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無職になる。

 迷宮都市メルハーツ。


 迷宮を中心として広がるこの都市の外れ、エリス治療院で俺はいつものように仕事に励んでいた。


 「うわ、この傷ちゃんと処置しなかったのか? 膿みはじめてるよ。これはディスポイズンも必要だね。ヒールと合わせて四百ゼニーね」


 目の前には鮮やかな赤毛を肩まで届く程度に伸ばした少女。

 程よく筋肉のついた肢体と、シンプルなボタンシャツにショートパンツというラフなスタイル。

 ボーイッシュな雰囲気だ。


 その彼女の左腕には、鋭いもので引っかかれたような傷がある。

 けれど、痛々しい傷跡に反して彼女の受け答えは快活で、特段その傷を気にするような様子はない。

 そう、彼女にとってこの程度の傷は日常茶飯事なのである。

 彼女は「冒険者」なのだから。


 そんな彼女の腕に「治癒魔法」をかけるとぼんやりとした光が患部に集まり、傷を修復していく。


 「えぇ、四百かー。 シキ、もうちょっとだけ安くならないかなぁ? 前の探索で装備も壊れちゃって、お金無いんだよー」


 「駄目だめ。勝手に治療費安くしたりなんかしたら今度こそエリスにクビにされるから。これ、雇われ治療師の辛いところね」


 俺、佐藤四季さとうしきは、元々は現代日本の大学生だった。

 それがある日、突然この異世界にやって来た。

 通り魔に包丁で刺されて、死んだと思ったらなぜかこの迷宮都市に居たのだ。


 そして元々、日本で贋物専門の古物商として小金を稼いだり、サイキックヒーリング系の新興宗教を興して大金を稼いだりしていたことに関係があるのか無いのか、俺はこの世界で鑑定のスキルと治癒魔法のスキルを身につけていた。

 それからこの異世界で生計を立てるため、紆余曲折を経てエリス治療院で働きはじめ、今日で三ヶ月、といったところだ。


 「えぇー、大丈夫だよー、バレたりしないって。ディスポイズンの分だけでいいから! お願いしますよー」


 むにゅり。


 赤毛の少女が治ったばかりの腕をぎゅっと寄せる。

 ボーイッシュな雰囲気からは想像できない程に、大きな胸がぐぐっと上に押し上げられる。



 これはやばい

 色々とやばい。


 

 迷宮探索用の装備をつけていない彼女の胸元を隠すのはボタンシャツ一枚。

 流石に下着はつけてはいるが、この世界の下着には固定のためのワイヤーなんて言う無粋なものは入っていない。

 薄い下着では抑えきれない豊かな双丘が、ぷるんと揺れる。


 「で、でもなぁ」


 この治療院の経営主、エリス。


 異世界にやってきてすぐ、働く場所を探していた時のことだ。

 街で偶然見かけた彼女の修道服に詰め込まれた、はち切れんばかりの巨乳に惹かれ、ちょっとストーキングしていたらこの治療院に辿りついた。

 そして俺はここで働くことにしたのだ。


 けれど、正直、環境はよくない。

 まず、街の中心の迷宮から遠い立地のせいか客が少ない。

 客が来ないから、治療の料金を無理に安くして他所からも客を集めているような所だ。

 もちろんそんな経営だからこの治療院には金が無い、治療院にしては給料も安い。

 住み込みで働いているから、給料は正直どうでもいいのだが。


 こんな経営の治療院で値引きなんてしたら、エリスになんて言われるか。

 いや、実際に怒られて、次にやったらクビ、とまで言われてしまっている。

 それも何回も。



 しかし、わざわざ迷宮から遠い治療院に来るような冒険者は大抵が金の亡者、海千山千の猛者達だ。


 「ほらぁ、少しだけなら触ってもいいんだよー?」


 卓越した彼女らの交渉技能を前にして、毎回抵抗虚しく値引きさせられてしまうのだ。

 全てはこんな罪作りな果実を産み出してしまった神がいけない。

 あぁ、俺は日本の一部では新興宗教の教祖として神のように崇められていたわけだから、俺がいけないとも言えるけど。


 「しょーっがないなぁーっ。それじゃ、ヒールの分で二百ゼニーね!」


 「わーっありがとう! それじゃ、少しだけね」


 赤毛の少女が胸を張り、その大きな双丘を突き出してくる。

 じっと彼女の顔を見つめると、頬が僅かに紅潮し、ふいっと顔を横に逸らす。


 これだよ。

 これですよ。

 この男を掌の上で転がすような魔性の仕草。

 男を惑わす猫撫で声。

 この子は毎回これだ。

 こんなものを一度でも見たらもう値引きせざるを得ない。

 俺の意思が弱いんじゃない、この子の技量が凄いんだ。

 

