ヘドロからの解放
約一合目で切り株に腰を置いた司祭たちは兵糧食をとりはじめた。祈りを捧げ、二人は糧食袋の紐をとく。
「それなんだ? ドライフルーツか?」
チーズと堅パン、魚の塩漬けをもちゃもちゃと豪快に食いながらリウジェンは問うた。
「そうそう。ナツメヤシの実を干したやつ。あるとつい食べちゃうんだよ」
「ナツメヤシか。オアシスならではだよな。そういや村に馬置いてく時に与えてなかった?」
「甘いのも食べるって聞いたらあげたくなっちゃって……」
「アイツら賢いからすぐ選り好みするぞ」
「そうなのか! 気をつけなきゃな」
「………連中も、ここで飯をとったみたいだな」
「……そうだな。これは酷い」
少し開けてる所に目を向けると、ゴミや食いカスが無造作に捨ててあって汚い有様であった。
「こりゃ人間性に期待出来なさそうだな……しかし、残飯の量が多いな! パーティってみんな大所帯なのか?」
「まぁ、百人規模の所もあるな。だが足跡と照らし合わせると計算が合わん……これは恐らく、重戦士中心のパーティだな」
「と言うと?」
「戦士の本質は鍛え上げられた筋肉と体躯による暴力にある。誤解を恐れずに表現すれば、体重が重く、動ける程白兵戦に強い! そんな職域だから良く食い良く鍛えなければ務まらん」
「結果、糧食が多くなると。確かによく見ればゴミには肉や骨が多いな……」
「尚更逢いたくないな。距離をとれる野戦ならいざ知らず、閉所戦、屋内戦では神官職とか魔法使いが一等不利だし。敵対したら終わりだ」
「そうだな。心して行くぞ」
兵糧の一部を食し、二人は立ち上がってまた登山を開始した。やはり平野を歩くのとは訳が違って凸凹の斜面を登らなければいけないため、かなり体力を消耗して進まなければいけない。
「しかし疲れるなぁ……」
「近接戦闘職域でなくても身体は鍛えた方が良いぞ。いざと言う時頼れるのは自分の肉体だぜ。それ、肩貸してやるよ」
ルベンがヒィヒィ言い杖に縋りながら登るのを、リウジェンが見下ろして笑っていたが、見かねて彼に助け舟を出した。
「ありがと……」
「いいってことよ」
まるでよちよち歩きの預言者を僧兵が介護しつつ行軍は行われ、暫くして二合目に辿り着いた時、二人はある景色を見て驚愕した。
「大丈夫か!」
「一体どうした!」
司祭二人が慌てて駆け寄った先には、四人の薄着の女性達が血塗れで倒れていたのである。
「リウジェン! 彼女らは私が癒すから敵の警戒を!」
「了解!」
二人は蝋燭を地に置き杖を捨て、各々聖書と湾曲刀を取り出して構える。
「主よ生者の痛み苦しみに哀れみを。彼女らの傷を癒し鮮血を巡らせたまえ」
聖書に左手を添え、彼女らの傷に右手を添えて祈る。すると忽ち赤黒く凝固していた血は透けて消え、傷も最初から無かったかのように塞がった。
「ん? ……これは」
彼は、自らが癒した全員の心の臓辺りに作られた剣の刺突によるような創傷の他に、両手首にある麻縄で縛られたような赤い痕に注目した。これは彼女らが奴隷的扱いを受ける立場を示す証拠に他ならない。
「終わったか?」
「あぁ……彼女ら、奴隷かも。手首に縄で縛られた痕がある。それに全員亜人だ」
「ならビンゴだな。俺が見てきた奴隷もそんな感じで拘束されてたよ。あと、首根っこ見てみろ」
「首根っこ……何だこれ。印?」
彼女らのうなじにあるのは、全て同じ紋様の黒い印。
「奴隷印だよ。奴隷商の魔法と名前が刻まれてある。そこから魔力を感じないか?」
「微かだがな……言われないと気付かれないレベルで発してるな」
「なら、生きてるな。それは折檻装置。“呪い”と構造が同じで、奴隷商が契約相手の魔法使いもしくは神官を“代行業者”に指定すると、魔法使いは指定する奴隷の脊髄をジャックして痛みの信号と快感の信号を自由に与えれる」
「そして大元の術者たる奴隷商ならかなり高度な命令を下せる。脱走した奴隷を自らの足で元の場所に戻させたりな。当然、こりゃ神の新たな戒めに反するが……解呪出来るか?」
「やってみよう。インクとペンをくれ」
「よしきた」
リウジェンが鞄から羽根ペンとインクの容器を取り出し、ルベンに手渡す。
ルベンはいまだ気絶する女奴隷の頭を膝に置いてうなじにペンを走らせる。
【預言者たる司祭ルベン=ルーシアの名と神の名に於て直ちにこの契約を無効とする】
概ね、魔法や呪いを介した行動強制術を強制的に解消する書式はこんなものである。
