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買い物。

 なんとかユエルのお手伝いを阻止しつつ、下半身にこびりついた血を洗い落とすことに成功した俺は、酒場に向かった。

 ユエルの勤務時間を夕方にできないか、酒場のマスターに相談するためである。

 そしてその結果――


 「できればあと一週間ほど深夜の時間で働いてくれると嬉しいんだけど、駄目かな?」


 と、疲労の浮かぶ表情で言われてしまった。


 酒場のマスターの見た目はオールバックで細身、渋い雰囲気がなかなか格好良い中年男性である。

 けれど、今日は違う。

 疲れに淀んだ瞳と深いクマが、それを台無しにしてしまっている。

 随分お疲れのご様子だ。


 「時間帯の変更は柔軟にやっていきたいところなんだけれど、最近、結婚だとか引っ越しだとかで一気に何人も辞めてしまってね。人手不足なんだよ、特に深夜はね」


 「確かに、疲れた顔してるな」


 マスターが寝る間も無い程に働いているということは、顔のクマを見ればよくわかる。

 飲食店の経営で人員が不足して、その穴を埋めるために昼夜を問わず社員が働く。

 日本でも割とよく聞いた話だ。

 人手不足に苦心している、苦労人なのだろう。


 「......あぁ、このクマは昨日、妻にSMプレイを頼んだら一晩無理な姿勢で緊縛されたまま放置されてしまって眠れなかった、というだけで関係はないんだけどね」


 いや、ただのド変態だったようだ。

 渋い雰囲気なのに、笑いながらそんなことを言い出すマスター。

 なんだか、こんな男がマスターをしている酒場にユエルを預けていいのか心配になってきた。

 もう辞めさせるべきだろうか。


 ......いや、でもこの酒場でマスターがウェイトレスに手を出しているという話は聞かないし、何よりユエル自身この酒場で働きたがっている。

 それにこのマスターは妻帯者だ、きっと大丈夫なんだろう。

 SMプレイってなんですか、と聞いてくるユエルの頭を撫でて誤魔化しながら会話を続ける。


 「あ、新しいウェイトレスの募集はしてないのか?」


 「してはいるんだけどね、なかなか来ないんだよ」


 「でも、この酒場って結構良い給料出してるんだろう? 街の女の子が殺到しそうなもんだけどな」


 この酒場は可愛いウェイトレスが多い。

 というか、可愛いウェイトレスしかいない。

 それを維持するために、この酒場は相当時給が高い、という話を小耳に挟んだことがある。


 「今日は千ゼニーも貰えました!」


 満面の笑みでユエルが言う。

 なんだか孫にお小遣いをあげたがる祖父母の気持ちがわかる気がしてくるような笑顔だ。

 良かったな、と頭を撫でておく。


 しかし、数時間で千ゼニーか。

 やはり随分と高い。

 日本で言えばメイド喫茶のメイドさん並の時給が出ていそうだ。


 「あぁ、殺到してはいるんだよ。でもね、可愛い子がなかなかいないんだ。一応ユエルちゃんともう一人、良い子はいたんだけどね。まだ人手が足りないんだよ。......可愛い女の子に囲まれて働くのが、僕の夢だったからさ、これだけは妥協したくないんだ」


