伝道師
「私ははっきり言っておく。魔女や魔の者が、ただ彼らが彼らであるからという理由だけで直ちに打ち殺される現状は、神の御心に背いているのでは無いか」
伝道をする聖職者は毎日のように街道に立ち、説教を奮って民を集め、資金調達する。
「誰しも、堕落した十字軍遠征の話を聞いた事があるだろう。捕らえた魔物や亜人の女には色を鬻がせ、男には重い労役と兵役を課している」
「法に定めた罰を与えるのならまだしも、現状諸政府はただ国営の人身売買で懐を潤しているだけでは無いか」
「差別主義と人類至上主義で民の不満を誤魔化しているだけでは無いか」
「神の名と怒りを騙ってゴロツキのように悪銭を稼ぐ者こそ、神の怒りに焼かれるべきでは無いか!」
攻撃的な説教は数少ないため、民から一定の注目を集める事には成功した。が、腹の底から賛同する者は少なく、娯楽として消費して、笑い、そして帰る者ばかりだった。
(私もそろそろ帰るかな…)
彼が説教していた場所は、ジャングルの清廉な川を下って当たる街道を進んで見つけた、中規模の貿易拠点である。
街は広大な内海に面しており、対岸との貿易が盛んなのだそう。
「─────ここだけの話、街の貿易相手は“果ての地”なんだよ」
「果ての地?」
私の帰路、説教に賛同した旅の僧兵リウジェンが声をかけてきた。歳は同じく、思想も近しいのもあって彼と意気投合し、バカ話から神学論について語り合った。
「そうか、お前さんは大陸外から来たんだっけな。言うなれば巨大な無政府地域さ。数百年前までは国が100近くあったらしいんだけど、大災害と魔物と戦争でぐっちゃぐちゃなんだって」
「たった十年で100ヵ国が滅んでさ、それが数百年そんままなんだぜ。ありゃ神の怒りかも分からんね」
「そんな、ぺんぺん草も生えない地域と何を貿易するのです?」
「お前さんの説教にあった、亜人奴隷と麻薬さ…。果ての地には法も倫理も無いからな。やりたい放題なんだってよ」
「ふむ…」
「…………」
僧兵は、ルベンの横を歩きつつ、彼の考え込む姿を見つめていた。
「奴隷貿易、どうにかしようかと考えてるのか」
ルベンの野宿している沢辺にて、僧兵は一斤のパンと山羊の干し肉を食い終わってから問うた。僧兵は苛烈な聖戦と頻発する魔物の襲撃と戦うため肉を良く食べる。
「よく分かりましたね」
「旅してるから色んな奴は見てきたけど、お前さんほど神徳が高い奴は見た事がない。おま…アンタほんとは司祭じゃなくて教会本部の遣いとかじゃねーのか」
「これが免状です」
「こりゃご丁寧に。改めるぞ」
リウジェンは司祭免状を受け取って目だけを動かし、眉をひそめてそれを見つめる。
「…ん〜。確かに、司祭階級の免状だな」
「そうですよ。16の田舎司祭から飛び級叙階なんて無理ですから」
「なら、アンタは預言者だな。神の啓示を賜ったか」
「…え」
なら?何がなら預言者なのだ…?と勘繰った所で、いや、冗談かとチラリと彼の顔を見たが、もう遅かった。リウジェンは目をまん丸くして固まってこちらを凝視していた。
「その反応…まさか…」
私は耐えかねて言い訳を作るのを放棄し、洗いざらい全て吐いた。騙すよりいっそ心地よい。
「天使告知か…。それが本当なら、史上初の聖職者だな」
「?預言者なら、過去一万年に大勢存在するはずでは」
「そりゃ預言者と見者の合計数だ。そんで普通預言者は天使の声は聞こえても姿は見えない。逆に見者は、天使の姿や啓示のイメージを見えても、声は聞こえない」
「しかも預言者達は天使を一人しか見ていない。それが二人どころか三人!」
「過去一万年、その前提は崩れること無く続いてたはずだが…お前さんが破ったな」
確かに、何故忘れていたのか。事実なら更にとんでもない事じゃないか。
