聖遷
「私が先んじて動かなかった。私の責任だ」
ルベンは魔物の死骸と、殉教した弟子の目の前に、火を灯した蝋燭を置き、荼毘に付した。魔物やならず者に死体を荒らされないためである。
「いや、しかし……」
「何も言うな。貴方達が背負うことでは無い。さ、行こう」
「はっ……」
ルベン達がスラムに帰ると、毛色の違ったざわめきがそこの一帯を包んでいた。
「呪いを断てたか」
リウジェンが、娘を、いわゆるプリンセス・ホールドと呼ばれる抱き方をして連れてきた。眠っていたが、体力を蝕む病は消え去り、今にも死に絶えそうな土気色は、健康的な肌色に戻り、棒のような手足は肉付きが若干良くなっていた。
「川の貝が魔物化していたが、悔い改めなかったから滅ぼしたよ。そして弟子の一人が殉教した。アレンという、勇敢な漢だった」
「そうか。後で立派な記念碑を建てよう」
「あぁ」
「……しかし、魔物化していたか。長いこと呪いを送っていたな。……来ると思うか? 第一術者」
「個人の怨恨なら分からないけど、十中八九政策の一環と見ていいだろう。街か教会か。遅くて一週間ぐらいで雇われが確認しに来るな」
◆
「市長。緊急事態です」
「……久しぶりに、キミを見たな」
ルベンが貝魔を撃ち殺した夜、街を統治する領主の館にて、突如とした密会が始まった。
市長と呼ばれたオールバックの男はベッドに腰をかけてワインセラーを眺めていた所だったが、その趣味は窓を開けて入ってきた見覚えのある、黒い外套を着た侵入者によって中断させられた。
「政策の件についてですが」
「構わん、話せ」
「絶滅政策の呪いが絶たれました」
「何……どこの誰がやった?」
「私は山に籠ってばかりなんで、分かりませんな。ただ……」
「市長には何か心当たりがありそうだ」
「……最近、変な聖職者が動き回っている。下っ端みたいだが、スラムに立ち入っては炊き出ししていたそうだ」
「ほぉ〜。虫クズに飯を与える変人なんているんですな」
「革命家気取りの政治カルティストなんていつの時代もいる。しかし亜人どもに肩入れするなんて予想外だった……若造にはついていけんな」
「一応教会に所属しているなら、異端として通報した方が宜しいかと」
「いや、事後報告でよい。呪いの再設定ついでにキミが始末しろ。手当は出す」
「畏まりました。明日の夜にはスラムに生首を並べましょう」
黒い外套は窓から飛び降り、夜に紛れて消えた。
◆◆
「後ろ盾とも一戦交えなければならないか」
ルベンが心配げに呟く。
「暗殺しようにも、街にはバレてるだろうしな〜俺達の活動」
「聴衆は300行きそうだが……戦えるのはせいぜい50。対して敵は一万市民+領主の騎士団。戦うには早すぎるな。即日プチッと潰されちまう」
「それに奇跡的に勝ったとしても他の街から援軍、教会からも国からも無数に兵が来る」
「どうするかな」
川岸の草原、木の根を枕にできる寝所でルベンとリウジェンが向き合ってあーでも無いこーでも無いと論じていると、リウジェンは急にぴくりと何かに反応し、黙り込んだ。
「……リウジェン?」
「伏せろ」
リウジェンは無表情で背中の湾曲刀を抜いて、反射的に伏せたルベンの真後ろに横回転で投擲した。
「何者だッ!」
「術者か?」
「分からん、だが手応えが無いな。来るぞ」
リウジェンとルベンは立ち上がり、それぞれ短剣と聖書を取り出して臨戦態勢に入る。
月の光が届かない木々の闇から出てきたのは、二人が救った亜人の娘だった。栗色の犬の耳がぴょこぴょこ忙しなく動き、腰からはフサフサの栗色の尻尾が伸びている。
