飛行飛蝗
「そいつぁ、また大変だぜ?」
戦用馬の鼻を撫でていたリウジェンが、目を見開いて応える前に、ルベンがいた。
「龍の巣に裸で突っ込むようなもん。自殺行為だ」
「ただの裸族なら、な」
ルベンが言葉を返すと、リウジェンは馬の脚に蹄鉄を打ち込むのをやめて預言者の目を再び見た。
「知らんわけでもあるまいよ。聖書にも第二聖典にも死に馭者ヶ國の記述はあるが……」
「そうだな。解決の場面が描かれてないどころか|誰も向かいすらしなかった《・・・・・・・・・・・・》。過去の預言者でさえも、勇者でさえも」
「偉大な海獣、髑髏蟲、祈捧蟷螂……奴らだって天災が如き強さだったさ。無敵だと思われてたのを、十字軍、勇者、人類連合軍が無理くり引き摺り下ろした」
「だがアレは別口だ。いかに神の加護を賜ろうと人類にゃ無理よ。解決する時にゃ最後の審判さ」
「しかしリウジェン。この時期にあの天災が来たのも、神の思し召しだと私は思う」
「……まぁ、そりゃ、デュラハンを退散させれたら、この上ない奇跡だな。世界に示すしるしにピッタリだ。だがルベン。俺の勘はな、アレは九分九厘滅ぼせん。何か別の策を考えといた方がいい」
「例えば?」
「それは分からん……俺ァ戦馬鹿だからな。戦と宗教以外の事は知らん。だが【彼を知り己を知れば百戦危うからず】【百戦百勝は善の善なる者に非ず】ってのは全てに通ずると思うぞ」
「名言だな。そうするとしようか……」
ルベンは時計塔を訪ね、相見える敵を知るために本を漁っていた。僧達の肉筆で綴られた書は基本的に聖書解釈に関する討論や教会に関する歴史がつまっている。彼はそこに何か、有用なものが刻まれていないかと祈りつつ頁を捲る。
【十字軍について】
「おっ」
字を余すことなく目で追うが、これも結局は異端殲滅の事についてしか書かれていなかった。
「ん〜〜……他の村にも行ってみるか……?」
頭をかいて呟いていると、礼拝室の扉を優しく叩く音が聞こえてきた。
「どうぞ」
「預言者様。何か良い情報は見つかりましたかな」
酋長は杖をついて部屋に入る。
ゆったりと歩き、ルベンの前に来ると、彼はドカッと大胆に座って地べたに胡座をかいた。
「……めぼしい物は見つかりませんね。他の村の歴史書も漁ろうかと思っていたところです」
正座していたルベンも胡座に足を崩して酋長に向き合う。
「左様でございますか。そういえば、私の若い頃の話になりますがね」
目と口を覆うほどに髭と眉を白く伸ばした目の前の翁は確か、齢を90越えていると言っていた。
「私がこの大陸を旅していた時代、この村から真っ直ぐ北西の五大乙女ヶ山という霊峰の三合目にですね、それは見事に巨大な図書館を見たのですよ」
「ほう、図書館!?」
果て地に似つかわしくない、知の結晶の話にルベンは愕然とした。そんな、暴力が介在しない知的財産なぞ、この果てしない闘争が続く地域では塵に等しいと、勝手に思っていたからである。
「アレは紛うことなき図書館です。透明な硝子から、本棚が沢山見えたのをハッキリと覚えております……何分、膨大な数とその館の大きさですから、もしかすればと思ったのですがね」
「確かに、村々を回るよりかは効率的だし望みがある……か」
彼が顎に手をやって呟くのを、酋長はじっと見つめた。まるで、何かを察したかのように。
「行かれるのですな」
「えぇ。少しでも可能性がある方へ─────」
「そうじゃない」
「あの、無数の命を啜ってきた災害に、貴方は向かうのですな」
嗄れた声は、優しく、私に、逃れることを許した。
義務から、運命から逃れることを。
「預言者ルベン様。儂はね、貴方のような若者が捧げられていくのを見てきました」
「幾度も」
「そう、幾度も……」
嗄れた声はやがて噤まれ、顔を俯き、何かを頭に思い描いているようであった。