「…“戒律の解釈に間違いがある”か。天使様は、まだお前さんの近くにいらっしゃるか?」
「さぁ…。一切気配は無いし、かと思えばいつの間にか近くにいらっしゃるものですから」
「ルベン。俺はな、新たな戒律を聞きたい」
───それは、新たなる信仰告白他ならなかった。旧い信仰を捨て、新たな時代を望む声であった。
「…慈悲あまねく慈悲深き御方よ。貴方の御使いを介して啓示を下さいますように」
「天軍の総覧者たる栄光の我らが主。光背負う天使を我らが前に降ろしてくださいますよう」
祈り方は、修行する場と、何を目指すかで変わる。一般的な聖職者や伝道師など文官を奉じる者は概ねルベンのように、修道騎士や十字軍騎士など武官を奉じる者はリウジェンのように祈る。ようは、どの立場から祈り、何について祈るのか。それを明らかにする為である。ただ祈り方はそこまで厳粛に定められている訳でなく、神を讃える言葉ならば大筋から少しそれても構わないとされている。
すると川の水が風に吹かれ、渦を巻いて立ち上がり、巨大な球を作り出した。
私とはあんぐりと口を開けて驚き、何も喋れないでいた。すると球は3つに裂けてそれぞれ小さい球になり、七色に光り輝いて割れ、そこには後光さす天上の乙女が三人浮かんでいた。
「おぉぉっ…!」
「なんだ…!?魔物か!?」
ルベンには天使たちが見えていたが、リウジェンには水球が弾けた光景しか目に出来なかったらしい。
しかし、いつ見ても感嘆の溜息を吐かずにはいられない。宇宙のどの言語をもってしてもその光景を言い表すことは難しい。
〘最後の預言者ルベンに、また告げよう〙
六対の白鳥のような白い翼を持つ天使は、彼の名を呼んだ。
「は、はい」
「なんだ?何がいるのだ…まさか天使様か?」
〘そこの神の兵士が望むように、汝らに新たなる戒律を授けよう〙
「…!」
〘ハレールヤ!我らが主の導きを見よ〙
三人の天使が両手を広げて天高く掲げると、地が長く大きく揺れた。喇叭の音が鳴り響き、紙吹雪と花弁が強い風で吹き荒れる。すると、川の中央に白く巨大な丸い石が地より這い出てきた。
「これは…」
2人で息を呑んだ。丸い石には、文章が人ならざる技法で秩序よく刻まれている。
一、地上に乳と蜜の流れる地を建設せよ。
二、異神を拝するものを排撃してはならない。誰を、何を拝するかは民が決める事である。
三、神への献身を後込んではならない。
四、わたしを拝する者は、搾取と圧政、偏狭と差別を地上から永遠に除去しようと努めなければならない。
五、全き生きとし生けるものを慈しみ、また全き生きぬものを愛せよ。蟻であれ、砂であれ。
六、わたしの詔勅以外での殺生を禁ずる。
七、細かい定めと裁きは、わたしの預言者に聞け。天使を介し、かれらにわたしの言葉を預ける。
八、全てわたしを拝する者は、わたしの命に従え。
九、全てわたしの命に反した者は、諸預言者に委ねよ。わたしの裁きを与える。
十、全てわたしを拝する者は、上に記された戒めを行う事を固く誓え。
神から降った、新たな戒め。戒めを賜った人間は、ルベンを除けば、過去に一人のみ。
「主よ…貴方の新たな戒めに服します」
「貴方様に、永遠を誓いましょう」
ほぼほぼ、新たな戒律は旧来の戒律と大きく変わるものであった。しかも、戒律はそもそも宇宙に跨る恒久不変で絶対的なものとされている。一般的な戒律の解釈の範疇に、古いも新しいも無い。そしてそれは人類史一万年のなかで一度も、一言一句も改訂された事は無かった。
一万年の権威は、恐ろしいほど莫大なものである。それを維持したという事実が、全く崇高かつ、巨大で暴力的な力を生む。
しかし果たして、戒律は神をも縛るのか…?いや、断じて無い!
