金稼ぎ。
......思い返せば、エリスはずっと優しかった。
――例えば俺を雇ってくれた時。
「......しょうがないわね。さっきのヒールも凄かったし......。それじゃあ、これからよろしくお願いね」
下心半分、仕事が欲しい必死さ半分の、恥も外聞も無い俺の土下座交渉に折れ、困ったような顔をしながらも優しく微笑みかけてくれたエリス。
なんの縁も無い、ただ同情を買おうとしていただけの俺を、住み込みで働かせてくれた。
あの時のエリスはまるで女神のように優しかった。
――例えば初めてセクハラした時。
「い、今のはわざとじゃないのよね? ......もう、気をつけてよ?」
偶然を装い、初めて尻を撫でた時、笑って許してくれたエリス。
まだあの時のエリスは優しかった。
僅かに恥じらいの混じったその初心な反応に、興奮した。
――例えば何度目かのセクハラの時。
「......次は、ないわよ」
冷たい声。
けれど、それでも俺を追い出さないエリス。
俺の性格を理解し、セクハラする度に射殺すような視線を向けてくるようにはなったが、俺がセクハラするに至った理由、エリスの魅力を土下座しながら熱弁すれば、なんだかんだで最終的には許してくれた。
そして追い出される前日――
まるで俺を誘うかのように開いていた扉の隙間、その向こう側。
タイル状の床に、浴槽、排水溝しか無いその部屋は、きっと以前は浴室だったのだろう。
けれど、金欠のせいで高価な温水給湯用の魔道具は既に売却され、薪による加熱ができる構造にはなっていなかったその風呂は、最早風呂と言えはしない。
ただ水浴びをするためだけのそのスペース。
そして、そこから僅かに聞こえる水音。
俺の妄想は膨らみに膨らみ、ついついそこを覗いてしまったのは、男として仕方のない反応だったはずだ。
――扉の向こうには、水浴びをするエリスの姿、そう、そこには桃源郷があった。
俺の理性のタガが外れ、偶然を装い突入し、胸を揉んでしまったことも最早必然と言えただろう。
「そんなに、そんなに追い出されたいのかしら......」
そして額に青筋を浮かべ、もう女の子がしてはいけないような怒りの形相で俺を見たエリス。
あれは流石にやりすぎた......けれど、エリスは俺を衛兵に突き出したりはしなかった。
俺が追い出されたのも、そこそこ金が溜まって再出発できる程度に貯金が溜まってからのことだ。
これもきっと、偶然というわけではなかったのだろう。
「ご主人様......」
そんなことを考えていた俺に、上目遣いで何かを伝えようとするユエル。
言わなくてもわかる。
短い間ウェイトレスとして一緒に働いただけだろうけれど、ユエルはエリスに、随分と懐いていた。
「エリスの治療院、買い戻そうか」
「っ......! はい、ご主人様!」
しばらく考えて、いくつか方法も思いついた。
とりあえずするべきことは、今からユエルを酒場で働かせることだ。
俺が一人で、自由に動くために。
「ユエル、エリスの治療院を買うためには少しでも金が必要だ。あの慢性的に人手不足な酒場でちょっと働いてきて欲しい。夕方には迎えに行くからな」
さて、パパッと解決してやりますか。
「逃がすな! 追え! 俺達のシマでイカサマなんてしやがったこと、死ぬ程後悔させてやれ!!」
「あの自信、怪しいとは思ってたが、やっぱりあいつやりやがった! 絶対逃がすな!」
「くそっ、なんであんなに逃げ足が速いんだ! おいお前ら、あっちだ! 先回りしろ!」
そしてパパッと解決しようとした結果――俺は今、追われている。
金を稼ぐため、俺が向かったのは.......ちょっと怖い方々が経営する賭博場。
一応公営ギャンブル以外が違法とされているこの国では、かなりアングラな場所だ。
