紅い牙の司書
相も変わらず灰塵はしきりに舞っているが、一方で戦の模様はすっぱり消えて一時の安静が蔓延していた。
襲撃者達をやっとこさ撃退した彼らは、隠れていた解放奴隷達と合流し、地下の点々とある図書室を渡り歩く。
「読めん」
「ん〜……」
本の自体は大陸言語圏のものである為、皆読めないことは無いが、本の棚に刻まれたジャンルや、タイトルの頭文字が、まこと見たことも聞いたことも無い言語なのだ。
「【ヘウサウションの天文館】、【サメ軍団リターンズ】。なんだこりゃ。天文学の本と漫画が一緒にされてるぞ」
「妙に気になるタイトルだな」
「【カニクイザルでも分かる!サンパリノ語の下品な罵倒2】……」
「おいやめろシャイハーン。変なのを音読するな。おい。おい!ページめくるなバカ」
「なんでシリーズ化してんだよ……」
正確な高さは分からないが、本棚は成人男性を三人ほど垂直に置いたぐらいにもあり、それぞれ棚と棚の間に梯子がかけられてある。
そして棚の一つ一つ、読書用のテーブル一つ一つに燭台が掛けられていて、全て火が灯っている。日が消えた燭台は一つも見当たらない。
これも空気の循環システム同様、魔法で管理されているのであろうか。
(これを維持しているのは一体どんな術者が?戦うのだけはよしたいのだがな……もし、どうもしようがなく敵対するしか無いとなれば……この換気システムと照明システムを全て停止させるだけで、私達は“終わり”だ)
光一つ無く、酸素が薄い洞窟の奥深くに取り残されるのと何ら変わりない。
考えてみれば、ここに飛び込むのは迂闊だったかも………
「なぁ、ルベン」
「ん」
「アレ………」
「え?」
リウジェンがルベンの肩を叩き、ある方へ指を指す。斜め上。
「よいしょっと……」
紅い重厚なマントに、ベルトにとめられた、黒く長いスリット入りスカートの民族衣装。肌は死人のように青白いが、紅く細い血管が、晒された素足や腕を這いずり回っている。
濃い緑色の髪と眼は爬虫類のそれの様なイメージ。
歳は近そうな彼女は、2階層目の巨大な本棚のヘリに寝転がり、本を戻したり手に取ったりしている。
ポカンと、全員はただ彼女を見つめていた。
「…………ん。おぉ。来よったわ。よぉ。そんなとこで見てないで近う寄れ……ってあわっやば」
優雅に手を振っていたかと思うとズルっとヘリから滑った彼女は真っ逆さまに手前の本棚の陰に落ち、ドンガラガシャンと音と煙をあげた。
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「そう。朕がこの図書館を作り上げ、そして今日に至るまで維持している」
落ちた所から平然と起き上がって、まるで旧知の友を通すかのように、彼女は我々を豪勢な談話室に案内し、見たことも無い美味しい茶菓子で持て成した。
「すまぬ。今ここには腕の良い料理人も菓子職人もいないのでな。それで勘弁してくれまいか」
苦笑いしつつどこにあったのだろういつに作ったのだろう。柔らかく甘い菓子やら良い香りを放つ紅茶が、魔法で浮かせて次々運んでくる。
「いえ、かなり美味しい……!すごい手が止まらない!」
「紅茶もすごい良い香り」
「て、テーブルマナーってどんなだっけ」
「確かカップはこう持ってえ〜っと……」
「礼儀作法なぞ良い。朕は王でも何でもないのだから。して、貴君らの要望は?」
「要望?」
「なに?……朕に何か陳情をしに来たのでは無いのかね」
彼女は脚を組み、目を細めてジロジロと、何故か、リウジェンの頭髪から爪先までを舐め回すように見ている。
「えー……あー……そう、要望!聞いて頂けますか」
「うむ。聞こうか……」
なおもジロジロとリウジェンを見つめる彼女に、我々は要望を伝えた。
死に御者ヶ国の対処法が載っている本。吸血鬼の財宝……は話すわけにもいくまい。黙っておくことにした。
