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後編

 店に、一人の中年の男が入ってきた。作業帽に、少しよれた上着とズボンという姿だ。

 彼は上着の内側に手を入れ、何かを取り出してカウンターの上に置いた。

「これを、質に入れたい」


 金属音を立てたそれは、懐中時計用の鎖だった。端にT字型の金具が付いており、コートのボタン穴に差し込んでひっかけてとめるようになっている。

 図らずも店側の人間として、カウンターの内側でそれを見ることになったウルリーカは、応対するアスティの横で鎖を観察した。少し前に王都で流行り始めた形で、質は良さそうだ。


「あら、素敵なお品ですね。ルーペを持ってきますから、ちょっと待ってて下さいね」

 アスティはにこやかにそう言うと、一度奥の扉の向こうへ姿を消した。そしてすぐにこちらへ戻ってくる。

「ごめんなさい、ルーペはこっちに置いてたんだったわ」

 彼女はカウンターの下の棚から、鉄のフレームに木の持ち手のルーぺを取り出した。そして、鎖をゆっくりと観察し始めた。


「早くしてくれ。いくらくれるんだ」

 男は片方の手を腰に当て、もう片方の手をカウンターにかけてこちらを覗きこんでいる。コトコト聞こえるのは、男が板張りの床で少しずつ足を踏み替えている音らしい。急いでいるようだ。


「そうですね、五十タランでどうでしょう」

 アスティのつけた値に、ウルリーカは驚いて彼女を見た。安すぎる、と思ったのだ。その値では、王都であったら昼食代で消えてしまう。

 男は無精髭の口元をゆがめ、声に苛立ちをにじませた。

「何だと。安すぎる、よく見ろ!」

「うーん」

 不穏な空気の中、アスティはゆっくりともう一度、鎖を改める。

「ああ、ここの細工なんか凝ってますね。よし、六十タランお出ししましょう」

 ウルリーカは少しはらはらし始めた。六十でも安い。普通に買えば、三百はする品だ。

 アスティは、父のリンド男爵がその美貌であちこちの夜会に引っ張りだこだったため、一緒について回って貴族たちの様々な贅沢を見て目が肥えているはず。それなのになぜ、不相応の値をつけるのだろう。


「お前、どういうつもりだ!」

 とうとう、男は声を荒げた。アスティはルーペを置いて、男を見上げた。

「とてもいいお品なんですけどね。お客さん、ここ初めてですよね? 今日はこの値でお出ししますから、一度請け出しに来て下さいな。次はもっとお出しできると思いますよ」

 アスティは、一見の客は様子を見るつもりでいるようだ。

「ふざけんな、俺は金が必要なんだ!」

 男が身体をぐっと乗りだし、アスティの胸元をつかもうとした時。


 奥の扉が開いて、執事のバルトサールが姿を現した。

 男は一瞬手を止め、しかし引かずに彼を睨みつける。

「何だお前」

 バルトサールはカウンターの横板をはね上げ、一息に男に近づくと胸倉をつかんで持ち上げた。

「う!」

 身体が浮き上がり、男はバルトサールの腕をつかんで足をばたつかせた。

「こ、この野郎、離せ! もういい、他に行く!」


 すると、バルトサールはわずかに微笑み、ウルリーカがここへ来てから初めて口をきいた。

「そうおっしゃらず……ゆっくりしていって下さい」


 ウルリーカの背中を、ひんやりしたものが這い上った。


 そこへ、バタンと大きな音を立てて店の扉が開いたものだから、ウルリーカは椅子から尻が浮かぶほど驚いた。

 入って来たのは、この町リンドの警備隊の服を着た男だ。二十代後半くらいの赤毛、太ってはいないが骨太のがっちりした体つきをしている。後ろにもう二人、制服の男がついてきており、さらにその後ろから泣きそうな瞳でベアトリスが覗いていた。

