アリアが、ガバッと顔を上げた。
アリアは何を言っているかわからないとばかりに眉を寄せ、俺の目を覗き込む。
「はぁ?」って感じの顔だ。
いや、「はああああああっ!?」って感じかもしれない。
「……あの、シキさん……無いとは思いますけど……もしかして、恋人ならいつでもどこでも女の子にエッチなことをしていいとか、そんなことは考えていませんよね?」
アリアが、さっきまで俺のことをお兄さんと呼んでいたとは思えないほど、凄くドン引いた目をしている。
これだから童貞は、とでも言いたそうな目だ。
信じられないような馬鹿を見る目だ。
この目はやばい。
……俺は空気が読める男。
こういう時、どうすればいいかはわかっている。
「ばっ、ばっかお前、そ、そんなわけないだろ!? じょ、冗談だよ冗談! 真に受けるなって!」
とりあえず、誤魔化しておく。
でも……駄目だったのか。
女の子は、好きな相手からでもセクハラされると怒るのか。
恋人同士なら、いつでもおっぱいを揉んで良いというわけじゃないのか。
初めて知った。
「……ま、まぁお姉ちゃんがそういうところも含めてシキさんのことを好きだっていうなら、私は応援しますけど……お、応援、しますけどね……」
複雑な顔で頭を抱えるアリア。
なにやら葛藤しているようだ。
やはり、さっきの発言はまずかったらしい。
多分、アリアの中では今、俺の株が直角急降下している。
「んんっ……そういえば時間が無いんでした。話を戻しますね」
けれど、アリアはすぐに頭を振って、俺を見る。
なかなか切り替えが早い。
「お姉ちゃんはシキさんのことが好きです。ここは私の見立てでは間違いないです。シキさんはセクハラが原因で追い出されたって言いますけど、おそらくそれはシキさんがちゃんと段取りをとらなかったからです」
「段取り?」
「お姉ちゃんは、キスですら結婚してからとか考えてますからね。……追い出された時は、どうせシキさんが口説きもせずに押し倒したりしたんじゃないですか?」
「ち、近いことはしたかもな……」
風呂に入っているエリスを覗いていたら高ぶりすぎて、そのまま偶然を装い全裸のエリスを押し倒して胸を揉みました。
最初は覗くだけのつもりだったんですが、エリスの身体つきがエロすぎて理性が吹き飛びました。
揉んだ後に理性が戻って謝りはしたけれど、流石にアレは今でもやりすぎたなと思っています。
とても反省しています。
だから、逮捕だけはどうか勘弁してください。
「ほらやっぱり! そんなの怒るに決まってるじゃないですか! シキさんが誠実に交際を申し込んで、結婚して、それから子作りしようっていうんならお姉ちゃんだって喜んで受け入れてくれますよ。お姉ちゃん、子供大好きですし」
ここでエリスもルルカも好きだから、俺はハーレムを作りたいと言ったらどうなるんだろうか。
……。
絶対言えない。
……というかナチュラルに姉との子作りを勧めないでほしい。
いや、勧めるのは全然構わないんだけれど、あまりそういう誘惑をかけられると、俺が都合良く捉えて本気にしてしまう可能性が無いでもない。
こういうことは失敗すると取り返しがつかない。
多分、治療院を追い出されたりする。
一度目はなんとか元に戻れたが、おそらく次は無いだろう。
「まぁとにかく、私は奥手なお姉ちゃんの恋が成就するように応援しています、ということです」
「だからお兄さんなんだな」
「はい。こういう小さな既成事実を積み重ねていくことも大切ですから。実際呼んでみたらちょっと違和感あったんで、たまーに呼ぶぐらいにしておきますけど」
既成事実というなら、ルルカにキスされた既成事実はアリアの中でどうなっているんだろう。
アリアも見ていたはずだけど。
……いや、アリアの中では俺がルルカにキスされていたことよりも、エリスがそれを見てどんな反応をしていたのかが大事なのかもしれない。
もちろん浮気だなんだという気持ちもあるだろうけれど、「エリスが」どう思っているか、それがアリアの最優先の行動原理ということだろう。
「……と、話し込んでしまいましたが、こんなことを話している場合じゃないんでした。シキさん、その、すぐにお姉ちゃんを呼んでもらえますか?」
「中にいるし、上がっていったらどうだ?」
「いえ、本当に時間が無いんで……その、急なんですが、聖女様の王都への帰還に、護衛として同行することになったんですよ。しかも、今すぐです。だから私、今日はお姉ちゃんにお別れの挨拶に来たんです」
今、なんて言った?
聖女が王都に帰る、そう言っただろうか。
しかも、今すぐに?
