1-5 世界崩壊エンド確定
「後にしてほしいんだがな。今コーヒーを飲んでる」
『相変わらずだねー、お兄ちゃん。それ以外にすることないのー? あ、今電話大丈夫なんだね?』
俺の文句は一切受け付けず、クーはいつものように能天気な声で会話を続けた。
中学生の俺の妹……久世空。なお空はそら、と読むが親しいものはクーと呼ぶ事が多い。交友関係が狭い彼女をその名で呼ぶのは数えるほどしかいないが。
「コーヒーを飲みたいんだが……」
『ぷんぷん、コーヒーと可愛い妹のどっちが大事なの?』
妹は今日も平常運転だ。本人はかわいいつもりだろうが世間一般ではぶりっ子とかあざといとかそんなふうに言うのだろう。
「コーヒーに決まっている」
『むー、今日も相変わらずビターだね、お兄ちゃん。角砂糖を5個くらい入れてよ。ブラックコーヒーは飽きたよぉ』
「コーヒーに飽きる? そんなのない。いや、甘いものももちろん好きだがその時の気分によるな」
不満げな口調からスマホの向こう側のクーの表情が頭に浮かぶ。俺は今言った通りコーヒーを軽く口の中に含んだ。
『って、話がそれちゃった。お兄ちゃんとコーヒー談議したらスマホの電池が無くなるまで続いて通話料無料サービスを最大まで使った事で携帯会社に恨み言を言われちゃうよ』
「コーヒー談議をしたいのか? 俺は構わないが。4時間はかかるぞ」
『いやいいって。たまにはこっちに帰って来てよ、お兄ちゃん。妹はお兄ちゃんがいなくて寂しくて死んじゃうんだよっ! クーちゃんは寂しんぼのうさぎさんなんだ!』
クーは泣きそうな声で抗議の声をあげた。そう、彼女は数か月後には高校生なのにいわゆるブラコンだ。
「うさぎはちゃんと世話すればそれなりに長生きするぞ、一匹でも。環境の変化に弱くてすぐ死ぬのは事実だが」
『じゃあちゃんとお世話してよ! 飼い主の義務だよ! 妹愛護法違反だよ! ちゃんと妹に首輪をつけてゲージに入れて愛情を注ぐの!』
「それしたら捕まるぞ、確実に」
終始やかましい妹のしょうもない雑談に付き合いながら俺は思わず笑みをこぼしてしまった。
もっともそれも仕方のないことだ。うちはとある事情で両親を早くに亡くしている。彼女にとって家族と呼べる人間は俺だけなのだ。
「まあ……帰るのはそのうち、な」
『その言葉一年前も聞いたよ』
俺の言い訳でしかないそっけない返事にクーは寂しそうな声を出した。
だがこちらにも事情があるのだ。県の中部にいる妹と叔母に会おうと思えばお互いいつでも会える。だがそう出来ない事情があるのだ。
『真理恵さんの事は気にしなくていいんじゃない』
「……………」
クーの口から忌々し気に出た真理恵さんという名前に俺は沈黙する。
真理恵さんは俺の叔母で、両親が亡くなった後俺たちの面倒を見てくれた人だ。実の子供のようにかわいがってくれ親以上に愛情を注いでくれている。そう、本来は問題ないのだ。
クーが度を越したブラコンでなければ何の問題も。
俺に対して兄以上の感情を抱いていなければ。
それは孤独から来る一時の気の迷いだ。だから時間を置けばそれも収まる……そう考えた俺は適当な建前で東部の高校に進学し一人暮らしを始める事にし、俺とクーの関係を危惧していた真理恵さんもそれを了承した。
もっともそれはクーにとっては無理やり引き離されたと感じてしまい、ただでさえぎくしゃくしていた真理恵さんとクーの確執を決定的なものにしてしまったが仕方のない事だ。今は時間が過ぎるのを待たなければいけない。
それに俺はあの事故から――いや、これ以上考えるのはよそう。コーヒーがまずくなる。
『いっそ駆け落ちとか? 誰もいない北のほうに行こうよ』
「バカ言ってないで勉強でもしてろ。俺はコーヒーが飲みたい」
『もお! お兄ちゃんツンツンしすぎだよ! いつになったらデレるの!?』
