二話
「西連寺」と書かれた山門を抜けると、一面に青々と生えた苔が目に入った。
本堂へと続く石畳の奥に、古びた寺院とおぼしきものがぽつりと建っている。
――しかし、いつ見ても掴みづらい風景だな。
一応、荒れ寺なのだろう。本堂の所々が壊れかけ、崩れて外から中が見えている場所もある。
が、普通の荒れ寺ではない。よく見ると、手入れだけはしてあるのが分かる。
雑草が抜かれ、落ち葉も掃かれた中庭。本堂の方は、所どころ崩れ落ちているだけで、中身自体は掃除が行き届いている。
――荒れていた寺、とでも言うのかな。
なぜこれほど奇妙な光景になったのか。
理由は簡単である。
新しくここに住み着いた男が、掃除好きだからだ。崩れかけた本堂がそのままになっているのは、単に直す金が無いからである。
この寺には本来住職がいない。詳しい話知らないが、何年か前に病で亡くなったと聞いている。普通ならば、息子や親類、または自らが認めた僧に寺を明け渡すのであろうが、その住職には、そのどれも無かったらしい。檀家にも何の手入れもされないまま放っておかれた結果、ここは見事な荒れ寺になってしまった。今では、近くの村人以外は、こんな所に寺が有ることすら知っている人が少ない。
――が、私は半年ほど前に、この寺に妙な僧侶が住み着いたという話を聞いた。
その僧侶は、何をするわけでは無く、毎日本堂を掃除したり、畑を耕したりして生活していたらしい。ある村人が、たまたまその僧侶に興味をもち、説法をお願いした。すると、今まで聞いたことのない珍しい説法をする。それが村人に広まり、いつの日かそれが噂となり、西連寺に人が尋ねてくるようになった。
その話が、私の耳に届いたのだ。
私は、物書きを生業とし、人の噂話を頼りに色々な所へ赴き、その中の題材から本を書く。
私はすべからくその僧に興味をもった。
――是非話を聞いてみたいものだ。
そう思い立ったのが去年の夏のことである。
そこで、私は暦縁と名乗る僧侶と出会った。
そのときから、暦縁とは何故か気が合い、暇なときは時たまここを訪れ、酒を飲んだり、仕事部屋を貸してもらったりしている。
「暦縁、来たぞ。」
本堂の中へ向かって声をかける、何度か呼びかけると、中から「おぉ、覚才、やっと来たのか。」と返事が返ってきた。
玄関が崩れかかっているので、濡れ縁の方へと向かった。西連寺の場合ここが玄関代わりとなっている。
見ると、頭に布巾をまき、箒を持った暦縁が縁側に立っていた。
いつ見ても間の抜けた姿である。
「む、掃除してたのか。」
私がそう言うと、
「そんなところだよ。ちょっと待っていてくれ、今着替えてそっちへ行く。」と言って、 頭に巻いた布巾を外した。
「もう、終わりか。」
「さすがに疲れてきた。」
このぶんだと、いつもの様に一日中掃除していたのだろう。
暦縁は掃除道具を持ちながら、部屋の奥の方へと歩いていった。
たった今掃除したばかりなのだろう、縁側は、研ぎ澄まされた様に美しく磨かれている。
少しだけ坐るのを躊躇したが、立って待っているのも気が引けたので、おとなしくそこに腰掛ける事にした。どちらにせよ、こんな事をいちいち気にする男ではない。
程なくして、身なりを整えた暦縁がやってきた。
墨染めの法衣に、整えてあるのか無いのか分からないようなぼさぼさ頭。法衣さえ着ていなければ、とても僧侶には見えないだろう。
歳は、顔だけ見れば若く見える、まだ三十路を迎えたか迎えていないか。
「それで、なにしに来たんだっけ? また仕事場を借りに来たのか」
開口一番、とぼけたことを言った。
「……いや違う、ほら、昨日言っただろ。これを渡そうと思って。」
私は、手に持っていた、長細い、紙で巻いた包みを暦縁に渡した。
「ん? これは?」
「この前の礼だよ。」
私がそう言うと、暦縁は少し考え込む様な仕草をした。
「・・・礼? 何かやったっけか、俺」
「……お前は本当に物忘れ激しいな。ほら、以前の妻の為に経を上げてくれだろう。」
半月ほど前の話だ。
私の家でさよに経を上げてもらったことがあった。
「さよ」とは私の妻の名前だ。私が二十を数えた時に亡くなって、もう五年の月日が経つ。
それまで、ろくに弔いもしなかった私は、暦縁に頼み込み経を上げてもらったのだ。元々まともに経の知識など無い私である、何を読むかは暦縁に頼んだ。暦縁は、ちらと私の顔を伺い、般若心経を一遍唱えたのだ。
「・・・ああ、そんなこともあったかな、しかし、あの礼ね……確か般若心経を一遍、詠んだだけだったろ。礼を持って来るほどのものじゃないだろう」
「法事は法事だ、布施するのは礼儀だよ」
「……相変わらず律儀な奴だな、お前も」
苦笑しながら暦縁は包みを開ける。
「お、酒か。」
「ま、ついでに一緒に飲もうとも思ったんだがね。」
「――しかし、僧に堂々と酒持って来るってのも、お前位のものだろうな。」
「確か、布施された物なら、坊主でも酒を飲んで良かったはずだろ?」
にやりと笑いながら言う。
「まぁ、布施は拒めないからな。」
そう言って、私たちは笑い合った。
「それで、今日はなんで遅れたんだ?あまりに遅いから掃除を初めてしまったじゃないか」
「……お前なら別に私が遅れなくとも掃除をしていたと思うがね……いや、実は、ちょっとここに来る前に、寄り道をしてたんだ」
「寄り道?」
「最近、噂になっている、隣町の娘の骸を見に行ってきた」
「……骸? なんだ、それ」
「……そういえばお前は、噂話に疎かったんだったっけな」
「どんな話しだ? 聞かせてくれ」
「ああ。」