街の外れにある酒場、そこの二階にある賭博場では、多くの人々が顔を隠し、そして身元を隠してギャンブルに興じている......そう小耳に挟んだことがあった。
そして、そこで開催されている、トランプのようなカードを使ったギャンブル。
山札から引かれたカードの数字が、テーブルの上のカードよりも高いか低いかを当てるだけの、簡単なゲームである。
還元レートの都合上、普通にやれば最終的には胴元が儲かるギャンブルではある、が。
そう、俺には鑑定スキルという便利なスキルがあった。
そして――当然のように、解析系スキルの発動を検知する魔道具にひっかかった。
イカサマ対策は万全だったようである。
「はっ......はぁっ......」
足を止めるわけにはいかない。
逃げ続けなければならない。
あの時、掛け金を支払い、ハイか、ローかの選択を迫られたその瞬間。
山札の一番上のカードを確かめようと、鑑定スキルを発動させたところで――けたたましい警報が店内に響いた。
何らかの魔道具を確認するディーラー、そして、俺に向く視線。
やましいところがありすぎた俺は、怪我を覚悟で即座に二階の窓から飛び降りた。
そしてなんとか店からは逃げることができた。
けれど、未だに怖い人たちに追われている。
しかもこのままでは囲まれそうだ。
足にひたすらヒールをかけながら、常に短距離走をするようなペースで疾走しているというのに、撒ける気がしない。
違法なギャンブルに手を染めるチンピラの癖に、相当鍛えているようだ。
俺が鍛えてないだけかもしれないが。
ヒールのお陰で足はまだまだ持ちそうだが、このままだと呼吸が、呼吸がやばい。
酸素不足は治癒魔法ではどうしようもない。
「いたぞ! あっちだ!!」
前方から、チンピラっぽい格好をした男達が走ってくる。
後ろからも追われてるのに。
ヤバイ、マジでヤバイ。
で、出来心だったんです。
でもきっと、出来心だったと言ってもあいつらはエリスのように許してはくれない。
捕まれば間違いなく、肉体的な制裁が待っている。
なんとか撒こうと路地を走り回ってはいるが、何しろ相手の数が多い。
そろそろ追いつかれそうだ。
「追え! 追えぇ!!」
挟み込まれないように、脇道に入る。
何か、何かないのか。
逃げながら、アイテムボックスの中を探る。
硬い金属の感触――メイスだ。
......駄目だ、戦っても勝ち目が無い、それにそもそも戦う気は無い。
カサついた布地――血で汚れた修道服だ。
......捨て忘れていた。
そして――ぷにゅっとした感触。
これだ!
再び角を曲がり、手に掴んだそれを、細い路地にバラ撒く。
――そう、スライムゼリーを。
今まで売らずに溜め込んでいたスライムゼリー。
それは細い路地を埋めるに十分な量があった。
そしてしばらく走ると、背後から悲鳴と怒号が響く。
きっとスライムゼリーを踏みつけてすっ転んだのだろう。
持っててよかった、スライムゼリー。
路地を曲がってスライムゼリーを設置し、また路地を曲がってスライムを設置する。
そうやってスライムゼリーをバラ撒きながら街を走り続けることで、なんとかあいつらを撒くことができた。
随分と長いこと走ることになったが、逃げ切った。
......けれど、今回は失敗だった。
金を稼ぐどころか、掛け金を五千ゼニー、丸ごと失っただけだ。
それにスライムゼリーの在庫も大幅に減ってしまった。
少し考えればわかることだったのに、何故俺はこんなことをしてしまったんだろう。
自分でも自覚できない程、焦っていたのだろうか。
時間はある。
金を稼ぐ手段も、まだ考えてある。
次、次こそが本命だ。
今度は、奴隷市に向かう。
ユエルを見て思いついた手段だ。
そう、俺は欠損した奴隷を買って、治して、売るだけで大金を稼ぐことができる。
完全な金儲けのための人身売買、というのに少し抵抗があったため後回しにしていたが、まぁそこは買う奴隷を選べば良い。