ぶーぶー文句を言う妹を無視して俺はコーヒーを飲んだ。今度は少しはまともな味になった気がした。
そう、適度な距離さえとればいい。そして前のような関係に戻れればいい。俺にとってクーが大事な妹である事には変わりないのだから。
「で、そっちはどうなんだ」
『それ聞く? 相変わらず非リア充ライフだよ。お兄ちゃんと同じで……あ、でも、そっちにはピーコがいるか』
クーと柴咲姉妹はもちろん顔なじみだ。もっともこっちに戻ってからは数回会った程度なので俺ほど親しくはないが。
「ピーコがいるのがリア充なのか?」
『うん、幼馴染の攻略って一番簡単なんだよ。そこはどうなの? 全年齢対象? それともパソコン版までいった?』
「お前も銀二と同じようなこと言うんだな……」
ギャルゲの常識はすっかり一般常識になってしまったようだ。この世界も終わりなんだな、と俺は思った。
『そっちのルートもありだね。僕たちずっと友達だよからウヒョー、ってね』
「何がウヒョーなんだ」
『聞きたい?』
「聞きたくない」
『でも、今のは置いといてお兄ちゃんって浮いた話がないよね。女の子に興味ないからなの? それとも心に決めた妹がいるから?』
「……………」
俺は何も言わずコーヒーを飲んだ。
『無視しないでよ! スルーが一番駄目なんだよ!』
しばしの間ののちクーは大きな声でクレームを言って俺はしぶしぶ返事をする。
「もう切っていいか。コーヒーを飲みたいんだ」
『えー。クーちゃん、もっとお兄ちゃんとお話ししたいなあ~』
「……ゴク。ん、なんか言ったか」
『もー! お兄ちゃんがいつも通り冷たいよ! そういうところもいいんだけどね! クーデレなお兄ちゃんも大好きだよ! 滅多にデレないけどね!』
俺は勝手に盛り上がる妹を完全に無視しコーヒーを味わうことに意識を移す。いつも通り味わい深いコーヒーだ。
だが――その時突如、スマホから声が聞こえなくなった。
「ん? どうした」
『え、……………ん……あれ?』
電話にノイズが混じり聞き取りにくくなる。混線しているのだろうか。俺は特に気にも留めずコーヒーを飲み続ける。
『何あれ……煙……………泥? ……て、きゃ……あ……あっ!!』
辛うじて聞き取れたのはそんな内容だ。最後に悲鳴が聞こえ、俺はコーヒーを飲むのを止め思わず叫んだ。
「クー!? どうした!?」
俺はカップを勢いよく机に叩きつけた。カップは転がりコーヒーがこぼれてしまうが今はどうでもいい!
「何があった? どうしたんだ?」
ズ、ザザザ……。
だが……電話から聞こえるのは砂嵐のような音だけだ。そしてしばらくして電話は切れてしまう。
クーの身に何が遭ったんだ。心臓が激しく鼓動し手に当てずとも音が聞こえた。
落ち着け、今の俺に出来ることは何がある。まずはもう一度連絡をどうにかして取らなければ。向こうは県の中部で移動にも時間がかかる。電話だけが唯一の連絡手段だ。
俺は代金を支払うのも忘れ、意味があるわけでもないが店の外に出る。
そして半地下の店内から外に出て空を見上げたとき……おそらく彼女も見たものがそこにあった。
黄昏時の空を覆うそれは一瞬、煙にも見えた。それは見る見る間にこちらに向かってくる。
違う。あれは煙ではない。泥だ。その黒い泥はまるで火砕流のように道路の向こう側にある目の前の建物を轟音とともに破壊した。車も、咄嗟に身を守ろうとした歩行者も、街灯も、全てを瞬く間に飲み込んでいく。もちろんすぐに俺が今いるこの場所にも向かってきて……。
そして目前にその泥が迫る。
「なにが……起きて……」
だが無情にも――最後に店内の照明が消え入り口のガラスが壊れる音がして、自らの身になにが起きたか理解する間もなく俺の意識は途切れた。
そして、今日……1月17日。
俺も含めて、この世界の生きとし生けるものは誰も抗う事も出来ずに世界はバッドエンドを迎えたのだった。