3
門前町を出て、意気揚々と旅に出るつもりだったけれど予定変更。
「買い物しよ」
呆れた顔でレツが溜息をつく。
「何で。そんなのいいから早く行こうよ」
ぐいっと手を引っ張るレツを逆に引っ張って、雑踏の中に足を向ける。
「着替えも必要だし、それに旅に必要な物を買おうよ。レツと一緒に買い物なんて出来ると思ってなかったから、楽しそうだなと思うの」
「着替えねぇ」
舐めるように上から下、それから下から上にと見られる。
祭宮の宮城で用意してもらったものだから、そんな変なものじゃないはずよ。素材もかなりしっかりとしたものだし。着心地だっていい。
「……何着欲しいの」
「1着。これとあと1着あれば着まわせるし」
大丈夫と付け加えようと思ったら、思いっきり呆れた様子で溜息をつかれた。
何よ。別にちょっと買い物くらいいいじゃない。
ここから村までの間には大きな街ってないんだもん。1着洋服見るくらいいいじゃない。そんな何時間も掛からないんだし。
「ホントに無頓着で色気ゼロだよね。サーシャって」
何でそんな溜息つくの。今、色気とか必要ないでしょ。
くしゃくしゃっと頭を撫でられ、レツに見つめられる。見つめられるとドキドキするよ。
「髪、伸びたね」
ふわっと一束髪を取るレツの指が頬を撫でて、くすぐったい。
「うん。巫女に選ばれた時からずっと伸ばしてるから。あ、毛先は整えてるよ」
そのくらい気を使っていると付け加えないと、また無頓着とか言われそうだし。
「ふーん。そっか」
気のない返事をしたレツがくいっと手を引っ張り、雑踏に向けて歩き出す。
「買い物行こうか」
付け加えられた言葉に、心が躍りだす。
レツと買い物。
うん、なんだか考えるだけでウキウキしてきちゃう。
ルンルンっていう擬音が私の回りに出てるんじゃないかってくらい。
腕を絡めてレツの顔を見上げると、レツが柔らかい笑みを浮かべる。
「こんな事くらいでそんなに喜ばなくてもいいのに」
「だって嬉しいんだもん」
「買い物が? 買い物くらいしたことあるでしょ。別に」
人を買い物もしたことがないくらいの田舎者扱い? 超失礼っ。
「買い物くらいあるよ。普通に生活してたら、おつかいくらい行くもん」
ふふっとレツが笑う。何がそんなに楽しいんだろう。
でも、レツもどこかいつもよりも足取りが軽い感じがする。
「そうじゃないよ。誰かと一緒に買い物に出かけたりとかした事あるでしょって聞いたの」
そういう意味ね。
「んー。無い」
全部村の中で生活に関して言えば完結していたし、誰かと一緒に村の外に買い物に出た事なんて無い。近くにそういう大きな街が無かったっていうのもあるけれど。
「だからそんなに嬉しそうにしてるの」
あんまりにもストレートに聞かれると、恥ずかしさがこみ上げてくる。そんなに嬉しそうにしてたかな。
思わず視線を地面に向けると、ポンポンと頭を叩かれる。
それで顔を上げると、正面からレツの顔を見ることになって、かーっと顔が熱くなる。
「ボクは嬉しいよ。サーシャの初めての体験がボクとの思い出って良くない?」
「うん。一生忘れないよ、きっと」
「大げさすぎ」
レツは苦笑するけれど、絶対忘れないと思う。
今日の天気も、レツの笑顔も。そしてこれから一緒にする色んな事を。
「いいの。大げさでも。それより行こう。多分あっちの方にお店あると思うんだ」
昨日軽く見た感じだと、西のほうの路地に服屋さんが何軒かあったから、そっちに行けば服は買えるんじゃないかな。
腕を引っ張ってみたけれど、指の先が重たくて動かない。
「どうしたの?」
立ち止まって神妙な顔をしているレツに問いかけると、レツがはっとしたような表情で顔を上げる。
「ああ。ごめん。あのさ、どこか換金できるところ無いかな」
