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ボス部屋へ。

 

 空っぽのベッド。

 寝息すら聞こえない、無音の部屋。

 そこにいるはずのユエルが、いない。


 時刻は深夜。

 窓からは薄っすらと月明かりが差し込むだけだ。

 夜明けはまだまだ先だろう。


 こんな時間に、一体どこに――


 ――ふと、昨日、不安に揺れていたユエルの表情が思い浮かんだ。


 嫌な予感。

 何か良くないことが起こっているような、そんな胸騒ぎがする。


 ......いや、ただトイレに起きただけかもしれない。

 まずは、確認するべきだ。

 宿の一階まで降り、トイレのドアをノックする。


 返事は、無い。


 「もっともっと頑張ったら、その時は......」


 昨日のユエルの言葉が蘇る。


 頑張る。

 迷宮探索を頑張る、という意味だろう。

 ......もしかして、こんな時間に迷宮に行ったのだろうか。

 たった、一人で。


 いや、まさか。

 俺が寝ている間に迷宮に潜るなんて、いくらなんでもユエルがそんなことをするだろうか。

 俺に許可を求めるぐらい、してもいいはずだ。

 ......それとも、それを出来なくしてしまう程、俺はユエルを追い詰めてしまっていたのだろうか。


 もし。

 もしも。

 迷宮に行ったとするならば。

 ユエルなら、七階層までは一人でもなんとかなるだろう。

 むしろ、一人の方が良いくらいかもしれない。


 でも、「もっと頑張る」というのが、今まで以上の成果を出すという意味なら。


 ――ユエルが、ボス部屋に向かっていたら。


 ボスのレアドロップというのは、ユエルが俺に示すのに、わかりやすい大きな成果なのではないだろうか。


 そうなら、不味い。

 ユエルでは、ボスに勝てない。


 ヒュージスライムは直径三メートルの巨体。

 対して、ユエルの武器は二、三十センチのナイフ。

 いくらユエルが俊敏に動けるから、ナイフの扱いが上手いからとは言っても、その体は子供のものだ。


 あんな小さなナイフで少しづつ巨体を削るとして、一体どれ程の時間がかかるだろうか。

 長時間の戦闘になって、回避に攻撃にと動き回り疲労を溜めて、疲れ果てて動きが鈍ったところをヒュージスライムに潰される。

 そんなイメージが――


 ――想像するだけで、動悸が激しくなる。


 探さなければ。

 もう、ユエルは一人でボス部屋に向かっているかもしれないのだ。


 昨日、ユエルは、もう大丈夫だと言っていた。

 最後には、笑っていた。

 もしかしたら、迷宮になんて潜ってないかもしれない。

 今夜は月が綺麗だから、散歩でもしているのかもしれない。


 でも。

 けれど。

 どうしても、じっとしていられない。

 



