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1-63 真理恵さんとの電話

 俺は人気のない店内の入り口付近でスマホをいじり真理恵さんに電話をかける。彼女が無事である事は知っているが出来れば早めに連絡を取っておきたい。


 驚いた事に2コール目で真理恵さんは電話に出た。早くないか、と思う間もなく彼女の声が聞こえてくる。


『トオル君!? トオル君なの!?』


 真理恵さんは電話がかかってくるのを今か今かと待っていたらしい。その勢いに気圧されながらも俺は返事をする。


「はい、トオルです。なんとか生き延びる事が出来ました。クーから聞いてるとは思いますが」

『そう、本当によかったわ……もう、私心配で夜も眠れなかったの。でも、』


 真理恵さんは本当に嬉しそうにそう言うが後半は少し言いよどむ。


「どうしたんです?」


 俺は彼女にそう聞くと真理恵さんは言いづらそうに、


『空ちゃんからは、何も』


 と言った。案の定というか予想どおりだった。


「聞いてないんですね。そんな事だろうとは思いましたが」


 この展開は想定内だ。むしろクーと真理恵さんの確執を考えれば素直に話す事は考えにくい。


『ええ。でも、仕方ないわよね……』


 だがそんな理不尽なクーの仕打ちにも真理恵さんは自分を責めていた。相変わらず優しいというか、甘いというか、もっとケンカしてもいいだろうに。だが俺も人の事が言えた義理ではないので強く言うのはやめておいた。


 彼女は確かに俺たちに愛情を注いでくれている。しかし家族ではないのだ。つまらない事に思えるかもしれないがやはりわだかまりはある。ましてや俺に至っては久世透ですらないのだし。


「仕方なくなんてないです。たまにはガツンと言ってください」

『そうしたほうがいいのかしら……』

「はい。特に今はこんなご時世です。ちゃんと言わないと命にかかわる事もあるでしょうし。コミュニケーションの欠如が大変な事態を起こすのはゾンビ映画ではありがちですよ」

『命にかかわる……』


 結局俺は真理恵さんに丸投げする事になってしまう。俺の忠告を聞いて真理恵さんは大層怯えた声でその言葉を反すうする。


「まあすぐには無理でしょうね。俺もクーの兄貴です、あいつがどんな人間かはよく知っています。いくら真理恵さんが譲歩したとしても、ね」

『ええ。どうにか出来ないものなのかしら』


 結論から言うとどうにも出来ない。だがその事実を俺は彼女に告げる事はなかった。


「そのへんの話は別の機会にしましょう。そっちは大丈夫ですか? 食糧とかライフラインとか」

『ええ、こっちは全然大丈夫よ。食べ物もたくさんあるし、警察や消防士の人たちがゾンビから守ってくれてるわ。避難所の雰囲気もいいし』


 真理恵さんは少し楽しそうに言った。メールの内容やクーが言ってたとおりそこは問題ないようだ。


「まとめ役してるってクーが言ってましたが。仕事はどんな感じですか?」

『聞いてたのね。私の仕事は物資の管理や人員の調整かしら。自警団なんて初めてだけど意外といけるものよ。ただ命にかかわる事だからプレッシャーはあるけどね。でもこれが空ちゃんを護る事につながるなら頑張れるわ』


 電話の向こう側で義母がガッツポーズをしている姿が見えた気がして、俺は思わず顔をほころばせる。


「その1%でも想いが伝わればいいんですけどね」

『別に想いが伝わらなくてもいいわ。空ちゃんが私をどんなに嫌っていても私は護り続けるわ。私はお母さん……の代わりだからね』


 悲しくも気丈に振る舞い虚しい決意表明をする真理恵さんの優しさは苦しかった。だが本当は久世透ではない部外者の俺はなにも出来ない。


 単純な人の心すらわからない俺に、川底のヘドロのように様々なものが堆積したこの家族の問題を解決出来るわけがないのだから。


『それで、こっちは平気よ。トオル君たちはどうなの?』

「ピーコと合流してうちの学校の先生やその他大勢でモンキに籠城してます。しばらくは大丈夫だと思いますよ」

『そう、一花ちゃんも無事だったの。それはよかったわ!』


 こちらはクーとは異なり真理恵さんはピーコの無事を心の底から喜んでいるらしい。


「はい、合流した同級生と今だべってます」

『それは嬉しいでしょうね。ところでトオル君……学校や、ほかの人は』

「学校ゾンビだらけで閉校しました。高校中退しちゃいましたね。生徒は俺の知る限り数名程度しか生き残りはいません。多分、最初の段階で泥に飲み込まれてやられたんでしょうね、ただでさえ少ない生徒が」


 俺と同じ高校というだけで会った事もない生徒や職員を心配する真理恵さん。この思いやりの心をクーも少しは持ってほしいものだが俺も人の事は言えない。


『……そっか。ごめんね、辛い事聞いて』

「いえ。別に辛くはないですよ」


 それは強がりではなく事実だった。親しい人間ならともかく他人以上友達未満の同級生が死んだところで正直どうとも思わない。普通の人間ならなにかしらの感情を抱くのかもしれないが。