「換金? 何で?」
「これを換金したいから」
繋いだ手と反対の手に、こぶし大の金塊が握られている。
「どうしたの!? それっ」
「声、大きい。耳痛い」
「それどうしたの」
小声で問いかけなおすと、レツがうーんと唸って金塊を見つめる。
「金目の物だったら何でも良かったんだけど、地脈を探ったらこれが出てきた」
ん? ちょっと言っている意味がわからない。
地脈を探るって、なんだろ。
「詳しい説明はメンドクサイからヤダ。とにかく、他人の金を当てにしたくないの。特にサーシャが身に着けるものは」
「え?」
「祭宮の金なんて使わせない。キミはボクのだ。だからボクが養って当然なの。これで理解した?」
そうじゃなくって。
「ねえ、レツ」
「ん?」
「ほっぺ、赤いよ」
ブンっと繋いだ手が空を切る。
「そういう事、いちいち言わなくていいからっ」
照れてるんだ。そっかレツでも照れたりするんだ。ちょっと新鮮。
幸せで、踊りだしたいくらい嬉しい。
きっとこんなレツ、私しか知らないもの。
「え。それにするの?」
壁に寄りかかって試着が終わるのを待っていたレツが、何枚かの服の中から選んだ一枚に不平を漏らす。
「だって、これが一番派手じゃないし、丈夫そうだし、安いし……」
はあーっと思いっきり溜息をついたレツは、バリバリと頭を掻く。
不満ですって雰囲気が漂いまくってます。ちょっと不穏な空気。
「値段なんてどうだっていい。金ならいくらでもなんとでもするから。その可愛げのない質実剛健って感じので、本当にいいの?」
質実剛健。確かにそうかもしれないけど。今着てるのと着まわすなら丈夫なほうがいいし。華美な装飾があると、洗濯した時の痛みが早いと思うから。
「うん。ダメ?」
「ぜーんぜんダメ!」
ダメ出しをされた服の山を元の場所にレツが戻し、隣の服屋さんに腕を引かれて入る。
さっき入っていたお店よりも可愛い感じの服が多くて、今までそんな服着たこと無いから気後れしちゃうよ。
ポンポンといくつかの服を手にとって、レツがそのまま店員に差し出す。
「これ、全部買うの?」
「何で。ボクが買うんだから文句ないでしょ」
そう言って、それ以上何かを言おうとしても聞く耳を持ってくれない。
あれよあれよという間にお会計が終わり、服のたんまり入った袋を手渡される。
「着替えていかれますか」
にこやかに微笑む店員さんに、レツが間髪いれずに「はい」と返事をする。お前がするなっ。
袋の中から、恐らく目星をつけていたんだろうと思われる服を手渡されると、あっという間に試着室の中。
パフスリーブの袖に、胸元で切り替えしたハイウエストの膝丈のワンピース。花柄のチュールレースなんかもあしらってあったりして、シンプルなデザインなのに可愛らしい感じ。
こんなの着たこと無いから、すっごく気恥ずかしい。
恐る恐る試着室のカーテンを開けると、レツが満足そうに口元を上げる。
「変じゃない?」
「変じゃないよ。次、行くよ」
靴を履くとレツに腕を引かれる。
こんな調子で、靴屋さんに行き、また他の服屋さんに立ち寄り、それから今度はバッグを見たりして、ものすごい買い物をしてしまった。
荷物だらけで旅をするのも大変だよ、これじゃ。
どうしようかなんて考えていたら、レツにまた腕を引っ張られる。
「こっち」
今度はどこよ。
あっと思う前に扉を開け、美容院の中へと足を進める。
「この服に似合うような可愛い感じにしてください。終わる頃に迎えに来ます」
そう言い残してレツがお店の外に買い物をした袋と共に姿を消す。
どうやら有無を言わさぬつもりらしい。
店員さんも一瞬あっけに取られた様子で、それから苦笑を浮かべる。
「旦那さん、とても強引な方ですね」
旦那さん? え?
