再会。
今、エリスと言っただろうか。
いや、聞き間違いかもしれない。
というよりも、聞き間違いであって欲しい。
「......ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言ってくれるか?」
「エリスさん、です」
......どうやら聞き間違いではなかったようだ。
それは、あのエリスなのだろうか。
いやいや、エリスなんて良くある名前だ。
別人の可能性もある。
どこかの治療院に別人の、全く関係の無いエリスさんが居たのかもしれない。
「そのエリスさんっていうのは、どんな人なんだ?」
「えっと、金髪の綺麗な人で、すごく優しいです」
エリスかも。
「でも、酔っ払いの人が暴れた時は凄く怖い顔で追い出したりもしてました」
エリスだ。
「あと、えっと......あっ、すごくおっぱいの大きい人です!」
あぁ、確実にエリスだ。
どうやら借金で家を売ったウェイトレスというのは、本当にあのエリスだったらしい。
でも、俺はエリスが借金をしていたなんて話は、今まで一度も聞いたことがない。
エリスの治療院は確かに金は無さそうだったが、それもあくまで治療院としては、だ。
治療院なんていうものは、言ってしまえば、治癒魔法使い一人と場所があれば開くことができる。
もちろん一般的な治癒魔法使いでは何人も連続で治療をすれば治癒魔法に使う魔力が足りなくなってしまう上、大きな怪我を治療すればその一回だけで魔力が底を突いてしまうようなこともあるために、規模の大きい治療院ではそれなりに多くの治癒魔法使いを雇っている。
けれど、エリスの治療院は俺以外に働いている人間は居なかった。
あそこは一軒家を改築しただけの、小さな治療院だ。
人を雇って人件費がかさんだ、なんてこともないだろう。
それに、エリスの治療院は長年治療院をやっていた親が遺してくれた建物だ、という話を聞いたことがある。
治療院を建てるのにエリス自身が大きな借金をしたというわけでもないはずだ。
地税ぐらいは払っているだろうけれど。
しかし、そんな状態で治療院を経営していて、治療院を売らなければならないほどの借金をしてしまうなんてことがあるだろうか。
いくら立地が悪くても、客があまり来なくても、エリス一人の生活費も稼げないなんてことはないだろう。
それに、俺が働いていた頃は、エリス一人では回らないぐらいには客が来ていたわけで。
もしかしたら俺の治療院が客を奪ってしまったのだろうか?
いや、俺の治療院の客で、エリスのところでも顔を見たことがあるのは、ルルカともう二、三人程度だ。
......ルルカは客とは言えないような気もするけれど。
それに、俺はエリスの治療院のように料金を安くしてはいないから、そもそも客層が違う。
立地もかなり離れているし。
僅かに競合しているとしても、経営が傾くほどではないはずだ。
「ユエル。エリスが、いつ頃からその酒場で働いていたのか知ってるか?」
「えっと、私が働き始めた次の日からです」
治療院を売る直前、ということだろうか。
あの酒場で働くというエリスの選択は、治療院を売ることが決まって、次の仕事を探した結果なのか。
それとも、どうしても治療院を売りたくなくて、どうにか金を稼ごうとした結果なのか。
「エリスが今どこに居るかわかるか?」
「仕事が終わってから一緒に宿に行ったので、きっと今も宿に居ると思います。えっと、ご主人様のお知り合いだったんですか?」
確かにエリスは知り合いだ。
でも、異世界に来たばかりの俺に、仕事をくれたエリス。
遠い国から来たと言い張る俺を、胡散臭い目で見ながらも常識を教えてくれたエリス。
知り合いという一言で片付けるような関係ではないだろう。
セクハラして追い出された身で言うような台詞ではないが、やはりこう言うのが正しい気がする。
「エリスは俺の、恩人だよ」
酒場を出て、宿に戻る。
ユエルはエリスが泊まっている部屋を知っているらしい。
ユエルの案内で、エリスの部屋へと向かう。
二階の角部屋の、ひとつ手前の部屋。
......俺とユエルの泊まる部屋の、隣だ。
その部屋を、ユエルがノックする。
