迷宮に潜る。
宿で朝食を摂り、そして物足りなそうなユエルを連れて酒場でもう一度朝食を摂った後、迷宮に向かう。
ユエルは本当によく食べる。
これで残り五百ゼニーと少し。
今日迷宮で稼げなかったらかなり不味い。
一日持たないだろう。
やばい。
もしも儲からなかったらユエルを売るしかなくなるかもしれない。
風呂に入れたユエルは見違えるように綺麗になった。
腰のあたりまで伸びる、くすんだ灰色の髪はダークエルフ特有のつやのある銀髪に。
食事をしたばかりのせいか、血色もいくらかマシになり、唇は女の子らしい朱色に染まっている。
傷が治り、薄汚れた感じの無くなったユエルはまさに美少女と言っていいだろう。
今なら愛玩用としての需要もあるだろうし、奴隷商に売り直せば百万ゼニーは堅そうだ。
少し痩せてはいるし、子供ではあるものの、それを差し引いて余りある商品価値があると思う。
――あ、これ売った方が良いんじゃないだろうか。
百万ゼニーといったら風呂無しの宿であれば三食付きでざっと千二百五十日暮らせる計算だ。
ユエルはまだ子供で俺の趣味ではないし、昨日買ったばかりで思い入れも薄い。
売るなら今しかないだろう。
それにユエルを売った金で他の男のスキル持ちでも複数買って、アガリだけで生活するのも良いかもしれない。
チラリ、と俺の斜め後ろを歩くユエルを見る
ニコニコと、それはもうニコニコと幸せそうにこちらを見ているユエルと目が合う。
ニコッ。
俺と目が合って、嬉しそうに表情を輝かせるユエル。
俺にはできない。
一体どうしてこんな笑顔を浮かべる少女を絶望に叩き落すことができるというのか。
まるで幼児が親に向けるような、そんな純粋な笑顔だ。
さっきまで気軽に売ろうかな、なんて考えていた自分を、良心が激しく糾弾している。
この笑顔は耐えられない。
強い罪悪感。
目を合わせているだけでなんだか自分が恥ずかしくなってくる。
罪悪感に苛まれていると、迷宮都市の中心、迷宮に辿り着いた。
この街で迷宮というとこの迷宮だけで、特別名前は無い。
呼ぶとしたらそのままメルハーツの迷宮だろうか。
この「迷宮」というのはまさにゲームに出てくるダンジョンそのものだ。
メルハーツの迷宮には百以上の階層があり、それぞれの階層を魔物がうろついている。
魔物は、一階層から先へ進むたびに、強く、そして多様化していく。
魔物を倒すとその場に魔石と、素材が「ドロップ」する。
魔物が死ぬとすぐさま死体は消え去り、魔石が、そしてたまに素材が残るのだ。
随分便利なものだ、とも思うけれど、これは迷宮は神が与えた試練だとか、迷宮は実は生物で多くの餌を呼ぶために便利になっている、とか諸説あるが実際に何故なのかはわかっていないらしい。
ちなみに魔石は魔道具の素材だとか、魔法の触媒だとか、色々な用途があるという話だ。
それ以外にもレアドロップやら宝箱やら、一攫千金を狙えるような機会もあるという話をよく聞く。
まぁ知っておくべきことは、魔物を倒せばお金が手に入る。
深く潜れば潜る程、魔石と素材の質が良くなり沢山のお金が手にはいる。
宝箱は全力で探す。
これだけだ。
目の前にある迷宮、というか大きな箱形の建造物には、朝だというのにそこそこ人が居た。
あれがこの街の冒険者ギルドであり、そしてその内部に迷宮への入口がある。
中に入るとまるで市役所のように受付が並び、それぞれ新規受付、魔石買取、素材買取等の窓口がズラリと並んでいた。
まず新規受付カウンターに向かい、冒険者登録をする。
とは言っても登録用紙に名前を書いて簡単な注意を受け、「とある腕輪」を借りるだけだった。
注意というのは、魔石は必ず冒険者ギルドに売ること、他の冒険者と喧嘩しないこと、最後に死なないように気をつけて、という程度の話である。
そして、腕輪。
この腕輪には「アイテムボックスの魔法」「殺人を感知する魔法」そして「迷宮内部の魔力に反応し、外せなくなる魔法」がかけられている。
アイテムボックスは、その名の通り物をしまう事ができる魔法で、魔石や素材を集めながら戦闘する冒険者には必須の魔法であるとも言える。