 「はぁっ......はっ......」


 迷宮へと繋がる大通りを走る。

 静かな街中。

 まだまだ迷宮へは遠い。


 ユエルは本当に迷宮に行ったのか。

 確証は無い。

 けれど、昨日の会話を考えれば、迷宮に行ったと考えるべきだ。


 ふと前を見れば、酔っ払いが道に座り込んでいた。

 ......もしかしたら、ユエルを見ているかもしれない。


 「っ......おい、あんた、これぐらいの、ダークエルフの女の子を見なかったか?」


 見たと言って欲しい。

 そして、迷宮には行ってないと、そう言って欲しい。

 そうすれば、俺はこのまま宿に帰って、ユエルを待つことができる。

 この湧き上がる焦燥感を、消すことができる。


 「あぁ?」


 「教えてくれ。見たのか? 見てないのか?」


 「......そりゃあ、見たけど」


 「っ......! どれくらい前だ? どこに行ったかわかるか?」


 早く、教えてくれ。

 つい、酔っ払いの肩を強く掴んでしまう。


 「な、なんなんだよあんた。あっ、あっちに行ったよ。十分ぐらい前に!」


 酔っ払いが、俺の腕を払いのけて、そのまま指で方向を示す。


 ......その指先は、街の中心、迷宮の方向を指していた。






 ぼんやりと光る迷宮の壁。

 それに照らされた、最短ルートを示す杭を頼りに迷宮をひた走る。


 通路を進むと、すぐにファングラビットが一匹見えた。

 ファングラビットは素早い。

 逃げても追いつかれるだろう。


 駆け寄り、メイスを振り下ろす。


 「っ......!」


 軽々と躱された。

 そして、腕に鋭い痛みが走る。

 見れば、ファングラビットが右腕に噛み付いていた。

 服は破れ、そこから血が滲んでいる。


 引き剥がそうにも、ファングラビットの顎は腕に食い込んでなかなか剥がれない。

 腕を振っても、顎を左腕で開こうとしても、離れない。


 「くそっ......!」


 こんなところで、一階層なんかで時間を浪費するわけにはいかないのに。


 ――早くしないと、ユエルがボス部屋に......。


 腕ごと、ファングラビットを壁に叩きつける。


 「あっぐぅっ......!」


 叩きつける度に、ファングラビットの牙が食い込んでくる。

 刺すような鋭い痛みから、腕全体への重く鈍い痛み、どこか気持ち悪い痛みへと変わっていく。


 けれど。

 これは、治る。

 治る怪我だ。


 自分に言い聞かせながら、叩きつける力を強くする。

 何度目かの打撃で、ファングラビットは光になって消えた。


 「はっ......はぁっ......」


 ユエルがいないと、ファングラビットにすら苦戦してしまうのか。


 一旦戻って、誰かに協力してもらうべきか。

 いや、今は深夜だ。

 話をすれば直ぐに応じてくれそうなエイト達やルルカの使っている宿を、俺は知らない。

 冒険者ギルドにも、ほとんど人が居なかった。

 それに、見ず知らずの他人と交渉するにしても、時間がかかる。

 俺は相手に即座にイエスと言わせるような大金を持っているわけでもない。


 今ユエルが向かっているボス部屋は、一度入るとボスを倒すまでは出られない。

 つまり、ユエルがボス部屋に辿り着く前に、俺はユエルを止めなければならない。

 もう既に十分は先を行かれているのだ。

 今戻れば、間に合わなくなるかもしれない。


 「このまま行くしか、ない」


 魔物を倒す必要は無い。

 走り抜けるだけで良いのだ。


 それに、俺には治癒魔法がある。

 即死さえしなければ......治せる。

 すぐにユエルに追いついて、後は一緒に戻れば良い。

 時間が経てば経つ程、ユエルは迷宮の奥に行ってしまうだろう。

 今ここで戻るわけにはいかない。


 走って、走って、走る。

 噛みつかれて、壁に叩きつけて、走り続けて。


 やっと二階層への階段が見えた。

 けれど、ユエルには、まだ追いつけない。




 二階層、三階層と、無心で走った。

 正規ルートは魔物が少ないが、それでも出るものは出る。


 ソルトパペットを無視して走った。

 ゴブリンに刺されても走った。

 グリーンイビーの殴打に耐えて走った。

 ビッグチックに跳ね飛ばされて走った。


 痛かった。

 死ぬかもしれない、と何度も思った。

 ゴブリンに囲まれて。

 ビッグチックに追いかけられて。

 逃げて、メイスで迎え討って、どうにか走り続けた。


 引き返したいと思った。


 宿で寝ていたい。

 酒場で飲んだくれていたい。


 でも、今戻ったら、ユエルはボス部屋に行ってしまう。