「エリスさん、いますか?」
ユエルが声をかけると、直ぐに部屋の扉が開く。
出て来たのは、金髪を肩まで伸ばした綺麗な女の子。
十八にしては少し大人びた雰囲気、そしてはちきれんばかりの胸元。
間違いなくエリスだ。
「ユエルちゃんじゃない。どうしたの? 今日は、これからご主人様と迷宮に行くって言ってなかった?」
「えっと、ご主人様が、エリスさんにお話があるらしくて」
エリスがユエルの頭を撫でながら優しく声をかけ――そして、少し離れた場所に立つ俺を見る。
「ひ、久しぶり......」
「......なんで、あなたがここにいるのかしら?」
掛けられたのはユエルにかけた優しい声音とは違う、底冷えするような声。
ユエルに向けていた優しそうな瞳はどこへいってしまったのか、睨みつけるような鋭い目つき。
そうですよね、怒ってますよね。
「エリスさん、私のご主人様です!」
ユエルが満面の笑みで言う。
無い胸を張って、どこか嬉しそうな雰囲気だ。
それを見たエリスはユエルに優しく笑いかけ――
それから俺の目の前まで近づいて、小声で言う。
「......ユエルちゃんからは、ご主人様は清廉で、優しくて、尊敬できる人だって聞いていたのだけれど。どうしてあなたがそのユエルちゃんに、ご主人様と呼ばれているのかしら」
「そ、それは俺が清廉で......い、いえ、なんでもないです」
至近距離で、そんな目付きで睨むのはやめてください。
視線だけで人を殺せるんじゃないでしょうか、エリスさん。
「はぁ、こんな小さな子に手を出すなんて......」
しかし、またロリコン扱いされてしまうのだろうか。
日頃の行いが悪いと言われればぐうの音も出ないが。
「そんなんじゃない。今は冒険者やってるから、一緒に迷宮に潜ってるんだよ」
「冒険者......。冗談よ。ユエルちゃんも、ご主人様が大切にしてくれてるって、嬉しそうに言ってたもの。で、何か用なの?」
てっきりロリコン認定を受けるかと思えば、そうでもなかったらしい。
それに、話も聞いてくれるようだ。
確かに怒ってはいるようだが、もう大分、それも冷めてきているのかもしれない。
「酒場で働いているんだろ? 聞いたよ、治療院を売ることにしたんだってな」
「......それは、あなたには関係ないでしょう」
目を伏せ、僅かに視線を逸らすエリス。
「俺、最近、酒場で治療院やってるんだよ」
「......確かにあれからお客さんは随分と減ったけど、それは関係ないわ。あなたを雇う前の状況に戻っただけよ」
俺が来る以前の状況に戻った。
元々エリスの治療院には客があまり来ていなかったが、俺が居た時だけは客もそこそこ来ていた、ということだろうか。
そして俺が辞めて経営が悪化した、と。
「もともと、あなたが来なければ、春になる前に......あの家を売るつもりだったのよ。それに、あなたが居ても相場通りの給料を出すこともできなかったし、いずれは破綻していたわ。結局、無理だったのよ。勝手に値引きしたことと、水浴びの時の事に関してはもちろん怒ってるけど、別に、これに関してはあなたのせいじゃないわ。最初から決めていたことなのよ」
でも、俺が働き続けていれば、延命ぐらいはできたんじゃないだろうか。
「いや、でもさ......」
「......あなたに言ったことは無かったけど、私には妹がいるの。騎士を目指してる、ね。三年前、両親が事故で死ぬ直前に、王都の騎士学校に行ったのよ。必ず騎士になって帰って来るって、はりきってたわ。でも、両親が死んで私だけになってからは、お客さんも随分減ってね。私は両親と違ってそこまで腕が良いわけでもないから......。それで、その学費や仕送りのために借金をしたのよ。だから、あなたがどうこう、というわけじゃないの」
妹が居たのか。
聞いたことが無い......が、エリスはきっと自分の弱みを見せまいとしていたのだろう。
心配をかけたり、同情を買われたりしたくなかったのかもしれない。
エリスの治療院は元々両親が経営していた。
当時はそこそこ余裕があり、学費を払える見通しがあったために妹を騎士学校に通わせた。
