Petalopikaのデュラハン高原
遂に来てしまった。世界最悪と名高い災い住まう地へ。神よ人類を哀れみ給え。
標高500メートル、総面積98万平方キロメートル。
ほぼほぼ平坦な草原が広がるこの場ではpetalopika族の遊牧民が住まう。
ヤギの放牧、牧畜、物々交換等により生計を立てており、半地下式の、塹壕のような住居に住まう。
ヤギが草を食い尽くして土地を殺さぬよう、転々と、過去各地に建てられた住居間を移動している。
山に登るはこれ二度目と、緩やかな傾斜ではあるがゆっくりと自分のペースで休憩しつつ登る。すると、石や木を積み上げて作ったらしい道標の隣にある巨岩に座る、一人の青年がこちらを見つめていた。
私が手を挙げて振ると、これは有難いことに彼はわざわざ私へと走り寄ってきてくれた。
精悍な青年で、口元と顎に髭を蓄えている戦士であった。背中から首にかけて何本か蔓が伸びていて、枝分かれした所から爛々とした緑の花を咲かせていた。
「貴方が預言者様ですか」
私は怪訝に思った。
誰が私が預言者であると伝えたのか?
「伝書鳩です、預言者様。天の思し召しで一人だけこの地に遣わされると報されました」
「なるほどそうですか。それで、デュラハンはどちらに」
「お供出来ないですものね、ここから二里ほど先にある村から、西にのびる道と道標を真っ直ぐ辿ってください。崖下に彼奴がいるはずです」
「ご丁寧にありがとうございます」
明確な目的地を聞いて流木を杖にした行軍は早まり、言われた通り二里ほど歩いて行くと、確かに左手に雑多な天幕群が現れた。
誰も外に出ていないようで陰鬱な表情が集落全体を纏っていて何か近寄り難い雰囲気である。
(まぁ仕方あるまい。逃げ出してない方が異常なぐらいだ)
木の杭が打たれた場所を右向け右し、転々とある道標を越え、遂についに、巨大な亀裂の前に止まった。
黒い煙のような霧のような、邪悪な粒子の束が崖下から上がっては透明となって空へ消えていっている。
(死に馭者ヶ國が……今、ここに……)
この高度差でも、あの日の圧迫感を思い出す。
縄梯子をかけてゆっくりと着実に降りるさなか、吸血鬼姫の助言を頭蓋内で反芻する。
“くれてやった本にも書いてあっただろうが、デュラハンは自らの姿を見られるのを極端に嫌う”
“それと奴は、ある種族との関連性が報告されている。それは───────”
縄梯子を降り、努めて、自らの足元の岩を凝視する。
(いるッ!確実に、目前に!)
恐怖がそのままエネルギー化したような、そんな悍ましいのが莫大に“ある”。
まず間違いなく、人生一番の緊張かつ恐怖。
数千万の生命を食い潰してきた、紛れもない、人類一の悪夢。
芋虫のようにゆっくりと這い、音も無く彼の数メートル圏内に入った。
彼はゆっくりと跪いて瞼を閉じた。
「しに、死に馭者よ。私が何をしに来たか分かるか?」
どんな姿なのか?
何を考えているのか?