「こんばんは。びっくりするじゃん」
布を纏っただけで、身体のラインが露骨に分かってしまうため、ルベンとリウジェンは目のやり場に困ってしまった。
「そりゃこっちの台詞だ……ってか、俺の刀取ってこなければな。ははは……」
(逃げたな)
娘と入れ違いにリウジェンが木々の闇に行くのを、娘はただ見つめていたかと思うと、娘はルベンの隣に座って小さい口を開いた。
「リウジェンさんって、未婚?」
「……そういう話は無かったと思うから、多分」
「うしっ……」
「気になるかな? リウジェン」
「えーかっこいいじゃんリウジェンさん! 筋肉質だし顔がキリッとしてるし」
そう。僧侶の貧弱な体力のイメージと相反し彼は朝早く、夜遅くに身体中の筋を鍛え、走り込みをしている戦士の鑑。惚れる女の子が居ても不思議では無い。
「私が色々聞いてあげようか?」
他人の恋路を何とやら。都市部の僧侶は恋愛相談も主な業務に数えられると聞く。そもそも神は、信徒の子孫繁栄を義務的機械的だが、望まれている。
産めよ増やせよ地に満ちよ。砂の数ほど、星の数ほど。
「ありがとールベンさん!」
「それだけが理由で来たのかな」
「……貴方たちのおかげで、私と、私の同胞が救われた。貴方たちのおかげで、私達は飢えることも病に苦しむこともなくなった。貴方たちに最大限の感謝を」
「いい。これは私達の禊。罪に報いているだけなんだから」
「話は聞いた。戦士が足りないって。私達500名の命を貴方たちに預けたい」
彼女はルベンに跪いて足の甲に手を触れた。
「キミの名前を聞いていいかな」
「ヨハナ。Pikloj族のヨハナ」
「ヨハナ。私達はまだ戦うと決めた訳じゃない。それに貴方達が加わったとて、絶望的な戦いになるのは目に見えている」
「その通り。救ってすぐの命をすり潰したら、俺達がヨハナの姉から怒られちまう」
「わっ! わわっ!」
戻ってきたリウジェンに、ヨハナは顔を真っ赤にして驚いた。
「しかし結論が出ん。どうしたものかな」
三人が腕を組んで知識を振り絞っていると、川に炎があがった。薪が燃えているかのようにパチパチと音を立て、火の粉を振りまいて、人の背丈ほどに高くなった。
「これは……!」
「天使だ」
二人が直ぐに炎に向けて跪いた所で、ヨハナも戸惑いつつ同じように跪いた。
《ルベン。面をあげよ》
「はっ」
炎を割って天使は川面を歩きだし、川岸に裸足で立った。衣は燃えておらず、脚も濡れていない。
《汝に告ぐ。明日の昼、全ての民と支持者を率いて街を出よ。明日の夜に刺客が現れる》
「どこへ行けばよろしいでしょう」
ルベンが訊ねると、天使は北を指差したので、司祭は顔を青くした。人類圏を逸脱した、修羅の土地。病と戦と野盗と魔物に塗れた地。
「御言葉ですが、北は住み着ける土地にございません……」
《教会と諸政府が手を出せぬ場所は、そこにしかない。他の方角に行けば、お前達は忽ち散り散りに引き裂かれるであろう》
《主は、民が乗り越えられる障害だけを建てられる。耐えられない試練を、お与えにならない》
《ルベンよ。お前達を我々は見守っている。これは聖遷である。奮励努力せよ》
「はっ! 主の御心のままに」
天使はまた炎に包まれ、炎と共に消えた。また、月の優しい光と虫の歌声だけが森林に残った。
「……天使様は何と?」
「果ての地に逃げよと仰せだ。確かに教会も国も手出しは出来ないが……」
「だが今奴らと戦うよりは希望がある。そうだろ」
「それもそうだな。啓示によると明日の昼に出発した方がいいとの事だ。夜には刺客が来る」
