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風見の花

気がつくと、知らない草原に立っていた。

何度瞬きしても景色は変わらない。

青い空。風に揺れる草花。遠くに並び連なる山々。そして、目の前で佇む白髪の少女。

少女は驚いたような顔でこちらを見ている。大きな目を見開いて、少し口を開けたまま。静かになびく美しい白髪は少女の腰ほどまで伸びている。胸元で大事そうに抱える野花が一輪、風に吹かれる。

風が野花をさらった時、少女が声を出した。

「あの、いま……突然」

小さく震える声。きっと少女は怖がっているんだ、僕のことを。だったらきっと、僕はこの少女が怖がらないように接しなければいけない。

「綺麗な花だね。誰かへの贈り物?」

彼女の目線に合わせて腰を下げる。小さく仰け反る少女。それでも僕がじっと少女の目を見ると、少女はゆっくりと手元の野花に視線を落とす。

「母様……に、あげたくて」

小さく振り絞られる少女の声。まだ僕への恐怖心は拭えていないと思う。でもこうやって応えてくれたのだから、きっと怯えないようにできるはずだ。

「そっか。きっと喜ぶと思うよ」

僕がそう言うと、少女は少し口元を緩ませて頷いた。それをみて、僕も同じように顔が綻んだ。

「お兄さん、いきなり出てきた。なにかの魔法?」

緊張が和らいだのか、少女が僕に質問を投げかけてきた。少女の目は期待に満ち溢れるように輝いていた。

「魔法……なのかな。分からない。僕も気がついたらここにいたんだ」

「そっ……か」

少女は肩を落とす。明らかな落胆を見せる少女の気持ちをどうにか支えなければいけない。どうすればいい。どうすれば少女の気持ちを。

少し考えて、さっきの少女の言葉を思い出す。

「でも、"魔法"かもしれないね」

そんな曖昧な、可能性としての言葉。それでも少女は"魔法"という一言に期待をふくらませている。

「お兄さんが魔法使いなら、突然出てきてもおかしくないね」

はにかむ少女はとても可愛らしかった。口元を手に持つ野花で隠すようにして、目を細めている。

それから少女は気を取り直したように僕の方を見て、

「お兄さん、名前はなんていうの?」

「名前……は」

聞かれて、戸惑った。いくら考えても、自分の名前が思い出せなかった。それどころか自分がどこから来たのか、結局なぜここにいるのか、どのようにして生きてきたのか。なにも思い出せなかった。

「名前、君がつけてよ。僕は魔法使いだから名前がないんだ」

少女を心配させないよう嘯いてみることにした。まだあどけない表情をする少女はなにも疑うことをせず、ただ目を輝かせている。

「そっか……! 魔法使いだから!」

それから少女は頭を抱えて小さく唸り、悩む。その場にしゃがんだり、頭に手を当てたり、飛び跳ねたり、僕の顔をじっとみたりしていた。そのうち、なにかこれだという名前が閃いたのか、野花を片手で持ち直して、残った方の手で僕を指さした――、

「――カザミ。なんてどう?」

カザミ。悪くない響きだ。僕はその由来を尋ねることにした。

「どうして、カザミ?」

「この花の名前。この花は下を向けると風に乗って種が飛んでくの。だからカザミ」

風の方向を知る花、か。でも聞きたいのは花の名前の由来ではない。

「それは分かったんだけど……ほら、なんで僕の名前をカザミにしようと思ったの?」

「私がこのお花摘んでたら、お兄さんと会えたから」

優しい笑みを浮かべる少女。

彼女の笑った顔は不思議と僕の心を安らげる。

「そういえば、君の名前は?」

「私の名前はナギ」

「じゃあ、ナギって呼んでいい?」

ナギは力強く頷いて、僕の手を引いた。

彼女の手はとても小さく温かい。恐らく秋であろうこの季節において、その温もりは心地よかった。僕は彼女の優しい手を握り返して、引かれるがままに歩く。

草原の丘を下り、鳥のさえずりが響く林の中を進む。整備された道ではあるが、その隙間からは雑草が伸びていた。手が行き届いていない印象を受ける。

短い林道を抜けると、小さな村が見えた。

人の気配がない静かな村。どうやらナギはこの村で暮らしているらしい。

「ナギはお母さんと二人で暮らしているの?」

「……うん」

どこか元気の無いナギ。そういえばこの村に入ってからは足取りが重い。僕の手を引いて先導していた彼女はいつのまにか隣を歩いていた。

「ここだよ」と小さく呟くナギ。村にあるほかの家に比べれば生活感のある小さな家。それでも木で建てられたこの家は所々苔に覆われていた。

軋む扉をゆっくり開けると、部屋の奥に一人の女性がいた。女性はベッドの上で起き上がってこちらを見ていた。

「ちょっと母様。寝てなきゃだめって……」

ナギは駆け寄って、「母様」と呼ぶ女性をベッドに横たわらせる。ナギに毛布をかけられると、掠れるような声で、

「ナギちゃん……そちらの人は?」

きっとあの女性は……ナギの母親は、病気を患っている。体調を崩しているだけだとか、疲れているだけということもあるだろうけど。きっと違う。ナギの母親は明らかに憔悴していて、あの肌の黒い痣はなにかの病気に違いない。

