一話
――静かに、ひぐらしの鳴き声がこだましている。
日は大きく西の空へ傾き、辺りは夕焼けの朱色に染まっている。
辺りを覆うように生えている竹林のせいで、この場所は夜のようにうす暗い。
竹藪の中に静かに生えている紅葉の、真っ赤な葉がひらひらと舞い落ちていた。
私は古ぼけた石段を足早に駆け上がっていた。昨日、暦縁と約束した刻限はとうに過ぎている。それが気を焦らせていたのだ。
頂上を仰ぎ見ると、まだ石段は延々と続いていた。
この石段を登った先に有るのが、ただの寂れた荒れ寺だとというのだから呆れる。いったい、何を考えてこんな場所に寺を建てたのだろうか?
――寺ならば、人の通いやすい場所に建てればよいものを……
いつもなら苦にもならないこの石段も、気が急いているせいか、妙な憤りを感じる。
足場がよく見えない。もともと目が悪いのもあり、石段に何度もつまずきそうになった。
――寄り道をしたのが悪かったか……。
そうだ。
寄り道さえしなければ、西連寺にたどり着くのにもこんな刻限にはならなかったはずだ。
――結局、見たところで、どうということも無いものだったからな。
――数刻前、私の目にとらえていたものが頭に浮かぶ、
むしろに転がった、女の骸。
その上にまだ紅い衣が掛けられていた。
辺りには、幾房もの枯れた花が散乱している。
私の目に映ったのはそれだけのものだった。
それ以上でも、それ以下でも無いものである。
結局は、ただの骸だったのだ。
だが、その中には、ちらほらと、私と同じような輩が、物珍しそうにそれを眺めていた。
中には、手を合わせている者までいる。それも、普段は仏壇にも手を合わせないような若い連中がである。
どの連中も、巷で騒がれている噂話を聞きつけてやってきたのだろう。
馬鹿馬鹿しい。
―――お前達、眼をさませ。
そこに有るのは、ただの骸だ。
噂話という器に盛られただけの、ただの骸だろう。
死体は、ただの死体。道に転がっている物と何ら変わりがない。
だが、噂話が加わることにより、それはただの死体では無くなる。
――おかしな、話だ。
死体自体は、何も変わらぬと言うのに。
それならば、皆は何を見ていると言うのだろうか。
死体か
噂話の方か。
それとも、その両方か――。
人々は、口々に生とははかないものだ、と言っていた。
しかし、わざわざこんな骸など見ずとも、この世は常に無常だ。
形有る物は壊れるし、人も生まれ死ぬ。
人の骸だけを取り上げ、無常と騒ぎ立てるのはおかしな事だ。
世は移り変わると言うことなど、私はいやというほど経験した。
だから、無常を感じると騒がれている骸を見ても、只の骸と大差ないと思ったのだ。
――何にしても、私にはただの死体にしか見えなかった。それは、変わらぬ。
人がどう思おうとも関係のないことだ。
私は石段を登る足を速めた。
――と、
私のいる場所の数歩横、石段の脇に、見慣れない娘が立っていることに気がついた。
――何だ?
見れば、歳が五つか六つくらいの、紅い衣をを着た娘だ。
人形の様な容姿をしている。
生気の無い顔で、私の方をじっと見つめていた。
――何か、不自然な気がする。
そう、
――気配が無いのだ。
気配などという曖昧な物に頼るのも気が引けるが、確かに生きている物がそばにいる気がしない。これを気配というのであれば、娘は気配がないという表現がぴたりと言い当たるだろう。娘そのものが風景に溶け込み、自然の一部となっている気がする。
――あやかし、だろうか。
あやかしと言うもの信じない私が、そう答えを出すのは気は乗らないが、そう言う結論なら納得がゆく気がした。
聞く話によると、見える物に憑きやすいと聞く。
ならば、見えぬふりをして通り過ぎればよい。
一度姿を見てしまえば、気配が無くとも視線を感じてしまう。
私は眼を背ける様にして、娘の横を通り過ぎた。
数段上った所で振り返ると、もうその場所には娘の姿は無かった。
――やはり、あやかしだったか。
ほっと一息ついて、私は再び石段を登り始めた。