神は全ての頂点也!全てを超越した方であられる!
ならば|神には前言を撤回する権利がある《・・・・・・・・・・・・・・・》はずだ。神は一万年に縛られない。
ルベンの中で、このような神学理論が大まかに構築されて行った。あまりにも異端で、突拍子の無い神学理論と、新たな戒律。
世界は近々、二つを目の当たりにする事になる。そう、ルベンとリウジェンは確信した。
天使たちは更に光を放ち、二人の神官はあまりの眩さに目を手で覆った。光が無くなるのを感じて2人はまた川に目をやるが、そこにはもう戒律の刻まれた岩以外、何も無く、夜の闇と川の流れが響いているのみであった。
リウジェンはハッとしてルベンの方を振り向いた。
「見えていたのか!?聞こえたのか!?彼らの姿が、声が…!」
「はっきりと。三人おられました」
「しかし、新たな戒律か…」
リウジェンは川の冷たさに震えながら、石を眺め、撫でていた。
「教会どころか世界がひっくり返りますね」
「あぁ。特に一、二、四だ。ルベンへの初めの啓示と照らし合わせると…」
「…私は一体、何処まで連れてかれるのですかね」
「…ルベン、ルベンよ。聞いておくれ。我が朋友」
リウジェンは綺麗に剃られた頭を掻き毟ってからルベンの方へ向き、胡座をかいて座った。
「ルベンよ。俺はお前に一生、いや、死後までついていこう。神の御意志以外にお前と俺の友情が絶たれる事は無いと、今ここに宣言したいが、宜しいか」
どこまでの確信と覚悟が有れば、これを口に出せるのか。会って一日満ちたか満ちないかぐらいの短い時間で、リウジェンは全て投げ打つつもりでいるのだ。
私はただ恥じた。天使の啓示をいくつ聞いても、受難しても、死と復活を経験しても、救世主だと告げられても、実感が湧いてこなかったのだ。
「なら、私も今ここに宣言しよう」
ルベンもリウジェンに向き直り、胡座をかいて座った。
「リウジェンは主の御赦しがある限り、私の永遠の盟友である」
預言者二人の思考には、最早一片も曇りは無く。彼らの道とその先が、恐ろしいほどの眩い光に照らされていた。
我々は説教を再開した。またも、他の僧侶なら絶対にしない、攻撃的で、世直しを訴えるものだ。
老人は聴く者半分、通り過ぎる者半分。
壮年はごく少数だけが聴き、他は冷笑に付した。
青年は大多数が聴き、少数が我々に石と枝っぱを投げた。
いつであろうと、良い方向にも悪い方向にも爆進的に舵を取り世を進め得るのは、青年の関心と情熱であろう。
「────やっぱり、私も、ただ犬の耳が生えてるとか、腕が多いとか、そういうくだらない理由だけで虐げられているのはおかしいと思います」
若い村娘が言った。
そもそも亜人が教会に疎まれるのは、大昔、魔の者や異教の神と交わった者が祖先にいるからというのが通説である。
「明らかに差別だ。肌や髪の色での蔑視は問題視されているのに、亜人の物乞いに唾を吐くのは許される、というのは俄然納得がいかん」
中年の、ねじり鉢巻きをした職人が言った。
「ありゃカビの生えたものだよ。ワシが小さい頃からなんにも変わらん。田舎根性で躍起になって新参者を虐めてるのと何の違いがあるというのかね」
杖をつく老婆が言った。
口々に、そういえばとか、アレもどうだとか、民達は違和感を放ち始めた。
一粒の疑問。それが皆の頭には間違い無くあったのだ。宗教どころか、日常にも弾圧は浸透している事態に。そもそも、弾圧自体に理が無いのでは無いかという事も。
さぁ議論が活発した所に、五人の聖職者がやってきた。聖職者達は皆聖書を抱えて、いかにも敬虔な様相である。
一人の若い聖職者…ルベン、リウジェンと同じ階級の、濃い緑の髪で狐目の司祭が前に出て、民衆をかき分け、ルベンの真隣に立った。
