02話 ひでよりだけど、秀頼じゃない!!
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「そこの君!」
「は、はい!」
豊臣秀頼の今の状況を知っておかないとと思い、彼は小姓にいろいろと聞いてみることにした。
「俺……わたし?いや、わし?んー、余?朕?……あの、俺って自分のことなんて呼んでたか知ってる?」
「はい!某は昨日より秀頼様にお仕えする身となりましたゆえ、秀頼様ご自身からはお聞きしておりませぬが、おそらくは『われ』であるかと思います!」
「なるほど……俺って言ってたらヤバイかな?」
「や、やばいとはどういった意味なのでしょうか?」
今は安土桃山時代の後期である。
『俺』という一人称は鎌倉時代ごろから使用されていたとされているが、『やばい』という言葉の語源には諸説ある。
江戸時代の中期から後期からとするのが一般的であり、この時代にはまだ存在しない言葉であった。
「あー、よくないかな?ってこと!」
「そうですね……公の場ではよろしくないと思います」
「なるほど……」
彼は、不用意に現代口調を使って周りに不審がられないように気を付けよう、などと思いつつそのまま質問することにした。
「ところで、今って何年なの?」
「?」
ご存じないのですか?って言われそう、と彼は思った。
「……ご存じないのですか?」
言われた。
「あ、あのね、んー……これは試験なのだよ!そうそう、試験!」
「な、何の試験なのですか?」
彼は苦し紛れの方法であっても、何とか自然に質問できるようにしたかった。
「これは君が、われに仕えるに相応しい人材かどうかを試すための試験です。なので正解を答えないといけません」
「は、ははぁー!」
ひれ伏して返事をした小姓に、彼は少し申し訳ない気持ちになりながらも試験という形で質問をすることに成功した。
「では始めます。まずはお名前と年齢、誕生日をどうぞ」
「はっ!某、木村重成と申します!歳は6つ、文禄2年6月10日生まれにございます!」
木村重成と名乗ったこの小姓。
幼いながらしっかりとした物言いができ、柔らかい顔立ちで容姿端麗、何でも卒なくこなしそうな彼は、史実において秀頼からの信頼が厚く、重臣として扱われた。
この世界では初めての秀頼の味方であり、今後あらゆる場面で助け舟を出してくれる事になる。
ちなみに史実における生まれの月日は不明である。
「ふむふむ、6さ……6歳!?」
「はい!!」
しっかりしすぎでは、と思い彼は驚いた。
自分が6歳の頃なんて、泣きながら我儘ばかり言って親を困らせていたのに……などと思いながら次の質問をすることにした。
「えーと、われの誕生日と歳は覚えているかな?」
「はい!!文禄2年の8月3日にございますので、某と同じで秀頼様は御年6歳であらせられます!」
「なるほどね、じゃあ今は何年かな?」
「はい!現在は慶長3年の8月10日にございます」
慶長3年と言われても彼は全くわからないであろう。
「慶長3年……関ヶ原の戦いが慶長5年で1600年?だった気がする……てことは、今は1598年か?」
……!?……地の文である私に衝撃が走る。
実は頭良いのではないか?
なぜあんなに勉強に苦労していたのか甚だ疑問である。
「1598年……よし、次の質問です。われの母上の名前を言ってください」
「はい!秀頼様のご生母は淀様、すなわち淀殿であらせられます!先程、秀頼様を起こしに来られたお方が、淀殿その人でございます!」
「ほうほう、要するに今は慶長3年の8月10日で俺は7歳、さっき起こしに来た綺麗な女性が母親と……なるほど」
「終いにございますか?某は合格なのでしょうか?」
そう言って重成は不安そうに秀頼を見つめる。
「うむ!合格である。お主はわれに仕えるに相応しい人材だ!これからよろしく頼む!!」
「は、ははぁー!!!ありがたき幸せ!!」
重成は目に涙を浮かべながら深く頭を下げる。
秀頼はそんなにうれしいことなのか?と少し疑問に思ったが、喜んでくれているならそれでいいかと自分に言い聞かせた。
「それにしても秀頼ねえ……」
「どうかなされましたか?」
「いや、確かに俺は英頼なんだけどさあ……なんの偶然なんだか……」
「偶然にございますか?」
「ずっとひでより様、ひでより様って呼ばれてたけど違和感ないなあって思ってさ。様付けがちょっと、むずがゆいけどね?」
「それは秀頼様は秀頼様ですから」
なんのいたずらか、彼の名前は木下英頼、漢字は違えども「ひでより」は「ひでより」である。
「ひでよりだけど、秀頼じゃないんだよなあ……」
「?」
「まぁいいか、ていうかここってどこなの?」
「またまたー、まだ試験の続きですか?ここは山城国、伏見城ですよ」
「なにそこ、どこぉ……」
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やはり彼は何も知らない、この城で太閤豊臣秀吉が亡くなること。
そして、慶長3年8月10日時点ではいまだ太閤秀吉が存命なことも。
次回、「母上と朝ごはん」