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1-43 越えてしまった一線

「俺が最適な指示を出す。お前たちの命、俺に預けてくれ、キャシー、マルクス。それに……ピーコ」

「了解っす!」

「心得た」

「……うん! お願い、トオル君!」


 2人が返事をしたあと、ピーコは覚悟を決めた表情でそう言った。


 俺も覚悟を決めるしかないだろう。結局、ピーコの手を血で染める事になった。それだけは彼女にしてほしくなかったのに。


 強くならなくていい、心が汚されるくらいならずっとこの先も弱いままでいてほしかった。それが俺のエゴであるとしても。


 すみません、咲桜先輩。俺はあなたの妹を……。


 俺は心の中で彼女の姉に謝罪する。だがもう後はない。


 バリン――ッ!!


「グオオオオッ!」


 ガラスはすぐに破壊され笑顔のゾンビたちが巣穴から出る蟻のようにぞろぞろと現れてきた。そしてゾンビの一部が雄たけびを上げて突如走り出してこちらに駆け寄ってくる。


 ゾンビは全員うちの高校の学生服を着ている。知り合いもいるかもしれないがぼっちの俺は特にどうとも思わなかった。


 しかしピーコは連中のいびつな笑顔を見て目をそらしてしまった。優しい彼女の事だ、大して仲が良くなくても同じ学校の生徒というだけで胸を痛めているのだろう。いや……それが普通か。


 だが走るタイプのゾンビか。昼間に会うのはドーナツちゃんを除けば初めてだが今まで歩くゾンビだけだったのが恵まれていたのだろう。


 戦いが得意なマルクスが先陣を切り近寄ってきたゾンビを袈裟斬りで切り伏せる。俺はすぐに全員に指示を出した。


「間合いを取って戦えッ! 背中を見せず絶対に噛まれるなッ!」

「それが定石。だが我を見くびるな」


 俺の指示にマルクスは不敵な笑みで返すと、彼女は横方向に回転しながら大剣を振るいゾンビは一斉に後方に吹き飛ばされた。


 こいつ一人だけでもいけるんじゃね、と思いつつ、相変わらずの桁外れの強さに俺は呆れながらも感心したが指示を出すのは忘れない。


「マルクスとキャシーの広範囲攻撃でとにかく数を減らすッ! 討ちもらした敵は俺とピーコに任せろッ!」

「了解っすッ!」


 キャシーはタンタン、と靴を鳴らすと姿勢を低くし、回し蹴りを繰り出しながら高速移動をしてゾンビを転倒させていく。俺は倒れたゾンビにバールを躊躇なく頭部に振り下ろし止めを刺していく。


 俺はピーコのほうに視線を向ける。キャシーの足技で仰向けに倒れたゾンビが顔を持ち上げ、うめき声をあげながら彼女を見上げていた。


 やれるのか。


 やめてくれ、ピーコ!


 俺は相反する事を心の中で叫んだ。


 過呼吸になりそうなほど息を荒げている彼女は大きく深呼吸し、ハンマーを振り上げ、


「人間じゃない、人間じゃない……ごめんなさいッ!」


 彼女は目を閉じ早口で暗示と謝罪の言葉を述べる。そしてゾンビの頭部目掛けてブン、と風を切って勢いよくハンマーを振り下ろした。


 そしてぐちゃりと――骨が潰れる音がする。


 恐る恐る彼女が目を開けてゾンビの様子を確認すると、攻撃は少し外れたものの頸椎と延髄のあたりを潰していた。絶命させる事には成功したらしい。


「私も、で、出来たよ……トオル君!」

「……よく出来たな」


 震える声の、喜びとも悲しみともつかない彼女の震える叫び声に、俺は感情を込めずに言った。


 もう彼女は一線を超えてしまった。かつての彼女に戻る事は出来ない。一度黒が混ざれば、どんな事をしても純粋な白には戻れない絵の具のように。


 ならば俺は彼女が少しでも手を汚さないよう、一匹でも多く近付く敵を削除するまでだ。それがゾンビであろうと人間であろうと。


 その目的の遂行のために脳をフル稼働させろ。敵の数千、数万、数億の行動パターンを予測し、望む未来の事象を結論付けろ。あらゆる可能性を分析し、最も敵を効率よく削除するための最適解を導き出すッ!