書かれた文章はやがて赤い火を発し、奴隷印を焼き尽くしてそれごと消えた。焼かれた所に印も火傷も、何かしらの傷も見当たらなかった。
「この娘ら、何にやられたと思う?」
ルベンが娘らの胸の当たりを指して問うた。
「まぁ、十中八九人間だろーな。魔物なら死体は食うか巣に持って帰るかだし……しかしそうなるとここら辺一体に魔物いないのか……?」
「この娘らは置いていけないし、かと言って4人も運べん。事情聴取したいし起きるのを待つか」
ルベンとリウジェンは待機を選び、木々にペンで天使祝詞の一部詞を刻んで結界を張り、そこに元奴隷達を運び込む。
10分ほど経った頃であろうか、4人のうち1人が飛び上がって起きた。
紫色の髪で、猫耳が生えているが左がV字型にカットされている。
血走った目で周りを見渡し、ぶるぶると大いに震え、呼吸が乱れていて瞼と口角が痙攣している。だが不気味なほどにその顔に感情は見られず、血管が浮き出る白目と対照的に瞳に光がなく、ただただ暗い。
「きみ……」
「ひっうぇぐぇ……あぅあ……えけっうっあぁ……おぇ……」
娘は涙と冷や汗を大量に流し、口をパクパクさせ、明らかに我々二人に対して過剰な程に恐怖しているが、一切逃げる様子を見せない。いわゆる学習性無気力である。神学校では精神衛生学を少々学ぶが、それを思い出した。
彼女らの場合、度重なる虐待、戦闘、栄養不足等による膨大なストレスを前に逃避を試みるが、その度に奴隷印の魔法で呼び戻されて激しい折檻を受ける為、逃亡の無意味さが身体と心の奥深くにに刻まれている為逃げようとしても逃げられないのである。
「私達は、きみ達を助けに来た……きみの味方だ」
跪いて手を差し伸べ、努めて優しく声をかけるも、依然片方だけ瞼がぴくぴくと痙攣し、開いた瞳孔をなおもこちらに向けて歯をガチガチさせている。
「…………」
ぼぅっと亡き霊のような表情をして、ルベンは考え始めた。何をすればよいか。精神医では無い私に何が出来るのか。ぐるぐると頭蓋の内を転がし続け、そしてある断案に辿り着いた。
「【もし災いがあって人の(生命)を削る日が来たならば、災いに平伏してはならない。神に平伏して助命を乞え。(なぜなら)神は災いと悪に懲罰を齎す御方。正義の玉座と天秤にあらせられるからである】」
聖典はたびたび、歌を歌うように節をつけて朗唱される。音程の上がり下がりがあり、こぶしをつける場面もある。
「【密雲を以て罪に満ちた地上に慈雨をもたらす我らが至高の主に(万歳)。太陽と月を恵んで下さる世界の総覧者に(万歳)。主なる神へ父祖なる神へ礼を以て報いよ奮励によって報いよ】」
「【許しを乞わず後悔も反省も無い迫害者を焼き、圧政者を磔にし、略奪者と強姦魔の四肢を潰す御方は誰か。搾取される者に与え、俘虜の鎖を砕き、溺れる者に手を伸ばし、真っ当な者に温かみを与える御方は誰か】」
司祭が覚えていた聖典の一部を歌い上げると、少女はぽかんとして、少しだけ恐怖が薄まっているように感ぜられた。ルベンはそこで、自らの硬チーズと乾燥豆、無花果、乾パン、更に水を分け与える。
警戒しつつ、こちらを見つつ、匂いを嗅ぎ、無毒を察してその細い身体に次々食糧を入れていく。
「今まで良く耐えた。これからは誰にもキミを苦しめさせない。そこでまだ寝ている娘達も一緒にな」
リウジェンも優しく声をかける。慈しみに満ちた労いの声。
「名前は言えるかな」
無花果のクッキーを飲み込んだ獣人少女は、無表情のまま口を開いた。
「abomeninda koto」
「|忌まわしきヘドロ《abomeninda koto》……?」
「お店の人がつけてくれた名前です」
「それは………」
たじろいでいると、彼女は徐に薄汚れた腰の細紐を解いて、太腿までの丈の赤いチュニックを脱ぎ去った。下着は無く、裸体の上にそのままチュニックを着せられていたらしい。意外と肉付きが維持されている彼女の身体中には、歯形や虫刺されのような赤い痕が沢山ついている。
「どちらから使いますか」
ルベンは、吐き気と泣きたい気持ちを抑えて急いで服を着せ、彼女を抱き寄せ、頭を撫でた。
「あの……?」
「大丈夫。大丈夫だから……もうそんな目には合わせないから……私達が護るから……」
遂に涙腺が決壊したルベンは肩を震わせ、鼻水と涙を流してただただ、困惑しつつ無表情な娘と対照的に、泣きじゃくっていた。
リウジェンも苦虫を噛み潰したような顔をして、その状況を見つめていた。




