1-8 お漏らし少女はいいんですが、作者的にビッグはさすがにないです
さて、アオンはここから距離的には当初の目的地のコンビニと同じくらいだが真逆の方向に向かう必要がある。
信号を守る必要がないので俺は小走りで道路を堂々と横断して向かう。走っている途中ゾンビに気付かれ後をつけられるが歩くゾンビばかりなので振り切るのは簡単だった。
しかし沢崎の話では走るゾンビや武器を持った奴もいるらしい。周囲を見た感じ幸いにもそのようなゾンビはいないが、一切の油断をせず警戒しながらアオンに向かう。
アオンはすぐ隣、俺から見れば右側に市役所がある。普段なら利便性がよくお互いに利益をもたらす関係にあるのだろうが……。
沢崎が言っていたように市役所は避難所になっている。いや、いたのだろう。ついでに言うとゾンビハザードを災害と解釈するならここは行政の災害対応の拠点にもなっていたのだろう。
だがそのすべてが過去形だ。市役所に避難していた人、そして避難に来た人間、その多くの人間は全員ゾンビとなり周囲を徘徊している。最近建て替えられた市役所はガラスが至る所で割れ、田舎者なりにデザインを凝らした入口は壊されたバリケードが転がっていた。
俺はふと市役所にもすなばっか珈琲があったことを思い出す。俺はどちらの店も使うがその後の行動によって市役所か、駅近くかを選んでいたのだ。
そして市役所は御覧のありさまだ。市役所と隣り合ったショッピングモール、市民の多くが利用する場所の2つが合わさったことでこの場所は市街地でもとりわけ多くのゾンビが集まるスポットとなったようだ。
どちらも生存に必要な物資は多くある。しかしそれをはるかに上回るリスクがあり避難する場所としては最悪の場所だった。
つまり俺がもし市役所のすなばっか珈琲を利用していたら、その時に飲んだコーヒーが俺が味わう最期のコーヒーとなっていたのだ。
もう一つ言うならばもし店でコーヒーだけを飲んでいたならば。直前に高カロリーのカツカレーを食べていなければ。今の俺の飢えと渇きはさらに深刻なものとなり活動するだけの体力がない状態でこの異常な世界に放り出され、動く事も出来ずにゾンビに食われたかそのまま餓死していたかもしれない。
そんな些細な事が生死を分ける結果となったという事だ。だが人生はそういうものなのかもしれない。自分自身の生死を選ぶ権利は多くの場合自分にはないことが多い。
そして、俺とピーコはその事を身をもって知っている。このゾンビハザードが起きる前から……。
妙な感傷に浸ってしまったが別に市役所に用事があるわけではない。ともかく俺はゾンビに気付かれないように、足音を立てないようにゆっくり移動し店の目の前に到着した。
ゾンビは生前の行動を模倣すると聞いた事がある。もちろんフィクションでの話だが、東側の店で一番大きな入り口には大勢のゾンビが集まって店に入ろうとしていた。扉はピーコか、それとも別の誰かがカギをかけたようで閉まっているが、ガラスの自動ドアなどその気になればすぐに破壊出来るだろう。
「盛況だな……今日はセールの日か?」
あまりの多さ、100人弱程度はいるだろうゾンビの群れに俺は思わずそう口に出してしまって思わずため息をつく。おそらく隣の市役所から流れたゾンビもいるのだろう。
この店には大きく分けて大きめの東口、小さな西口と北口、ついでに従業員用の入り口と店の3階以上にある立体駐車場、ついでに非常口からの入り口があるがそれらを確認したくない。どうせそこにもゾンビがいるのだろう。
あれが全員歩くゾンビだとしてもラチェットスパナだけで強行突破はリスクが高すぎる。大人しく東口は諦めて別のルートを選択しよう。
しかしピーコはスタッフルームにいると言ったが1階のどこの場所かは言っていなかった。ここのアオンはそこまで大きな店ではなく、1階と2階だけで面積もそこまで広くはないがリスクを避けるため移動は最小限にしたほうがいいだろう。
確か1階の従業員用の入り口は店の入り口を左側に回った隣の建物の隙間にひっそりとあったはずだが。
俺はゾンビに気付かれないように静かに歩き、小さな駐車場を通って店の左側に向かう。
