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彼岸の郷  作者: 狐禅
3/8

三話

話の発端は、よくある噂話だった。


隣町に美しい娘がいたらしい。


当然の様に、何人もの男がその娘に言い寄った。


が、


娘は一向に良い返事をしなかった。


それを、不思議がった男が、娘に訳を聞いた。


すると、


――あなた方は、私の容姿に惹かれたのですか。

――私の容姿は永遠ではありません。

――いつかは、朽ち果ててゆきます。

――もしも私が、老い、朽ちても・・・

――それでも、私を愛してくれる人がおりますか。


娘は――そう言ったのだ。


男はここぞとばかりに良い返事をしたが、

何日か前に、本当に娘は死んだ。

親族の者の話によると、娘はずっと病を患っていたらしい。

自らの死を察し、それを知っても愛してくれる人を探したかったのだろう。

死に逝く直前に、娘は親族にこう伝えたそうだ。


――私が死んだ後、私の死体は野にさらしてください。

――私を本当に愛してくれる人がいるのなら、死んだ私の骸の前に花を添えてください。

―― 一番最後まで、花を添えてくれた人に、私は妻になりましょう。


死体は希望通り、野にさらされた。

娘の死に、思いが覚めた男もいたが、言葉を信じ、花を贈り続けた男も少なからずいた。

初めのうちは、死体の周りにはたくさんの花が添えられた。


だが、


季節は、夏。

夏の日差しにさらされて、死体は腐り始めたのだ。

犬に食われ、鳥についばまれて、腐肉はあちこちに散乱し、腐臭が漂い初めたころには、もう花を添える者はいなくなっていた。


後に残ったのは、朽ちた花に埋もれた、腐乱した死体。


数日後には花を添えていた者までも、その場を避けるようになっていた。


「どう思う、暦縁。」


「なにが?」


「結局、娘を本当に愛した男はいなかったということだろうか。」


「そりゃ、わからないな。生きている時は愛した者もいたかもしれないが、死んでしまえば只の骸だろう? 愛するもなにもないだろ。死んで、腐り果ててまでまで愛せなんて、男には酷な話だ。」


「まぁ、私もそう思ったんだがね。……しかし、見た目の美しさに惹かれるのは、男としては

当然だろう? 私は、悪いことでは無いと思う、美しさもまた娘の魅力なのだからな。」


「ああ、だが、娘の気持ちも分からないわけじゃない。見た目だけ惹かれたのならば、歳を重ねればそれは失われてゆく。娘は、それによって男の心が離れてゆくのが怖かったんじゃないか?」


私も、それは分かる。


きっと、娘は見た目だけでは無く、心を好いてくれる人を知りたかったのだろう。


――が、


そんなことは、知りようがない。


心は、取り出して見る事など出来ない。


男達が、どれほど娘を愛していたのかなど、心をとりだして差し出す事が出来ない限りは分かろうはずが無い。


「結局、娘は分かるはずのないものを知ろうとして、苦しんでいたのか。」


それは――考えようによっては愚かなことなのかもしれない。


知りようの無い事を知ろうとする。

酷な事を言うならば、悩むだけ無駄なことだろう。


それならば、


「……娘は、愛してくれるものを探のではなく、自分の愛した者を愛せば良かったのじゃないかな。」


「お前の言うとおりだとおもうがね。……娘は移り変わっていくものを移り変えまいと苦しんでいたんじゃないか? 結局、美しさに思いを惹かれたのは、言い寄った男の方では無く、娘の方だったということだろうね。老いて、死んでも心がかわらないかどうかなんて、本人ですら分からないことだよ」


暦縁は、ため息をつくようにそう言って、ゆっくりと杯を口に運んだ。


――生きている者は、老いる。当然のことだ。


人だけではない。

形ある者は壊れるし、生まれている者は死ぬ。


――そのようなもののことを諸行無常というのだろうか。


諸々のものは常に移り変わっている。一つの形に執着すれば、苦しみが生まれる。


娘は美しさに執着し、老いることに苦しんだということなのだろうか。


「……骸を見た人々は皆、これこそ諸行無常の姿だと騒いでいたな。」


――美しい内は男も言い寄るが、こうなってしまえば只の骸だ、ああ、世はなんとはかないものなのだ――と、


私にはそれが滑稽に見えたのだ。


これこそ諸行無常の姿?

……それは、只の死体だ。


確かに人も移り変わろうが、移り変わるのは人だけでは無い。


この世は全てが諸行無常なのだ。


「確かにこの話を聞いた後にその骸を見れば、なにか神秘的なものを見た気になるが、所詮死体は死体だろ。同じような死体ならその辺にごろごろ転がっているのに、皆その死体だけ物珍しそうに眺めて、中には手を合わせている物もいた。只の骸なら蹴り飛ばしそうな若い連中がな……私にはそれがすごく滑稽に見えた。」


そう、この世は常に移り変わっている。


花は枯れるし、有るものは壊れる。当然人も死ぬ。


――五年前まで一緒にいた妻も、今はもういない。


私にはそちらの方が無常を感じている。


「この世は、全てが移り変わっている。それだけ取り出してこれこそが無常だ、というのはおかしいだろ? 暦縁。いうならば、全てが諸行無常だ。有るものは無くなるし、生まれたものは死ぬ。これは、当たり前のことだ。」


当たり前の、事なのだ。


「……本当に、馬鹿馬鹿しい」


私は苛立ちながら、杯の中の酒を一気に口に流し込んだ。


暦縁は私の顔をちらりと見て、


「……覚才は、その死体を見て、どう思ったんだ?」


「え?」


「さっきから見ていると、ずいぶん憤りを感じているみたいじゃないか……話を聞いただけでは周りの反応はそう不自然なことじゃないだろ。無常を感じるというのは得てしてそういうものだよ。普段感じづらいからこそ、何か変わったことが有ったときにふと感じてしまう。そういうものだろ。」


暦縁に言われ、はっと我に返った。


言われてみれば、確かにそのとおりである。とりわけ憤りを感じる事では無いはずだ。


――しかし、私は妙に腹が立っていた。普段は苦にもならない石段に憤りを覚えるほどに。


「……。」


「覚才?」


「そういえば、そうだな。――私は何故そこまで腹を立てたのだろうか。」


私は――


何を思ったのだろうか……


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