メーデー 2
電車のアナウンスが終着駅であることを知らせる。九条あかねは膝の上に広げていたノートパソコンを閉じる。ゆっくり開いた扉から降りる、ホームに散らばった乗客に一つ遅れて加わった。
最近買った履き慣れないブーツを、かつかつと鳴らしながら九条あかねは早足に歩き、改札を抜けた。本当はもっとゆっくり歩きたかったが、早く行かないと相手が相手だ。面倒くさいと彼女はため息をつく。
昨日珍しい人から電話があった。そう言うとあまり会う機会が少ない人かと思われがちだが、そうじゃない。会うには会っているのだ。ただ電話は彼からじゃなく、いつもなら担当から間接的にかかってくる。
九条あかねは立ち止まる。見つめた先に彼はいた。
九条あかねは顔色一つ変えずに彼から目を外し、カフェの扉を開いた。コーヒーをすすっている彼はまだ気がついていない。
「お一人様ですか?」
可愛い笑顔を携えてウェイトレスが隣に立つ。だけれどいいえ、と彼女は素っ気なく答える。
「呼ばれて来たので」
何か言おうとしたウェイトレスの横を通り抜け、丁度顔を上げてへらへら笑った彼の席へと向かう。
「用件は何」
「来たばっかりなのに。座って飲み物頼んだら?」
「あんたにやらされてる仕事で忙しいから」
立ったままの九条あかねを見て軽くため息を吐いてから、楽しそうに笑った彼はじゃあ、と口にした。
「じゃあ、座ってくれなきゃ話さないよ」
九条あかねは思い切り机を叩くと、音を立てて座った。近くまで来ていたウェイトレスがびくりと肩を震わせる。
「あのっ、お飲み物、どうされますか」
ウェイトレスを気の毒に思ったのか、彼は指を一つ立ててからコーヒーお願い、と笑ってみせた。
「そう怒らないでよ。ウェイトレスの子怯えてたでしょ」
「早くして」
「……もう、仮にも僕、編集長なんだけどねえ」
そう言った彼は食べていたペペロンチーノに手を伸ばし口に運ぶ。机の上で九条あかねはかちかちと指を当てて音を立てた。
「まったく、ゆっくり僕のお昼食べさせてよね。ここのペペロンチーノおいしいんだから」
腹が立っていたので、早いお昼ご飯ね、とは彼女も言わなかった。今はまだ九時だ。
「ならまた別の機会にして」
「直木賞取れそうじゃない」
立ち上がろうと手をついたが、その言葉に動きを止める。皿とフォークがかちんと音を立てる。ペペロンチーノを口に運んだ編集長はゆっくり口を動かす。
「『180℃』で。確率ほぼ百パーらしいよ」
「…………」
「ようやくだね」
何かを含んだように言った彼に視線を合わせた彼女の顔はやっぱり無表情だった。
「何が言いたいの」
「やっと直木賞作家になれるね」
「違うでしょ」
あんたは、とさっきよりもゆっくり、さっきよりも低く、九条あかねは声を発した。
「大城先生を殺したのが私だと思ってるんでしょ」
「は? 話関係無いじゃない」
「嫌味よ。あんたは私が犯人だと思ってる。大城先生が直木賞の審査員で、私にだけ酷評してた。だから私は大城先生がいる限り直木賞を取れないって色んな人に言われた。でも、だから殺したって? ふざけないでよ」
「九条先生」
「確かにあの日、先生と会った。でも証拠は? 証拠が無いでしょ。もう一年経つっていうのに、未だに捜査は進展しない。あの事件は、警察が諦めた事件よ」
「証拠は『180℃』だろ」
編集長は九条あかねを睨んだ。さっきとは似ても似つかない表情で。彼女は立ち上がるとさっさとカフェの出入り口に向かう。さっきのウェイトレスがコーヒーを抱えて歩いてきていたが、彼女を捉えて立ち止まろうとしていた。彼女はそんなウェイトレスのそばに行き、そのまま運んでとだけ伝えるとカフェを後にした。