殺人感知の魔法は、迷宮の内部で冒険者が殺人を犯した時に反応する魔法で、これが無かった時代は迷宮内部での待ち伏せ強盗や殺人なんかが頻発していたらしい。
そしてこの腕輪は迷宮入口で着用することを義務付けられており、迷宮の内部では決して外すことができなくなる。
この腕輪は冒険者の象徴であり、便利なアイテムボックスであり、冒険者を律する首輪でもあるのだ。
「ご主人様、楽しみですね!」
腕輪をはめたユエルが満面の笑みで言う。
そわそわ、わくわく、といった気持ちが伝わってくるような笑顔だ。
なんだろう、この感じ。
何処かで見たことがあるような気がする。
あぁアレだ。
遊園地の前で親の手を引きながら「はやくはやくー!」なんて言っている子供の雰囲気に似ている。
これから行くのは凶悪な魔物蔓延る迷宮なんですけど。
下手したら死ぬ危険性もある場所なんですけど。
それを楽しみだと言えるユエルは余程腕に自信があるのか。
それとも優しい優しいご主人様が危険な場所に私を連れて行くはずがない、とでも思っているのか。
それだとしたらかなり罪悪感が。
そろそろ俺のメンタルが耐えきれなくなりそうだ。
生活がかかってるからどちらにしろ連れて行くんだけど。
余程腕に自信があったらしい。
地面スレスレまで身体を前傾させ、ナイフを両手に迷宮を疾走するユエル。
向かう先にはメルハーツの迷宮三階層の魔物、ゴブリンが二匹。
ゴブリンは人間の子供と同じぐらいの大きさをした魔物で、小柄な体躯の割に筋力が強く、大人でも複数を相手取るには危険な魔物だ。
ユエルは迎撃しようとするゴブリンの棍棒を軽々と躱し、すり抜けざまに腕を撫でるように斬りつける。
ゴブリンが手から棍棒を取り落とす。
どうやら腕の内側、腱を切ったようだ。
もう一匹のゴブリンの攻撃も走り抜けながら上半身の捻りで回避。
ゴブリン達の背後に回ったユエルは、無傷な方、俺から見て右のゴブリンの首を狙う。
流石に短いナイフで首を両断、とは行かないが、背後からの一撃で綺麗に動脈を切り裂くユエル。
血を噴き出し、目から光を失って倒れこむゴブリンにはもう目もくれず、先程腕を切りつけた方のゴブリンに向き直り正面から眼球にナイフを突き刺す。
えぐい。
ナイフが脳に達したのか、ガクリと崩れ落ちるゴブリン。
「ゴブリンも瞬殺か......」
ユエル、十二歳。
そういえばユエルの年齢は見た目通り十二歳らしい。
ダークエルフなんていうから見た目は子供、でも実は数百歳でした! なんて可能性も考えてはいたけれど、寿命の長いと言われるエルフやダークエルフでも十五歳ぐらいまでは人間と同じように成長する、とのことだ。
そんなユエルさん十二歳。
すごい、つよい。
子供の動きじゃない。
回避ひとつ、攻撃ひとつとってもキレッキレである。
一階層のファングラビット、二階層のソルトパペットなんて敵にもならないと瞬殺して回り、そして三階層のゴブリンさえも相手にしない。
しかもこれで体調が万全じゃない、というのだから底が知れない。
すごい。
ゴブリンの死体が光の粒に変化し、空気中に溶けるように消えていく。
「ご主人様! どうでしたか?」
ゴブリンの魔石とドロップの棍棒を拾ったユエルが、褒めて褒めてと言わんばかりに駆け寄ってくる。
エルフの耳がピコピコと揺れ、期待に満ちた上目遣いでこちらを見つめてくる。
待てを命令されて、ご褒美が欲しくてたまらない犬みたいな雰囲気だ。
これは撫でるしかないだろう。
「よーしよしよし、ユエルは凄いなぁ」
なでなでと銀髪の髪を撫でつつ言うと、ユエルは幸せそうにはにかんだ。
なんだか癒される。
やはりユエルはかなりの掘り出し物だった。
正直、一階層のファングラビット、最弱クラスの魔物に負けない実力があればいいという程度の期待しかしていなかった。
まだ子供だし。
ファングラビットは、鋭い牙を持つ兎型の魔物で、ドロップは兎の肉を落とす。
この迷宮では最も弱く、普通の兎と同程度の大きさしかない。
