後始末。
迷宮の出口。
エイト達のパーティーは次回の探索に付き添う事を条件に、俺を地上まで送り届けてくれた。
「あの、本日はありがとうございました......」
俺を送り届けたために、エイト達の狩りは中断。
あと一時間もすれば夜が明けるような、そんな中途半端な時間に、である。
早とちりで一人迷宮に潜って戻れなくなった挙句、帰り道の護衛までしてもらうことになるなんて。
......俺は木に登って降りられなくなった猫か何かかと。
「まぁ、たまにはこんなこともあるさ、気にするなよ」
「次の探索をシキが手伝ってくれりゃ、それで構わねぇからよ」
......優しさが痛い。
髪は血で固まり、全身血まみれ。
靴は片方が脱げ、服は穴だらけ。
今の俺の姿はまさにボロ雑巾だ。
ユエルの無事に安心したら、今度は虚しくなってきた。
「......あぁ、いつでも呼んでくれよ」
服は一着駄目にする、靴は失くす。
急いでいたから倒した魔物のドロップ回収すらしていない。
完全に赤字だ。
まさに徒労と言えるだろう。
「ほら、それに、女のためにボロボロになるまで頑張るなんて、格好良いじゃないか。なぁゲイザー?」
エイトの暖かいフォローが心に染みる。
これが友情だろうか。
「......ただの勘違いだったけどな、ぶはっ、はははははは!!」
「ちょっ、ゲイザー、笑ってやるなよ。......くくっ......いや、か、格好良かったよ、本当......っ......」
これが友......。
「ぶふっ、うはははははは!!」
「くくっ......ふはっ.......」
これが......。
構わず爆笑するゲイザー、顔を背けて声を殺しながらも笑い始めるエイト。
笑い声は段々と大きくなり、エイト達以外の冒険者も笑いだす。
......こいつら殴りたい。
けれど、俺はわざわざ狩りを中断してまで護衛してもらった身。
感謝こそすれ、殴るだなんてもってのほかである。
いや、まぁ、殴りかかったところで返り討ちにされることは間違いないんだけれど。
つまり、今の俺には、拳を握りしめてプルプル震えることぐらいしか出来ないのである。
......お、覚えてろよ。
エイト達は、今日はもう探索を続けるつもりは無いらしく、冒険者ギルドで解散、ということになった。
直ぐにでもユエルの無事を確認したい気持ちもあったが、こんな格好で酒場に行くわけにはいかない。
体を洗って、着替えるために宿に向かう。
正直、公衆浴場にでも行きたい程度には血まみれなのだけれど、この時間ではまだ開いていないだろう。
そして、宿に入ると――
――受付で頬杖を突き、眠たげな半眼でぼぉっと入口を見つめる黒髪の、十六歳ぐらいの女の子が居た。
「え、ちょっと、血!? だ、大丈夫ですかぁ!?」
この宿の看板娘、胸チラさんである。
なぜ胸チラさんと呼ぶかと言えば、よく胸チラするから胸チラさんだ。
いつも胸元の緩い服を着て、頬杖をつきながら受付で寝ている彼女。
しかも、彼女は貧乳である。
頬杖という若干前かがみな姿勢、胸元の緩い柔らかそうな生地の服、そして貧乳、浮く下着。
導き出される結論はつまり胸チラである。
というわけで胸チラさん。
この宿は立地があまりよろしくないためか、客が少ない。
それに、料理を提供するような酒場が併設されているわけでもない。
基本的にはベッドとトイレがあるだけの寂しい宿だ。
そんな宿を俺が愛用し続ける理由。
それが、この胸チラさんである。
いや、まぁ料金が安い、というのもかなりの割合であるのだけれど。
いつもなら寝ている間にじっくり眺め、満足してから声をかけるところなのだが、今日はもう起きていたらしい。
早起きだ。
勤勉なのか怠惰なのか、よくわからない子である。
天然っぽい。
「あー、怪我はもう治ってるから大丈夫だよ。悪いんだけど、水もらえるかな、できれば大量に」
血まみれの服を触りながら言う。
血は既にほとんど乾いてしまっているが、もうこの服は駄目だろう。
穴だらけだし。
「だ、大丈夫なんですかぁ? えっと、それじゃあ、すぐに持っていくんで、部屋で待っててくださいねー」
