騎士。
フランとセラの治療をした翌日。
治療院の窓から外を眺めながら、俺はとあることについて考えていた。
この対応次第で、俺のこれからの人生が変わるかもしれない。
そんな重大な悩みについて、である。
「ユエルちゃん、クッキー焼いたんだけど、食べる?」
「......! ありがとうございます、エリスさん!」
治療院の中を見渡せば、三時のおやつにお菓子を作ったらしいエリスと、満面の笑みでそれを受け取って、俺の元に駆け寄ってくるユエルの姿がある。
一つつまむと、クッキーは口の中でホロっとほどけるようにして崩れた。
美味い。
しかし、これは悩みとは関係ない。
「ユエルちゃん、おいしい?」
「おいひいへふ!」
今日エリスが着ている修道服の胸周りのサイズが、微妙に合わなくなってきていることも。
それをもったいないからと着続けているエリスの胸元の張り具合が、とっても気になることも。
ユエルがクッキーを口一杯に頬張ってそれはもうおいしそうに、幸せそうにもぐもぐしていることも、俺の悩みとは関係ない。
俺の悩みは、ただ一つだ。
窓から見える、簡素な造りの治療院の門。
そこに半身を隠すようにしながら、鎧を着込んだ緑髪の女がこちらを覗いているのである。
見覚えの無い、知らない女が、だ。
ユエルもエリスも気づいていないあの女にどう対処するか、そのことに俺は頭を悩ませていた。
門に居る女が、ただの女なら良かった。
「なんだ、俺のファンか」で済んだ。
しかし、彼女の顔に見覚えは無いけれど、彼女の着ている鎧、あの鎧だけは見覚えがある。
時には街の門で警備をしている姿を。
時には暴れる犯罪者らしき人物を取り押さえる姿を。
街の外に魔物を討伐しに行くのか、隊列を作って門から出て行くところも見たことがある。
......あれは、この都市の騎士団の鎧だ。
なぜ、騎士団の人間が、こんな個人経営の治療院を覗いているのか。
それも、まるで監視をするかのように。
まず思いつくのは、あの女騎士がこの治療院に治療に来た、というパターン。
しかし、これは無い。
騎士団には、騎士団専属の治癒魔法使いが居るはずだ。
それも、ハイヒールを使える程度には優秀なのが。
俺もヒュージスライム乱獲以降、冒険者の間ではハイヒールが使える腕の良い治癒魔法使い、という感じに認識されてはいるけれど、エクスヒールを使っているところを見せたりはしていない。
エリス、ユエル、エイト達を除けば、俺はただのハイヒールが使える治癒魔法使いにしか見られていないはずだ。
奴隷市場ではエクスヒールが使えると言ったこともあるけれど、あれはろくに信じてすらもらえなかったし。
そして、同じ程度の実力の治癒魔法、身内の治癒魔法使いのところで無料でやってもらうことを選ぶはず。
それにそもそも、門の所からこっちを覗いているだけで、治療院に入ってすらこない。
治療院に来ているのに、あの女騎士の目的は治療では無い。
つまりこれは、客としてではなく騎士として、仕事を果たしに来たと考えるべきだろう。
そう、犯罪者の捕縛。
騎士が街の中でする仕事といえば、これである。
誰を捕縛しに来たのか。
考えるまでもない。
俺だ。
エリスもユエルも簡単に犯罪を犯すようなタイプじゃない。
法と命を天秤にかけなければならないような切迫した状況なら別かもしれないが、普段の日常生活の中でそうそう犯罪じみた真似をしたりはしない。
けれど、俺はどうだろう。
俺はセクハラが原因で治療院を追い出されるような人間である。
清純なシスターの風呂を覗いたこともあれば、酒場のウェイトレスの尻を撫でたこともある。
知り合いの冒険者の胸を揉んだこともあれば、スカートをめくったこともある。
記憶に残らないような細かいことまで合わせれば、似たようなことを今まで何件もやっている。
......誰か一人ぐらい、通報していたっておかしくはない。
いや、でも、流石にそんなことで騎士がわざわざ捕縛に来るとは考えにくい。
まだ厳重注意レベルだろう、多分。
しかし、それに加えて、俺は金を稼ごうとして、違法な賭博場に足を運んでみたりしたこともある。
