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改訂聖者伝  作者: う゛え゛ーりあん
最後の使徒章
5/6

貧民窟

 聴衆はやがて200を越え、隣町からも人を集め始めた頃、ルベンとリウジェンは、熱心な弟子数十人を率いて街の隅のスラムに入った。亜人や被差別部落のコミュニティがある為決して治安は悪い訳では無いが、法も、医療も、食事も、何もかもが足りない地域であり、逆に街中のゴミが集められる場所であった。


 弟子たちが戸惑う中、ルベン、リウジェン二人は堂々と、穢いとされた場所に入って立ち、不可触民たちに呼びかけた。


「私の命で償ったとて精算しきれない業があるのは重々承知で、私はあなた方に謝罪したい!」


「受け取って貰わなくて構わない!石で打っても構わない!だが、少しでも、少しでも我々を信じてくれるならば」


「私の前に飢えた者、病に伏せる者を連れてきて欲しい!私はあなた方にパンと治療と保護を与える!」


 すると、彼の言葉通り、(つぶて)がそこに次々飛んできた。憎悪の言葉すら無く、人類がそうしてきたように、忌むように。悪意と怨めいた表情のまま、力いっぱい。不可触民らは、露店の影から、あらゆる暗がりから礫を投げた。


「ルベン!」


「私の言葉通りだ!礫を喰らっても構わぬ!」


 リウジェンの言葉を他所に、礫はルベンの身体中を打ち、白いローブは所々破けてじんわりと赤く染まっていく。

「ならば、お前だけ苦しみを味合わせん!」

 リウジェンは石の雨に打たれながら駆け寄り、ルベンの横に跪いて指を組んで、祈りを捧げ始めた。


「司祭様っ!」

「死んでしまいますぞ!」


 いまだスラムと街の境をまたげずにいる弟子たちの言葉が耳に入っていないかのように、恐怖を忘れているかのように、二人はただただ、痛みに耐え、日が沈むまで祈りを延々捧げ続けた。



 疲れ果てたか、不可触民らは石を投げるのを辞めた。日没の直前である。二人の血塗れ痣塗れの僧は、踵を返して、見守る弟子らの元へ帰った。


「よく見たか。我々が今まで彼らにしたことは、これの百万倍は惨いものだ。遊び感覚で人格を破砕し、家族を引き裂いた罪は、例えこれを幾百日続けても許されると思わない事だ」

「俺たちはまた明日行く」


 弟子たちは、街道を行く二人の背を見つめて、ショッキングな事態に固唾を飲んで何も喋ることが出来ないばかりであった。


 傷を癒し、戒律の岩のある川辺を枕にし、夜明けと共にルベンは目を覚ました。

「早いな」

 リウジェンもそれに続いて目を覚まし、川に浴し、各々聖別された朝食を腹に収めて、また、街を目指した。


 今度は二人はいつもの場所の説教もせず、スラムの境を跨ぎ、昨日と同じように跪き、祈りを捧げ始めた。


 朝日が彼らの面前を優しく焼きつける。


 そしてまた、礫が投げられ始めた。


そこまでは昨日と同じであったが、今日の朝からはひと味違い始める。


「この詐欺師がッ!」

「今更なんだゴミ野郎ーッ」

「畜生ッ畜生ッ」


 不可触民たちの恨みつらみは、投石どころか口に出ていた事に、二人は気づいた。


「騙されるなッ!この手口(・・)で俺の姉は売春宿に売り飛ばされたぞッ」


「何が謝罪だッ!白々しく出てきやがって!さっさとそこでおっ死ねッ!二人仲良くなめし革に加工してやっからよーッ!」


(はらわた)抉り出して俺の店に飾ってやろうかーッ!?」


 長年虐げられてきた民の怒りと侮蔑は、ただ二人の若者に向けられていた。若者二人は、何も言わず、返さず、ただただ祈り、そのささやかすぎる迫害を受け続ける。


 そこで、居ても立ってもいられなくなった、情熱に動かされた若い熱心な弟子の数人は、二人の僧の横を目指して駆け出し、見様見真似で跪いて祈りを捧げ始めた。同様に、石打ちの私刑と罵倒を身に浴びようとも。


 石打ちの雨霰がそれから1時間ほど続いたであろうか。突如、ボロ布を纏った老人が、もじゃくれて伸びた髭を蓄える老いた獣人が、石を打つ民衆の前に出て立ち、叫び始めた。


「俺の、俺の孫が昨日死に絶えた!」

 すると、次第に石の雨はやみ始め、ざわざわ、ひそひそと不可触民たちは困惑する。


「俺の娘が命懸けで産んだ、いつか見た真珠の様に美しい、俺の幼い孫が、死んだ!流行り病で、枯れ木のように萎んで死んだ!19だった!酒も飲まず、立派で、まだまだ将来があるはずだった!」


