矢弦
霧の中から、滝壺の河童像が、ゆったりとした歩みで現れる。霧を掻き分け、巨大な河童は、ずしり……と重々しい足音を立てた。
ひえええ……と、兵たちは悲鳴を上げていた。
わっ、とばかりに浮き足出す。今にも背を向け、逃げ出しそうだ。
口許を引き結び、甚左衛門は素早く兵たちの前に回り、すらりと腰の刀を抜き放った。
「もし、逃げる者があれば、この場で切り捨てる!」
口調は真剣だった。
兵たちの、足がひたっと止まった。
しかし目は巨大な河童に向けられている。
ずしり……また一歩、河童は近づく。
甚左衛門は大声を上げた。
「みな、弓を持て!」
兵たちは顔を見合わせた。おずおずと弓を手にすると、矢を番える。
甚左衛門は首を振った。
「そうではない! 矢弦を鳴らせ!」
堪らず、藤四郎は声を掛けた。
「甚左衛門、何を言うておる?」
甚左衛門は怒りに満ちた顔を藤四郎に向けた。
「幻術破りには、これが一番なのじゃ!」
兵の一人から弓を奪い取ると、自ら弦を引き絞り、びいんと弾いた。
「さあ、同じようにせんか!」
兵たちは、さっぱり訳が分からないまま、見様見真似に甚左衛門の仕草を真似る。
びいん!
びいん!
びいん!
霧の中に、兵たちの矢弦を鳴らす音が響いた。