 ああ、感情なら抱いていた。どうとも思わない事が途方もなく寂しかったのだ。久世透なら、その理不尽なまでの絶望に魂からの慟哭の声を上げていたのだろうか。


 そしてしばしの沈黙。黙っているのも気まずいし電池がもったいないので俺は別の話題に切り替える。


「ああそうそう、白倉にはそのうち行くつもりです。ただ前の世界でちょいと旅行に行くのとはわけが違うので入念に準備してからになりますが」

『そうね、もう電車もバスもないし命懸けよね。私も本当は今すぐにでも迎えに行きたいんだけど』

「真理恵さんがいなくなったら避難所の人が困るでしょう。そこまで急ぐ必要もありませんしこっちもこっちでやる事がありますから」

『やる事?』

「咲桜先輩を探しているんです。まずは先輩に関する情報を集めたいんですよ。当てはありませんけど」

『咲桜ちゃんが……一花ちゃん、姉妹でずっと頑張って来たのに悲しいわね』


 真理恵さんも柴咲姉妹の震災とそれにかかわる事情は知っている。柴咲姉妹もまた真理恵さんにとっては親戚の子供のような感覚で俺たちほどではないが愛情を注いでくれていた。一度は疎遠になってもその想いは変わらないという事か。


「ええ、理不尽ですね。ま、多分どこかで生きているとは思いますしじっくり探しますよ」

『うん、頑張ってね。トオル君も辛いと思うけど一花ちゃんも辛いと思うから頑張って支えてあげてね?』


 真理恵さんの優しい言葉に、無償の愛に、頭痛がしそうになる。


 その優しさを理解したかった。偽物の俺と、そして他人のピーコを愛してくれる義母の心を理解したかった。だがいびつな脳の俺にはどうしても理解出来ずそれが非常に歯がゆかったのだ。


 咲桜さんの名前を聞くだけで俺は心がかき乱される。その上真理恵さんと会話した事により、脳に鉄の棒が刺さりそれで掻きまわされるような感覚になって俺は非常に気分が悪くなった。


『トオル君?』

「あ、いえ」


 沈黙が長すぎたようだ。真理恵さんは少し不安そうな声で俺の名前を呼び俺は慌てて返事をする。


「ともかくどのみちすぐにはそっちには行けません。同居人の依頼もありますから」

『同居人? ああ、一緒に避難してる人ね』

「はい。なんか動画配信してるみたいで協力を頼まれましてね。ピーコが結構乗り気なので俺も成り行きで手伝う事になりました」

『まあ! そういえばトオル君は映像研究会だったわね!』


 真理恵さんはやたら嬉しそうにした。この話題のどこが嬉しかったのだろう。俺は頑張ってその答えを導き出そうとするがすぐにはわからなかった。


「終末だらずチャンネルっていう見る価値もない低クオリティな動画ですけどね。ま、ほかにする事もないですし、世界中が停電なのにどういうわけかネットも使えるので。厳密には自分が携わって制作するのはこれからですけど」

『それでもいいじゃない。ただ生きているだけなんてつまんないからね。こんな世界でも楽しい事があるなら楽しむべきだわ』


 俺は彼女の言葉を聞きああそうかと納得する。これが彼女が喜んでいた理由か。俺が楽しみを見つけたと思ったから嬉しそうにしていたらしい。


 俺は自問自答する。そもそも俺は動画制作を楽しいと思っているのだろうか。映像研究会に入った時点では関心がなかった映像の世界だ。少なくとも久世透は野球人間だったからまったく興味を示さなかっただろう。


「まあ映像研究会自体咲桜さんの頼みで入部しましたし成り行きというか……俺は楽しんでるんでしょうかね?」

『やってるうちに楽しくなるかもしれないわよ? それにその動画で誰かが笑顔になればとっても幸せな事よ。こんな世界で今にも死にたいと思っている人が気を紛らわすことが出来ればそれだけでずっと意味のある事よ。だからどんな事があっても動画制作は続けてね。エンターテインメントの力ってトオル君が思っているよりもすごいものなのよ』


 むしろ俺よりも真理恵さんは動画制作を楽しみにしていた。その言葉を聞いて少しずつだが俺の考えが揺さぶられる。


「そこまで大層なものじゃないですけどね。けど頑張ってみますよ」

『ええ、応援してるからね! チャンネル登録するわよ!』


 義母の力強いエールを聞いて俺の心の中で何かが変わりつつあった。動画を楽しみにしてくれている人がいるという事実を知って。


 それは昔、野球の試合で長打を撃てば逆転サヨナラとなり勝利が決まる場面で打席に立った時のような得も言われぬ高揚感のように俺の凍りついた感情を突き動かそうとしていた。


 途中、真理恵さんは電話の向こう側で話しかけられる。避難所の関係者からだろうか。


『あ、ごめん、トオル君、ちょっと呼ばれて』


 真理恵さんはかなり名残惜しそうにしていたが向こうの事情もあるし仕方がない。キリもいいし今日はこのへんにしておこう。


「ええ、構いませんよ。こっちも声が聞けて嬉しかったです。そっちも生きてくださいね」

『もちろんよ。トオル君と空ちゃんを自立させるまでは死ぬつもりはないからね?』

「ええ、では、お元気で」


 真理恵さんは笑いながらそんな事を言って俺は電話を切る。進学も就職も出来ないこんな世界で自立もへったくれもないと思うがその気持ちだけでも受け取っておこう。

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