「また後で持ってきますから、零さないようにだけ気をつけてくださいねー」
わざわざ部屋に水の入ったタライを持ってきてくれた胸チラさんに礼を言う。
服を脱ぐ。
流石にもうこの服は使い道がなさそうだ。
諦めて捨ててしまおう。
とりあえずアイテムボックスにしまっておく。
体を拭くために、まずは手拭いを水に沈める。
そして――
――勢いよく、扉が開かれる音が聞こえた。
「ご主人様!?」
部屋の扉に目を向ければ、肩で息をする、ウェイトレスの制服を着たユエルがいた。
......思っていたよりスカートの丈が短い。
いや、違う。
不味い。
ゲイザーに聞いていたより早い。
ユエルは夜明けぐらいまで酒場で働いている、という話だったんだけれど。
俺の勝手な勘違いとはいえ、ユエルを探しに迷宮に潜って、ご主人様がボロ雑巾になった。
これをユエルはどう思うだろうか。
私のせいでご主人様が......なんて方向に行ったら最悪である。
「怪我は、怪我はありませんか!?」
ユエルが血まみれの俺を見て、悲しそうな顔をしながら駆け寄ってくる。
「これは、あー、えっと」
どうやって誤魔化したものか。
全部返り血さ、とでも言えば格好いいような気もするけれど、それはそれで心配されそうな気もする。
「ゲイザーさん達が酒場で話してました。ご主人様が私を探しに、一人で迷宮に潜ったって」
......もうバレてましたかー。
しばらくはネタにされるだろうな、とは思っていたけれど、早速酒場で酒の肴にするなんて、俺は本当に良い友人を持ったようだ。
覚えてろよ。
「ごめんなさい。わた、私......」
悲しそうな顔をして、俯くユエル。
今回、ユエルに非は全くない。
俺が勘違いして、俺が怪我をしただけだ。
罪悪感がふつふつとわいてくる。
「今回は俺が勘違いしただけだ。ユエルは何も悪くないよ」
「で、でも......」
「ユエルも、俺も無事で良かった。これで良いじゃないか」
「......そう、ですね」
......沈黙。
ユエルは思うところがあるのかないのか、下を向いて黙ってしまった。
なんだろう、気まずい。
仕方なく、手拭いを水に浸し、体を拭きはじめる。
「ご主人様。私もお手伝いします」
アイテムボックスから自分の手拭いを取り出し、水に漬け始めるユエル。
でもユエルはウェイトレスの制服姿だ。
「制服が汚れるだろ? 自分でやるから大丈夫だよ」
「あ、そうですね、脱ぎます」
......そういう意味で言ったわけではないんですけれど。
シュルリ、シュルリと衣擦れの音が鳴る。
流れるようにコルセットを外し、スカートを脱ぎ、シャツを脱ぎ、肌着を脱ぐ。
そしてそこにはパンツ一枚になったユエルが居た。
......肌着ぐらいは着ていても良いと思うんですけど。
なんだか少し嫌な予感がする。
「ほ、ほら、一人でできるからさ」
「背中も血でべとべとです。しっかり拭かないと、服に移ってしまいます」
確かに。
「ユエル、でも、服は着た方が良いんじゃないか?」
「汚れてしまいますから」
確かに。
確かにその通りなので反論できない。
しかしこれは問題だ。
下着姿、しかも下しか履いていない少女に背中を拭かれている。
ユエルを買った初日も似たような感じだっただろうか。
あの時は、ユエルの痩せっぷりにばかり眼がいって、あまり意識していなかった気がする。
しかし、あの時と比べてユエルは大分女の子らしくなっている。
肉がつき、血色が良くなり、ぷにぷにしている。
見てはいけない。
もし。
もしも。
万が一にでもアレがアレしてしまったならば、ユエルにお手伝いされてしまうかもしれない。
出来るだけユエルを見ないようにして、体を拭く。
お互いに無言だ。
髪を洗い、肩を拭き、腕を拭く。
そして、背中を拭き終わると――
「......ご主人様、ありがとうございます」
突然、背中に熱を感じた。
ユエルが、後ろから抱きついてきたのだ。
上半身裸で。
しっとりとした肌を、子供らしい僅かな膨らみを、直に感じる。
「私、ご主人様が一人で迷宮に行ったって聞いて、びっくりしました」
そのままキュッと、腰を抱きしめられる。