 それを知っていて戻れる程、俺のハートはタフじゃない。

 まだ、間に合うはずだ。




 杭を追って、走りながら通路を曲がる。


 そして、急にバランスが崩れた。

 ふわりと体が浮く。

 走る勢いのままに、頭から地面に叩きつけられる。

 地面の起伏が頬を削り、血が流れる。


 立ち上がろうと手をつくと、その手がぬるりと滑った。


 一体、何が――


 振り向くと、血にまみれ、何かを咀嚼するジャイアントアントがいた。

 その口には、茶色い皮の靴。



 ......あれは、俺の、足だ。



 右足の、先が無い。


 赤。

 思考が真っ赤に染まっていく。

 やられた。

 痛い。熱い。気持ち悪い。

 通路の影にいたのに、気づかなかった。

 血が流れ続けている。

 ジャイアントアントが寄ってくる。

 血に濡れた大顎が、ガチガチと、ガチガチと音を立てながら。

 やばい。

 やばい。

 治さないと。


 「――エクスヒールッ......!」


 ボコボコと、肉が盛り上がるように足先が生えてくる。

 心地良い暖かさが、痛みを和らげる。

 急いでジャイアントアントから離れると、ついさっきまで左足があった場所で、ガチリとジャイアントアントの大顎が閉じられた。


 走り続ける。

 まだ、追いつけない。





 この階段を降りたら、もう七階層だ。

 もう、ユエルは七階層に行ってしまったのだろうか。


 服は既に血で真っ赤に染まり、ところどころが破けて穴だらけになってしまっている。

 ユエルに追いつくために、魔物を無視して走り続けた結果だ。


 まだ追いつけるかもしれない。

 実は、もう目と鼻の先に、ユエルが居るのかもしれない。


 体当たりしてくるスライムを避けて、走る。

 階層の中心に向かって、ひた走る。



 ――そして、ボス部屋に辿り着いた。



 辿り着いて、しまった。

 ユエルに追いつくことなく、辿り着いてしまった。


 間に合わなかったのか。


 いや、ボス部屋の中に入れば、まさに今ユエルが戦闘をしている真っ最中かもしれない。


 飾り気の無い迷宮では目立つ、豪奢な装飾のついた大扉。


 この扉を開けて、今、中に入れば......


 



 「あれ、シキか? ......っ! どうしたんだよ、血塗れじゃないか!」


 「なんだよ、ボロボロじゃねぇか。大丈夫なのか?」


 ――突然、後ろから声をかけられた。


 エイトとゲイザーだ。

 隣を見れば、他にも数人の冒険者が居る。

 魔法使い風の男もいる。


 七階層には、泊り込みのパーティーが多い。

 その臨時パーティーか。


 助かった。

 これなら、いける。


 「エイト、ゲイザー! 起きたらユエルが居なくて......ユエルが、ユエルがボスと戦ってるかもしれないんだ!」


 俺の言葉に、エイトが驚愕の表情を。


 そしてゲイザーは......。


 ......何言ってんだこいつ、という表情を浮かべて――


 「何言ってんだよシキ。ユエルちゃんなら、今の時間は酒場だろ?」


 こんなふざけたことを言い出した。


 「はぁ!?」


 「だから、ユエルちゃんなら酒場だろ? なんだ、忘れちまってたのか?」


 意味がわからない。


 「え、何、どういうことだよ? 忘れたっていうか、そもそもそんな話、聞いてないんだけど」


 「ほら、あんときだよ。火竜殺しを飲んだ時によ、ユエルちゃんがお前にプレゼントを贈りたいから、自分で使える金が欲しいって言っただろ? でもそれでお前に迷惑をかけたくないからお前が寝ている間に働くって言って、それにお前が頑張れよって言ったんじゃねーか。すげぇ健気な子だよなぁ。あ、ちなみに酒場で働けば良いって言ったのは俺な」


 あ、聞いてたわ。

 いや、聞いてたというか、聞こえなかったけど適当に返事をしたというか。

 そんなこと言ってたのかよ。


 酔っ払いが見かけたのも、迷宮じゃなくて、「迷宮と同じ方向にある酒場」に向かうユエルだったんだろう。


 ......なんだよ。

 俺の勘違いか。

 何度も痛い思いをして、何度も死にかけて。

 ただの早とちりか。


 いや、でも、良かった。

 徒労ではあったけど、ユエルが無事で本当に良かった。




 ......いや、良くない。




 「あ、あの、エイトさん、ゲイザーさん」


 「どうしたんだよ、改まって」


 「............地上まで送ってください」

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