隣の建物との隙間に無理やり作った幅1メートルほどの狭い通路の右側にいくつかの飾り気のない鉄製の扉がある。壁に取り付けられた飾り気のない看板には『従業員用入り口 関係者以外立ち入り禁止』と書かれているしここを調べてみるか。
だが狭い道だ。入るのは勇気がいる。もし両側からゾンビに挟み撃ちにされたら逃げ出せない。連中が来るより前に迅速に行動しなければいけない。
入って最初の鉄の扉のノブを回すも鍵がかかっている。コンコン、とノックするが返事はなかった。
数歩歩いた先、次の扉も同じように叩く。変化はない。
その次の扉も。
一旦背後を確認する。通路の先、西口の駐車場をうろつくゾンビのうちの一体と目が合った気がするが気のせいだった。だがいつ気付かれてもおかしくない。嫌な汗をかいた手でドアノブを素早く握る。しかし開かず返事もない。
また、その次の扉も。
そしてついにあと10メートルほどで西側の駐車場というところまで来てしまった。もしかすると音にピーコが気付かなかったか、それとも俺が彼女の返事に気付かなかったか……それとももう彼女は手遅れで返事が出来ないのか。
最後の考えは自分でもネガティブすぎると無理やり否定し急いでドアを調べた。
ガチャガチャ、ガチャガチャ。
ノブを乱暴にいじり先ほどよりも強めにドアをノックする。だがここも返事がない。やはり見逃したか? そう考えていると、
「トオル君……トオル君!?」
「ピーコ! 来たぞ!」
彼女の声が聞こえ俺ははやる気持ちを抑えてドアノブを動かす。しかし鍵がかかっているのだ、開くはずがない。冷静になり大人しくピーコがドアを開けるのを待つ事にする。
そしてしばらくしてガチャ、という音が聞こえ、鉄の扉が手前に開き俺がずっと待ちわびていた顔を拝む事が出来た。
「よかった……よかったよぉ、トオル君……!」
涙ぐんだ笑顔で俺の名前を呼ぶ彼女は俺の姿を見てすっかり安心したようで、俺は軽く抱き寄せて背中を叩く。何故か彼女がピンクのタオルケットをかぶっていたのが気になるが。
「わ……」
ほんの少し照れた声を出した彼女も戸惑いつつも軽く、キュッと抱き返してきた。
「ああ、わかったからとにかく中に入るぞ」
「うん!」
そして俺は彼女から離れると共に滑り込むように暗い室内に入る。すぐにドアを勢いよく閉め、ピーコはレトルト食品の入った段ボールを数個積んだだけのバリケードをそのままドアにスライドさせた。外側に開くドアなのであまり意味もなく気休め程度のものだが、鉄の扉なので鍵さえかけておけばそれだけである程度はしのげるだろう。
室内には薄暗く、生存者のものだったであろうショルダーバックに、袋だけの非常用持出袋や、カップ麺を食べたあとのゴミなど散らかっていた。部屋の中央の床にはカンテラのようなもの置かれ明かりを放っている。しかしよく見ると違っているようだ。
「懐中電灯? 変わった使い方しているな」
俺がカンテラと思ったものは見ると懐中電灯だ。しかしそれは大きめのコップの中に上を向いた状態で入れられ、その上には水の入ったペットボトルが置かれていた。
「なるほど、乱反射させてカンテラ代わりか」
俺は感心しながらそれをまじまじと見つめる。部屋全体を照らすには多少心もとないが物がない今なら十分役に立つだろう。
「うん、電気が通らなくなって明かりがつかないから。災害時に役立つ豆知識だよ。大きい懐中電灯なら直接上に置いてもいいよ」
ピーコは目元を拭って泣き止むと自慢げにそう言った。そして被ったタオルケットの裾を掴み頭巾のようにして髪を隠す。
「寒いのか」
「え、あ、うん」
ピーコはなぜか目をそらし困ったような笑顔を見せる。確かに今は冬だしヒーターもついていないのでタオルケットだけでは肌寒くはあるが……。
布団はない。見ると床には段ボールを潰して平らにしたものが2つつなげて置かれているがあれは多分敷布団の代わりだろう。暖房器具は一切ないし、あったとしても電気が通っていないので使えない。
だがそうではない。今の反応から寒い事に困っているわけでもなさそうだ。もちろん実際寒いのだが、彼女は何かを隠している。長い付き合いの俺にはわかるのだ。では……それは何だ?
