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短編

魚と猫

作者: 糸のいと
掲載日:2026/01/09



 誰にもエスコートされないまま出席した夜会。

 わたしのフェリデ・グリフが、女性に囲まれていた。


「あ、いけない。わたしの()()()――の間違いね」


 出来のいい彼の笑顔に、女性たちは頬を染めている。

 騙されてますよ、と言いたいのをぐっと堪え、わたしは後ろを通り過ぎた。他人、他人、と心の中で繰り返す。


 すると、彼を取り囲んでいる輪がじりじりと近づいてくる。なにこれ、追い込み漁? 逃げ続けて、とうとう壁際に追いやられてしまう。


 右には男性陣の輪。左にはフェリデの輪。諦めて、その狭間で壁の花になってみる。


 聞きたくもない会話を拾ってしまうくらい近い。金髪の巻き髪令嬢がフェリデの腕に触れているのも、ばっちり見えてしまう。……他人、他人。


「――ねぇ、フェリデ様。お逃げにならないで?」


 甘い声。彼も満更でもなさそうに笑みを深めている。知らなかった。こういう女性がタイプだったのね。なるほど、わたしには一切手を出さなかったわけだ。


「婚約を解消なさったというのは本当のお話ですの? お相手は、噂のポワソン子爵家の方ですわよね。モル様だったかしら?」


 はい、ここにいます。ソル・ポワソンですけどね。

 でも、彼は笑うだけ。モルとソルの指摘くらいしてもらえますかね。相変わらず猫被りのお上手なことで。


「彼女は赤の他人だ。もう無関係だよ」

「まあ!」


 彼の発言に、沸き立つ輪たち。ええ、どうせね。生まれたときからずっと、十八年間も婚約者をやっていただけの――赤の他人。


 男性陣の輪では、グリフ伯爵家とポワソン子爵家は仲違いしたようだ、と噂話が囁かれる。

 実際、親同士のそりが合わなくて、結婚目前で突然の解消だもの。


 ―― もういいけどね!