「ふー、バルトさんにボコボコにされる前に間に合ったか」

 先頭の彼に言われ、バルトサールは男を床に下ろした、すぐに後ろの二人が入って来て男を取り押さえ、男は「何すんだよ」「離せよ」と暴れながら店の外に連れ出されて行く。


「アスティ」

 ウルリーカが胸をなでおろしながら友人を見ると、アスティも喉元を抑えて大きく息をついている。

「ふう、緊張した……驚かせてごめんなさい! あ、エイナルさん、こちら私の友人のウルリーカ。ウルリーカ、彼はリンド警備隊の副隊長のエイナルさんよ」

 アスティはウルリーカを促して、カウンターの外に出る。ベアトリスが駆け寄って来て、アスティにすがりついた。

「お、お嬢様、お怪我は」

「大丈夫、大丈夫。警備隊を呼びに行ってくれてありがとう、ビー」


 ウルリーカは、あ、と声を上げた。

 先ほどアスティが、ルーペを探しに行くふりをして一度奥に入ったのは、ベアトリスに警備隊を呼びに行かせるため。そしてその後も、警備隊が来るまで時間を稼いでいたのだ。


 ウルリーカは、急に人数の増えた店内を見回しながら、やっと声を出した。

「あの鎖は、盗品だったの……?」

「たぶん。見て、ここに馬の蹄鉄のチャームがついているでしょう」

 鎖を手に載せたアスティが示すチャームを見て、ウルリーカはようやく納得した。

 そのデザインは、今年の初めに行われた馬術大会の賞品である印だった。御前試合として行われたそれの賞品は大変名誉なもので、こんな場所に流れてくるはずがない。それで、アスティは盗品だと一目で気づいたのだ。


「へへっ。不自然にお高いものはお嬢さんが気づいてくれるんで、すっげぇ助かる……とても助かっております」

 副隊長エイナルは何度か咳払いして言いなおし、アスティから鎖を受け取った。

「俺の手柄にできます、ありがとうございました」

 彼は礼を言いながらその場の全員に向けて敬礼し、ベアトリスには「じゃあな、ビー」とウィンクつきの敬礼をして、店を出て行った。ベアトリスは赤くなり、あたふたとカウンターの横扉にぶつかったりしながら、奥に引っ込んでしまった。


 ウルリーカは、大きく一つため息をついて店を見回した。

 今の騒ぎにも関わらず、隅のベンチでは老婆が膝に編み物をのせたまま舟を漕いでいた。カウンターの内側では、何事もなかったかのようにバルトサールが優雅な手つきで紅茶を淹れなおしている。


 ウルリーカは、少々呆れてアスティを見た。

「こんなこと、しょっちゅうなの?」

「そんなことないわ! 普段は穏やかなものよ。色々失敗もするけど、町の人たちに助けてもらってなんとかやっているわ。この町には他の質屋さんもあって、そこの人に色々教えていただいてるの。ね、ディーサおばさん」

 アスティが話しかけた方をウルリーカが振り向くと、ベンチで眠っていた老婆がはっ、と目を覚ましてこちらを見た。

「ん? なんだい? ディーサねえさんとお呼びと言ってるだろ」

「あ。ごめんなさい」

「時間を稼ぐなら、どんどん話しかけてこちらが主導権を握らないとダメだろ。次にあんなのが来たらどうするか、考えておきな」

「はぁい。……値をうまくつけられない品は、ディーサねえさんのお店に回してしまうこともあるのよ」

 笑いながら肩をすくめるアスティ。老婆は「そうそう」といった風に顔をしわくちゃにして笑い、編み物を再開する。


 ウルリーカはあっけに取られながらも尋ねた。

「でも、どうして質屋をやろうって思ったの?」

「私がこの町のためにできることって、他に思いつかなくて」

 アスティは、記憶をたどるように窓を眺めた。少々質の良くない窓ガラスを透かして、外の景色が柔らかくたわんで見える。

「私、何もかもほったらかしでお父様の後を追おうとして……結局それは叶わなかったけど、そこで我に返ったの。お屋敷で働いていた人々のことやリンド男爵領の人々のことを、ちっとも考えていなかった」