何も検討がつかない。だからこそ、ただただ、司祭は心の底から言葉を紡ぎ出す。
「私はお前を救いに来た。私の主なる神の名と、私の名において、きっとお前の魂を救済してやる」
「語ってみるがいい。お前はどうなれば救われる?」
震えながら何か反応を待っていると、ルベンの首が、何本かの華奢な手に触れられた。
手はベタベタに濡れていて、鉄錆の匂いでむせ返りそうである。
(血、か……)
手の次に、長い、少し硬めの人髪らしきが私をカーテンのように囲った。
首級の無いデュラハンに髪か。
私は現実逃避したくて少し笑ってしまった。
その瞬間、大量の、とがった、細い、どうやら釘らしい金属群と液体が頭上から降って私はそれにまみれた。錆の匂いが更に増す。まるで気化した錆そのものが吹き出しているような、強烈な匂い。
無数の腕が私の手足をギリギリと強く掴み、持ち上げる。
私の身は少なくと、も数メートルは地から離れたであろう。
(食われる)
明確な、死のビジョン。歯に細切れにされ舌に弄ばれ喉奥に運ばれるイメージ。彼女の口の中いっぱいにペースト状の真っ赤な私が広がるという、想像。
【嘆くべし。死に馭者に屠られた幾万もの犠牲者】
ベタベタな液体まみれの、何本かの手が私の頭を撫でる。雫が顔を伝い喉を伝い服の中へ流れていく。
【彼女のモノになってはならない】
【彼女のモノになってはならない】
【彼女のモノになってはならない】
【彼女のモノになってはならない】
【彼女のモノになってはならない】
「【|幸いなるかな 呪いの地を脱せし我が子《Eto blagosloveniye Moy rebenok, izbezhavshiy proklyatiya》】」
華奢な腕は泡立って溶け落ち、ルベン司祭は彼女の包囲から逃れた。
(これは……殺気!やらねばならぬか)
私は聖書を開き、きっぱりと目を開けて彼女を見た。見てしまった。最早殺り合うならば敵の姿をしっかりと見なくてはならない。
私はその姿を見て著しく、ただ著しく後悔した。
「【神は災いを降らす雲より砲撃を齎してくださる】」
「【見よ。夥しい罪過を悔いぬ者に降る酸と硫黄の雨】」
「【火を以て罪を焼き切る御方は天におられる】」
荒ぶる鳥肌を無視して地獄の様と裁きの様が記された章を詠みあげる。
聖書から雲が一瞬で立ち上がりて空一帯を覆い、雷鳴と雲の唸る音を存分に張り上げている。
雲から何十本もの加農砲身が這い出、ルベンが右手を高く掲げると砲の全てが彼女に指し向けられた。
「神の下へ還る日だ……!」
「吹っ飛べッッ!」
勢いよく、手を振り下げた瞬間に全ての砲が火を噴いた。砲弾は間断なく降り注いで彼女を隠す程に炸裂し、更に雲から降る雷や火、酸と硫黄が追撃する。
「【氷塊の弾は魔女を削る】」
「【迫害者に油をかけて燃やせ】」
「【略奪者に向け剣よ降れ】」
宣ったように、更に雲から剣やら油やら氷柱やらが生え出て、更に攻撃を加え続ける。
ただただ、もはや地形が変わるという程、今までに無い全身全霊力を込めて目の前へ火力投射し続けた。
そしてたかが十数分して、滝のように汗を流しふらついていたルベンが遂に膝をつき、過呼吸に陥った。
「げほっがへっうぉえ………」
口元の胃酸を手で拭ったルベンは、チカチカする頭を奮い立たせ目の前を凝視する。
(奴はどうなった?)
大体予想はつく。
天使三柱から加護を得られた私が扱える中での最大火力を、最大限活かせるような形で、最大時間撃ち続けたのだ。
そう。そう。全て予想通りに事は運んだ。
(……予想通り)
何も変わらなかった。
土煙も雲も止んで、彼女は傷一つ無く居た。
夥しい数かつ圧倒的な深さのクレーターの上に浮いていたのだ。
「【|わたしに聖餐を捧げよ。のちそれはわたしからの恩寵となる《Predlozhite khleb Bogu, ibo vposledstvii on stanet dlya vas blagosloveniyem.》】」
聖別された葡萄酒の瓶のコルクを抜き、喇叭飲みしてから短刀を抜いたルベンは、もう一回葡萄酒を口に含んで霧状にその刀身に吹きかけた。
両手でその得物を握り、柄頭を腹につけたルベンは、暴漢に抵抗する寡婦が如く、夜毎喧嘩する博徒が如く、デュラハンに向け駆け出し、己の体重を乗せて彼女の腹へ刃を突き刺す。
臓物をグチャグチャにするイメージで更に一歩踏み出し、抉って抉る。
ドポドポと液体が地に落ちる。鉄の匂いが辺りに咲いた。
しかしあまりにも手応えが無い。|まるで刺さっていないかのような《・・・・・・・・・・・・・・・》……。
短刀を見てみるとまたも予想的中。刺さったのでは無い。刀身が溶け落ちたのだ!
