第1話:時のない目覚めと、無垢な世界
記録と記憶の違い、止まった世界の構造、そして“刻印”の存在。
SFと幻想が交差する新たな第1話として再構築しました。
世界観をより深く、静かに迫っていく形でお楽しみください
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――目覚めた。
それが「目覚め」だと気づいたのは、理由がある。
さっきまでの“無”と、“今”の間に、微かな音が鳴ったからだ。
世界には、音がない。
耳鳴りでも、鼓膜の故障でもない。
ただ、この世界そのものが沈黙している。
けれどそのときだけ、確かに聞こえた。
**カチリ――**という、歯車が噛み合うような、乾いた音。
まるで、それが合図であるかのように。
世界はゆっくりと、“動き”を取り戻した。
目を開けると、視界を埋めるのは巨大な球体群。
それぞれがガラスのように透き通っていて、空中に浮かぶ泡のように見えた。
泡の内側には、古びた都市の断片――
かつてそこに“人の暮らし”があったような風景が閉じ込められている。
俺は、その泡の一つの中心に、横たわっていた。
重力はある。呼吸もできる。身体も動く。
けれど、どこか現実感がない。
銀色の地面。ぼんやりと反射する足元。
空を見上げれば、空は淡く曇り、針のない時計の歯車が静止していた。
……ここはどこだ?
そして、俺は――誰だ?
「…………」
言葉にしてみようとしたが、声が空に吸い込まれるだけだった。
いや、声は出ている。なのに、音がない。
何を叫んでも、誰かに届くことはないような……そんな静けさ。
ふと、目の前を数人の“人影”が通り過ぎていった。
彼らは、まるで同じ動きを繰り返していた。
歩く、止まる、振り返る――
しかしそこに感情はなかった。
無表情。無反応。無言。
人間の形をしているのに、“誰でもない影”のような。
だが、その背後に見えたのは――泡の表面に映る“映像”だった。
誰かが笑い、泣き、手を取り合う。
鮮明で、美しく、それでいてどこか嘘くさい。
この世界では、感情や記憶は存在しない。
代わりに、かつての出来事が“記録”として保存され、
泡の表面に映像データのように再生されるのだ。
記録は、記憶とは違う。
記憶が「内側に刻まれるもの」なら、記録は「外側に貼りついた模倣」だ。
この世界の住人たちは、記憶を持たない。
ただ、泡に映る過去をなぞるように“今”を繰り返すだけ。
都市全体が、“記録”の再生装置に成り果てていた。
「……どんな悪趣味な世界だよ」
俺はつぶやいた。
声はあっても、やはり音にはならない。
けれど、空気がわずかに震えた気がした。
俺だけが、何か違う。
この沈黙の中で、“動いている”感覚がある。
そして――
俺の左手が、微かに熱を帯びていた。
見下ろすと、掌の甲に淡く輝く紋章が浮かんでいる。
円環を描くライン。その中心に刻まれた、青白い光の印。
刻印――
そう呼ばれる“名前”が、脳裏に閃いた。
その瞬間、空に埋め込まれた歯車が、一瞬だけ震えた。
音もなく、回転もなく、ただ……共鳴したような感覚。
世界が、静かに、歪んだ。
「……っ」
思わず立ち上がる。
頭の奥がズキリと痛む。
けれどその痛みと同時に、“視線”のようなものを感じた。
誰かが、こちらを見ている。
振り返ると、そこに――
「ようやく、起きたんだね」
――少女が、いた。
白髪のロングヘア。純白のローブのような衣。
不思議なことに、彼女だけはこの世界に“浮いて”いなかった。
存在感がある。音はないのに、声が“届いた”気がした。
そして、彼女の瞳が、まっすぐ俺を見据えて言う。
「……アーク・クロノ」
名を、呼ばれた。
思い出せないはずのその名が、なぜか――懐かしいと感じた。
けれど、そんな感情は一瞬のうちに消え、疑念が胸に湧く。
「なんで……俺の名前を知ってる?」
問いかけた俺に、少女は微笑む。
それはまるで、“ずっと前から知っていた”と言わんばかりの――
「わたしは、《器》だから。君の名は、最初に“刻まれて”いるの」
意味がわからなかった。けれど、彼女はそれ以上は語らず、ただ――
「ようこそ、刻印者」
と、まるで祈るように、俺の“存在”を肯定した。
……この世界で、たった一人。
“今”を動かす者として。
俺の物語は、ここから始まる。
最後までお読みいただきありがとうございます!
少しずつ動き出す世界と、記憶を持たぬ人々――
彼らの“静寂”に違和感を覚えるあなたは、もう刻印者かもしれません。
今後も世界の謎やキャラたちの運命が、少しずつ交差していきます。
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