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嘘。

 「ご主人、様......?」


 ルルカの背中の向こう側。

 トイレから戻ってきたユエルが、呆然とした表情でこちらを見つめていた。

 その目は虚ろで、口は小さく開いたままである。

 目の前の光景が理解できない、といった雰囲気だ。


 これは不味い。

 非常に不味い。


 今、俺の両手はルルカの豊かな双丘を揉むために、その胸元に突き出されている。

 そして、ルルカ自身もシャツを肩まではだけさせ、肌を大きく露出させている。


 ......状況証拠は揃ってしまっている。


 ユエルはルルカの背中側に立っているから、実際に俺が胸を揉んでいるかどうかはわからないかもしれない。

 手を添えているだけに、見えないこともないだろう。


 しかし、突き出された腕の向き、はだけたルルカの服、俺とルルカの近い距離感。


 ユエルが、いかがわしいことをしていたのでは、と想像してしまうのは当然のこと。

 実際、していたわけで。


 何をしていたのかと言われれば、治療費代わりにルルカの胸を揉んでいた。


 ......バレてはいけない。


 こんなことを馬鹿正直にユエルに言ったなら、今まで積み上げてきた格好良いご主人様のイメージが完全に壊れてしまう。

 それは駄目だ。

 ユエルにキラキラした尊敬の目で見つめられることは、最早、俺の大切な楽しみの一つ。

 こんなところで失敗するわけにはいかない。


 考えろ。

 考えるんだ。


 ここはまさに、俺がユエルの尊敬すべきご主人様でいられるかどうかの分岐点。

 天王山の戦いだ。


 ――誤魔化すしか、ない。


 「いやー、難しい治療だった。なぁ、ルルカ?」


 ルルカの胸から手を離し、合わせろ、と目線を送る。

 察しの良いルルカのことだ。

 「難しい治療だから、肌を直接触りながら丁寧に魔法をかける必要があったのに、わざわざありがとう!」ぐらい言ってくれるかもしれない。


 ルルカの目を、そんな期待を込めて見つめる。

 そして、それに返すように、俺の目をルルカが真剣な表情でじっと見つめてくる。


 見つめ合うこと二、三秒。

 どうやら意味を理解したのか、ルルカはニコリと笑顔を浮かべて――



 ――俺の右腕を、掴んだ。



 片手で器用に残りのシャツのボタンを外し、かわいらしい下着を完全に露出させるルルカ。

 そして、掴んだ俺の手を下着の上からその胸に押し付けるように、ぐいぐいと動かし始める。

 あ、柔らかい。


 「んっ......どう、かな?」


 これは......


