緑の香り漂う診療所
魔法と科学が交錯する世界で——魔法使いの医術と、影の刃が紡ぐ医療ファンタジー
巨大な異世界都市「ノーネーム」——無機質なビル群と、時折空を駆け抜ける魔導列車の喧騒から少し離れた森の木々に囲まれた一角に、その小さな診療所はあった。
「ふぁ~…うぅ~ん」
白い漆喰の壁に、長年使い込まれて柔らかな光沢を帯びた木の扉。軒先には丁寧に束ねられた薬草が吊り下げられ、朝露をまとった風が吹くたびに、青々しく甘い香りがさらりと鼻腔をくすぐる。
「今日はいい天気ですね。」
朝の光が診療所の窓を淡く染め上げる頃、天廻 癒々(あまめぐり ゆゆ)はすでに目を覚まし、静かに薬研を動かしていた。
(——昨晩から調合しているこの軟膏は、午後には仕上がるわね)手元のリズムは一定で、一切の迷いがない。ゆゆはどんな時も、まず物事の状況を冷静に把握する。怪我人の重症度、薬草の乾燥具合、大気の魔力濃度の揺らぎ。感情に流されず正確に事態を見極めるその透き通った眼差しは、周囲の人々に言葉以上の安心感を与えていた。
「おはようございます。今日も随分と空気が澄んでおりますね」
扉を開け、訪れた最初の患者に微笑みかけたとき、その声には不思議なほどの温かさが宿る。
「おはようございます、ゆゆ先生。」
彼女は訪れる者が街の富豪であろうと、日々の生活に追われる労働者であろうと、分け隔てをしない。誰に対しても柔らかな笑顔を向け、丁寧で美しい言葉を選んで接する。その人柄ゆえに、町の人々は彼女を敬意と親しみを込めて「ゆゆ先生」と呼んだ。
「ゆゆ先生、お願いします。機械の肘が軋んで……昨日から痛むんです」
「はい、どうぞお気遣いなく。すぐ拝見しますので、こちらへお掛けくださいね」
半身をサイボーグ化した男が苦痛に顔を歪めて駆け込んできた。一般的な医師であれば、機械部分と生体部分のどちらに原因があるのか戸惑うところだが、ゆゆの判断は早かった。——彼女の頭脳は、高度な医学知識と精緻な魔導回路の構造を完璧に同時並行で理解している。
「少し魔力の滞りが見られますね。それと、関節のギヤに微細な摩耗が……。こちらのオイルを差しながら、滞りを解きほぐしますよ」
手際よく、かつ冷徹なまでに正確な手つきで調整を行い、最後に体内の魔力を整える呪文をそっと吹き込む。直後、男の顔から苦痛の影がすっと消え去った。
「あぁ……楽になった。いつもすまないね、先生」
「いいえ。大事に至る前にお越しいただけてよかったです」
次いで、高熱を出した獣人の子が母親に抱えられてやってくる。細い声で「ゆゆ先生……」と縋り付く小さな手に、ゆゆは自らの手を優しく重ねた。 (脈拍が少し速い。昨夜の冷え込みが胸にきたのね)冷静な分析の一方で、その瞳にはどこまでも深い慈愛が満ちている。
「はい、ここにおりますよ。もう大丈夫ですからね」
薬湯を飲ませ、手のひらから淡い琥珀色の光を放って、熱に浮かされる額を心地よく冷やしていく。小さな命の波長にそっと寄り添うように魔力を微調整し、数分もしないうちに子供の呼吸は穏やかなものへと変わった。
昼下がり、古い傷の痛む老婆が「ゆゆさん」と杖をつきながらやってきても、その対応が変わることはない。
「痛むときは我慢なさらず、いつでもお呼びください。すぐに飛んでまいりますので」
そう言って穏やかに微笑む彼女の姿は、慌ただしいノーネームの街の中で、まるでそこだけ時間が優しく流れているかのような静けさをまとっていた。日暮れが近づき、診療の合間に一息ついていたとき、ゆゆはふと壁に立てかけてあった一本の長い杖に目をやった。
深い木肌には繊細な精霊文様が刻まれ、先端に嵌め込まれた宝石が夕陽を受けてゆらりと輝く。
(そろそろ、南の森の特効薬になる薬草が枯れる頃ね……。明日の朝一番で、空から採りに行きましょう)感情に溺れず、しかし人への愛を忘れない。
「ふぅ~今日も一日、頑張りましたね、さて、寝るとしましょう…」
冷静な知性と温かな優しさをその身に宿しながら、ゆゆは明日もまた、この緑の香り漂う診療所で静かに人々を待ち続けるのだった。
主人公の名前は「天廻 癒々(あまめぐり ゆゆ)」。魔法を使う医者で大人びた女性です。