「寄るな汚ェ害虫がァッ! 害虫は削除……害虫は削除……害虫は削除ォッ!」


 返り血を浴びて呆然とするピーコの姿に、自棄になってしまった俺は無我夢中で叫び、だがあくまでも冷静に、敵を殲滅させる結末に向かい決められた行動を行う。


 バールを素早く振るい近場のゾンビの頭部を破壊して、戦場を駆け抜けゾンビの群れを縫うように移動し、敵が反応する前に頭部を、脊椎を、腹部へ強打を浴びせ肉体を破壊していく。


「我と戦った時と同じく、先を読む戦い方か」

「ほへー、マルちゃんも強いんですけどトオルちゃんもまあまあなバケモノっすねぇ……ちょっと怖いっすけど。少年誌の主人公にはなれない顔ですねぇ」


 マルクスとキャシーは感嘆の声を上げる。俺の一切無駄のない完璧な動作に感心しながらも彼女たちは攻撃の手を緩めなかった。


「ある意味トオルは我らの中で最強の戦士かもしれん。およそ人間らしくない修羅ではあるがな。この混沌と暴力が支配する世界では生存に最も適した人種ではあろうが。我はこんな怪物と戦って生き永らえたのだな……」


 マルクスがなにかを言っていたが俺は一切聞く耳を持たず敵を効率よく削除していく。


 敵の動作を計算、回避、反撃、再試行、最適な一撃、計算の再試行、削除、削除、回避、削除、反撃、削除、最適な一撃、削除、回避、削除――。


 俺は害虫を削除するだけの機械となり敵を効率よく削除していく。バールを振り下ろすたびに飛び散る腐敗した体液も、骨を砕く感覚も、突起が肉に刺さる感触も、鉄の生臭い臭いのする粘着質な黒い返り血も、全て削除するための行動に関係のない無駄な感覚は排除して。


 削除、回避、再試行、削除、削除、反撃、削除、回避、削除、再試行、敵の動作を計算、削除、回避、回避、反撃、最適な一撃、削除、回避、最適ないちg


「ダメぇーッ! トオル君ッ! 帰ってきてッ!」


 声が聞こえた。その瞬間、高速で演算処理をしていた俺の脳は動作を停止する。


「我も遅れはとらんッ! 戦友よ、貴様だけを修羅にはさせぬッ!」


 敵陣のど真ん中で動作を停止した俺に、マルクスが乱入し俺の周囲に群がるゾンビを片付けていった。そうしてようやく俺は自身の体が暗褐色のペンキを頭からかぶったように血で染まっていたことに気が付いたんだ。


「絵面がアウトっすッ! もうちょっと見栄えのする爽快な戦い方をしましょうッ!」


 キャシーも空中で旋回しゾンビの群れに回し蹴りを連続で食らわせてから、カッターナイフを持つゾンビに蛇のように絡みつき肩車のように上に乗ると両足でその頸椎を絞めて砕く。


 そして後方にバック中をし逆立ちで着地すると再び回転して周囲のゾンビを蹴り飛ばしていく。見栄えはいいが相変わらず無茶苦茶な戦い方だった。


「トオル君に、近付いちゃダメェッ!」


 甲高く、心臓をえぐるようなピーコの声がまた聞こえて俺の脳の動作は再びフリーズする。彼女はゾンビの群れに突っ込んで、ハンマーを一心不乱に振り回してゾンビを撃破していった。