「思い出してください。皆様。亜人の祖先は穢れた魔の者と姦淫をしたのですよ。貴方の祖先を、貴方の親戚を、貴方の娘を喰い殺した悪しき敵なのです。それらの血を引くものが、いつ、魔族の号令に従うか。いつ、異教の、忌むべきものの兵士になるか。果たして、最後の審判では人類側、魔族側、どちらにつくでしょうか」
彼は民に向かい、説教を放った。聖書通りの通説、ルベンの真反対の論理である。
「そもそも、何故あなた方はこの男がペテンでないと言い切れるのか。邪悪な魔の者の手先で無いと、ただ酒か茸に酔った狂人でないと言い切れるのか」
「魔は、悪逆で人類倫理を逆撫でするような発想で人心に忍び寄る事を忘れてはならない」
「彼こそが偽預言者。偽救世主。貴方がたの神への信仰を試す試練である」
ざわざわと、民達はこれから起こりうる論争、ぴりつく空気に興奮しだしている。
ルベンはただ大きく鼻から息を吸って、吐いて、口を開いた。
「貴方の名は?」
「ルーゼル。この街の司祭です。ルベン司祭。リウジェン司祭」
どうやら我々の悪名が広まってきているらしい。
「ルーゼル司祭。主は度々赦される慈悲の神であるのを忘れたか。祖先の罪を子孫にまで継がせるようなくだらない事を、主がお考えになられると思うのか」
「ルベン司祭。子孫が疑われる状況こそが、罪を犯した祖先への適切な罰に他ならない。人類の敵手と交わり子を作った者は永遠に苦しむべきでは無いですか?」
「ルーゼル司祭。親が犯した罪は親が精算するのであって、何世代もの子孫が代々精算するというのは目も当てられない非道の極みである。それとも子の存在自体が罪であるというのか?それは神の博愛に著しく矛盾する」
「ルベン司祭。神は慈悲深き御方に間違いない。だが、神は偉大な裁きの主宰者であらせられる。戒めに背き、悪の所業を働く者を滅ぼすのに余念の無い御方だ。莫大すぎる悪行と悪名は子孫代々を汚すと警鐘されるのだ」
「ルーゼル司祭。彼ら子孫を汚しているのは貴方がた差別主義者だ」
「…なに?」
ここで、ルーゼル司祭の片方の瞼と眉がぴくぴくと痙攣し始めた。
「誰が亜人を重い労役と兵役につかせるのか、売春婦に堕とすのか?それは遠征する騎士と役人他ならないでは無いか!誰が亜人に唾を吐き、誰が亜人を物乞いに落とすのか?それは差別主義に染まった民他ならないでは無いか!」
「裁きも罰も与えたのは神ではない、あなた方が与えたのだ!あなた方が勝手に神の名を騙り、勝手に裁き、勝手に罰を与えたのだ」
わなわなと、緑髪の司祭は震え始める。
「恥ずべき妄想を捨てよルーゼル司祭。神は一度たりともそうしろと命ぜられた事など無いのだ。これは公会議、いや、教皇にとって都合が良い愚民化政策でしかないのだ!」
「我々は、“悔い改め”が必要だ」
ルーゼルは力いっぱい拳を振るってルベンの右頬を殴った。よろりとルベンはバランスを崩し、リウジェンに寄りかかった。
「貴様ッ!」
額に青筋を走らせたリウジェンは背中の湾曲刀に手をかけるが、ルベンは手を彼の前に出して制止した。
銀髪の司祭は立ち上がり、唾と血と、折れた歯を吐き出し、己の左頬を突き出してそこに指をさした。
「もっと腰を入れて打て」
彼の瞳は開いていて、力んでいるらしく、首には筋が何本か浮かんでいた。
気圧されたルーゼル司祭は戸惑って後退りし、そのまま他の聖職者四人ともども捨て台詞を吐いて消えていった。
「許せん。斬り伏せれば良かったのだ」
「ならぬ。啓示が下ったばかりだろう」
リウジェンの呟きに、ルベンも呟いて返した。
ここで、石を投げて嗤っていた者たちの幾分かも、かれらの説教に興味を持つようになり、参加する人数は更に増えた。