きょとんとしていたら、店員さんが「ごめんなさい」とすまなそうな顔をする。
「旦那さんじゃなくて、彼だったかしら。ごめんなさいね。その指輪、婚姻を示すものかと思ってしまったの」
言われて右の親指の指輪に目を落とす。
「これですか。えっと……形見なんです」
ってことにしておこうかな。正式な由来とかわからないし。預かり物でしかないんだもの。
「あら。余計な事を聞いてしまってごめんなさい」
これ以上指輪について聞かれても困るので、お茶を濁して早速髪のほうに取り掛かって貰う。
レツがああいう風に言ったんだから、毛先を揃えるだけじゃ納得しないんだろうな。
巫女なのに、勝手に髪の毛切っちゃっていいのかな。巫女になる時に、理由は忘れちゃったけれど髪は長いほうがうんぬんって言われたから短いのは多分ダメなはず。
「どんな風になさいますか」
「短すぎなければ、あとはお任せします」
髪を洗われたり切られたりしている間これといってすることもないので、ぼんやりと指輪を眺める。
何か文字が掘ってあるみたいだけれど何て書いてあるんだろう。
指に持ち上げてまじまじとその文字を見つめる。装飾と混ざり合うように書かれているので、読み取れない。
草や花や竜の意匠と混ざり合って、文字が溶け合うようになっている。
精巧な作りだし、所々に小さいけれど宝石もちりばめられているし、きっと由緒ある大切なものなんじゃないのかな。ウィズが持っていたくらいだし。
こんなもの預かって、本当に良かったのかな。
次に会った時にはすぐに返そう。もしも無くしたりしても困るし。
指輪を嵌め直してぼーっとしていると、睡魔が襲ってくる。
うとうととしていると、意識がどこかへと誘われていく。
「随分早い昼寝だね」
レツの声ではっとして目が覚め、振り返るとレツが変身している。
「どうしたの、その格好」
ダボダボッとしたパンツスタイルと、それとは対照的な細身のシャツ。
それなりにかちっとした服を着ているのしか見たことが無かったから、一瞬誰かと思った。
その辺にいる軽い兄ちゃんっていう感じで、いつものレツらしくない。普段はどちらかというと貴公子然としているから。
「たまには良いかなと思って。こういうのも」
悪くはないけれど、本当に印象が全然違う。
いい意味でも悪い意味でも子供っぽくなくて、レツじゃないみたい。
「行くよ。サーシャ」
会計は寝ている間に済ませてしまったようで、そのまま店を出る。
路地の中で向き合うと、今までの自分たちとは全く違う、巫女でも水竜でもない、その辺の町の中に普通にいる普通の人みたい。
「何。惚れ直した?」
ニヤリと笑うレツの腕を軽くはたく。
「うるさい、そういう事言わないの」
「図星ー?」
何で意地悪い顔して笑うかな。
そうよ、図星よ。
変な話今まで見ていたレツって「お坊ちゃま」風だったのね。それに対して、なんていうかちょっと斜に構えた感じなのがまたカッコイイとか思っちゃったのよ。
「ボクも惚れ直したから、おあいこだね」
さらっと言ってのけるレツは凄い。こっちは体温上がるばっかりだよ。
春だっていうのに汗かいちゃう。
「さーて、あとは何か欲しいものある?」
一つの袋に荷物をまとめて持ち、レツが反対の手を「はい」と差し出す。
その手に自分の手を重ねてレツを見ると、レツが微笑み返してくれる。
「何でもいいよ。欲しいもの、何でも買ってあげるよ」
言われて思いついたのは、たった一つ。
でもそれを言うのは躊躇われて、目を伏せる。
欲しいけれど、でも……。
「何が欲しいの」
優しい口調に顔を上げると、レツがどうぞと言葉を促す。
「言っても呆れない?」
「まあ、大概は」
言おうかどうか悩んで、胸の中に渦巻くものを言葉に出来ずにいると、レツがプニっと頬を掴む。
「甘え下手だな。こういう時は素直に欲しいって言ったほうが可愛いの」
それはどうだろう。
でも、言えって事だよね。
「あのね、昨日片目がいた噴水の傍の広場のところにある露天で売ってるんだけど」