血ではなく、酸か何かに触れたかのようにグズグズに黒くなって泡立ったのが地に落ちたのだ。
「畜生……」
呟いた瞬間に喰らったのは見聞したことのない魔法による砲撃であった。
左胸、右肩、腹部、鳩尾、右目、左前腕2箇所、右腿。全て拳大の痛み。実際打たれた事は無いがもし喩えるなら、プロ・アスリートの拳闘士にジャブのような形で殴られたような、そんな激痛。
あまりの衝撃に身体が浮いて後方に吹っ飛ばされたルベンは反射的に祝祷を唱え回復に努め、唱え終わった瞬間に後ろの岩盤にぶつかり停止する。
すぐに立ち上がろうとしたルベンはすぐに転んでしまい、困惑して己の身体を見ると納得した。
打たれた部分全てが黒ずんでいて、激痛が続いている。まるで打撲が治っていないのだ。更に治っていないばかりか、邪悪な力が蠢いている気配がただただする。
(呪いか)
大方攻撃が当たった場所が腐食するモノか傷を治させないモノかはたまたその両方。
少し厄介。まずは自己から対象者へ呪いを流す線もしくは代行業者を始末せねば。
「【|聖地より御加護を《Zashchita so Svyatoy Zemli》】!」
身体に膜がかかるような形で、非常に薄い結界が張られた。薄緑に輝いていた神の城壁は、そして脆く崩れ落ちたのである。
「は……?」
結界は、光り輝くまま粉々になり散り散りに空へ消えた。
「【|神の国の防壁《Bozh'ya stena》】【|天使は防塁を築けり《Angely stroyat ukrepleniya》】【|棘防柵よ悪しき伝令の脚を砕くべし《Kolyuchiy zabor, unichtozh' nogi zlogo poslannika》】【|欲にまみれた獣を退ける《Pobeda nad Zhadnym Zverem》】」
全てを。清酒によって回復した体力を全て呪い封じに。
骨が軋む。肉が縛り付けられたようだ。血は弾丸列車のように疾走する。傷口から血が溢れ、ローブの所々が紅く染まる。
あらゆる神の防衛がルベンを包んでは、しかし災厄の彼女の蝕みが跳ね返す。
身体中に有刺鉄線が巻かれたような激痛が走る。
涙と涎と鼻水が止まらない。それらの体液は沸騰する銀のように熱い。
手足が槌と棍棒で滅茶苦茶に殴られるように痛い。
全身の皮が剥かれたような不快感と痛みが襲う。
鼓膜が破れんほどの巨大かつ不快な音がルベンを包む。
火に焼かれるように熱く、氷に当てたように冷たい。
血が更に失われる。傷口に塩と汚泥が塗り込まれたように痛い。
発狂に次ぐ発狂と失神。
惑星の物質を総動員してルベンの痛覚を弄んでいるかのような、そんな大苦痛。
身体中に内出血と異物感が蔓延する。
(これがっこれが災厄かっ)
天使の御手すら届かない、奥底の奥底。
神の救済すら介入が出来ない地獄。
【苦しみを知らないでいるものが、救いを成せるのか。罪人を知らぬものが警吏につけるのか】
「主を讃えよ!天の父へ救いを求めよ!」
震えながら、神にすがり、両膝、両肘、頭を地に投げる。神に絶対的な帰依をする事を表す祈り方。
手のひらを上にし、神の御足を触れるイメージ。
「主よ……貴方の民を哀れんでください。彼女の痛みが分かりました」
ドール・アイのそれのように、眼球にヒビが入っている。そのヒビ割れた眼で、彼女の頭上を仰ぎ見た。
温かい風が吹いた。凍てついた雰囲気を崩し和らげる、慈愛めいた風。
地獄にて罪人が原型をとどめず死した時、獄卒が生きよ生きよと命じた時に吹く【再生の風】である。
【生きよ。生きよ。眠る暇は無い。癒される暇は無い。疲れる暇は無い。報いよ。報いよ。蘇生の風、再生の風は汝を揺り起こす。生きよ。生きよ】
生爪が抜け落ち、目と鼻と口から垂れる体液に紅が混じり始め、火傷と凍傷が身体中を蝕むルベンは尚も、尚も。尚も!
弥栄!