「よし、分かった。ヨハナ。スラムの皆に伝えて回ってくれ」
「え゛っ。もしかして今?」
ヨハナはリウジェンの言葉に顔を若干顰めた気がする。
(あ〜……夜這いに来たわけか。通りでそういう格好を……)
ルベンはその事に気付いたが、リウジェンは気づく気配が無い。真顔でリウジェンはまた口を開いた。
「そうだ。兵は神速を尊ぶって言うぜ」
「〜っ……分かった、行ってくる!」
悔しげにヨハナは獣のように足軽に駆けて行き、森林を去っていった。
(頑張れヨハナ。まだチャンスはあるぞ)
ルベンは目の前で繰り広げられる青春劇に胸を熱くしながら、布を被って横になった。
「しかしアイツ、最後の方何でちょっと変な顔したんだ?」
「え゛。……さぁな。本人には聞いてやるなよ」
「? 分かった」
リウジェンも布を被って横になると、ルベンは咳払いした。
「あ〜、リウジェン。ちょっと聞きたいんだが、いいか」
「何だ? また十字軍物語か? お前も好きだよな」
「……いや、好きな女性のタイプについてなんだが」
「は?」
……
夜が更けた。ルベンとリウジェンは水浴びをして滝に祈りを捧げ、聖なる所に別れを告げる。
「慈悲あまねく慈悲深き御方よ。必ずまた戻ってきます」
鳥のさえずりと川のせせらぎ、日差し、温かい気が心地良い。
「行こう。奮励努力の日だ」
「あぁ。今日は聖戦日和だな」
……
スラムでは、朝早くからまた炊き出しが行われていた。野菜と肉、魚の具沢山スープ。
そしてそれに並ぶスラムの民。
「おぉ、預言者様。おいでになりましたか」
弟子の老婆が手を挙げて我々を呼んだ。走り回れるような元気な老人である。
「私達も手伝おう」
「いやいや、貴方がたの手を煩わせるまでもない」
「彼らはどうか?」
「……少しづつ、心を開いてくれています。有難い限りですよ。……ワシ達は逃避するんですか」
「弾圧されるその前に果ての地へ避難する。恐らく強行軍になるし、避難先に安息があると言っても信じて貰えないかもしれないが……」
「はっはっは! 捕まって魔女裁判に参加させられるよりはマシですぢゃ」
ガハハと老婆は豪快に高笑いし、英気を養うと言って自分もスープをガツガツ食べ始めた。
「司祭様がたも食べてください」
獣人の若い青年が二つの器を持ってきて、司祭達に手渡した。
「かたじけない」
「是非頂こう」
起源は古く隕星の時代、高潮の時代もしくは氷河の時代などなど災害に塗れた“苦難の年達”と言われる炊き出し文化は、古くからスープと人情の温かさで被災地や戦地の民達を励ました。
しかしスープを食べれるのはいつだって純血の人間で、“穢れ”の亜人達は残飯にありつく事すら難しかった。
見よ。その前例を破るこの光景を。犬耳を生やした亜人と人間が、同じ鍋のスープを飲んでいる。
一万年を破った荘厳な光景である。
「この光景が当たり前になる時代を作らねば」
「うん。必ず作ろう」
列に並んだ鍋が全て空になり、人々の腹に収まり切った頃。
弟子たちが作ってくれた簡単なお立ち台に、ルベンがあがった。
弟子たちと不可触民たちは、静まって彼を見つめた。
「まず、感謝を! 我々を信用してくれた事に多大なる感謝を申し上げたい!」
「本当にありがとう!」
ルベンは声を張り上げて、頭を深々下げた。
これも、先の月までは有り得ない光景である。
「さて、我々は同じ鍋のスープを食べれるまでに溝が浅くなったと信じるが────この光景を、良く思わないばかりか、弾圧に走る不埒な勢力が世に満ち満ちている」