「15になったばかりの幼い妹を残して、俺の孫娘は昨日死んじまった!」


 困惑の声は無くなり、代わりにいくつかのすすり泣く声を残して、大多数が悲痛に黙り込んだ。


「我が同胞よ!もはや、もはや、俺たちはこの藁にすがるしか、無いのではないか」


 (しゃが)れた声は、どんどん、萎んで、いった。

 ルベン達も、だまって、それを聞く他無かった。


「三日前も、産まれたばかりの赤子が死に、母もそれを追うように二日前に死んだ!」


「俺たちは、誰かに頼らねばならん。俺はもう……誰かに縋りてぇ」


 老人は、くるりと民衆から司祭たちに振り返った。

「おめぇ、パンと治療をくれるつったな」


「はい。我々が出来る限りの保護も与えます」


「俺の、最後に残った孫を診てくれ。おめぇさんぐらいの歳の娘でな、姉と同じ病にかかっとる」


「15なら、私の一つ下ですね」


「……16かぁ」

 頭をがしがし掻きむしり、ルベンの顔をまた真っ直ぐ見て、老人はため息ついた。

「俺らをこうした連中は、許さねぇ。許せねぇ。許したくねぇ。毎日頭と腸が憎悪で煮えて燃えるようだぜ」


「でも、石を浴びるべきなのは、お前さん達じゃねェよなって、思ったんだよ」


「私達がそれを黙認し、日常の風景として取り入れていたのも事実ですから……」


「そうか……そうか。お前さんは大義に生きるのか。ちょっと待っとれ」


 そう言うと、老人は奥に走り出して行った。

 彼の言葉に、緑髪の娘の顔を思い出した。彼女(マルカ)は今、どこで何をしているであろう。酒場の娘(エルケ)も、あの屋敷で酷い目にあっているに違いない。


 5分ほどすると、老人は枯れ木のように痩せ干れた娘を抱えて連れてきた。


「これは……」


 ぐったりとしていて鼻血が垂れ、血尿、そして咳と痰絡みが酷い様子である。


「熱が酷いな……取り敢えず祝祷で冷やそう。頭へのダメージが心配だ」

「見た事ない病気だ……ただの病原菌によるものじゃなくて呪いの類かもしれん」

 リウジェンが神妙に呟く。


「呪い!?なら元を絶たねば祝祷しても無意味だぞ」


 呪いとは、暗殺や虐殺に適すように改造された魔法や祝祷の事を言う。かなり厄介なものであり、術者は使役する生物に呪いを代行(・・)させることが出来、術者の特定は著しく困難である。


「付近の虫や鳥(代行業者)っぽいヤツらを一掃するか?術者探してたらこの娘死ぬぞ」


「慌てんなルベン。導線(・・)を探そう。術者に飲まれちゃ終わりだ」


「……そうだ、その通りだな。悪かった。御老人。この娘が住んでる場所を見せてもらっても良いでしょうか」

「それで孫が助かるなら構わんよ」


 導線とは、術者と代行業者、代行業者と被害者を繋ぐ線のようなものである。これがある限り呪いは送り続けられ、逆にこれを断つか代行業者を絶命させるもしくは解呪すれば呪いは遮断される。


「取り敢えず代行業者を特定する。無理なら導線だけ切っちまって、その隙に祝祷で回復させて飯食わせよう」


「OK」


「よし、お前たち、神への献身は虐げられる者への献身だ!出来る限りの炊き出しをやってくれ」


「は、はい!」


「わかりました!」

 弟子たちは大慌てで走り出して、準備を開始してくれている。巨大な何かが、今日、動き始めた。記念日になるような、巨大なものである。


「さて、探るぞ」


 ルベンとリウジェンは少女が起き伏ししていた場所へ着いた。話によれば、露店の裏にそのまま雑魚寝しているのだと言う。


「なんだと思う?代行業者」


「場所と状況を鑑みればネズミかカラス。野犬とか猫とかじゃないか?」


「だよな。虫を操れるような実力者がこんな事しないわな」


「御老人。この娘と似たような病気にかかってる動物に覚えはあるかな?」


「……そういえば最近、近くの小川で死んでいる魚を見ることが増えたような」


「なるほど。行ってみようか」


 リウジェンは娘の対処療法に専念し、ルベンは弟子の十数人を引き連れて“川狩り”に駆け出した。

 川は一番深くて膝が浸かるほどで、底がうっすら見えるほどに透明で綺麗なものであった。


が、その綺麗さに似合わず川の底や浅瀬に、小さい魚が倒れて動かないのがチラホラ見て取れた。異様なのは、全ての魚の目玉が見当たらないのである。綺麗に抉られたかのように、目玉だけが欠けている。


「間違いない。この川に原因がある。死んだ魚を集めてくれ」


「はい!」


 全員で目につく死んだ魚を拾い集めて周り、川岸の砂利に魚達を並べた。やはり眼球以外に目立った傷は無いが、何か、魚の身体がブヨブヨしているのが気掛かりだった。


「ルベン司祭。腹を開けてみましょうか?」


「……そうだな、開けてくれ」


 護身用の短刀を持っていた弟子が腹に刃をあてて捌いていく。


「……これは!」


「決まりだな」


 腹の内臓は、眼球と同じように出血点を見せず、綺麗に抜き取られていた。


「これも病のせいなのですか……?」


「……呪いを受け続けたり、みだりに呪いを使用し続けた者が魔物化する現象があるにはある。魔物化した代行業者の仕業かも知れない」


 ともなればかなり厄介だ。新参(ニュービー)の魔物は弱点と注意点、性格が一切分からない。対策の立てようが無い。


(何の生き物が代行業者になったのか早く特定せねば)