あのときは、一応顔を隠していたが。
心当たりは無いわけでもない。
というか、それぐらいしか騎士が治療院の前で張り込んでいる理由が思いつかない。
いや、まだエリスの個人的な知り合いという線が残っていたか。
俺のストーカーという可能性もゼロじゃない、ゼロではない。
本当に騎士が俺を捕まえようとしているならどうせ逃げられないだろうし、ポジティブに行こう。
と、そんなことを考えていると、門の前に居た女騎士が動き始めた。
女騎士はブンブンと頭を振って、グッとガッツポーズを作ると、決意を秘めたような顔付きで、門の内側へと歩みを進める。
そして、女騎士によって治療院の入り口の扉が開かれた。
俺、ユエル、エリスの視線がその女騎士に集中するのも構わずに、彼女は口を開き――
「め、メルハーチュ騎士団所属、マリエッタと申しみゃす! 本日はこ、こちらに優秀な治癒魔法使いがいるとうきゃがってまいりまひた!」
噛んだ。
「あの、粗茶ですが」
「あ、その、お、お構いなく」
自己紹介を噛んで慌てふためいていた女騎士をとりあえず椅子に座らせ、お茶を出すエリス。
エリスはなぜ騎士なんかが治療院にやってきたのかと怪訝そうにしながらも、俺の方にチラチラと視線を送っている。
どうやらエリスの知り合いでは無かったようだ。
この女騎士、マリエッタも俺のことは知らないようだし、ストーカーという線もなさそうだ。
無いとは思っていたけれど。
「な、なぁ、マリエッタ......さんは、なんでずっと治療院の外からこっちを見てたりしたんだ?」
「え、えっと、すみません。私、人見知りが激しくて。知らないところに入るとなるとタイミングがなかなか......あ、あの、それと、呼び捨てにしていただいて構いませんので」
......。
なるほど。
彼女、騎士団のマリエッタさんは、どうやら治療院を見張っていたわけではなく、治療院に入るタイミングを窺っていただけだったようだ。
なんて紛らわしい。
「それで、騎士さんがこの治療院に何の用なの? 治療に来たわけじゃ、ないのよね?」
エリスが言う。
確かに彼女の身体を上から下まで見ても、怪我らしきものは見当たらない。
しかし俺を捕縛しに来た、というわけでもなさそうだ。
マリエッタから、これから犯罪者を捕らえよう、といったような緊張感は感じられない。
態度も下手な感じだし、おどおどしている。
なんだか雑用を押し付けられた気の弱い女の子って感じだ。
「ええっと、こちらにシキさんという治癒魔法使いが居る、と聞いて来たんですが......」
おずおずと、俺の方を見ながらマリエッタが言う。
「俺か?」
「は、はい。えっと、何から話せば良いか......あっ、最近この都市の周辺で魔物がよく見られるようになった、というのはご存知ですか?」
「あぁ」
前にルルカが話していたアレだろう。
そういえば、あの討伐依頼は騎士団から出されていたんだったか。
「えっと、今朝方、この度の魔物の増加の原因が判明したんです。それで、その解決のため、出来るだけ有能な治癒魔法使いを急いで集めて来いとの団長の指示がありまして。あの、その、冒険者ギルドで提供していただいた情報によれば、いつも幼い少女を連れ回している幼女趣味ではあるものの、シキさんは複数回のハイヒールの使用も可能な優秀な治癒魔法使いだとか。......魔力、かなり多いんですよね?」
恐る恐る、という感じでそう言うマリエッタ。
確証は無さそうな雰囲気だ。
多分、噂程度の話を辿って来たんだろう。
一緒に根も葉もない酷い噂も聞いてきたようだが。
エリスの視線が少し痛い。
しかし、それでわざわざ治療院まで来るということは、なんだか理由がありそうだ。
「んんっ......あー、確かに魔力は人より少し多いけど......でも騎士団にだって、治癒魔法使いは居るだろ? ハイヒールぐらいは使える優秀なのが。なんだって今更治癒魔法使いを集めるんだ? あと、ロリコンじゃないからな?」