俺はピーコの全身を頭からつま先までくまなく観察する。
顔。うん、いつも通り地味子で、素朴な味わいがある。
胸。まだまだ諦めるな。それに悪くはないサイズだ。
足。健康的だ。一応、毎日適度な運動をしているらしい。
さて、今度は後ろに回って。
「あの、トオル君? ど、どうしたのかな……?」
俺がずっと彼女を観察しているとピーコは少し恥ずかしそうにこちらを向いて身をよじり、だがどこか怯えたようにそう言った。
そして、奇妙な点を2か所見つけた。
「なあ、ピーコ。その尻は何だ。盛り上がっているが」
「え!? お、お尻!?」
驚愕した彼女は慌ててこちらに体を向け、両手で尻の部分を隠したためタオルケットが落ちた。
そう、まずは一つ。ピーコの尻の部分だ。別にセクハラではない。明らかにスカート越しでもわかる程度に不自然に尻の部分が盛り上がっていた。小さなタオルケットではそこまで隠せなかったらしい。動揺した彼女を見る限りここは正解だったようだ。
「これは、えと、その、漏らしたの!!」
人間追いつめられるとわけの分からない言いわけをするものだ。顔を真っ赤にしたピーコが今言ったように。
「そうか、漏らしたのか」
「うん、漏らしちゃった! 怖かったんだからそうなるよね!」
人間、バレバレだとしても一度嘘をつくと決めたら堂々としたものだ。デデン、という効果音とともに、両手を腰に当て赤面しながら大声で叫んだ。
「年頃の女の子が漏らしちゃダメだろ。ネットで叩かれるぞ」
「いいもん! 隙間だけどそういう需要だってあるよ! 希典先生も授業で言ってたよ!」
「あの先生は授業中に何を生徒に教えているんだ」
だが仕方ない。うちの学校にいる迷教師、もう一人の荒木先生の荒木希典先生はそういう人だ。保護者からの鬼のように来る苦情も、校長からの小言も、女性陣からの害虫を見るような目も彼は何も恐れない。
どうでもいいが彼も生き残っているのだろうか。生命力たくましい希典先生ならこんな世界でもどこかで楽しく酒を飲んでいそうだ。
「そのジャンルは! お漏らし少女ってジャンル! 人気あるんだよね! 特にクールな女教師やプライドの高い姫騎士とは相性抜群だって先生も言ってたよ!」
「あれはスモールのほうだ、俗にいうセイクリッドウォーターだぞ。流石にビッグなほうは時代が追い付いていない」
さて、ピーコのセリフで知りたくもなかった希典先生の性癖を知ってしまった。しかし女教師か……対象が二次元限定とはいえそんな事を公言するから嫌われるんですよ、先生。
「なら私がビッグなパイオニアになるよ!」
「誰が上手いことを言えと」
ピーコはとても素晴らしい、満面の笑顔だったが瞳の中心が渦を巻いている。どうやら混乱しているようだ。
「別に開拓したければそれでいいが……」
だが、マニアックなジャンルよりもずっと気になっていた事がある。
「で、その耳は何だ」
「え。あ、あ~!!」
俺に指摘され、彼女は自分がタオルケットを落とした事にようやく気が付いたらしく市内全域に響くような大声で叫ぶ。
そう。ピーコの頭の上に……人にあるはずがない明らかに異質なもの、犬のような茶色い耳が生えていたのだ。
彼女は慌ててタオルケットを掴むと先ほどまでのように頭を隠し、部屋の隅に素早く逃げだしてしゃがむ。
そしてその際、パンツに隠したものもぴょこんと外に飛び出した。それは同じく柴犬のような茶色のしっぽだった。
「あの、ええと……」
びくびくと怯えながらゆっくりと振り向きこちらの様子をうかがう彼女はその特徴的なアクセサリーと相まって、まるで飼い主に叱られないかと怖がる子犬のようだった。