 ......値引き交渉続行、ということだろうか。


 この展開は不味い。

 誤魔化すことができなくなってしまう。

 もしかして、ルルカはユエルに気づいていないのだろうか。


 ......いや、そんなはずがない。

 確かに今のルルカに、背中側にいるユエルは見えないが、ユエルの声は聞こえたはずだ。


 もし偶然聞こえなかったとしても、俺の態度の変化に疑問を持ってもいいはずだろう。


 しかし、どうする。

 この状況は不味い。

 悪化してしまった。

 柔らかい。

 どうすれば良い。

 俺の腕がぐいぐいと動かされる。

 ルルカの胸がぐにぐにと歪む。

 どうすれば。

 吸いつくような肌。

 かわいらしいフリルのついた白下着。

 柔らかい。

 シルクのような柔らかい生地の下着越しに、更に柔らかい肉の膨らみがある。

 鷲掴みにしたい。

 ひしゃげる双丘。

 弾み、大きく歪む肉の膨らみ。


 「んっ......」


 下半分しか下着に隠されていないその膨らみの上部を指で撫でれば、しっとりとして吸い付くような感触が――


 「あっ......んんっ......」


 感触が......。






 ......気づけば、いつのまにか、両手でルルカの胸を、下着の上から揉みしだいていた。


 ルルカの顔は真っ赤に紅潮し、呼吸も僅かに乱れている。

 露出された胸や腹部の肌も、ほんのり桜色に染まり、かなり、扇情的だ。

 もう、このままお持ち帰りしてしま――



 「あ、あ、ご、ごしゅ......さまが......」



 ――完全に本能に呑み込まれていた意識に、微かに震える声が届く。



 ......そう、ユエルの声が。



 スッと、一気に血が引いていくのを感じる。

 完全に本能に呑まれてしまっていた理性が急速に蘇り、不味い、不味い、不味いと、ガンガンに警鐘を鳴らし始める。


 ルルカの胸から視線を外し、その向こうに目を向ければ――



 ――深い悲しみをたたえた、今にも泣き出しそうなユエルの顔があった。



 「と、とられっ......っ......ううっ、ううぅ......」


 ユエルは俺と目が合うと、口を引き結ぶように固め、ぷるぷると握りしめた拳を震わせながらこちらを見る。

 悲しみに染まった目。

 その目には、今にも溢れそうな程に涙が溜まっている。


 そして――



 「うっ、うぇっ、うええええええええっ、うあぁっ」



 決壊した。

 すすり泣きではない、大泣きである。

 抑え込もうとして、でもどうしても抑えられない、そんな泣き声だ。


 「あ、えっと、ユエル、これは、その」


 不味い。

 本当に不味いことになった。

 ユエルが泣いている。

 どうにか、どうにかしないといけない。


 でも、どうにかしないといけないのに......言葉が出てこない。

 一瞬とはいえ、ユエルのことを忘れて完全に色欲に呑まれていた俺に、一体何が言えるというのか。


 ど、どうすれば――


 「あっ、えっ、う、嘘!? ご、ごめんね、ごめんねユエルちゃん!」


 ユエルの泣き声に、ルルカが慌てて振り向き、あたふたとしながらもユエルをなだめ始める。


 「ほ、本当にごめんね? ユエルちゃんをこんなに悲しませるつもりはなかったんだけど......。あの、えっと、ちょっとだけ借りてただけで、ユエルちゃんからシキをとろうとしたわけじゃ......な、ないんだよ? えっと......あ、ほ、ほら、治療! そう、さっきまで難しい治療をしてたからさ、本当に治ってるかどうか、シキに確かめてもらってたんだ。それだけなんだよ、ね、ねぇ、シキ?」


 ユエルをあやすように、優しい調子で言葉をかけるルルカ。

 そして、それでも泣き止まないユエルを見かねたのか、事を誤魔化しにかかる。

 ファインプレーだ。


 「そ、そうなんだよ! あれは触診って言ってな、歴とした医療行為だったんだ。凄く難しい治療だったから、治癒魔法をかけた後も体に異常が無いか、念入りに確かめていただけなんだよ」


