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1-4 すなばっか珈琲で至福の一杯を

『次は、星鳥駅前、星鳥駅前……』


 バスの車内に目的地を告げるアナウンスが響き、少しの間のあと降車ボタンを慌てて押して回想を終了する。


(結局、あれは何だったんだろうな……)


 先輩は得体のしれない力を使い、得体のしれない何かと戦い、得体のしれない団体に所属している。つまるところ俺は先輩の裏の顔を何も知らないのだ。


 早いところがわからないことが多すぎるので考えても無駄だ。考証に必要な情報が無いに等しいからだ。


 無理やり合理的な解釈をすれば先輩は空間を操る異能を持ち異形の怪物を倒す組織に属している。中々にファンタジーで突拍子もないがこれが最も合理的な解釈だった。


 ああ、そうだ。自分でも馬鹿げているのはわかっている。だがこれが俺の出した結論なのだ。


 ふと、俺はコーヒーを飲みたかった事を思い出し早いところ店に向かう事にしたのだった。


 別にコーヒーは逃げはしないが俺はヘビードリンカーなのだ。飲みたい時に飲むのが俺のモットーだ。俺はカフェイン依存症なのだ。それなしでは生活に支障が出るのだ。あの口の中に広がる心地よい苦みが俺を待っているのだ。

 

 それに今は、苦いコーヒーを飲みたかった。


 駅の正面にすぐある寂れた商店街、入り口からすぐのところを歩き半地下にある喫茶店、その名前はすなばっか珈琲。珍妙な名前だがそれがこの店の名前だ。


 名前からわかるように完璧にあの世界的なコーヒーチェーンを意識している。店が出来た経緯はとあるテレビ局でその店がないことをいじられ、県知事にインタビューした時うちにはすなばがあるというしょうもないダジャレから生まれた店だ。


 なお本家のほうは駅の裏側にようやく進出し店が出来たときは全鳥取県民が狂喜乱舞、その大願成就の日を高らかに祝いまるで自分の県のシンボルの様に扱われこちら偽物のすなばっか珈琲は影が薄くなってしまった。


 店の様子を外からうかがう。時間がちょうどよかったのか客は一人もいない。運が悪いと人が多く、騒がしい観光客がいてゆっくり飲めたものではなかったのでラッキーだった。


 俺は入ってすぐ左の席のテーブル席に座る。ほかの人間が見れば大人数向けの席に一人で座るのは少し寂しく見えるだろうが俺は気にしない。


 慣れた手つきで注文用のタブレットをいじり最初のページにある砂焼きコーヒーを注文する。折角だ、カツカレーも注文して少し早い夕食にしよう。どうせ家に帰っても独りでインスタントラーメンを食うだけなのだから。


「……………」


 店員が持ってきた水を飲む。ただただ冷たい。寒い外気で冷えた体が更に冷えたがのどを潤す事は出来た。


 しかし待っている間する事がない。頼れる暇つぶしの相棒ではなく文明の利器のスマホは手元にあるが俺はソシャゲもSNSもやっていない。つまりスマホを持っていてもすることがないのだ。


 一応ニュースほどは見ておこうと思い立ち、アプリを立ち上げる。


 ニュースは芸能がやはり人気だった。しかし俺は誰が不倫をしただの、誰が4WDに乗っただの、誰が多目的トイレに行っただのは興味がないので時事ニュースに目を通した。


 世界はいつも通りだった。どこかで戦争をし、どこかが食糧危機に見舞われ、どこかで政治家がスキャンダルを起こし、そんなニュースばかりだ。


 先輩が絡んでいそうな異質なものを示唆するニュースはどこにもない。思えばあの時のオークの一件も一切ニュースで報じられる事もなかった。つまりはそういう世界の出来事なのだろう。殺人……オークが人かどうかはわからないがそうしたものを完璧に隠蔽出来る団体がいる世界だ。


 折角なので地域のニュースに目を通す。こちらはさらにどうでもいいニュースばかりだ。また知事のどうでもいいダジャレがニュースになっている。うちの県の梨のゆるいキャラの先輩が千葉の梨の妖精にカチコミをかけたり、ローカルタレントの山田が番組でクソ滑ってプロデューサーにガチ説教されたりしたらしい。うちの県は今日も平和だった。


(あと気になるのは……)