 そして、少女の胸に手をのばし――



 「何、してるの」



 絶対零度の声が。



 治療室に響いた。



 「やっ、あっ、わたしもう行くねー。治療ありがとうございましたー!」

 

 あぁ。

 ボーイッシュちゃんがダッシュで逃げた。

 流石は冒険者。

 素晴らしい身のこなしである。

 まだ揉んでいないのに。

 というか治療費ももらってない。

 払えよ。


 彼女が逃げた理由は言わずもがなである。


 治療室の入口で仁王立ちをしている、腰まで伸びた金髪の女性、エリス。

 十八歳にして、この治療院を一人で切り盛りしている性格がちょっとキツめな女の子である。

 先程のボーイッシュ少女が霞むぐらいに豊満な、豊満すぎる胸を押し上げるように腕を組み、こちらを睨みつけている彼女の目線は俺を射殺さんばかりの鋭さだ。


 「あ、ははははは」


 処世術その一、困ったら笑っておけ。


 「私、言ったよね。勝手に値引きするなって。何度も、何度も、何度も、何度も」


 効果は無い。


 「ほ、ほら、あれはさ、アレだよ。あー、胸! 胸を怪我してたみたいでさ、治療しなきゃでしょ? ね?」


 処世術その二、あれには正当な理由があったんですよ。


 「治癒魔法をかけるだけなのに、なんで触る必要があるのかしらね? それに、最初から、見てたから」


 効果は無い。


 「も、も、申し訳ありませんでしたあああっ!!」


 処世術その三、土下座。

 勢いの乗ったフォーム通りの完璧な土下座である。

 頭を床にこすりつけ、ただひたすらに許しをこう。

 この惨めさには怒りっぽいエリスも流石に許さざるを得ないだろう。


 「......貴方がどうしても此処で働きたいっていうから雇ってあげたのに、何度言っても言うことは聞かない、隙あらば私にも客にもセクハラ、セクハラ、セクハラ。それなのに食べるのはしっかり二人前。治癒魔法の腕だけは凄かったから今まで我慢してたけど、もう、もう、無理。貴方は、クビよ。もう二度と顔を見せないで」


 はい、駄目でしたー。

 スリーアウトである。

 今まで何度も怒られてきたけれど、ここまでの怒りは初めてだ。

 少なくとも、顔を見せるなと言われたことは一度も無かった。

 

 「ご、ごめんって、ほら、もうしないからさ。そんなに怒ると綺麗な顔が台無しだぜ?」


 「チッ!!」


 あっ、これはマズい。


 これはマジギレエリスさんだ。

 ノータイムでの舌打ちといい、腐った生ゴミを見るような目といい、俺に本気の嫌悪を向けているのが分かる。

 ぶっちゃけ怖い。

 かなり怖い。

 ここまで怖いエリスを見るのは、昨日水浴びをしているエリスの裸を必然見てしまった挙句に必然足を滑らせてエリスに向かって倒れこみ、必然豊かな胸を揉みしだいてしまった時以来である。

 流石にやりすぎた。


 マジでクビにされる五秒前。

 

 きっと次の俺の一言が今後の運命を分ける。

 頭を回転させろ。

 考えるんだ。

 起死回生の一言を。


 エリスが悦びと恥じらいに頬を染め、「素敵、抱いて!」となるような渾身の口説き文句を。


 「これ、貴方の荷物。もうまとめておいたから」


 タイムアップ。


 エリスが大きな麻袋をこちらに投げる。

 中を見ると、数着の男性用の修道服に、バンクカードが一枚。

 間違いなく俺のものである。

 なんとも用意周到なことで。


 「あの、エリスさん?」


 「さっき言った通りよ。貴方はクビ。もう出ていって」


 ――こうして俺はエリスの治療院を即座に追い出され、異世界で、住所不定無職になったのだ。

エリスの髪の長さを修正しました

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