 しかし、とってつけたような言い訳だ。

 いくら人を信じやすいユエルといっても、流石に駄目かもしれない。


 「っ......。ほ、本当、ですか?」


 パッと顔を上げるユエル。

 その瞳は充血し、涙が零れている。


 けれど、泣き止んだ。


 ......いけるかもしれない。

 流石に騙されやすすぎて、少し複雑な気分ではあるけれど。


 「も、もちろん本当だよユエルちゃん!」


 「う、嘘なんてつくわけないじゃないか!」


 しかし、ここは誤魔化すしか方法が無い。


 「......ほ、本当に、本当ですか?」


 俺達の言葉を聞いて、ユエルが縋るような目で俺を見る。

 その視線からは真実を知りたい、というユエルの意思が伝わってくるようだ。



 ざ、罪悪感が......。



 しかし、ここで「実は肉欲に任せてルルカの胸を揉みしだいていた」なんて言えば、ユエルのメンタルがどうなるかわからない。


 そう、これは優しい嘘。


 ユエルを傷つけないための、優しい嘘だ。

 罪悪感に耐えながらも、目を逸らしたくなる衝動を必死に抑える。

 そして、やましいことなんて何もない、とばかりに可能な限りの優しい表情を作り、言う。


 「ほら、ユエル。ルルカの胸元をよく見てみろ。もう傷が無いだろう? 俺が治したからだよ......な?」


 ルルカが怪我をしていたのは肩であって胸ではなかった。

 それにそもそも、そこに傷が無いからといって、それが難しい治療をこなした証拠になんてなりはしない。


 けれど、人を信じやすいユエルの性格。

 今まで積み上げてきた俺への信頼感。

 嘘を肯定してくれる、ルルカという協力者。


 これがあれば......


 「っ......! よ、よかったです......よかった、です......」


 ユエルが駆け寄り、椅子に座る俺の腕を抱きしめる。


 繋がった。

 首の皮一枚からの大逆転である。

 ユエルを、騙し切った。


 ぐすぐすとまだ泣いてはいるが、これはきっと安心したからだろう。

 多分、もう大丈夫だ。


 「ルルカ、治療費はいらないから。俺達は、今日はもう帰るよ」


 まだ日も沈んでいない。

 少し早いけれど、流石にもう飲んだくれていられるような雰囲気ではない。

 ユエルはもう、寝かせてしまった方が良いだろう。

 一晩寝て、明日になればきっと元気なユエルに戻ってくれるはずだ。

 

 





 宿についた頃には、ユエルは完全に泣き止んでいた。

 しかし――


 「明日は迷宮の八階層にでもいってみようか、ユエル」


 「はい......」


 「あ、あー、メンバーを集めてボス部屋に行ってみるのも良いかもしれないな、ボスのレアドロップはかなり高価らしいし。エイト達に知り合いの冒険者でも紹介してもらってさ」


 「そう、ですね......」


 迷宮から離れた立地の安宿。

 客の少ないこの安宿は、まだ夕方だというのに静寂に包まれている。

 開け放たれた木窓からは夕日が差し、ベッドに腰掛けるユエルの顔を赤く照らす。



 そのユエルの表情は、暗い。



 ユエルはずっと、何かを考え込んでいるようだ。

 もしかして、嘘がバレてしまったんだろうか。

 あれだけ拙い嘘だ。

 落ち着いて考え直して、嘘だと見抜いてしまったのかもしれない。


 ......とりあえずジャブを撃ってみよう。


 「ユエル、どうかしたのか?」


 曖昧な言葉。

 けれど、ユエルはそれに反応する。


 「......ずっと、痛いんです」


 ポツリ、とユエルが呟くように言った。


 「痛い? 大変じゃないか! エクスヒール!」


 治癒魔法の光が、ユエルの全身を覆う。

 たっぷりと魔力を込めた、渾身のエクスヒールだ。

 例えどんな難病であったとしても一発で全快するだろう。


 「......駄目、みたいです。ご主人様とルルカさんが一緒に居るのを見てから、ずっと痛いんです。あれが治療のためだったっていうのはわかっているんですけど、あれから胸が、苦しくなって」


 ......あ、それは治癒魔法では治せないです。


 それにしても、嘘がバレてはいないのか。

 本当にユエルの将来が心配になりそうだ。


 「えーっと、それは......」


 嫉妬、いや、不安だろうか。

 ユエルが好意を持ってくれているのは、もうどう見ても明らかだ。

 それが親に対するようなものであれ、異性に対するようなものであれ、その好意を向けた相手が他の女性の胸を揉みしだいている光景というのは、なかなか刺激が強かったのだろう。