 すると、ガサガサと、川中央の小島に生い茂る、背長の草が揺れた。


 弟子含め全員息を飲んでそちらを見つめると、草達をかき分けて、身長180はある、黒く細身の何かがぬうっと現れた。ヒトのように手足は見られるが四つん這いで、顔は蝸牛のよう。背中には巻貝の殻を背負っている。

明らかに自然のものでは無い。


「貝か……。呪いの媒介者は貝だったか」

 目のついた触覚がニョキニョキ忙しなく動いたかと思うと、奴はこちらに首を傾け顔を見せた。


 理性と知性を感じさせず、恐怖が身体中に染み出す顔に、背筋が冷たくなった。

 すると、奴はウサギのように小島を蹴って飛び跳ね、我々のいる川岸に軽やかに飛び移った。


 5m。

 ゆっくり、奴は手足を動かす。


 3m。

「預言者を御守りしろッ!」

「行け!行け!」

 飲まれて動けない預言者をよそに、鋤や鍬で武装した弟子のうち三人が、蛮勇を奮い起こして立ち向かった。


三人が手にある木製の武器でめちゃくちゃに()を殴りつけると、()はパカッと徐ろに、歯の見え無い口を開いた。


 そこから超高速で伸びた、物干し竿ほどの太さのしなる舌の先が、一人の頭に突き刺さった。

「うがっ……えっ……何……」


 ぶじゅるっ


 そんな音がしたなと思った時には、何も理解出来ていなかったようである彼の眼球は消えて、眼窩の辺りが暗くなって血が溢れ出た。


更に神経を逆撫でる音がしばらく鳴ると、彼の身体は、あの娘のように血色悪く、枝のように細くなっていき、感情の一つも動かない化け物に、その吸い殻(・・・)は捨てられた。

【クズ袋どもが、ワタシに何の用だ】

触覚をまたニョキニョキ動かし、その人間離れした口が開いて人語を飛ばした。

「しゃべった…!」

「何なんだよッ」

【ワタシへの貢ぎ物…というわけでは無さそうだが。その貧相な武器で遊びに来たのか?】

ルベンは二人の弟子の前に出て、1mほどしかない超至近距離で貝魔を見上げた。

貝魔はルベンの顔を覗き込むなり、首を傾げる。

「私の弟子が先走ったのを詫びよう」

【ほう】

「さて、話は変わるが…近くで民草が病と呪いに苦しみ喘いでいる。お前に心当たりはあるか?」

【あると言ったら?ン?なんだよ】

腰に手を当て、挑発するように背を曲げ、ほぼ真上から彼を見下ろす。

「神の名の下にひれ伏して、殺した者の為に罪を償え」

【神だァ?】

貝魔は予備動作なくルベンの鳩尾(みぞおち)に膝蹴りを放った。ルベンは腹を抱えて膝を地に着く。

「ぐっ…神を畏れよ」

【ワタシが至高者だッ!虫クズめ】

二人が逃げ出す刹那、ルベンは足元の石に刻まれた赤黒い、おぞましい字を見た。

 〘殺せ〙

 神の勅令と受け取ったルベンは聖書を取り出して叫んだ。


「【火柱は立つ。汝の敵を撃つ為に】ッ!」


 聖書の頁から、炎の渦は巻いて立ち上がった。神の言葉が、読誦された事でそこに現れたのだ。


 ルベンは赤い字が刻まれた足元の石を拾って貝の魔物に投げつけ、それが当たると、それは印となり、火は印をたよりに貝魔を撃った。


 火が消え、煙が失せると、左肩から先を失った貝魔が震えていた。しかし、顔には何の変わりも見られず、焦っているのか、痛がっているのかも分からなかった。

「【(其れは)燃えたぎる。罪を糧に、悪意を燃料に。(なぜなら)それは地獄の責め苦であるから】」


 火柱自体は過ぎ去ったはずだが、断面にこびりついた火はグズグズと煙を出してまた勢いを強くし、延焼を始めた。貝魔がようやく苦しげにのたうち回る。


 神が預言者に地獄を語る章は、神の怒りと攻撃的な戒めがふんだんに刻まれている。


呪いに等しい破壊力のある章句が沢山あるため、全ての神学校で“あくまで自衛の為”の訓練が施される。


「罪なき民草に侵略的な死を与えた者には、侵略的な死で報いる」


「これが神の法。同害報復法(タリオ)だ!」


火はついに貝魔の身体を包んだかと思うと、口や目玉、臍から火を吹いて、色んな色をした液と泡を垂れ流し、大きな音を立てて倒れた。悪臭が周りに立ち込める。


「残念だよ。神は一度全ての罪を御赦しになられたのに」

ルベンは裾を鼻と口元に当て、悪臭を防ぎながらそう呟いた。

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