「え? えっと、はい。あの、今回の魔物の増加の原因となった魔物が......クランクハイトタートルと呼ばれる、ちょっと特殊な魔物なんです。この魔物は大きな亀の魔物で、獲物を発見すると周囲数十メートル、個体によっては百メートル以上に特殊な毒霧を発生させて、獲物を弱らせるという厄介な特性がありまして。えっと、この毒霧に対処するには、定期的にヒールを使って、症状の発生を抑える必要があるんですが、現状の騎士団の人員だけでは治療が追いつかないだろう、というのが団長の判断でして」
クランクハイトタートル。
名前は初めて聞いたけれど、厄介そうな魔物だ。
ゲームで言えば範囲毒攻撃をしてくるボスモンスターという感じなんだろうか。
魔物の増加の原因、とも言っていたし、多分こいつが街に近づいてきたせいで、他の魔物が森から逃げてきたとか、そんな感じなんだろう。
「もし間違って街にでも来たら大変そうね。あっ、でも、それならお客さんも......っ! いいえ、なんでもないわ」
マリエッタの言葉に、エリスは何かを思いついたかのように目を見開いたが、即座に自分を責めるように首を激しくブンブンと振っていた。
治療院に客が増える想像でもしたのだろうか。
......つい最近まで金銭的な苦労をしていたせいかもしれない。
そしてそのまま葛藤するエリスを見ていると――
――唐突に、エリスの胸元のボタンが一つ、ぱつんと音を立てて弾け飛んだ。
緩やかな放物線を描くボタン。
一つボタンが外れて、わずかに開く胸元。
頭を抱えて、身を捩ったりしながら罪悪感と戦っているエリス本人は気づいていない。
刹那の瞬間に、服と服の間に生まれたデルタ地帯に視線が吸い寄せられそうになるが、ふと、そんな視界にユエルが映った。
ユエルは飛ぶボタンを見つめながら......あんぐりと口を開いて、自分の胸のあたりをスカスカと触りながら、呆然としていた。
そして、一瞬だけ、ユエルと目が合う。
そんな目で見ないで欲しい。
流石に駄目だ。
いくらなんでも無理だ。
慰めきれない。
......見なかったことにしよう。
何も見なかったことにして、話を戻そう。
「や、厄介そうな魔物だな?」
「えっ? あっ、えっと、そうですね。クランクハイトタートルの毒は遅効性ですが、とても強力です。も、もし街にクランクハイトタートルが来るようなことになれば、治療が追いつかずに街には甚大な被害が出るでしょう。クランクハイトタートルは足も遅いですし、まだ森の奥にいるようなので、その点は心配する必要はありませんけど」
マリエッタは、エリスの胸元に一瞬視線を向けながらも、話を続ける。
空気の読める良い子だ。
エリスの服の隙間は、ユエルが落ち着いてから、じっくりとチラ見しよう。
「森の奥に居るのに、討伐に行くって、ちゃんと場所はわかってるのか?」
「え、えぇ、今朝早くのことなんですが、森に入ったらパーティーメンバーが変な病気になったから治療費を報酬とは別に経費で欲しい、なんて言う冒険者がやってきまして。彼女達はクランクハイトタートルの毒霧を僅かに浴びたようなので、彼女達が毒霧を浴びたという場所に行けばそう遠くない場所に居るでしょうから」
なんだか聞き覚えがあるような話だ。
ルルカだろうか。
その図々しさはルルカな気がする。
多分ルルカだ。
そうか、ルルカたちのあの発熱はそのクランクハイトタートルとかいう魔物が原因か。
毒霧を僅かに浴びて、遅効性のクランクハイトタートルの毒でああなったということか。
ルルカだけは森から帰ってきてすぐに俺のところで治癒魔法をかけてもらっていたから、遅効性の毒が発症しなかった、と。
そんなことを勝手に納得していると、マリエッタが居住まいを正して口を開いた。
「クランクハイトタートルの移動速度は決して早くはありませんが、時間をかけすぎれば広い森の中、見失ってしまう可能性もあります。毒霧の対策のため、安全な討伐のため、優秀な治癒魔法使いであるシキさんには、是非同行して欲しいんです」
そして、真摯な表情で俺にこう告げた後――
「...........あと、あの......胸のボタン、取れましたよ? その、すごいですね」
エリスに向けて、こう言った。
顔を赤くしてその豊満な胸を隠すエリスを、ユエルは呆然と見つめていた。