ルベンはそれを見て、幾万の犠牲に思いを馳せつつ、肩に手を当てた。
「二度と、繰り返させない事を誓いましょう。貴方がたの教えで構いません。貴方がたの祈りで構いません。私と、今までの死者にお祈り下さい」
「おぉ、断言してくださるか。嬉しい御言葉をおかけ下さる。勿論、村の民総出で祈りましょう」
ルベンは時計塔を出て、再びリウジェンのいる馬の舎に入った。
「リウジェン。遠征に行くんだがついてきてくれないか」
「何か作戦は出来たか?」
研ぎ石に湾刀を当てながら、リウジェンは問う。
「いや、まだだ。北西にデカい図書館があるらしい。今もあるかは分からんが、行ってみる価値はあるだろう」
「北西に図書館? どこの国だ?」
「それが果ての地圏内の山にあるのを酋長が見たらしい。数十年前だがな」
「信じられん……が、今は藁にも縋りたいな。いつ出発する?」
「明日だ。明日の昼過ぎには出るぞ。それまで準備をしておいてくれ」
ルベンはそう告げて時計塔に向かおうとすると、一人の獣人の娘とすれ違った。Pikloj族のヨハナ。彼女は機を見たと言わんばかりに馬小屋へ入り、リウジェンと談笑を始めた。
(なんだ。ちゃんと自分から行けるじゃないか)
ニヨニヨと二人を見つめていると、リウジェンがこっちに気付いて、しっしっと手で追い払う仕草をしたため、私はニヨニヨしつつ退散する事とした。
◆
夜を越え、依然騒々とする荒野に日が差した時、ルベンとリウジェンは川に水浴びをしに行った。
【信ずる者。毎夜暗がりが終わることに感謝し、平伏せよ。それは当たり前に見える様にあるが、朝は世界の総覧者の慈悲を以て執り行われる】
【朝ぼらけの微睡みは、清らかな水面にて顔のよごれと共に拭い去り、昇る日に向かい祈れ。主なる御方の慈悲に万歳】
手を組み、五体投地にて絶対的な帰依を示して祈り、立ち上がって、僧侶達の朝が始まる。
「あ、預言者様! 預言者様!」
一人の農夫が二人の僧侶を呼び止める為に駆け寄る。
「おはようございます。如何されました」
「おはようございます。預言者様、ちょっといらしてください。いやはや困りまして」
農夫は頭巾をかぶった後頭部をかいて、彼ら二人を案内した。
「小麦がね、見事に虫に食われるんです。まぁそれ自体は当たり前なのですが……」
少し歩き、川や地下水から水を引いた小麦畑に辿り着くと、唖然とした。
「飛蝗か………」
ルベンは深刻そうに呟き、その場の惨状を眺めた。大量の飛蝗。よく見れば畑に留まらずあぶれて飢え倒れている。
「この規模は間違いなく先遣隊だな……今朝に来たなら、一週間後には本隊が来るぞ」
この手の平の長さほどの害虫がグンタイバッタと名付けられる所以であった。高度な社会性を保有している。まるで蜂や蟻のように餌場を求めて旅し、具合がいい場所を発見するとフェロモンを放って本隊を誘う。
「普通なら本隊が来る前に畑ごと焼き払うが……そんな余裕は無いよな。虫人との交渉でどうにかならんか」
「今、アヴイさんとヘベルチさんが話してくれてますが………」
虫人は虫もしくは虫系の魔物にルーツがあるため、ある程度虫との意思疎通が可能である。血が濃い者ならばほとんど会話と遜色ないコミュニケーションが行えるケースもあるという。
「ですから、ね? 他の所に行ってくださいよ」
「何が納得いかないのです?」
大の男二人が正座し、草に乗る飛蝗に話しかける。飛蝗は周りと比べると一回りか二回り大きい。
虫人と飛蝗は触覚をカチカチと動かして、飛蝗も前脚をカチカチ動かして身振り手振りで虫人に伝え返している様子である。
「あ、預言者様。おはようございます」
彼らが司祭達に頭を下げた為、二人も礼を返す。
「私にも、彼らの言葉をお聞きかせ願いたい」
「勿論です。では椅子を」
「いえ、構いません。この石垣で結構」