「ほう。死に御者ヶ國がなぁ……」
「何か対策が載ってある本、もしくは……えーと失礼ですが……」
「むっ。名乗りを忘れていたな。失敬」
「朕はハウヴァレット=シュクイン・キルキ・ヨイマン・ヤロスラーヴ=アウデージョ。吸血鬼だ。まァ気軽にヴァレットと呼んでくれ」
「リウジェンです」
「(やっぱり吸血鬼……!噂は本当だった!)」
「ヴァレット卿。本か貴女のお知恵をお借りしたい」
「ふむ。良いぞ。くれてやる。して、キミ。財宝はいらんのかね」
「え?」
「噂には聴いておろう?朕の財宝の伝説。まさか知らんのか?知らんでここまで来たのか?」
「いえ……うっすらとは聞き及んでいましたが……。今我々に必要なのはデュラハンの対処法なのです。貴女の財宝は要りません」
「そうか。まぁいい。くれてやるくれてやる。だが条件が2つある。これを呑まねば朕の頭の中のも本もやらぬ」
「条件……ですか」
「なに、条件といっても難しいことは要求しない。まず一つ、朕の財宝を半分受け取ること。ここ数十年、朕の財宝を狙う連中が増え過ぎた。正直煩わしい。キミが全て掻っ攫った事にすれば、そういうのも自ずと減っていくであろうよ」
「はぁ。貴女が良いのなら」
「一つ、リウジェンくん。キミが朕を娶ることだ」
「はぁ……はっ?いま何と……」
全員が全員、困惑。オッロールは寝言を言っている。
「ん?いや逆か。朕がキミを娶るのか?ん?でもそうすると……」
「ちょ、ちょっと待って頂きたいヴァレット卿。もう一度、二つ目を、その、二つ目の条件を言って頂きたいのですが」
「朕とて顔を突合せての求婚は恥ずかしいし緊張する。それともキミには、女が恥ずかしがるのを見る趣味でもあるのかね」
「いえ、違いますが……何故おれ……いえ私なんかを?」
シンプル且つ当然の疑問。彼女と彼は邂逅して十数分しか経っていない。
「顔。あと力。それとおつむがそこまで悪くなさそうなのも良い。血の匂い。若さ。雰囲気。どうだ?納得してくれたか?」
「えーっとその……あの〜……」
「何だ?朕ではキミの妻たりえないと言いたいわけかね?」
「いえまさか!しかし私と貴女は会ってまだ一日も経っていなくてですね……」
「ほーう。朕には男子が一目惚れする魅力が無いと言いたいわけだ?どれだけ朕に恥をかかせる気だね。あと敬語をやめたまえ。卿呼びもだ」
「……拡大解釈が過ぎる。俺はそこまで言ってないぞ。親同士の縁談ならともかく、普通はこんなに早く生涯のパートナーを決めたりしないぞ。吸血鬼の婚活はどうか知らんがな」
「うーむ……なら最低、種だけでもよこせ。人間の男は若い女体が好きなのだろう?これでどうだ?」
「なんでそこまで婚活に急ぐ?見たところ……年齢換算したら俺らと同じぐらいだろ?」
「朕の血筋を……血筋を絶やしてはならん。強い子を産み強い一族を育てねばならん。朕の家名を数万年先まで残さねばならん」
「さぁさぁ私がここまで他人に吐き出したのは初めてのことだぞ?あとどれだけの私を曝したら寝所に呼んでくれるのだ?安い男と見られたくないのは分かるが、私だって頑張っているのだがな?そろそろキミの甲斐性を見せてくれんかなリウジェンくん」
「………わかった」
「リウジェン……お前……」
「ルベン。これも神の道。主の思し召しだ。いいだろうヴァレット。お前の夫になってやる。お前の血を紡いでやる」
「よしよし。良い取引が出来た。じゃ、交換条件を渡してやろう」
「死に御者ヶ國の対処法は一つ。若者の血肉と魂を捧げ供犠をすること」
神妙に語られた単語の一つに、皆は動揺した。
生贄───
「それは……他になにか代替案は有りませんか。我々としては容認出来かねます」
異なる神を拝するのを主は赦されたが、アレは神なんて大層なものでは無い。
「今に奴を抑えたいならばそれしか方法は無い」
彼女は溜息をつき、ティーカップに手を伸ばす。