 アスティがおそるおそる屋敷に帰ってみると、主人を失った使用人たちはアスティを待っており、温かく迎えてくれたのだ。


「いきなり雇い主が姿を消したのだから、家のものを持ち出してさっさと姿を消すことだってできたのにね。……その後、私自身屋敷を出なくてはならなくて、でも王太后様のご恩情で財産は自由にさせてもらえたからお金はあったの。皆に退職金を払って、役に立つかわからないけど次の職場のために紹介状を書いて……最後に残ったお金を持って、バルトとビーと一緒にリンドの町で暮らし始めたのよ」


 色々と葛藤もあっただろう、とウルリーカは心配になってアスティを見つめたが、アスティは明るい表情で続けた。

「一体何をして暮らして行けばいいだろうと思った時に、このお金でリンドの人たちに何か恩返しができないかと思ったのよ。でもね、少々のお金は使ったり 配ったりしたらなくなっちゃうでしょ。そんなんじゃ、皆の役に立ったなんて言えないわ。でも無償で貸すことで、日々の生活に役立てるんじゃないかって思って」

 ウルリーカは目を見開いた。

「利子を取っていないの?」

「ええ、そう」

 アスティはウルリーカを安心させるように、軽く彼女の手に触れる。

「隣の国では、教会が無利子で質屋を経営している所もあると聞いたわ。宗教的に、金儲けは良くないことなのね。うちでは質流れ品はちゃんと売るし、利子の 代わりに町の人たちが色々と助けてくれるから、生活は大丈夫。……あのねウルリーカ、町の質屋に持ち込まれる物ってどんなものが多いか、どんなものを高く預かるかわかる?」


「そうね……ここは服をよく扱ってるみたいね。じゃあ、こんな服じゃない? 今の流行だから、値も高くつくでしょう」

 ウルリーカがスカートの裾をつまんで答えると、アスティは首を横に振った。

「町の人たちはかつかつの生活をしているから、流行なんて追えないの。大事にするのは、『価値の変わらないもの』。うまく言えないけど……ただの町娘になった私も、そういうものをいつか見つけたいわ。お父様がずっと変わらず、お母様への気持ちを抱き続けているように。そんなお父様を見てきた人たちが、お父様をずっと信じていて下さるように」


 その結果、この町で穏やかに暮らせる今の自分がある――アスティはそう考えている。


 ウルリーカはそれを察してうなずいた。

 元男爵令嬢ということで、やっかみやひがみなどで町の人々にのけ者にされているのではないかと心配で見に来たが、無用の心配だったようだ。


「何だか安心したわ。また、おしゃべりに来てもいいかしら」

「もちろんよ! まさか、一人で来たんじゃないでしょうね?」

「家の者を外で待たせているわ。……あ、忘れるところだった」

 ウルリーカは、ずっと膝にのせていた巾着型の袋から紙包みを取り出した。

「お土産。ゼフェナーンから取り寄せたコーヒーよ」


「まあ嬉しい! 久しぶりだわ、ありがとう」

 受け取ったアスティの笑顔に、ウルリーカも微笑む。

「あなた、普段は紅茶だけどコーヒーもここのだけは好きだったわよね。……お金と同じで、飲んだらすぐに無くなってしまうけれど……」


 するとアスティは、友人を軽く抱きしめて言った。

「私の好みを覚えてくれている友人が、変わらずに、私の近くにいてくれる。そんなことを思いながら、いただくことにするわ」

 ウルリーカは、アスティの肩の上でうなずいた。


 ウルリーカが外に出て行くと、入れ代わりに客が店に入って行く。

「いらっしゃい!」

 アスティの声が聞こえ、扉が閉まる。

 春の陽射しが、元男爵令嬢アストリッドの質屋の看板を、暖かく照らしていた。

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