ユエルはきっと、これを狙ってやっているわけではないのだろう。
その証拠に、ユエルの声は真剣そのものだ。
「でも、さっきご主人様を見て、悲しかったですけど、凄く嬉しかったんです。私はご主人様に大切にされているって、わかって」
......徒労だった、と思っていたけれど、案外そうでも無かったのかもしれない。
言葉では何度も優しい言葉をかけていたつもりだったけれど、やはり言葉は言葉でしかない。
ユエルは自分がどうなるのか、捨てられたり、売られたりしないかという不安もあったのだろう。
俺が血まみれになってでも、ユエルを探しに行ったことが、もしかすれば、ユエルの自信になったのかもしれない。
少し不安定気味だったユエルのメンタルも、これで落ち着くだろうか。
良かった。
本当に良かった。
......良かったのだけれど。
この体勢はどうにかならないだろうか。
凄く真面目な話をしているのに、背中に触れる色々が気になって仕方が無い。
けれど、ユエルは一向に、離れる気配がない。
不味い。
色々と不味い。
こんな状態で無言になられると、なんとも言えない空気になってしまう。
「そ、そういえば、酒場はどうだ?」
「優しい人が沢山いました。先輩のウェイトレスさんも、今日出来た後輩さんも、みんな優しくしてくれて、楽しいです。これもご主人様のおかげです!」
それはユエルさんの人柄のおかげじゃないでしょうか。
あまり俺は関係無いような気がする。
なんだかそのうち何をするにも俺のおかげです、とか言い出しそう。
なんだか尊敬というより、信仰に近いものを感じる。
「そ、そういえば、どれぐらい働いているんだ?」
これは聞かなければいけない内容だ。
ユエルは俺が寝ている時間に働いていると言っていた。
つまりユエル自身がまともに寝ていない可能性が高いのである。
「えっと、人手はいつでも足りて無いらしいので、いつ来てくれても良いとは言われてます。今日は夜明け前の四時間ぐらいでした」
これはどうだろう。
夜明けが朝の五時だとすれば、深夜の一時から働いていることになる。
諸々の準備もあるだろうから、深夜の十二時には起きていないといけないだろう。
昨日は夕方のうちに寝ていたから、六時間はギリギリ寝ているぐらいだろうか。
しかし、普段なら。
ほとんど眠れていなさそうだ。
でも、嬉しそうな声で酒場の話をするユエルを見ていると、辞めろだなんてとても言えない。
一度は俺が許可したことでもあるわけで。
うーん、どうするべきか。
「働く時間を変えないか? 例えば夕方とかさ。俺も大体酒場に居る時間だし」
「それだと、ご主人様と一緒にいられません」
「......でも、今のままだとあまり眠れてないんじゃないか?」
俯くユエル。
やはり眠る時間は無いようだ。
「ユエル、さっきの制服だけど、凄く似合ってたよ。俺はユエルがあの制服を着て働いているところを見たいんだ。でも、深夜だと俺は見れないだろう?」
「に、似合ってる......ですか?」
俺から離れ、ウェイトレスの制服を着始めるユエル。
......や、やっと離れてくれた。
「あぁ、今日までユエルにはスカートをプレゼントしようと思っていたぐらいだからな。でも、夕方の酒場でそのスカートで働いている姿を見れるなら、他に何かユエルの欲しいものを買ってあげても良い」
「ほ、欲しいもの......ですか? ......えっと、酒場のマスターに相談、してみますね」
正直、ユエルは何を渡しても喜びそうで、逆に選びにくい。
とはいえ、あまり自分から何が欲しい、とは言わないユエルさんである。
今回のような機会は、活用するべきだろう。
正直、今日はもう迷宮に潜る気も起きないから、買い物だけで一日潰しても良い。
そんなことを考えていると、コンコンと、扉をノックする音が聞こえた。
「追加の水置いておくのでー、使ったら下に持ってくるか、部屋にそのまま置いておいてくださいー」
宿の看板娘、胸チラさんの声が聞こえた。
そして、その声で、ユエルに気づかれてしまった。
まだ、上半身しか拭いていないことに。
「下も、お手伝いしますね」
「............自分でやるから」