 これは男として格好良いと言えば良いのか、それともふざけてんのかと叫べば良いのか。

 ......いや、酒場の方針としては間違ってはいないのかもしれないけれど。

 俺だって可愛いミニスカウェイトレス目当てに、前から通っているわけだし。

 間違っても妻帯した中年の言う台詞ではないが。


 「一週間だけで良いんだ、駄目かな?」


 どうしよう。

 無料で治療院なんてやらせてもらっている手前、断りにくいというのもある。

 少し生活リズムをズラせばなんとかなるだろうか。

 昨日のように、夕方あたりで酒場から引き上げて早めに寝る、という風にすれば、ユエルの睡眠時間も確保できて問題は無さそうだ。


 「私は大丈夫です!」


 ユエルもやる気だ。

 仕方が無い、このままでやってもらおうか。

 一週間だけという話だし。





 そのまま酒場で朝食を取りながら、今日の今後の予定を考える。

 いつもなら迷宮に潜るところだが、正直、今日はもう迷宮には行きたくない。

 特にジャイアントアントの姿は見たくない。

 心の古傷が疼いてしまいそうだ。

 「今日からはもっと頑張ります!」と意気込んでいるユエルには悪いが、今日は休日にしようと思う。


 何をしようか。

 そういえば今朝、ユエルは欲しい物があれば買ってあげるという言葉に反応していた。


 「今日は買い物に行こうか。欲しいもの、あるんだろ?」




 ユエルはやはり買いたい物があったようで、俺が食事を摂っている最中に、ウェイトレスさんにお勧めの店なんかを聞いて回っていた。

 遠目に見ているだけだが、随分と仲が良さそうだ。

 そのうち紹介とかしてくれないだろうか。


 「ご主人様、こっちです!」


 ユエルが俺の手を引っ張りながら、大通りを進む。

 心底楽しそうな笑顔を浮かべるユエル。

 通り沿いの屋台を無視し、食料品店を無視し、武器屋も名残惜しそうな表情を見せつつ無視し、どんどんと通りを進んでいく。



 そして、俺達はやって来た。



 女性用下着専門店に。



 ......待って欲しい。


 「ユエルが来たかった場所っていうのは、ここなのか?」


 「はい、ここです」


 ニコニコと笑顔を浮かべながら、ちょっぴり高級感のある店構えの下着専門店を見つめるユエル。

 どうやら間違い無いらしい。


 「ユエル、何でも良いんだぞ? あんまり高いのは無理だけど、アクセサリーでも良いし、綺麗な服でも良い。美味しいお菓子だって良いし、香水でも良い。あぁ、かわいいぬいぐるみとかでも良いな。そう、そうだよ、ここよりもっとユエルに相応しい所があるんじゃないか?」


 「ここが良いんです」


 そうですか。


 正直、入りたくない。

 店の外からでもはっきりと感じる男子禁制の雰囲気。

 男の俺が入るのは、場違いにも程がある場所だ。

 男で入る奴が居るとすれば、自称女性の方々ぐらいだろう。

 本当に入りたくない。


 店内を少し覗いて見れば、綺麗に飾られた色とりどりの下着が目に入る。

 下着片手に仲睦まじく会話を交わし合う十代二十代の婦女子達。

 下着、女性、下着、女性。


 入りた............くない。

 流石に駄目だ、周囲の視線が痛すぎる。


 けれど、そんな俺の考えを知ってか知らずか、ユエルは「ご主人様、一緒に選んでください」なんてことを言いながら、腕をぐいぐいと引いて俺を店の中まで連れて行く。

 どうする。

 流石に女性用下着専門店に男が入り込むのは不味いだろう。


 けれど店員は、店に入ってきた俺を見て少し驚いたような顔をしたが、近くにいるユエルを見ると他の客の対応に戻っていった。

 問題ないのだろうか。

 周囲を見渡しても、店内に男性はいない。

 正直追い出されてしまった方が良かったのだけれど、何故か見過ごされてしまったようだ。


 ......そうか。俺は今、幼い女の子の買い物に付き添っているだけ。


 保護者の立場だ。

 何らやましいことは無いのかもしれない。

 それに、俺とユエルなら、親子は無理でも兄妹になら見えないこともないだろう。

 そう、兄妹。

 幼い妹が下着を買うけれど、一人では買えないから仕方なくついて来ましたよ、という感じで行こう。


 今俺の腕を引っ張っているユエルを妹と考えれば......


 ユエルを見る。

 薄い褐色の肌、青い瞳、輝く銀髪、そこから覗くかわいらしいエルフ耳。

 無理があった。

 そもそも種族が違う。


 「ご主人様、あっちを見てきますね」


 呼び方も駄目だ。

 どこからどう見ても俺とユエルはご主人様とその奴隷にしか見えない。


 ......いや、でも問題ない。

 奴隷ではあるけれど、あくまで保護者として幼い少女の下着を買うのに付き添っているだけ。

 男だ、ということで多少の視線は感じるが、あからさまな軽蔑の視線は感じない。

 そう、問題はないはずだ。

 

 「ご主人様、これ、どうですか?」


 そんなことを考えていると、ユエルが肌着をひとつ持ってきた。

 はにかむような笑顔で俺を見上げながら、自分の体にその肌着を合わせている。


 綺麗なレースで飾り付けられ、シックな紫色をした肌着。

 ネグリジェと呼ばれる、女性用のパジャマのような服だ。

 薄くて柔らかそうな生地で、きっと寝心地も良いのだろう。

 問題は無さそうだ。

 