適当なおっさんを選べば俺の良心はさほど痛まない。
おっさんなら、怪我を治してやっただけありがたいだろ、とでも思えるだろう。
そして奴隷市に向かい――
「欠損した奴隷なんて、普通は仕入れないからねぇ」
「怪我した奴隷? うちはいないよ。ちょっとした怪我ならウチは専属治癒魔法使いがいるからね」
「エクスヒールが使える? 冗談はよしなよ。あんたみたいなみすぼらしいのがそんな高位な神官なわけないだろう」
――見事にアテが外れた。
奴隷市で大怪我をした奴隷はいないか、と散々聞いて回った結果、該当者はゼロ。
どうやらユエルは随分と珍しい例だったらしい。
奴隷商といっても、最初から商品価値が低い人間なんてそもそも仕入れないようだ。
奴隷は所有しているだけで、維持費がかかるからだろう。
無駄足だった。
賭博場に行き、散々逃げ回り、奴隷市まできて収穫無し。
かなりの時間を無駄にしてしまった。
もうすぐ夕方だ。
そろそろユエルを迎えに行かなければいけない時間だろう。
今日が終われば、エリスの治療院の競売まで、あと六日しかない。
「ご主人様!」
俺が酒場に入るなり、駆け寄ってくるユエル。
かわいらしいウェイトレスの格好だ。
「ご主人様、今日もたくさんお金が貰えました! ......えっと、エリスさんの治療院を買う、んですよね? 私も、エリスさんに喜んで欲しいです。だから......」
そんな健気なことを言って、数千ゼニーが入ったバンクカードを差し出すユエル。
適当な理由を付けてユエルをここで働かせたわけだが、ギャンブルでイカサマして掛け金を丸ごと失ったばかりの俺としては、それを受け取ることにかなり罪悪感がある。
「そ、それは、まだユエルが持っていてくれ」
でも、その気持ちには応えたい。
しかし、今日思いついた方法は二つとも失敗に終わってしまった。
明日はどうしようか。
迷宮に潜って、宝箱を探そうか。
宝箱には、高価な魔道具が入っていることも多いと聞いた。
迷宮における、一攫千金の最たるものだろう。
......いや、でも、宝箱は今まで迷宮に潜っていて、一度も見かけたことが無い。
一週間のうちにそれを見つける、というのは無理なような気もする。
でも、それならどうすれば......。
「おうシキ、ちょっといいか?」
考えていると、声を掛けられた。
ゲイザーだ。
隣を見れば、エイトも居る。
ふとゲイザーの手を見れば、僅かに血が滲んでいる。
用件は治療だろうか。
「ゲイザー、どうした、怪我の治療か? ヒールは一回四百ゼニーだぞ?」
「あぁ、これはただのかすり傷だから大丈夫だ。ここに来る途中、なんでか道にスライムゼリーが落ちててな、転んじまったんだよ」
......ご、ごめんなさい。
「じょ、冗談だよ、俺がお前らから金を取るわけないだろ? ヒール」
後でしっかり回収しておこう。
「お、いいのか? ありがてぇな。けどまぁ、用件はそこじゃねぇんだ。前に地上まで送ってやった貸しを返してもらいにきたんだよ」
「貸しを?」
そういえば、送ってもらった代わりに次の迷宮探索に付き合うという話があったような気がする。
「そういうわけだ、シキ。明日、一緒に迷宮に行ってもらうぜ?」
「いいけど、スライム狩りか?」
「まぁ、そうだが――」
正直、スライム狩りはまた今度にして欲しいという気持ちもある。
俺は今、一攫千金を狙いたい。
が、ここで断るわけにはいかないだろう。
借りがある上に、いつでも付き合うと言ったわけだし。
それに、可能性は低いけれど、スライム狩りをしている最中にもしかしたら宝箱でも見つかるかもしれない。
「――それなら俺達だけでもできるからな。ただのスライムじゃないぜ」
エイトがニヤつきながら言う。
ただのスライムじゃない、つまりは......。
「ヒュージスライムだ」