「ん? 何が売ってるの」
「石。石が欲しいの」
「石。それはまた変わったものが欲しいんだね。とりあえず見に行こうか」
レツと並んで歩いていく。
そういえばあの後片目はどうしたんだろう。今日も変な格好して噴水のあたりにいるのかな。
この格好見たら、何て言うんだろう。
どうして石が欲しいのかとかレツは聞かないでいてくれたので、敢えて何も言わないでいる。どうして石が欲しいか、とか。
片目の事とか、正直どうだっていいことを口にしながら、昨日の噴水のあたりまで歩いていく。
ぐるりと視界を巡らせ、昨日のおばさんを探す。
まだ時間が早いせいかもしれないけれど、その姿は見えない。
はーっと意識せずに溜息が出てしまう。
どうしても欲しかったのに。運命にも嫌われているのかな。ずっと一緒にはいさせませんって。
肩を落としてベンチに腰掛けると、レツが横に同じように座る。
「いなかった?」
「うん」
欲しかったな。レツとおそろいの石。
昨日いた辺りを何度も何度も見るけれど、結果は変わらない。やっぱり、無理か。
「いいや、行こう」
「待って」
立ち上がろうとすると、レツの声が静止する。
「サーシャは指輪とピアス、どっちが好き?」
突然の問いかけに首を傾げてレツを見ると、レツが苦笑する。
「はい、返事は?」
言われてから考える。
日常的にはどちらもつけたりしないから、どちらが好きというのは無いかな。
ただ、この右の親指の指輪でさっき誤解を招いたから、指輪じゃない方がいいかな。
でも敢えて指輪のほうがいいかな。
「答えが出ないか。じゃあ、実物見に行こうか」
問いかけるよりも先に、レツが手を繋いで歩き出す。
いくつかの角を曲がったところに、立派な宝石店がある。
躊躇いもせずにレツが店内に入って、ショーケースの前に立つ。
「一つの石を二つに分けて装飾品にするんだって。それをお互いに持っていたら石が互いに惹かれあって求め合って、ずっと傍にいられるんだってさ」
知ってたの、その石の話。
見上げたレツの横顔は、穏やかで迷いが無い。
「ちょっと欲しいかなって思ったんだけど、どうかな。おまじない程度だけどね」
苦笑いを浮かべ、それでも熱心にショーケースの中を眺めているレツが、だんだんぼやけてよく見えなくなってくる。
「泣くところじゃないでしょー。泣き虫」
頭を抱えられ、レツの肩に顔を押し付けて涙を堪える。
すっごく幸せすぎて、それが逆に怖くて仕方ない。
いつか終わってしまうのに、それはわかっているのに。でも手放したくないって欲が出てくる。
「このね、淡い色のがいいかなって思ったんだ。こういうの好き?」
私が泣いてることなんて全然気にしていない様子で、レツが聞いてくる。
ブンブン首を縦に振ると、クスクスっと頭上から笑い声が降ってくる。
「じゃあこれ下さい」
レツがあっさりと商品を選んで会計を済ませると、手を引かれて店を後にする。
細い路地裏で、レツがゴソゴソとさっき選んだ二つに分かれた石を手の上に乗せる。
「ピアスか指輪。サーシャが決めないんだったら、ボクが決めていい?」
こくりと頷くと、レツが左の薬指に細い指輪を通してくれる。
「左の薬指はね、心臓に繋がっているっていうらしいよ。心臓は命の源。だからね、キミはボクのものって証明に」
ぶかぶかではないけれど、ぴったりでもない指輪が左手で光り輝いている。
すっごく欲しかった石がこんな風にレツから贈られるなんて。
「ありがとう。レツ」
「どういたしまして。ボクが欲しかっただけだから、気にしないで」
さらりと言った言葉に、胸がぎゅっと掴まれる。
一緒にいたいってレツも思ってくれているんだね。
飛びつくようにレツに抱きつくと、ちょっとよろけながらレツに抱きとめられる。
「ずっと一緒にいられたらいいね、サーシャ」
いられるはずなんて無いのはお互いにわかりきっているけれど、何度も何度も首を縦に振り続けた。
優しい夢がいつまでも続きますように。
少しでも長く、この幸せすぎる時間が続きますように。