彼は彼女へ祈った。彼女を祝福した。
滅私の愛。
父母の愛そのもの。
それは神が齎す全きへ世諸々への慈しみに限りなく近いものであった。
「すまない………」
彼女の痛みと苦しみを、史上初体験し、それを解せた者の絞り出した言葉。
深呼吸し、そしてデュラハンをしっかりと眼に収める。
「貴女は妖精だな。それも古くて……高貴な出だ……」
再生の風はルベンの肉体隅々に、精神隅々に吹き、彼の傷を全く癒した。
生命への歓喜。神の御業。アレルヤ。天の国の思し召しである。
彼の、ひび割れた眼はうるうると潤んで、割れ目から眼窩から雫を溢れ出させる。
「古い妖精信仰だ。部族毎の物々交換の際に広まっていったのか」
彼は、彼のもとに下った神の霊が見せる情景に、ただただ同情していた。
青銅器時代と呼ばれる頃、ある流浪の部族にいた若き戦士を魅入った妖精がいた。
妖精は大自然の意思の結晶である。
彼女は彼と彼の部族に大自然の実りを恵み、加護し、愛した。
ある日、若き戦士は森の恵みを腕に沢山抱えて言った。
“あなたは私と私の仲間を沢山愛して下さる。不躾な事は百も承知ですが、是非ともあなたと直接顔を合わせ、あなたに感謝を伝えたい”
妖精は木の影から慌てて返した。
“余は異形である。文字通り、余はお前達に合わせる顔が無い”
戦士は朗らかに笑う。
“貴女様は偉大な御方。どんな姿であろうと、貴女様がそうしてくれたように愛します”
何月も妖精は悩んだが、とうとう彼に折れて、彼のみに顔を晒す事、決して他言しないという事を誓わせて、二人はついに直接お互いを眼に収めた。
“綺麗だ”
惚けたように照れたように顔を赤くして彼女を凝視しつつ、彼は口を滑らした。
戦士と妖精は逢瀬を重ね、そして、戦士が元服した夜、彼は求婚した。
大いに、地が震える程に喜んだ妖精は快諾し、その夜、二人は交わった。
めでたしめでたし、となっていれば、デュラハンは荒んでいない。
結婚をしたいという彼の報せを聞いた諸部族はこの結婚を許すまじとした。
戦士と結ばれる筈だった許嫁たち、部族の掟を破られた酋長、新たな権力構造の発生を恐れる者たち、妖精の寵愛が気に入らない者たち。
ある夜、部族は森で愛し合っていた彼らを襲い、引き裂いた。
妖精は悪魔、魔法、妖精封じの術者達によって力を封じられ、戦士の目の前で手篭めにされた。
戦士は散々痛めつけられ、妖精の目の前で許嫁たちに良いようにされた後、拷問死させられた。
それをご覧になっていた神は激しく怒り悲しみ、神の霊を妖精に降した。妖精は大悪魔数体と著名な術者、諸部族を瞬時に滅ぼす。
神の力を与えられた半狂乱の妖精の怒りは収まらず、強姦を働いた者を全て殺したのだ。
【オォッ……オォォォォ……!】
哭いている。全てを、走馬灯のように見ているのだろうか。
(不可触民階級として見られた者たちは人権など無い。著しく強姦被害を受けやすいのだ。“そういう”経験をしていない者の方が少ない……だから奴らに罪の意識など無い)
「主はあまりに力を乱用し、強姦魔といえど数百万の男女を殺してきた貴女を赦されなかった。だから貴女は痛みと苦しみに苛まれた」
「だが、今はそれは無いだろう。激苦痛が無くなったから、世に出て動き出したのだろう」
「天の父は全て御赦しになった。神の国は貴女にも開かれた」
「天国で彼が待っている。……彼も赦してるだろう。天国で、結婚式を挙げ直しなさい。誰もが祝福するし、なんなら私が後見してもいい」
「今まで大変だったな。天での報いは貴女のものだ。貴女が受けるべき、妻としての巨大な幸いがある。神のもとへ帰りなさい」
デュラハンは揺らめいていたが、何か動揺して動けないでいるようだった。
「そうだな……実感を持てないだろう。持てないなら、持たせてやろう」
ルベンはおもむろに聖書の頁をめくり、天に掲げ、そして厳かに天使祝詞を口ずさんだ。
するとただちに雲が轟音をあげて二つに割れ、やがてそこから光がさし込んだ。
光はデュラハンを包んで照らす。
「【ホサンナ。救い主。我らがいと高き導き手】。彼女を天に導きたまえ」
彼女は聴いていた。凡そ十世紀前。人類史が刻まれる前に聞いた、あの声を。
懐かしき、愛しき、恋しき、あの声を!
あの人の声を!
おいで
【喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである】
デュラハンは、天に手を伸ばし、そして、風に吹かれ、金粉のように光と風に遊ばれ、祭りに投げられる花と紙吹雪のように、緊張の融解と悲劇のフィナーレを演出し、そして、まるでそうあるべきと運命に則ったように、厳然と神の国へと送られた。
彼女が現れて約一万年と三百年。
彼女によって齎された死者数約1290万人。
彼女による被害総額……数十兆ほど。
彼女は、然るべき時期に、然るべき者によって天へ還された。
それを見届けたルベンは緊張の糸が切れたか、ふらりと倒れ、そのまま気絶したかのように、深い眠りへと誘われていった。




