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彼岸の郷  作者: 狐禅
2/8

二話

  

「西連寺」と書かれた山門を抜けると、一面に青々と生えた苔が目に入った。

 本堂へと続く石畳の奥に、古びた寺院とおぼしきものがぽつりと建っている。


 ――しかし、いつ見ても掴みづらい風景だな。

 一応、荒れ寺なのだろう。本堂の所々が壊れかけ、崩れて外から中が見えている場所もある。


 が、普通の荒れ寺ではない。よく見ると、手入れだけはしてあるのが分かる。


 雑草が抜かれ、落ち葉も掃かれた中庭。本堂の方は、所どころ崩れ落ちているだけで、中身自体は掃除が行き届いている。


 ――荒れていた寺、とでも言うのかな。

 

 なぜこれほど奇妙な光景になったのか。


 理由は簡単である。

 

 新しくここに住み着いた男が、掃除好きだからだ。崩れかけた本堂がそのままになっているのは、単に直す金が無いからである。


 この寺には本来住職がいない。詳しい話知らないが、何年か前に病で亡くなったと聞いている。普通ならば、息子や親類、または自らが認めた僧に寺を明け渡すのであろうが、その住職には、そのどれも無かったらしい。檀家にも何の手入れもされないまま放っておかれた結果、ここは見事な荒れ寺になってしまった。今では、近くの村人以外は、こんな所に寺が有ることすら知っている人が少ない。


 ――が、私は半年ほど前に、この寺に妙な僧侶が住み着いたという話を聞いた。


 その僧侶は、何をするわけでは無く、毎日本堂を掃除したり、畑を耕したりして生活していたらしい。ある村人が、たまたまその僧侶に興味をもち、説法をお願いした。すると、今まで聞いたことのない珍しい説法をする。それが村人に広まり、いつの日かそれが噂となり、西連寺に人が尋ねてくるようになった。


その話が、私の耳に届いたのだ。

 


 私は、物書きを生業とし、人の噂話を頼りに色々な所へ赴き、その中の題材から本を書く。

 

 私はすべからくその僧に興味をもった。


 ――是非話を聞いてみたいものだ。


 そう思い立ったのが去年の夏のことである。


 そこで、私は暦縁と名乗る僧侶と出会った。


 そのときから、暦縁とは何故か気が合い、暇なときは時たまここを訪れ、酒を飲んだり、仕事部屋を貸してもらったりしている。


「暦縁、来たぞ。」


 本堂の中へ向かって声をかける、何度か呼びかけると、中から「おぉ、覚才、やっと来たのか。」と返事が返ってきた。


 玄関が崩れかかっているので、濡れ縁の方へと向かった。西連寺の場合ここが玄関代わりとなっている。


 見ると、頭に布巾をまき、箒を持った暦縁が縁側に立っていた。

 いつ見ても間の抜けた姿である。


「む、掃除してたのか。」


 私がそう言うと、


「そんなところだよ。ちょっと待っていてくれ、今着替えてそっちへ行く。」と言って、 頭に巻いた布巾を外した。


「もう、終わりか。」


「さすがに疲れてきた。」


 このぶんだと、いつもの様に一日中掃除していたのだろう。


 暦縁は掃除道具を持ちながら、部屋の奥の方へと歩いていった。


 たった今掃除したばかりなのだろう、縁側は、研ぎ澄まされた様に美しく磨かれている。


 少しだけ坐るのを躊躇したが、立って待っているのも気が引けたので、おとなしくそこに腰掛ける事にした。どちらにせよ、こんな事をいちいち気にする男ではない。


 程なくして、身なりを整えた暦縁がやってきた。


 墨染めの法衣に、整えてあるのか無いのか分からないようなぼさぼさ頭。法衣さえ着ていなければ、とても僧侶には見えないだろう。


 歳は、顔だけ見れば若く見える、まだ三十路を迎えたか迎えていないか。


「それで、なにしに来たんだっけ? また仕事場を借りに来たのか」


開口一番、とぼけたことを言った。


「……いや違う、ほら、昨日言っただろ。これを渡そうと思って。」


 私は、手に持っていた、長細い、紙で巻いた包みを暦縁に渡した。


「ん? これは?」


「この前の礼だよ。」


 私がそう言うと、暦縁は少し考え込む様な仕草をした。


「・・・礼? 何かやったっけか、俺」

「……お前は本当に物忘れ激しいな。ほら、以前の妻の為に経を上げてくれだろう。」


 半月ほど前の話だ。


 私の家でさよに経を上げてもらったことがあった。


 「さよ」とは私の妻の名前だ。私が二十を数えた時に亡くなって、もう五年の月日が経つ。

 それまで、ろくに弔いもしなかった私は、暦縁に頼み込み経を上げてもらったのだ。元々まともに経の知識など無い私である、何を読むかは暦縁に頼んだ。暦縁は、ちらと私の顔を伺い、般若心経を一遍唱えたのだ。


「・・・ああ、そんなこともあったかな、しかし、あの礼ね……確か般若心経を一遍、詠んだだけだったろ。礼を持って来るほどのものじゃないだろう」


「法事は法事だ、布施するのは礼儀だよ」


「……相変わらず律儀な奴だな、お前も」


苦笑しながら暦縁は包みを開ける。


「お、酒か。」


「ま、ついでに一緒に飲もうとも思ったんだがね。」


「――しかし、僧に堂々と酒持って来るってのも、お前位のものだろうな。」


「確か、布施された物なら、坊主でも酒を飲んで良かったはずだろ?」


にやりと笑いながら言う。


「まぁ、布施は拒めないからな。」


そう言って、私たちは笑い合った。


「それで、今日はなんで遅れたんだ?あまりに遅いから掃除を初めてしまったじゃないか」


「……お前なら別に私が遅れなくとも掃除をしていたと思うがね……いや、実は、ちょっとここに来る前に、寄り道をしてたんだ」


「寄り道?」


「最近、噂になっている、隣町の娘の骸を見に行ってきた」


「……骸? なんだ、それ」


「……そういえばお前は、噂話に疎かったんだったっけな」


「どんな話しだ? 聞かせてくれ」


「ああ。」

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