「神の偉大なる御加護があっても、百万の敵を撃ち破るには甚大な被害を被るばかりか、世界の同胞の弾圧を加速させるであろう」
亜人達は黙りこみ、弟子たちも苦い顔をした。
そこでルベンは、また大きく息を吸った。
「我々は! 只今より果ての地へ移住する!」
沈黙は破られ、ザワザワとまた色んな声が飛んでノイズのようにこだました。
「諸君! これは貴方がたを悩ますものでは無い! 天と海、地を分け、山より高く海より深い御方からの他ならない訓令である!」
「皮肉にも、人の法と倫理が生きるこの地よりも、倫理も法も政府もない果ての地の方が我々にとって生きやすいのだ」
「同胞よ! 神の保護を求める者達よ! 今一度私を信じてついてきて欲しい!」
「全ての人が尊ばれる地上の楽園を望む者は、私の力になって欲しい!」
「急かすようで申し訳ないが、今夜に刺客が来るのだ! 選択は今に逃げるか、街に隠れるしかない!」
「これは聖遷だ! 聖なる戦いのうちのひとつである!」
さて、演説の後、ルベンとリウジェン率いる縦隊が街を出た。身軽に、持てる物だけを持って北を目指した。
縦隊の最後尾が街を出たところぐらいであろうか。
一般市民が街で歓喜の声を上げ、石やガラクタを嬉しそうにこちらに投げているのを見た。
「耐えろよルベン」
「そっちこそ。だがいつか神の威を見せてくれる」
地図を見るに15kmほど歩き、概ねあと20kmほどの所で、大休止とした。見渡せる高い丘である。この先、一本だけの街道がうっすらと消えかかっているのが見える。
「ン……。! 大変だ!」
「南から騎兵隊だ! 大勢来るぞ!」
弟子の一人が声を張り上げて皆に知らせた。
亜人、弟子たち、ルベンとリウジェンはギョッとして立ち上がる。
「何っ。来たかっ!」
「放っといて欲しいもんだがな……!」
南の街道の方を見ると、確かに太陽光にギラギラ反射する何かが、砂埃をあげてこちらに近付いてくる。
「確かに大勢だな! 不幸中の幸いは百人は居なさそうな所か?」
「だが完全武装だ。まともに戦えば半壊するぞ! 全員立て! 戦えない者は全力で北へ逃げよ! 戦える者は私達の前に集合しろ!」
号令をかけた所で、丘の周辺が点在的に爆ぜ出し、次に空を切り裂く音、更にその次に火薬が炸裂したような音がした。
「砲撃されてる!」
「分かってる! 全員散らばって後退! 丘を盾に!」
「了解です……って司祭様達は!?」
獣人の若い戦士が一人、振り返った。なぜなら二人だけが後退せず、身を晒し続けているからである。
「とにかく反撃する!」
ルベンが聖書を片手に祈ると小さい隕石の群れが現れ、リウジェンが湾曲刀を振り上げて祈ると、鉛色の鉄の柱の群れが現れ、ほぼ同じタイミングで加速、騎兵隊のあげる砂塵へ向けて突入していった。
「着弾、今!」
「私のも着弾した」
砲撃がおわり、着弾地点の煙が晴れると、騎兵隊は三隊に別れてなおも突撃してきていた。練度は低くないようだ。
「各個撃破の土壌が出来たな」
「私が制圧爆撃して合流を防ぐ。リウジェンが兵を率いてくれ」
「分かった。死ぬなよ」
そこでまた、空を裂く音を置き去りに爆撃が来たため、慌ててルベンとリウジェンは伏せる。
「アイツら魔法戦士か?」
「いや……この距離をこの火力なら後衛魔法使いがいる臭いな。出来るなら探し出して狙撃してくれ。それじゃ後でな」
「任せてくれ」
ルベンは岩に身を隠しながら偵察するが、全く見当たらない。なおも、騎兵隊は突進してくる。
「やるしかないな」