「終わりだッ!」


 マルクスが叫び最後のゾンビを仕留めて戦いは終わり、俺はようやく我に返りピーコの顔を見つめる。ボロボロと涙を流して酷い表情だった。


「どうした、ピーコ……怪我でもしたか」


 俺は答えがわかっているはずなのに、間抜けな質問をしてしまう。


 俺は壊れた演算装置で彼女が泣いてしまった理由を推測する。怪我による痛み。否定。ゾンビへの恐怖。否定。


 俺への恐怖。肯定。もっとも確率が高いと結論付ける。


「トオル君……トオル君……ッ!」


 ピーコは返り血で染まった俺を抱きしめ、自らが汚れる事も一切気にせず胸元で泣きじゃくるのだった。


「よかった……戻ってきてくれて……」

「……すまん」


 俺はなんて事をしてしまったと酷く後悔してしまった。俺の目的はピーコの心を護る事であるはずなのにこれでは本末転倒ではないか。


 俺は久世透を演じ切らなければならない。彼女の心を護るためにも極力この狂った脳の思考回路を露出させてはならないのに。


 呆然とする俺を差し置いて、口をはさんだのはマルクスだった。


「大丈夫か、ピーコ。よくやったと褒めてやりたいが、お前は本来こちら側ではないだろう。それでもこの暗闇の道を進み続けられるか」


 そう彼女は心配そうに問うと、ピーコは俺から顔を離し涙を拭って言った。


「……うん、マルちゃん、ありがとう。けど私だってずっとトオル君の後ろを付いていくだけなのは嫌だから」


 俺はそう言ったピーコの顔を見て、雷で撃たれたような衝撃が走る。


「違う、そんな決意はしないでくれ。お前はただ弱いままでいいんだ。その心が壊れるくらいなら……」


 俺は意図せず口に出してしまった。だがピーコは優しく微笑む。その笑顔は俺がいつか見てしまった、すべてを諦め受け入れた咲桜さんの悲しい笑顔と酷似している。


「咲桜さんみたいな顔をするなよ……その笑顔は止めてくれ。苦しいんだ。俺が無力だって先輩に言われているみたいなんだよ」

「黙らっしゃい、こんだらず」


 咲桜さんの名前を出すと、ピーコはちょっとだけ顔を膨らませた顔で怒る。


「また私の知らないあいだにトオル君がどっかに行っちゃうのは嫌だからね。駆け落ち騒動の時も……それにあの事故の時も。それに私だってそれなりに苦労しているの知ってるでしょ? もう大切な人が死ぬのは嫌なんだ」


 辛いのは彼女なはずなのに、俺を慰める言葉をかけてくれた。


「私だって強くなろうとしてるから。お願いだから甘やかさないで、ね?」

「そう、か……」


 俺はそれ以上何も言えなくなる。


 柴咲一花という少女の普段の幸せそうな笑顔の下に隠された、想像を絶する深い悲しみを俺は見ないように努めていた。


 彼女もまた震災という絶望を経験し、両親を、親しい友人を亡くしているのだ。少女の女神のような優しさは彼女が痛みを知る人間だからこそ備わったものなのだ。


 彼女は俺のために強くなろうとしてくれる。非常に不本意ではあるが俺は彼女の意思を尊重しよう。それは結果的に彼女が生き残るという事に関しては利益をもたらすはずだ。


「そうか。なら止めはせん。トオル、彼女の背中は護れよ。死に物狂いでな」

「言われなくてもな」


 マルクスは俺を睨み俺も覚悟を決めた。ピーコが強くなろうとするのを邪魔はしない。だが俺は今まで通り一匹でも多く害虫を駆除するだけだ。彼女が強くなるまで護るために。


「うう、泣かせますねえ、けど」


 キャシーはわざとらしく泣くと気まずそうな顔でこちらの様子をうかがいながら言った。


「早くしないと、ともちゃんが……」


 俺は当初の目的を再確認する。そうだ、すぐに行かないとともちゃんは手遅れになる可能性があるのだ。


「ああ、そうだな。先を急ごう。ピーコ、怖がらせてすまなかった」

「うん、いいよ。トオル君、ちゃんと帰ってきてくれたから……」


 俺はぽふぽふ、とピーコの頭を帽子越しになでる。


 そして彼女は優しく微笑んだあと、目元の涙を再度ぬぐって覚悟を決めた表情になった。

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