「……ならば、私が行きましょう」
ティーカップを置いた吸血鬼はニヤリと笑って、綺麗に並ぶ白い歯と尖った紅く輝く宝石が詰められた犬歯を見せる。
「ほぅ……?」
「ルベン。度々感じるがな、お前は預言者の自覚が足りんぞ」
「今日出会った吸血鬼に婿入りする僧が何言ってんだよ」
チラリとルベンに目をやり、眉を顰める。
「まぁ。可能性は低くないか……」
ボソリと呟いて、彼女はルベンに向き直り咳払いをする。
「終生、縛られるぞ。女も男も関係なく身も心も弄ばれる。極上の菓子より甘美かつ麻薬より質が悪い。下手をすれば全てを失う」
「閣下。全て承知の上です」
「全く……お前達の性癖はいつもそうだ。自己犠牲の精神。正直私にとって良い手駒だ」
「もとより神官は神の手駒だぞヴァレット。お前の手駒じゃない」
ケラケラと笑うリウジェンに振り向いた彼女は、舌舐めずりと血管が這う熱視線にて応えて見せた。
「いや……すまん……」
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「じゃ、朕らは後で合流するからな」
「え?」
「え?」
「ん?」
ヴァレットは怪訝な表情をしつつ、リウジェンを自らの寝室に押し込もうとする。
「い、今からその……するのか!?せめて身体を清めてから……」
「何を手弱女ぶっているんだ。さっさと私に抱かれろ!そして子を成させろ!」
「あ……あの!黙って聞いてれば……リウジェンさんの意見は無視するんですか!?」
「そうだそうだ!」
「いいぞお前たち!もっと言ってやれ!」
解放奴隷達が声を上げて抗議する。ついでに上半身が既に寝室に入っているリウジェン本人も。
ただヴァレットは何か納得した様子で、解放奴隷達に話しかける。
「お前達もこやつを好いているのか?」
羊の娘と虫の娘がお互い目を見合わせながら、恥ずかしがりつつ頷く。
「なら混ざるか?」
「何でそうなるの?」
「いいんですか!?」
「ご一緒したいです!」
ソワソワしていた彼女らは、尖った耳を、触覚を震わせて喜び、僧兵を部屋に押し込むのに加わった。
「待て。考え直せ」
「あっ。そうだルベンとやら。お前、私の従僕を生きて返してくれたみたいだな」
サムズアップで彼女は後方の廊下を指し示す。目をやるとそこには屠殺蟻たちが触覚と顎をわらわら動かして待機していた。
「彼女らが話してくれた……出会い頭に宗教勧誘はどうかと思うが、手討ちにしないでくれてありがとう」
彼女は頭を下げて礼を示した。
「魔との終戦は私の悲願ですから。当然の事です……彼女?」
「女王を、巣失った哀れな娘達だ。可愛がってやれ」
ニヤリとまた紅い牙を曝した彼女が指パッチンをすると、蟻達は煙に包まれて、一瞬で晴れた。
「………!!!なっ……」
彼女らが人の姿、私より一回り小さい女の子になったのを見て、ルベンは驚愕した。いや、魔物が人に化けるのは知られている。驚くべきはそこじゃない。
彼女らの顔の雰囲気、民族服、髪色……それが、あの、マルカにそっくりだったのだ。
「マル……カ……?」
「……なに?」
蟻達は触覚をビクリと動かして、ルベンに駆け寄る。
「ルベン様は、陛下を知っておいでなのですか」
「陛下の御名を、なぜ貴方が?」
「でも確かに、王乳の匂いがする……陛下は、存命でいらっしゃるのですか?」
「……過去、私の寺院に訪れた事があるだけで、今は行方知らずだ。私が知りたいぐらいだよ」
「ルベン様は、陛下と番でいらっしゃるのですか?」
「……違うよ。それで?キミ達は、マルカの……」
ルベンは苦笑とともに声をひねり出す。
「娘です。血は繋がっていませんが」
「そうか。にしてはそっくりだ」
「私達は、祖国を発ったあの方を追ううち、ここまで流れて来たのです。神官様。私達は……」
「私が、きっと会わせてあげるよ」
ルベンは蟻達を抱き寄せて、慈愛を募らせた。