喉に噛みつかれでもしない限りは致命傷を受けるようなことはほとんど無い魔物ではあるが、動きが素早く攻撃を当てるのは中々難しい。
しかしユエルは飛びかかってくるファングラビットに顎の下から正確にナイフを突き入れた。
全ての戦闘でファングラビットを一撃確殺。
そして一階層を無傷で突破した。
二階層のソルトパペットは塩の身体をした人型の魔物で、ドロップは塩塊である。
こいつは動きは遅く、力もそこまで強くない。ただ急所らしい急所が無いためタフな魔物だ。
流石にユエルもこいつには時間がかかるだろうと思って眺めていると、ソルトパペットが腕を一振りする内にユエルは両手のナイフを五回は振っていた。
ユエルは某ハンティングゲームの双剣ばりに、それはもうザックザクとソルトパペットを削っていき結局一回の戦闘に二十秒もかからなかった。
そんなこんなで二階層も無傷で突破。
そして今度は三階層、ゴブリンである。
ゴブリンは力が強く、ソルトパペットよりも素早い。
しかも棍棒やナイフなんかの武器を持っていることがある。
今までの魔物と違い、一対一でも下手をしたら死ぬ可能性のある魔物だ。
しかしそれも先程無傷で撃破、しかも二体同時に。
問題があるとすれば俺が何もしていないことぐらい。
ユエルは怪我をしない。
いや、怪我をしてほしいという訳じゃないんだけど、俺は迷宮に入ってから一度も治癒魔法を使っていない。
俺の存在価値が無い。
そして戦闘だけじゃなく、魔物の探索をしているのも周囲の警戒をしているのもユエルである。
ダークエルフは獣人程では無いが、そこそこ気配に敏感らしい。
俺はそんな先を歩くユエルについて行き、ユエルの鮮やかな戦闘を眺め、褒めて褒めてと駆け寄って来るユエルを撫でるだけの存在だ。
最早ただのヒモである。
いや、奴隷と主人なんだからこの関係も間違ってはいないはずなんだけれど、自分の状況を客観的に見つめると凄くいけないことをしているような気分になってくる。
まぁ、一応もしもの時の回復ぐらいの役割はあるんだけどそれって回復ポーションでいいよねって話でユエルだけが一人で潜っても変わらない気がする。
そして収入は全て俺の懐に入る。
ユエルの表情を見る限りはなんだか幸せそうだからこれでいいのかもしれないけれど、凄く肩身が狭いというか負い目があるというか。
これで奴隷がユエルじゃなくておっさんだったりするなら平気で酷使できるのかもしれないが、ユエルの幼い外見は俺の良心をがくがくと揺さぶってくれる。
しかし俺は武器を握ったことすらない。
剣を振ればユエルの動きの邪魔をしそうだし、弓を引けばユエルの背中を撃ちそうだ。
攻撃魔法は以前治療院で客から教えてもらったことがあったが全く使えなかった。
戦う手段が思い浮かばない。
それにそもそもゴブリンとかの正面に立ちたくない。
致命傷でも即座に回復して死なない自信はあるがそれとこれとは話が違う。
こんなことを考えている今もユエルは元気にゴブリンをサクサクと切り刻み、魔石やドロップであるゴブリンの武器を回収して自分の頭を俺が撫でやすい位置にもってくる。
俺にできることはもう心をこめて撫でるぐらいだ。
そういえばどこかのゲームで仲間になったモンスターの毛づくろいをするとやる気が上がってステータスが上昇するというシステムがあった気がする。
ユエルは既にやる気に満ちているが、心の籠らない撫でを続ければそのうちやる気も落ちてしまうかもしれない。
これだ。
ユエルの髪は一本一本が細い直毛だ。
サラサラとした銀髪を、髪の流れに沿って丁寧に撫でるとユエルがくすぐったそうに身を捩る。
「ユエルは本当に偉いなー」
しゃがんで視線を合わせ、頬、そして顎と輪郭のラインを優しく撫でる。
するとユエルは手に顔を擦り付けるように動かし目を細めて嬉しそうにはにかんだ。
「えへへ」と照れながらも続く撫でに合わせて逐一かわいい反応を返してくれる。
あぁ。
ユエルと仲良くなるのが仕事。
もうこれでいい気がしてきた。
癒されるし。
それになんだか楽しくなってきた。
修正:肩の辺りまで伸びる、くすんだ灰色の髪→腰の辺りまで伸びる、くすんだ灰色の髪