五話
「この世とは、覚才が五感で感じたものだよ。そしてそれは経った今のことだ。それ以外は、頭の中で作り出したものさ。だから、内側にあるんだ。今、覚才は俺の姿が見えているだろう?でも、俺は、覚才の体の外側にいる訳じゃ無い。覚才が俺を眼で見て、俺が有る、と思うからこそ、覚才の中で俺が生まれるんだ。もしも覚才が無いと思えば、覚才の中では俺はいないのと同じだよ。いるとかいないとか、そんなものは、覚才の中で決めていることなのさ」
つまり……
私の中のこの世は、私自身が五感で感じて生み出しているということか……?
「そうだ、まぁ、そもそもその「五感」というものですら頭で作り出した物だ。「眼」で「見ている」とか「耳」で「聞いている」とか。そんな知識は無くとも五感は常に働いている。そこに頭の中で思いが浮かぶから迷いがうまれるんだ。」
――全てが頭の中で考え出されたことなのか。
老いるということも。
無常ということも。
有るということも。
この世も。
「覚才が死体を見たときに起こった感情もまた、覚才の思いによって生み出されたものだ。元々覚才が正しいと正しくないということも頭の中で考えたものだ。一概に若者が正しくないとも言えない。どちらも、死体を見て、個々で感じた感情なのだからな。」
――ならば、あの死体も。
――あのもの達には特別な物に見えていた、ということなるのか。
――そして、私には只の死体に見えた。
それもまた、私の思い。私の解釈でしか無い。
それもまた、私の判断の基準による物。
――それならば、
眼を覚ますべきなのは私の方か。
本当に呆れる。
そんな簡単なことを失念していた。
「別に覚才が間違っている訳じゃ無い、覚才の思ったこともまた真実だ、だけど、皆が思った事もまた真実だよ。……あえていうのなら、相手が間違っていると思った心こそが間違いなのかもしれないな。」
暦縁が、私の考えを見透かしたようにそう言った。
……そうなれば、世は個々の偏見の固まりだ。
「そういうものか……。目から鱗が落ちた気分だよ。」
「眼で見たものを、「有る」と判断するのもお前だし、それを見てどのような感じ方をするのかもやはり、お前次第なんだ。……覚才がたった今見えている物が、本当にあるものなのか、無いものなのか、そして、それを見たことによってどう思うかは、覚才次第ということだよ。」
「ああ。」
「ちなみにな」
ちらり、私の顔をみる。
「――あやかしというものもまた同じだ。「有る」ことが全て頭の中で考えた事であれば、たとえ恐怖心で柳を見間違えたものであろうが、そいつがあやかしと思えばあやかしだよ。間違いなくな。柳を有ると思うのも人の心、あやかしと思うのも人の心。例え恐怖心で見間違えた物だとしても、それを無いもの、とは言い難い。」
話の途中で、急に、暦縁の顔つきが変わった。
「……それでだ、覚才。」
手に持った杯を床に置き、私の方を指さし、
「……それは、何だ?」
そう、私に問うた。
「それ?」
見ると、暦縁の視線は私の背後に注がれている。
――何か、あるのか?
暦縁の視線の先を見ると……――
「こいつ・・・」
――ずっと私の後ろにいたのか。
薄く、体が透けている。
血を吸ったような紅い唇。
奇妙なほどに美しい黒髪。
――其所には先ほど見た紅い衣の娘が、ぼう、と立っていた。