「お、王都に帰るのか?」
ルルカは、聖女がこの都市に来たのは目的があると言っていた。
でも、結局、俺には接触してこなかった。
それに、今すぐ王都に帰るという。
……これはつまり、俺はやはり聖女の目的とは無関係だったということだ。
「はい。ミスコンの時の……あの規模の襲撃がまたあれば、身の安全を確保できない。これ以上の滞在は危険だという聖女様の判断だと聞きました」
そういえば、あの聖女は護衛をそんなに多くは連れていなかった。
ミスコン会場にいたのは三、四人ぐらいだった気もする。
魔法も使っていたし、精鋭ではあるんだろうけれど。
でも、あの場にユエルがいなければ、ドラゴンはあのまま暴れ続け、石化のブレスによる被害もかなりのものになったはずだ。
また襲撃があるとしたら、戦力不足というのは否めないのだろう。
「でも、本当に急だな」
「私も、まだこの街に居たいんですけど……二日ぐらい前に、領主様がクランクハイトタートル事件の大規模な調査隊を街の外に出しまして。要人警護の人員が本当に足りていないみたいなんです。聖女様直々に護衛として指名されて、私、断れなくて」
拗ねたように言うアリア。
騎士の人手不足は深刻らしい。
まぁ、何度か騎士達が戦っている姿は見たが、エイトやゲイザーなんかと比べると比較にならない程に強かった。
その質を保とうとすると、どうしても数は少なくなってしまうものなのかもしれない。
「わかった、エリスを呼んでくるよ。ちょっと待ってろ」
……聖女が、この都市を去る。
なんだか、喉につかえた小骨が取れたような気分だ。
ずっともやもやしていたものが、これで晴れた。
もう少しアリアからエリスのことを聞きたいところではあるけれど、仕事ということなら仕方ない。
俺はエリスを呼ぶために、治療院の中に戻ることにした。
「悪いんだけど、火を見ていてもらっていいかしら。シチューが焦げつかないようにお願いね」
そうエリスに言われ、エリスと入れ替わりに調理台の前に立ち、鍋を見る。
アリアとエリスが話をしている間、どうやら俺が料理をしなくてはならないらしい。
「しかし……不便だな」
発火の魔道具、魔導コンロの前で微弱な魔力を注ぎ続け、火力を調整する。
この魔導コンロ。
ガスコンロのように一度カチッとやれば火がずっとついている、とかなら良いのだが、安物なせいか使用中はずっと魔力を供給し続けなければならない。
しかも、その込めた魔力によって火力が変わる。
これが地味に神経を使って、面倒くさい代物だ。
込めすぎると、まるで電気製品がショートしたように、煙を上げて壊れるし。
この世界に来たばかりの時、一度壊したこともある。
正直、このタイプの魔道具は膨大な魔力を持つ俺には合っていない。
この場にはユエルもいるが、ユエルは治癒魔法の練習をしたせいで魔力が残っていない。
ユエルに任せるということもできない。
……エリスとアリア、長話にならなければいいけど。
今は流石に壊しまではしないものの、やはり魔力の操作が下手なせいで、強火弱火が安定しない。
気を抜けばシチューが焦げる。
「ご主人様、何かお手伝いすることはありますか?」
と、そんなことを考えながら鍋を見ていると、ユエルが聞いてきた。
どうやらやることが無くて手持ち無沙汰なようだ。
「特にはないな。ユエルの好きなようにしていていいぞ」
「好きに、ですか?」
ユエルは迷ったように聞き返してくる。
まぁ、ご主人様が料理をしているのに、奴隷の自分がくつろいでいるのは駄目だとか考えているのかもしれない。
でも、もう既にユエルが手伝えるようなことは残っていないようだ。
そわそわキョロキョロと手伝うことを探しているユエルには悪いが、ここはじっとしていてもらおう。
――が、不意にユエルの表情が、何かを思いついたかのように明るくなった。
そして、おもむろに聖書を取り出すユエル。
……僅かな隙間の時間でも勉強を欠かさないユエルさん、偉い。
ユエルはそのまま聖書を読み始める。
一人で読めるんだろうか。
横目で観察してみる。
ユエルは聖書の挿絵が気に入ったのか、ぼーっと挿絵を眺め始めた。
あれは、俺が見ていたのと同じ。
三章のサキュバスと聖人の挿絵だ。
たっぷりとその挿絵を眺めた後、ゆっくりと本文を目で追っていくユエル。
けれど、だんだんと表情が曇っていく。
やはり、わからない言葉があるんだろう。
そして、一分と経たずにユエルの目の動きが完全に止まった。
ユエルが聖書から顔を上げる。
俺はその瞬間、目線をユエルから鍋に戻した。
「……」
そのまま決してユエルの方に目線を向けずに、ユエルの気配を感じとる。
……視線を感じる。
間違いなく、ユエルは俺を見ている。
おそらく、助けを求める子犬のような目で俺を見ている。
絶対に目が合ったら無視できない、そんな目でサキュバスが人類を淫乱にする話の詳しい解説を、俺に求めているような気がする。
鍋の火力を調節しながら、中身をかきまわす。
エリスとアリアの話がすぐに終わることを祈りつつ、俺はただ鍋だけを見ていた。
あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
次の更新は三日後ぐらいです。