 お隣の島根県のニュースも折角なので目を通す。県の人口が練馬区に抜かれたり、悪の秘密結社が粉飾決算で摘発されたり、赤てんを普及させる団体が鳥取のちくわを生産する会社を襲撃したり、てめぇ特産品にブロッコリー推すんじゃねぇもろ被りしてんだよと島根と鳥取の両者のブロッコリーの生産者が武力衝突したり、ゲートボールの全国大会で島根代表のじいさんが和歌山代表に敗北して末代までの恥と言って炎上したり。お隣の県は今日も人口が46位であることを鼻にかけて47位の鳥取に喧嘩を売ってくる。実にどうでもいいニュースばかりだった。


 だが少し前に莫大な予算を投じた巨大な研究施設が神在かみあり市に出来たはずだ。時々市内を今でもうろつく妖怪でも研究しているのだろうか。


 知ったところでどうなるものでもない。しかしカレーとコーヒーを待っている間暇だったので一応その研究施設をネットで調べてみる事にした。


 調べてみるとどうやら空間の歪みの観測をするよくわからない観測所のようだ。よくわからないというのは俺の理解力が足りないせいではなく情報がほとんど開示されていないためだ。もっとも空間の歪みどうこうは建前かもしれない。


 この施設は黒い噂、といっても主に天下りのためだけに作られたという三流週刊誌の記事があり、この施設が何かしらの秘密結社や電子の神の陰謀があると信じて疑わないオカルトマニアや都市伝説マニアにとっては全くもって夢のない話があった。


 結局この施設の真の目的は官公庁の天下り場所の確保なのかもしれない。つまりは調べる価値もなかったどうでもいい情報だった。お偉いさんとの癒着なんて田舎ではよくある話だ。


「お待たせしました」


 俺の興味は店員が持ってきたカツカレーに移り、制服の腰のポケットにスマホを入れると5秒後にはすっかりそんな事は忘れてしまったのだ。


 カレーは飲み物という名言がある。その言葉の通り俺は味わうことなくカレーをかき込んだ。今日のメインはコーヒーなのだ。


 はふ、はふっ……。


 急いで食べる事でカレーの辛味が冷えた全身に活力をもたらす。炊き立ての米の甘さとスパイスの旨味が共演し俺の全神経を研ぎ澄ました。


 しゃお――。


 メインのとんかつをルーとともにかぶりつく。カツをかみ切る心地よい音、ぶたの肉の油のうまさと、カツに絡まったルーが最高の相性だ。ゲン担ぎにカツカレーを食う奴がいるがなるほどこれを食べれば一気に活力がみなぎり目的も達成出来るのだろう。


 はふ、ほふっ……。


 勢いよく食べるといい加減口の中が辛くなってきたので冷水でリセットする。そしてすぐにカレーをかき込んだ。


 メインはコーヒーだがたまに食うカツカレーも悪くないか。この店が推す地元のブランド鳥を使ったカレーではないがこれはこれでよかった。気付けば俺はあっという間に平らげていてコーヒーを待つ事にしたのだ。


「お待たせしました」


 さて、俺は食後に持ってくるように頼んだが店員は待ち構えていたかのようにすぐにコーヒーを持ってきた。当然か、人が俺以外にいないのだから。


 だがコーヒーを味わうには口の中にまだカレーの余韻が残っている。冷水を口に含み、口内で軽くこねくり回し余韻とともに飲み込んだ。


 ようやくメインのコーヒーだ。俺は備え付けられたミルクをパキ、とプラスチックの部分を折って入れ、砂糖は入れずにスプーンでかき混ぜるとカップの持ち手に手を伸ばす。


 このコーヒーは砂焼きコーヒーという名前だが実際に市街地から離れた場所にあるうちの県の観光名所の砂丘の砂を焙煎に使っている。まあだからどうしたという話だが美味いのだからなんでもいいだろう。この店はこれを一番の売りにしているようでタブレットの最初のページにでかでかと載せている。


 カップに口をつけ、砂焼きコーヒーをほんの少し口の中に入れる。


 熱い。そして、口の中に心地よい苦みが広がる。


 コーヒーの値段はチェーン店のハンバーガーが一つ買える程度の値段だ。それを高いと考えるか安いと考えるかは人によるだろう。俺は値段に見合っていると考える。この至福のひと時はこのコーヒー以外では手に入らないのだから。


 スッキリした苦みの後かすかな甘みを感じる。何も考えられない。これだ、この味だ。俺の体が求めていたのは。


 ブブ、ブブブ……。


「ん?」


 不意にポケットに入れていたスマホが振動する。誰だ、至福のひと時を邪魔するのは。間違い電話やセールスなら腹立たしい。というか俺は知り合いがほとんどいないので結構な頻度でそういう事がある。


 しかし画面を見ると知り合いだった。それも出来れば話したくない……俺の妹のそらだった。


 コーヒーの苦みが不快なものに変わるが俺は電話に応答する。

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