 「ご主人様、私にも、しょくしん、してみてくれませんか?」


 そう言って――シャツを捲り上げ始めるユエル。


 「駄目、ですか?」


 上目遣いで。

 シャツを胸の上まで捲り上げ、薄い褐色の肌を露出させるユエル。

 もうその肌を隠すのは、長い銀髪だけだ。


 「い、いや......」


 駄目というかなんというか。

 ユエルのそれは精神的な問題であって、ユエルの胸を弄っても病気を発見することは絶対に無いだろう。


 そう、解決にはならない。

 けれど。


 ユエルの目は明らかに不安に揺れている。


 きっとこれには、ユエルの、自分の魅力に対する不安も混じっている。

 ここで拒絶してしまったら、ユエルのメンタルがマイナスに振り切れてしまうかもしれない。

 そんな予感を感じさせる瞳だ。


 ......やるしか、ない。


 そう、これは医療行為。

 例え医療行為だと認められなかったとしても、情緒不安定なユエルに対するカウンセリングみたいなものだ。


 いかがわしい行為ではない。

 決していかがわしい行為では無い。


 ユエルの精神を守るために、必要な事なのだ。

 そして、ユエルの胸元に手を伸ばそうとしたところで――


 ――とある単語が脳裏を過る。




 お医者さんごっこ。




 スッと、頭のどこかが冷静になる。

 そして、自分を俯瞰する視点が脳内に現れる。


 幼稚園児の頃、近所のエリちゃんとやっていた、あのごっこ遊び。

 子供がやっていても微笑ましいだけだったが、片方が大人になるだけでここまで背徳的な雰囲気に変わってしまうのか。


 視界には、小柄な体躯のユエルがいる。

 そして、その身体に伸ばされようとしているのは、大きな大人の手。

 このまま手を動かせば、きっとユエルを一時的に安心させることが出来るだろう。


 けれど、やっぱり駄目だ。

 駄目だろうこれは。


 ......人として駄目な一線を、越えてしまう気がする。


 それに、これから何かある度に胸の触診を求められれば、俺の理性がどうなってしまうかわからない。

 最近のユエルは、肉付きが改善されつつあるのだ。

 俺はユエルにはにかむ笑顔を向けて欲しいだけであって、今そういう関係になりたいわけではない。


 一線を引くことは必要だ。


 それに、ユエルはまだまだ子供。

 依存と恋愛の区別がつくような年齢ではない。

 ただの依存であれば、ただ安心させてやれば良い。

 恋愛だとしても......やはりまだ早いだろう。


 別の方法を考えよう。


 ユエルの胸に伸ばしていた手を、ユエルの背中に回す。

 触診の代わりに、抱き締めて頭を撫でる。

 いつも、迷宮探索中にやっていることだ。


 「俺が前に、ユエルにずっと一緒に居て欲しいと言ったのは、本当だ。安心、してほしい」


 ユエルは何も言わない。

 抱きしめているから、表情も見えない。

 無言で、されるがままになっている。


 それでも、撫で続ける。

 今までだって、撫でればなんとかなってきた。

 今回もきっと、なんとかなるはずだ。


 ......そうして撫で続けていると、ふと、ユエルが口を開いた。


 「......ご主人様は、私が頑張ったから、プレゼントをくれるって言いましたよね。もっともっと頑張ったら、その時は......ご褒美、くれますか?」


 「......あぁ」


 ご褒美、というのが何を指すのかが気になるが、拒絶できる雰囲気ではない。

 頷いておく。

 それに、曖昧な先送りは大歓迎だ。


 そして、俺の言葉を聞いたユエルは、俺から離れ......


 「もう、大丈夫です。おやすみなさい、ご主人様」


 はにかむように笑って、そう言った。






 ふと、目が覚めた。


 辺りはまだ暗い。

 明かりらしい明かりは、窓から差し込む月明かりだけだ。


 まだ、早朝にすらなっていない深夜ということだろう。

 昨日、早く寝すぎたせいか、変な時間に目覚めてしまったようだ。



 トイレにでも、行くか。



 体を起こし――そして、気づいた。







 ユエルがいない。


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