 生地が薄すぎてネグリジェの向こう側が完全に透けて見えている、ということ以外は。

 

 そう、紫色のレースで飾られたそのネグリジェは、自分の体に合わせているユエルの服がはっきりと透けて見える程に薄い。

 肌を隠し、体温を保持するという衣服としての役割は一切期待できなさそうな一品だ。

 流石に風邪をひいてしまうんじゃないでしょうかユエルさん。


 夜寝る時に着る肌着。

 いつもは普通の薄手のシャツとズボンを着て俺と一緒に寝ているけれど、今日からはそれを着て寝る、ということなのだろうか。

 流石にそれは不味いんじゃないだろうか。

 周囲からの視線も少し厳しくなってきているような気がする。

 

 透ける程に薄いネグリジェを体に合わせ、ニコニコとこちらを見つめる十二歳の少女。


 やはり駄目だ。

 何が駄目かと言うと周囲の視線が駄目だ。

 ネグリジェを体に合わせるユエルを見て、周りのご婦人方がヒソヒソしながらこっちを見始めている。

 ただでさえ男性客は目立つというのに。


 傍から見れば、俺は幼い少女にえげつない下着を着せようとしているロリコンである。

 せめて子供らしいかぼちゃパンツとかなら微笑ましい光景にもなったかもしれないが、ユエルが選んだのは紛れもなくスケスケレースのネグリジェ。

 

 どうしてこんなことに。


 「ご主人様、似合いませんか?」


 俺が周囲からの視線に耐えている間。

 ユエルはろくな反応を返さない俺に、悲しみを含んだ瞳を向ける。

 似合う似合わない以前に早く棚に戻してほしいんだけれど、悲しそうなユエルを放置は出来ない。

 

 「......それも悪くはないけど、ユエルにはもっと、かわいらしいのが似合うんじゃないかな」

 

 「かわいらしい......ですか? ......えっと、それなら、こっちはどうですか?」


 ユエルが、紫色のネグリジェを棚に戻し、その隣の服を手にとる。

 そして、自分の体に合わせる。


 かわいらしいピンク色をしたシースルーのネグリジェを。


 ......色しか変わっていないんですが。

 そんなに透けたネグリジェが気に入ったのだろうか。

 いや、そういえば最初から買うものを決めていたような雰囲気だったような気もする。


 「ユエル、なんでそんなにそのネグリジェが欲しいんだ?」


 「えっと、ゲイザーさんがご主人様と仲良くなりたいならこういう服を選ぶと良「あいつの話はもう聞くな」




 結局、透けてない普通のネグリジェを購入しました。






 

 それからというもの。

 朝は迷宮に潜り、昼からは酒場でだらだらと過ごし、夕方には宿に帰って寝る。

 深夜から早朝にかけてはユエルが酒場に働きに行く。

 だいたいそんな日常を過ごしていた。


 そして数日が経った。


 最近は酒場で朝食を食べながら、ユエルが酒場であった出来事を話すのが日課になっている。

 ウェイトレスさんと仲良くなっただとか、絡んできたチンピラをウェイトレスさんが返り討ちにしただとか。

 他にもあのウェイトレスさんは何が好きだとか、休日は何をしているだとか。

 どんな男の人がタイプかとか、恋人が居るとか居ないとか。

 とても参考になるお話だ。


 けれど、今日は少し違った。


 「一緒に働いているウェイトレスさんなんですけど、お金に困って自分の家を売ることになってしまって、それで宿選びに悩んでいたみたいだったので私達の泊まっている宿を教えてあげました」


 少し重めの話だ。

 今俺達が泊まっている宿は、一泊五百ゼニー。

 風呂は無いが、そこそこ清潔な鍵付きの部屋である。

 確かに金欠の女性にお勧めするには良い宿だろう。


 「へぇ、ウェイトレスさんも大変なんだな」


 「はい。昼間は治療院で働いて、深夜も酒場で働いているのに、どうしても借金の返済が間に合わなかったって言っていました」


 経営に困っている治療院。

 なんだかどこかで聞いたことがあるような話だ。

 いや、まさかな。


 「......一応聞いておきたいんだけど、そのウェイトレスさんの名前はなんていうんだ?」


 「えっと、エリスさんです」

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