ルベンはすっくと立ち上がり、聖書を掲げて次弾を撃つふりをすると、三ヶ所の木の影が同時に輝いた。
ルベンが須臾の判断でまた伏せると、ルベンの頭上を何かが空を割いて音速で通り越した。衝撃波が砂を舞い上げる。
「来ると思ったぞ……危なかったがこれで割れた。木々に隠れていたのか」
今度こそルベンは爆撃の祈祷で巨大な隕石を作り上げ、木の一つへ撃った。
◆
同時刻、リウジェンは訓練をまともに施しておらず、ほぼほぼ非武装と言っていい貧相な民兵隊を集めた。
「リウジェン様。戦える者はこれで全員です」
「よし、全員、無茶に戦うなよ。敵を倒すのは二の次。重要なのは女子供老人を守ることと、我々が生きて帰ることだ」
「一人を倒すのに、五人でいけ。最低でも三人で囲んで倒せ。一騎打ちは絶対に駄目だ。簡単に三枚おろしにされるぞ」
リウジェンが訓示している最中、丘の上から隕石が現れ、騎兵隊のはるか後方へ飛んでいき、轟音と火と煙をあげて爆発した。
「見ろ、預言者が後衛を潰してくれてる。俺らも踏ん張り時だぞ」
さて、胸甲騎兵の一隊は槍を構え、我々に騎兵突撃を敢行する為更にギアをあげた。
「来るぞ!」
騎兵が続々我々の隊列に突入し、槍を投げるが、リウジェンの風の祈りで暴風が吹き荒れ、敵の練度が高い故に狙いは全て外れる。
そして騎兵とすれ違う瞬間、民衆は姿勢を低くしつつ、農具で馬の脚を叩き折ったり、首の辺りを殴った。
勿論馬は倒れ、騎兵も落馬する。
落馬した騎兵は落ちたダメージで動けない中、尽く鍬で頭を潰される。
リウジェンはというと、騎士自体に狙いをつけ、湾曲刀を投げる。が、騎士は抜剣してそれを迎撃。
しかし更にその隙をついて鐙に回し蹴りすると、騎士は悶絶の声をあげる。脚の骨が折れたようだ。
また、ルベンの爆撃が炸裂する音が聞こえた。恐ろしい音と光景だったが、それが自分達に味方している事実が、逃亡者達にとって励みになった。
反対に、騎士達はいつ自分にそれが降るか、また、次々と遠距離火力支援組が消えていく事実に士気が下がりつつあった。
逃亡者達の攻撃を免れてすれ違った騎士達は、Uターンして鬨の声をあげつつ第二波攻撃をしかける。
更に同時に、何か騎士の一人が合図したかと思うと、もう一隊が逃亡者の兵団を無視して、先に逃げる民らを目指して走った。
「畜生ッ! 遅かったか!」
だがまずは第二波攻撃を免れなければならない。
騎兵突撃が民の隊列に突っ込む。
第一波と同じように農具で馬を潰しに向かうが、そうは問屋が卸さない。
騎士達は群がった民衆を剣で斬り伏せたり、鐙から外した脚で民衆を蹴り散らした。
「クソっ! ルベーンッ!」
リウジェンは馬に捕まり、騎士の鎧の隙間に短剣を刺し抉りながら叫んだ。
◆
「二箇所潰したが……まさか騎兵隊め。女子供の方へ迫ってるのか……外道共。奴ら騎士道精神の“き”の字も無いな」
ルベンは雷の祈りを捧げ、隕星の祈りと共に敵方へそれを飛ばした。直後、馬の駆け足の音が急速に近づいてきたため飛び前転の要領で砂に塗れながら緊急回避する。と、騎兵隊が、元いた場所を踏み潰して凄まじい速度で通り過ぎていく。
「非戦闘員に手をかけに行かせるか! 騎士の風上にも置けないわ!」
ルベンが怒りのあまり叫んで抗議すると、騎士の一人が声をあげて返答した。
「馬鹿が! 害虫退治に騎士道精神を持ち寄る奴がいるか!?」
「ほぅ……なら貴殿たちはその害虫退治にすら手こずっているのか!? 今一度鍛え直してきたらどうだッ!?」
ルベンの額と首に青筋が浮いて、わなわなと声が震える。