腰掛けるルベンと、虫人を挟んで、伸びる茎に居座る飛蝗の代表者の対話が始まった。後にこの場面は絵画という形で刻まれ、世界へ広まることになる。
「おはようございます。飛蝗の王よ」
飛蝗の触覚がうねり、身振り手振りをしてから腕を組む。
「“お前達 要求 甚だ受け入れ難い”」
虫人がその口で飛蝗の意思を通訳する。
「……訳をお聞きしても宜しいでしょうか」
「“民族 飢饉 腹は空 新天地に到底もたない”」
「飢饉の理由は何でしょう」
「“話す時間 惜しい 勝手ながら草木を全て頂く”」
「“今も 同胞死に絶えゆく 落伍者の雨が降り注ぐ”」
「分かりました……。リウジェン! 飛蝗に祝祷をかけた事はあるか」
「前例すら無い。が、やってみる価値はあるか?」
「よし」
「こう伝えてください。今すぐに彼らの腹を満たし、死者を丁重に葬ると」
◆
ルーゼルという一司祭は、あの日以来書庫に篭もり苦しみ悩んでいた。
(何故だ……!? あの忌々しい男に神威を感じた! あの神殿や、あの聖地のような荘厳な空気感に、ただ気圧された! )
(あってはならぬのだ。あの気迫が! 異端者のあやつに、神の敵手に神の気配を感じてはならぬ! それは到底赦されぬことなのだ)
だが、もし、主が総てを赦されたのならば?
大恩赦があったのならば?
そんな誘惑が彼の頭に行ったり来たりする。
(アレは悪魔にあてられた穢れた魂。救い主が大いなる裁きをやつに下す……)
動こうにも動けぬルーゼルであったが、何かが、彼の内部のどこかに、ただ一つ、ヒビが入ったようである。
◆
「主よ。主よ。主よ。すべて救世される御方。その慈悲に満ちた手を彼らに差し伸べて下さいませ」
「天上を統帥される慈悲あまねく慈悲深き主よ。目前の飢えに苦しむ者を憐れみたまえ」
「【わたしに捧げよ。一斤のパンと一杯の葡萄酒。それはいずれお前達の飢えと穢れを焼き払う聖餐となるであろう。だがもし、お前達が肉と血と骨を捧げたならば、わたしはお前達を焼き払い、その地にその民にわたしの怒りと災いを以て報いる。わたしが主である】」
簡易的な祭壇に載る皿とワイングラスに、パンと葡萄酒が捧げられた。
「主よ……どうかお応え下さいますよう」
膝をつき指を組んで二人と民が祈ると、雲ひとつない晴天より、小さい雷が一つ落ちる。砂塵が舞って晴れると、三人の天使がそこに立っていた。
「天使よ。彼らを癒して下さいませ」
《彼らは罪人である。彼らは前の人生の報いのために飛蝗になった》
「お許しになられないでしょうか」
『彼らは神の使い。我々天使よりは下級だが、正統な神のしもべである。三百年我らに仕えたならば、神の国へ入れる……もはや覚えていないようだがな』
「私が介入する余地は無いと」
〘魔の者とは別口である。彼らも救済される予定だ〙
〘この村に集まらせたのはお前に見せたかったからだ。預言者よ。直に彼らの空腹は焼却され、旅立つ。畑の実りも癒えよう〙
「何のために彼らは旅立つのです?」
〘南に災いを降ろすために〙
すると飛蝗達はまるで思い出したかのように急に飛び立ち、飛蝗の雨が地から天へ降り注いだ。雨が止むと、彼女らは既に消えて、枯れて萎えていたはずの作物も綺麗サッパリ元通りになっていた。
「おぉ……神よ!」
民の一人が叫んでルベンに向かって拝するのを機に、他の老若男女も慌てて伏せた。
「私の力ではありません。彼らもまた神の使徒だったのです」
「天使様は何と?」
リウジェンがルベンに耳打ちする。
「南に災いを降らすために彼らを遣わすとだけ……」
「……あの街を滅ぼすのか」
「恐らくな……」
罪が晴れた神の赤子を無闇に迫害した街に降り注ぐ神の怒りが、タダで済まされないのを、二人はよく知っていた。
「見ろ! 本隊だ」
まるで入道雲そのもののような巨大で黒い飛蝗艦隊の影が、天使の言う通り南へと飛んでいった。