けれどその直ぐ後に、エリスの両親は事故で死んでしまった。
残ったのは、普通の治癒魔法使いとしての実力しかないエリスのみ。
客足の減った治療院では、騎士学校の学費や妹の生活費を払えない。
けれど、エリスは妹を騎士学校に通わせ続けたかった。
だから、貯金を切り崩しながら妹に金を送った。
しかし、時が経つに連れて貯金は尽き、エリスはそれでも金をつくるために治療院を担保に借金をし始めた。
そして段々と借金は膨らみ、どうしようもなくなったところに俺がやってきた。
エリスはその時既に治療院を売るつもりだったけれど、俺の治癒魔法の腕を見てもしかしたら経営を立て直せるかもしれないと思った。
もしくは、職も常識も無い俺を哀れに思って、潰すつもりの治療院で雇っていた。
けれどそこで、俺のセクハラにブチ切れて、クビにした。
そして再度の経営悪化で借金返済の見通しが立たなくなり、規定路線通りにエリスは治療院を手放すことになった。
想像も入っているが、こんなところだろうか。
「借金は、全部返せたのか?」
借金の返済が滞れば、奴隷商人に債権が売られて奴隷になってしまう可能性だってある。
もし、まだ借金が返せていないというのなら、協力するべきだろう。
「一週間後にあの家の競売があってね、いくら安くても流石に百万ゼニーは越えるでしょうから、それで借金は全部返せるわ。もう妹の学費も最後まで払い終えたし、問題はないわよ」
「借金自体はいくらなんだ? ほ、ほら、治療院を売らなくても、俺もできるだけ......」
俺がそう言うと、エリスはクスッと微笑んで――
「別にあなたが気にするようなことじゃないわ。あなたがいてもいなくても、あの治療院は売ることになっていたもの。私も、もう治療院に未練は無いし。大丈夫よ。酒場で働きながら他所の治療院で雇ってもらえないか、探してみるから」
優しげな声でこう言って、部屋の中へと戻っていった。
エリスと話した後、俺は迷宮に潜る気にならず、宿でずっと、エリスのことを考えていた。
エリスの治療院が一週間後、競売にかけられること。
その価格は最低でも百万ゼニーになるだろうということ。
エリスには、騎士学校に通う妹が居ること。
治療院を売るつもりだというのに、わざわざ深夜という時間に酒場で働いていたエリスのこと。
やはりあれは、ギリギリまで治療院を諦めたくなかった、そんな気持ちの表れなんじゃないだろうか。
......エリスはきっと、親の遺した治療院で、妹の帰りを待ちたかったんじゃないだろうか。
壁にもたれかかりながら、これからのことを考える。
できれば、エリスの治療院が競売に出て、誰かに買われるということは阻止したい。
けれど、エリスは金を用立ててこれで借金を返せ、と言っても受け取らない気がする。
エリスの治療院が他人の手に渡るのを阻止するには、競売で俺が買うしかない。
でも、一週間で百万ゼニー以上、下手をすれば百五十万、二百万ゼニーの大金を稼ぐというのは、相当に難しい。
俺の一日の稼ぎだって、冒険者と治療院の掛け持ちで七千ゼニー程度だ。
貴族や商人、金持ちに渡りをつけてエクスヒールを活用する、ということでもしなければ稼げない金額だろう。
けれど、俺には信用がない。
神官としての位階、司教や大司教という肩書きがあるわけでもなければ、どこどこの教会で修行をした、というわけでもない。
そんな人間がエクスヒールが使える、と言って近づいたところで、詐欺師にしか見えないだろう。
それに、金持ちは大怪我をすれば、すぐにでも教会に行き、高位の神官に金を積んで治してしまう。
金を持っているけれど、まだ治療を済ませていない怪我人を探すなんて、伝手のない俺にできるだろうか。
大金を稼ぐ方法は思い浮かばない。
でも、考えなければならない。
そう、一週間以内に。
この宿に来たばかりのエリスにはわからないかもしれないが、この宿の壁は、薄い。
俺が壁にもたれかかっているだけで、隣の部屋の物音がほとんど筒抜けになってしまう程度には。
エリスはもう、治療院に未練は無いと言っていた。
でも。
......じゃあ、なんで。
なんで、壁の向こうのエリスは、泣いているんだよ。