「お前の民を皆殺しにしてから考えてやるよッ!」
騎兵達は下馬して槍を構え、白兵突撃を敢行する。
ルベンは火柱の祈りと風の祈りを捧げ、火を巻き上げた人程の大きさの竜巻がルベンの前に現れた。彼が手を伸ばして押し出すようにすると、火災旋風は突撃する騎兵にぶつかる。
勝ったかのように思えたが、目前、一番槍の騎兵が手の中で槍をぶんぶんと回して風と火を散らし、威嚇の為頭上で槍を回し続ける。
「ガハハッ! こんな脆い風で俺を打ち破れるものかよ! 間抜け!」
「間抜けはどっちだ。この世に硬い火があるものか。槍を見てみろ」
「何っ!」
騎兵が槍を見てみると、火は槍にまとわりついて、騎兵の両の手に迫ろうとしている。
「馬鹿なッ! 金属製の槍が……」
「噴ッ!」
槍に気を取られ、下ろした瞬間、ルベンは思い切り走って体重を載せた飛び蹴りを敵の顔面に放つ。と、顔に脚がめり込んだ騎士は失神し、膝から崩れ落ちた。
「さぁ次は誰だ? 顔を潰されたい奴から来るがいい!」
尻餅ついたルベンが立ち上がり、また聖書を開いて見せる。
「気勢を張るのは結構だが、肩で息をしてるでは無いか!」
「膝も笑ってんぞ」
(はは、バレたか)
ルベンはお世辞にも身体が丈夫とは言えない。幼少期の度重なる病の影響で、彼は若干虚弱体質かつ、低体力にあった。その身体で短時間に何回も神の奇跡の媒体になり、その上ドロップキックをかましたのだからこうなるのも必然と言える。
「待てェいッ!」
誰かの野太く、一等、周りに響くような、張り上げた声が聞こえた。声がこだますると、騎士達は皆黙って、気まずそうに道を開けた。
すると、傷痕だらけの顔の老兵が、騎士の群れを割ってルベンの目前に馬を進めた。
「中隊長……?」
「たわけ共が。この死兵に絆されおって。見よ。既に第二小隊が敗走しておるわ」
確かに、民兵隊に半壊にさせられた第二隊は撤退を始めている。
「しかし、まだ我が隊と第三小隊が……」
「その第三小隊の戦闘が始まっとるが、見てみろ」
「戦闘……?」
戦闘という言葉に、騎士達はどよどよ困惑し始めた。農具で武装した民兵どもと戦闘になるのはまだ、分かる。だが、必死に逃げる女子供、老人相手に戦闘が起こり得るはずが無いのだ。
しかし、騎士達が見ると、確かに戦闘が発生していた。
女子供の獣人と、潜んでいたらしい何人かの男の獣人が、馬に飛び乗って騎士を爪で切り裂いたり、飛び蹴りで胸甲をぶち破って落馬させたり、手足を食いちぎっだりしている。まさに、阿鼻叫喚の戦闘が起こっている。
「馬鹿な……」
「飢えていたとはいえ、獣人は獣人という事だな。撤退するぞ」
「しかし中隊長……! 中隊で叫号して吶喊すれば勝てます」
「思い出せよ。我らが忠誠を誓ったのは誰だッ!」
「領主様ですっ……」
「我らが半数も斃れれば、誰が街と我らが主を護るのか……」
撤退するぞ! そう老兵は叫んでから、ルベンの顔をジッと見つめた。
たくわえた顎髭を弄りつつ、彼は口を開いた。
「預言者ルベンというのは、貴様か?」
「そうだと言ったら?」
ルベンの昂った血は、まだ下がらない。故に、口調は攻撃的なままである。
「我が名はドミニク。騎兵中隊を預かっている者だ。……儂がまだ生きてるうちに、お前とまた会う予感がした。儂が死ぬ時まで、我が名を覚えておけ!」
そして老兵は騎馬隊を率いて、撤退を始める。
騎馬隊の後方の喇叭手が信号喇叭を吹き、旗をあげる。
すると忽ち第三小隊も撤退し、中隊は秩序ある引きを見せた。
逃亡者達は、何とか辛勝を収めることに成功した。