「あの……ポワソン子爵令嬢」


 ぱっと顔をあげると、右の輪からにょきっとはみ出した男性がこちらを見ている。


 はいと返事をすると、どうぞとグラスを差し出される。壁の花に水をあげようだなんて、親切な方だ。


「ありがとうございます。えぇっと……」


 しまった。いつもフェリデの隣でぼんやりしていたから、男性の名前がわからない。かろうじて、伯爵家の方ということくらい。


 申し訳なくて、少し俯き気味に様子をうかがう。男性は酔っているのか、顔が赤い。


「婚約を解消したと聞いてます。あの、僕は、ずっと貴女のことを――」


 そこで左の輪から「きゃあ!」と甲高い叫び声がする。

 何事かと振り返る。目に叩きつけられた光景に、水を吹き出しそうになる。


 フェリデと巻き髪令嬢が、抱き合っている。


 なにがどうしてそうなった。健全な夜会で、まあベッタリと。

 巻き髪の腕は彼の首に回されているし、巻き髪の腰は彼に抱かれている。その肩越しに、彼と目が合った。謎に鬼気迫る目をしている。


 五秒ほど、たっぷりと交わされた視線。

 気迫に溢れた抱擁も、たっぷり五秒だ。


 へー、そういう感じの(ひと)だったんだ。知らなかった。


「あ……いや、ちが――」


 フェリデの口がわずかに動いたのを見て、わたしは「おほほ」と微笑んで男性の輪に飛び込む。足は止まらない。そのまま会場を突っ切って外に出た。



「はーあ、ダメね」


 婚約って、約束だから。

 わざわざ好きだなんて伝えなくてもいいって思ってた。


 でも、約束がなくなったら――今度は、好きだなんて言えなくなっちゃった。


「それだけ伝えて、ちゃんとお別れって思ってたのに」


 バルコニーから池を眺める。水面に映った一等星は、輝きが鈍い。それを乱して泳ぐ魚のせいで、とうとう消えてなくなってしまった。


「ぐちゃぐちゃね」


 ぼんやりと水面を見ていると、輪になっていた波紋が少しずつ落ち着いていく。


 すると、そこに人影が映った。


「また魚かよ。釣り好き令嬢」

「フェリデ!? え、こんなところで何してるの?」


 今頃、彼女と巻き合っているかと思っていたのに。驚いて目を丸くしてしまう。


「何って……。そんな驚くことか?」


 信用ねぇな、と呟いて、彼は視線をそらす。

 それを辿ると、バルコニーの欄干に猫がいた。にゃーと鳴きながら、池をじっと見る眼差し。魚が気になるみたい。


「もしかして、わたしに報告? さっきのご令嬢と婚約するの?」

「するかよ。見る目なさすぎ」


 素っ気なさすぎ。婚約解消後、初めての会話なのに。さすがにちょっと苛ついてしまう。


「じゃあ、婚約する気もない相手と抱き合うような男だったのね。あ、その気だけはあるってこと? 自由になれて良かったね」

「違う! あれは、おまえが――」


 彼はそこで言葉を止め、むすっと口を曲げる。


「あれは、ふらついてドレスを踏んだだけだ」

「下手な冗談ね。わたしは踏まれたことないし、抱きしめられたこともないけど?」


 フェリデがそんな初歩的ミスをするなんてありえない。

 ほら、やっぱり。いつもなら言い返してくるのに、彼は口を開いたまま無言になってしまった。


 わたしは小さく笑って、ふーっと息を吐く。


「こんな会話でも、今夜会えてよかった。次に会うときは、わたしたち会話もできないと思うから」

「は? なんで?」


 また池に視線を向ける。いつの間にか、猫が水際に佇んでいる。


「わたし、今月末には婚約することになると思う。元婚約者と仲良くおしゃべりできないでしょ?」

「……は!? は、は、はやくないか?」


 彼の頬が引きつる。やっぱり意外よね、と我が家に届いた縁談の数を伝える。


「うちはしがない子爵家なのに不思議よね」

「ハハハ……俺の功績だな」


 彼はつまらなさそうに眉を歪め、欄干にもたれかかる。こめかみをトントンと指先で叩いている姿が、いやに懐かしい気がしてしまう。なにかを考えているときの彼の癖。


「……ねぇ、フェリデ」

「なんだよ」

「あまり夜遅くまでお仕事を詰めないようにね。睡眠不足になると、すぐフラフラして倒れるんだから。あと、魚ばかりじゃなくて、嫌いな肉料理も食べること。それから――」


 わたしは小さく首を振る。


「……じゃあ、元気でね」


 そう言って、つま先の向きをくるりと変えた。


 ぱしゃん。そこで、水面を叩く音がした。とうとう猫が手を伸ばしたのだ。音が響いて、わたしは足を止めた。


「ソル」


 彼に腕を掴まれ、ぐっと引き寄せられる。


「フェリデ?」

「……言いたいことが、ある」


 瞳が揺れていた。じっと見つめられ、目が離せなくて、わたしは彼の腕の中で動けずにいた。


 交わした視線は、三十秒だけ。

 抱擁も、たったそれだけの短い時間。

 

「俺は、ソルのこと――ずっと……見てたんだけど、やたら羽振りが良くねーか?」

「はい?」


 なにがどうしてこうなった。良い雰囲気だったよね。ほら、千載一遇のロマンチックチャンスがあったでしょうよ。


 しかし、彼は何かを誤魔化すように早口で続ける。


「大体、急に婚約解消なんておかしいだろ」


 そう言いながら、わたしの胸元に飾られたネックレスに触れる。次に、髪飾り、耳飾り。そして、唇。触れる度に濃くなる視線。


「全部、俺が贈ったやつじゃない」

「あ……お父様が新調してくれたの」

「だろうな」


 彼との婚約解消で落ち込んでいたから、家のことまで気が回らなかった。


 でも――もし理由がわかったとしても、このまま彼の胸に飛び込めない。十八年でたった三十秒だけの抱擁なんて、全然足りない。ちゃんと捕まえてほしい。


「ねぇ、フェリデ」

「なんだよ」


 猫は相変わらず水面を叩いていた。魚が欲しいと喉を鳴らし、熱っぽい瞳でじっと見つめる。食べたくてたまらないって表情。もっと見てみたい。


「さっき、ドレスを踏んでもないのに抱きしめたのは、なんでかなーって。わたしのこと、好きなのかと思っちゃった」


「……あれは、おまえが――」


 やっぱり彼は言葉を呑み込んで、バツが悪そうに唇を噛んだ。よく見ると、目の下に微かなクマがある。


「あれは、少しふらついただけだ」

「下手な言い訳ね。……うちのことを調べてたせいで寝不足?」

 

 ふふっと笑うと、彼は少しだけ顔を赤らめた。掴まれたままの腕が、熱くなっていく。


 彼はそっぽを向いて「明日、時間あるか?」と尋ねる。


「婚約解消を撤回させるために、作戦会議でも――する?」


 十八年間で、一番下手な誘い文句。

 わたしは頷いて、彼と指切りをした。






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