「僕は、カザミです」

僕が名乗って部屋の中に入ると、二人は少し驚いたような顔をする。

「カザミさん……そんな簡単に、大丈夫?」

「大丈夫って、なにがですか?」

「いや……私、病気なのだけど」

「もしお邪魔になるなら外に出ます」

「そう、ではなくて……伝染るのとか気になりませんか?」

てっきり迷惑をかけてしまったかと思ったが、ナギの母親は僕の心配をしてくれていたようだ。

母親は「そう……」と仰向けになると、深く息を吸った。随分、苦しそうだ。呼吸がなだらかではない。ナギは母親に寄り添って、心配そうに見つめる。次第に呼吸は落ち着いて、先程までのように肺の音が聞こえるかのような呼吸音は止まった。

どうやら眠ってしまった母親の手を握るナギ。力のない手のひらを大事に包む。

「母様。カザミさんは魔法使いなんだよ。いきなり私の目の前に現れたの。それにね、カザミっていうのも私が付けてあげたの。魔法使いだから名前がないんだって。それでそれで……私、一人でも大丈夫だから。ちゃんと大きくなって、一人で生きていくから。それでいつか、母様みたいな母様に、なります。なる……なるから……安心して」

大粒の涙を流すナギを見て、一瞬なぜ泣いているのかわからなかった。理解できなかった。眠っている母親を見て、なにを泣いているのか。でも、ナギの母親が呼吸をしていないことに気づいた。急いで蘇生術を試みようとしたが、彼女は僕の腕を抱き止めて、首を横に振った。彼女は母親の手をいつまでも握りしめ、その手に顔を添わせていた。


長い時間が経った。いつしか日は落ち、辺りは月光に照らされている。僕は部屋を出て、扉のすぐ横で壁にもたれかかっていた。生える雑草を毟って時間を潰す。すすり泣く声が聞こえなくなってからも、部屋に入れずにいた。ナギは大丈夫だろうか。大丈夫なはず、ないか。そんな自問自答を繰り返していると、ナギが扉から顔を出した。

「カザミさん、ちょっと」

手招きをして、僕を呼ぶ。再び部屋に入ると、ベッドの横に小さな献花台が設けられていた。

そこには小さな花瓶がひとつ。

僕の腕にツンツンと指を当てるナギの手には、僕と出会った時に摘んでいた風見の花。

「もしかして、その花って」

「うん……手向けの花。最初から、そのつもりだったの」

僕の問いかけに、ナギは取り繕った笑顔で応える。ナギは続ける。

「この一年くらいずっと、いつ死んじゃってもおかしくなかった。だから、今日だったのは偶然。覚悟はしてたし、母様の好きな風見の花もプレゼントできる」

ナギは僕に風見の花の半分を手渡す。

「でも、悲しいな」

その言葉を聞いて、意識するでもなく、僕はナギの頭に手を置いていた。

小さく震える小さな体。必死に涙を堪えようとするナギ。僕に笑顔を向け、白い歯をこぼす。優しく、頭を撫でる。まだ小さく幼いことを痛烈に感じた。こんなにも小さな女の子がここまで強くあれるものだろうか。

「ねえ、ナギ。僕と旅をしようよ」

「旅?」

「そう、旅。魔法使いの僕と」

ナギは僕の顔を見上げた後、横たわる母に視線を向けた。しばらく見つめると、なにかを決めたようすでこちらをみるナギ。

「私と一緒にいてくれるの?」

「謎の魔法使いと一緒じゃ、嫌だった?」

ナギは口を綻ばせて、何度か首を振った。


ナギの母親の亡骸は二人で埋葬した。二人が暮らした小さく古い家の隣に。墓石らしきものも建てて、ナギがそこを可愛らしく飾りつける。俺たちが家を離れたのは、夜明け頃になった。

「忘れ物はないか?」

ナギに尋ねる。

「大丈夫。またいつかここに帰ってくるんだから」

これからする旅について、ナギと話し合った。

名目上はただの旅。しかし、僕は自分の名前を、存在を、探さなければならない。今のナギには心配をかけられない。僕が自分のことすら分からないことなど、伏せておかなければ。

長い旅になることを伝えた。そして、いつか旅を経て成長した姿を母親に見せに来ようとも伝えた。

「そうだな。忘れ物があったっていいさ」

ナギはニコッと笑った。

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